第十一頁 何度目かの図書館へ

「それで、彼女を自室に連れ込んでしまったと」

「……語弊ごへいのある言い方をするな」


 今回は個人的にサヤの元まで来ていた。

 ページを捲る音。時計の秒針が進む音。

 静寂な空間であるこの図書館には、その二つが嫌味も不快感もなく滞在する。

 彼女の語部にも等しい声が、よりこの空間の安堵感を底上げしていると言えよう。

 ……だが自分にとっては、今、罪悪感を胸に芽生えさせる音色に等しい。


「間違いではないはずだよね。正史世界の彼女は死んでいる、歪みは持ちださないでほしいかな」

「……わかってる」


 さやかはページを捲る手を止めない。。

 彼女の言いたい言葉は、最もだ。俺が正史世界に彼女を連れ込んだ、それは本来ならサヤにとってはタブーなのは重々わかっている。

 ……なぜこうなってしまったのか、上手く自分の感情が理解できていない。


「私が君に宣告するのは、彼女を元の世界に返すことを第一に行動してほしいということだけ、難しい話じゃないよね?」

「彼女がこの世界に迷い込む時点で、異例のはずじゃなかったか」

「異例では確かにあるよ、それは確かに事実。でもね、正史世界に余計な雑念を持ち込めばどうなるか……知らない君じゃないよね? 私と契約しなかったら、君の学生時代の時のあの件、忘れてもらったら困るかな」

「……わかってる」

「正論をわかっていない感情論を胸に秘めている君に告げよう……できないのなら、彼女が正史世界に定着する前に殺しなさい。でなくちゃ、君の記憶は彼女によって改変されるんだから」


 さやかは受付で椅子に座りながら、続けて本のページを捲る。

 まるで俺との会話は、読書の一環のような体でこちらを見ずに言ってくる。


「……」

「冷酷な現実を時には受け止めなくてはいけない、それは真実を求めようとする者の前に必ず現れる壁なのだから」

「本当に正論マシーンみたいな女だな、お前は」

「言い得て妙、とはこのことを言うのかもしれないね」


 さやかは本を閉じ、自分自身の胸に手を当てる。


「正論こそが私のもちいれる感情表現であり、表現方法そのものだもの。私は正義と不義の混合するような輩は、区別と差別の違いが理解しようとせず、ただ自分の我儘を押し通そうとする愚者だと認識しているよ。君はどうかな、界刻君」

「……否定はしづらいな」

「でも君は気にくわないんでしょう? 人間のくせに、こんな機械的な言動をする私が」


 彼女は近づいて、俺の顔を覗き込む。満面の笑みで笑うコイツの狂人具合は、出会った時からひしひしと感じていたことではある。

 お人好しな小説家はひねくれた返しをする。


「人間は正論ばかりでは生きれるなら、全人類が幸福な生き方をしているに決まってる」

「あれ、嫌いじゃなかったの? こんなロボットみたいな口調な女は。君の小説にそう言う系の女の子は出てこないもんね」

「俺は純文学派であって、ライトノベル作家じゃない」

「あれ? おかしいなぁ。売れなかったらそっちもやろうとしてたはずでしょう?」

「……お前のそういうところ、悪癖だって自覚あるか」

「だったら、その悪癖を直すために君は私のこと好きになってくれる?」



「……お前と恋愛をする予定はない」

「残念、今はそれで我慢するよ」


 ……なんだ、我慢って。 

 さやかは口元に片手を当てて小さく笑った。


「難しいね、人間の感情論から来る思考って。君に恋したら理解できる気がするのに……」

「俺の生涯をかけてもあり得ないな」

「恋は世界で最も重い罪ではあるけれど、恋は必ずしも一目惚ればかりじゃなく、一度の過ちからも発展することもあるんだよ? 小説家さん」

「恋はそんなお手軽じゃないんだよ」

「経験談?」


 彼女は首を傾げ、ミステリアスな笑みをちらつかせる。


「……お前わざとだろ」

「ふふっ、でも仕事仲間から発展する恋もあると思うよ。恋って無限大の可能性があるんだから、もちろん誰かと繋ぐ縁と等しくね」

「……お前の考えていること、わからない時がある」


 サヤは当然のように人への好意を表に出すが、特に自分に対しては顕著けんちょだ……なぜ自分にそんな感情を向けたがるのか、理解ができない。

 自分は、そんな誇らしい人間ではないはずだというのに。

 

「だったら、君は私のことをもっと知ってもらえるってことだね、嬉しいよ」

「……お前のそういうとこ、苦手だ」

「私は君のそういうとこ、嫌いじゃないよ。だって、理解できないことは理解できないって言えないよりお互い言える方の関係性の方が素敵だからね」


 ……それは、寂しいことの間違いだろ。


「何か言った?」

「……勝手にしろ」

「じゃあ、勝手にするね」

「……今日のお前しつこいぞ」

「ふふふ、困った界刻君が見たかったの、嫌だった?」


 今日も、気が付けばサヤのペースだ。

 彼女は己の美貌で自分に可