第十三頁 千鶴と買い物 前編
界刻は翌日の土曜日に目が覚め、朝の日課を終わらせると透姫が食事を用意してくれていた。
「旦那様、あの三毛猫を呼んできてください」
「……お前が行けばいいだろ」
「私よりも、界刻が呼びに行く安心感が違うでしょう?」
「……気遣いできるようになったんだな」
俺の怪異ヒロインが学習能力を得たか。関心関心。
と内心思っていると、ぷりぷりと相棒が頬を膨らませる。
「私は界刻のお嫁さんですよ? できて当然ですっ」
「いつからお前を嫁にしたバカ」
「あ、ひどーい! 旦那様とあの三毛猫のお食事、せっかくご用意したのにっ! つれないですぅ……うぅ、透姫、泣いちゃいますよ!?」
「勝手に泣け」
「照れてるの、わかってるんですよぉ? 私、界刻のお嫁さんなのでっ」
「……調子に乗るな」
軽いデコピンをくらわせれば、痛いっ、と小さな悲鳴を相棒は上げる。
むーっと睨みつけてきたかと思えば、おでこを抑えながらも自慢そうに鼻を鳴らす。
「……なんだ」
「界刻はツンデレさんなの熟知してるんですっ、なんせお嫁さんですからっ」
「……勝手に言ってろ」
相棒を雑に扱って、俺は千鶴のいる寝室へと歩き出す。
後ろで変な顔をしているであろう相棒はスルーの方向で。
俺は小さな寝息を立てているメインヒロイン様の風格とポテンシャルを秘めた彼女を起こすことにした。
「千鶴、起きろ。朝だぞ」
「……ん、さと、るさん?」
軽くゆすると、千鶴は寝起きだからか目をこすりながら起き上がる。
「……おはよう、ございます。さとるさん」
「ああ、着替えは悪いが俺の服でいいか?」
「はい、大丈夫です」
「そうか、俺たちはリビングにいる」
「……はい」
俺は先にリビングで椅子に座る。
テーブルには相棒が作った朝食が並んでいる。ご飯にわかめと豆腐の味噌汁、焼鮭とほうれんそうのおひたし、飲み物はお茶と、完璧な朝食だ。
「……お待たせしました」
「ん、ああ」
ぶかぶかな白シャツと寝巻用の短パンを千鶴が来ている。
恋人でもないのに彼シャツ的な展開になるとは思いもしなかった。当時の俺なら、そんな経験を合法的にできる機会なんて恋人になる以外ありえなかったしな。
……分史世界の彼女だとわかっていても、嬉しくなってしまう自分が憎い。
「……旦那様、わざとですよね」
「なんのことだかわからないな」
「? どうかしました? 悟さん」
「なんでもない、ほらはやく食べるぞ」
親指を噛みながら千鶴を睨むのをスルーする。
俺は透姫と向かい合う形で、千鶴は透姫の隣に座る。
「「いただきます」」
「……いただきます」
透姫は界刻と千鶴の後から遅れて箸に手を付ける。
相棒が作ってくれた朝食を食べるため、まずは味噌汁を飲む。
ちょうどいい塩梅の味噌汁が喉を通り、美味さに舌が唸る。
……千鶴を殺す方向性は絶対に却下だ。分史世界の人間を殺すのはサヤは問題はないと言っていたが、分史世界の俺が彼女の死を知ることもなく消えるなんて想像するとたまったものではないからだ。
それが理由で、分史世界の俺がラインホルトゥスに来るようになってしまっては、それこそ正史世界に影響が出かねない。
彼女もそのことを考慮していないはずがないだろうに。
「――さん、悟さん」
「ん……なんだ?」
一度界刻は食事の手を止め、千鶴を見る。
「今日は、私の買い物に付き合ってくれるんですよね?」
「……作家は昼夜逆転することが多い人種だが、締め切りという約束は守らないと稼げないからな」
「……? え、っと」
「つまり、覚えている、という意味ですよ三毛猫」
「……!」
千鶴の顔は明るくなり、隣にいる透姫を見つめる。
透姫は頬を赤らめ、ふんとそっぽを向く。
……ツンデレという設定を付け足した覚えはないんだが。
「で、どこにいく?」
「あ、なら新宿に」
「わかった、食べ終わったら行こう」
「はいっ」
新宿か……何かと縁があるな。確かに学生時代でも、ニュウマン新宿のアストラットのあたりが好きだと言っていたっけな。よし、ならあそこに行くか。
界刻は朝食を食べ終え、お盆に置かれた朝食を台所のシンクの中に入れて洗い始める。
もしものこともあっては困るから、日用品の買い出しもいるな。後はメアリーの洗い物が終わってから買い物にでかければ問題ないな……よし、筋道は見えた。
「悟さん、洗い物やるんですか?」
「ああ、作るのはメアリーだがな」
「どうして、透姫さんをちゃんと名前で呼ばないんですか?」
「……契約上の延長戦、みたいなものだな」
「?」
「いや、気にしなくていい。あいつはああ見えてマゾなだけだ」
「マゾって、え? 二人って、どういう……」
「それはもう、退廃的で官能的な関係ですよ? ねぇ、旦那様?」
「嘘を教えるな嘘を」
「え? え? ど、どっちが本当なんですかぁ!?」
混乱してあたふたしている千鶴の様を見て、ふんと鼻を鳴らし自慢そうにするメアリー放っておいて、俺は準備に取り掛かることにした。
俺と千鶴は一緒に新幹線に乗って、新宿にやってきた。
「悟さん、こっちですっ」
「ああ」
界刻は流されるまま、手を引っ張られ走る千鶴。
場所は彼女の好みの店なのは知っている、こんなにも楽しそうな顔をされると連れてきたかいはあるが……やはり、彼女の表情に心が舞い上がる自分がいる。
2Fのイベントスペースにある奥の方に
彼女は店の中に入ると、開花した花の笑顔を見せる。
「悟さん、私服選んでますから待っていてくれますか?」
「いいが……俺は別の所で休んでいた方がいいんじゃないのか」
「え? どうしてですか?」
「……選びづらいだろう」
「そんなことないですよっ、女性同士じゃ聞けない意見とかもありますしっ」
「……そういうことなら」
「!! はい、じゃあ色々見てきますねっ」
千鶴は満面の笑顔でにはにかんだと思ったら、すぐに自分好みの服を探しにコーナーへと走り出した。
俺は適当な壁を背にして、待つことにした。
「……コロコロ表情が変わるのは、相変わらずだな」
気が付けば、自然と口角が上がっていた。
……彼女の服を選ぶ機会なんて、なかったというのに。もし生きていたら、こんな風に一緒にショッピングをしていた未来もあったのかもしれない。
女性陣が俺を見る視線が痛いが、耐えろよ俺。
「……さて」
界刻は適当にスマホをいじって人を待っている風を装う。実際に待っているのは待っているんだが……それはいいとして。
俺は彼女のことを考察するためスマホのメモをつけていた。
まず、一つ。俺が感じた違和感の考察だ。
一つ、分史世界での俺と彼女は出会っていない、という議題。
出会った時に、メアリーの機転で俺の本名まで教えてしまったが、彼女は知らぬ存ぜぬの態度だった。つまり、おそらく彼女の分史世界では俺と出会ってすらいないか、俺が彼女と会う前に死んでいるか……の可能性があるということだ。
どちらもあり得ない話じゃない。
可能性論だからこそ彼女に直接聞くべきなのは間違いないが、しかしサヤが言っていたように分史世界の俺がいる可能性があるなら、下手な手段は選べないのも事実。
……他の遺骸殺しの人間は、分史世界の住人との繋がりなんて持つことなんてほぼないらしい話は、スマホでサヤに確認済みだ。
「……ふぅ、今日はこんなもんか」
ある程度頭の整理ができてきた界刻。
タップする指を止めて、スマホの画面をSNSに変える。X、旧Twitterでトレンドに上がっている物はないかと適当に見たりしながら暇つぶしをする。
俺のIDの名前は御神渡界刻と、ペンネームそのままのIDだ。
読んだ小説の感想とかたまに呟いたり、タイムラインで流れてきた綺麗な風景を見つけては、小説の文章な感じでリプライすることもある。
別にその写真を投稿した投稿者が元々投稿した内容が気にくわなかった、なんてことはない。ある意味、バラエティ番組で「この写真を見て一句」的なことを相手のフォロー的な言葉は一切入れずにやってたりする。
実際、俺の知名度が上がるーという打算的なことよりも、風景を取った投稿者の閲覧数なりなんなりが上がって、評価されるなら悪くはないと思うだけだ。
まあ、自分がそこまでの人間だと驕っているわけではないが、あれだ。
いい風景写真を見ると昔の俳人感覚、というあれなのだ。
今回の写真は、夜空に月が浮かんでいる写真だ。
打つ内容は、「上る雲に揺蕩う月は、今日も白く、儚く、夜を謳う」と打ち、投稿した。後は、家に帰ってからでも見てみるか。
「悟さんっ、ちょっといいですか?」
「ん? なんだ」
界刻は千鶴に呼ばれスマホをタップしてホーム画面に戻す。
続けて、界刻は千鶴の元へと歩み寄り、不安げな彼女に尋ねる。
「どうした? 急に」
「その、どれくらいで納めたらいいのかなって……」
「ああ、そういうことか。気にするな。多少は稼いでる」
「で、でも……住まわせてもらっている身ですし」
申し訳なさそうに俯く千鶴の意見も、間違ってはいない。
分史世界の千鶴は少なくとも学生だ、知らない人間に金を使わせるのが悪いと思うのは、彼女の人間性が如実に出ている。
……どの世界でも、彼女はいい奴なんだよな。
「千鶴はそういうこと気にするんだな」
「ダメ、でした?」
上目遣いで見つめてくる千鶴に、俺は頭を抱えて視線を逸らす。
……千鶴のこの表情は本当に心臓に悪い。
学生時代の姿のままなのが、数年前の自分の初心だったころのときめきが戻ってきているというか。いいや、そもそも彼女が目の前にいると思っただけで動悸がする。
界刻は千鶴がかわいいと、悶々としていた。
分史世界の彼女とはいえ、年上である界刻が下手に千鶴を気持ち悪がらせないために最善手を取ることにした。
「……無尽蔵ではないが、必要最低限気に入った服を買えばいい」
「で、でも」
「いくつかパターンを考えればいいだろ、一緒に見てもいいか?」
「……はいっ、お願いします」
朗らかに微笑む初恋の彼女の笑顔に心臓がクリーンヒットする界刻は必死に顔面を無表情に徹するのだった。
「悟さん、これどっちが私に似合うと思いますか?」
千鶴はピンク色の七分丈シャツと緑色の長袖のシャツを持ってきた。
界刻は二つの服を入念に見る。
「ん、ああ……どっちも似合うと思う。千鶴は可愛いから、可愛いタイプは基本イケる。組み合わせ次第では綺麗系もいけるタイプだろお前は」
「そ、そうですか?」
「ああ、元がいいからな。千鶴は」
「……そ、そこまで私、可愛いわけじゃないですよ? モデルさんとか、アイドルの方には絶対負けますし」
「千鶴は可愛いだろう、自信を持て」
千鶴は顔を赤らめながら言うのに界刻は真剣に言い放った。
少なくとも学生時代に男性陣にモテていたのだから間違いないのだ。
俺が千鶴と一緒に過ごすようになって感じていたことでもある。
間違いなく、他の害獣共に好かれていたのは認識している。腹立たしいが千鶴がそれだけ人気のある子だったのも事実だ。
「え!? で、でも」
「好きな服を選ぶのはもっともだが基本は自分が着たい服で、どう着こなせば魅力的になるかを考えるべきじゃないか? そういう思考だと服を着る楽しさが減るぞ」
「……そう、でしょうか」
「ああ、お前も好きな服を着ておしゃれをしたいんだろう? そのくらいでいいだろ」
俺は千鶴に似合いそうな服を適当に選別していた。
千鶴の顔のラインは綺麗な卵型だし、少し細身だからある程度の物は着こなせるんだよな。あまり胸やウェストが大きすぎる女子は、通販じゃなくちゃ買えない物があると聞く。
「……それじゃあ、その悟さん的にはこの二つならどう着こなせば似合うと思いますか?」
……なんだ、急に。
「そうだな。そのピンク系は千鶴の良さを生かすならロングスカートだろうな、白とかいいと思う。そっちのグリーンなら、ジーンズスカートとか、黒いスカートもありだな」
「……な、なんか悟さんがスタイリストさんみたいです」
「女性キャラのファッションを研究していた時期があるだけだ」
「仕事熱心なんですね、悟さんって」
ふふふ、と愛らしく笑う千鶴に照れそうになる自分の頭を横に振って誤魔化す。
今の彼女は年下でもあるというのに……本人だと思うとどうも昔の感覚になるな。学生時代に千鶴と話すのに、知り合いから服のことを教わったことがある。
彼女が生きていた時は、悟られないように努力したな……まさか、こうやって二人で服の買い物をすることになるとは。
学生の頃の自分よりは、千鶴に気持ち悪くなく説明できていればいいが。
界刻は千鶴の顔が、嫌がっている感じでないことに心の中で胸を撫で下ろした。
「じゃあ、買ってきてもいいですか?」
「ん、ああ、俺が払うから好きなだけ買えばいい」
「……それじゃあ、住まわせてもらってるのに、我儘し放題になっちゃいますよっ?」
む、と頬を膨らませる千鶴に俺はデコピンを食らわせる。
「あいた、な、何するんですか!?」
「賢い女は、こういう時大人を利用する物だ、興味が無くなったら今食べたい新作のデザートも買ってもらえなくなるかもしれないぞ」
「え!? し、新作!? ……っ、悟さん、そ、それは、えっと、その」
「買ってほしいなら、素直に大人に甘えてなさい……いいか?」
「……ありがとうございますっ、悟さんっ」
額を抑え嫌味のない満面の笑顔で、散弾銃にも等しいときめきをハートにクリーンヒットさせてくる。くっ、この乙女ゲー主人公にも等しいような可愛さを持ったメインヒロイン級女子め、不覚だ……!! くそっ。
俺は必死に顔面を無表情を維持して脳内で悶えた。
作家もオタクといえばオタクなのだ、脳内のみで悶える技術は学生時代から搭載済みである……よかった、俺がもう少し若かったら蹲って頭を抱えている案件だ。
……が、俺もまだ恋愛経験は豊富ではない青年であるのも事実だった。
界刻は頭を抱えた、重い溜息を吐いて。
「悟さん、次、行きたい場所があるんですけど……悟さん?」
「……なんでもない、行くぞ」
界刻は社会人となって身に着けたポーカーフェイスを使用し、なんとか大人としての体裁を保ちながら、千鶴との買い物へと繰り出すのだった。
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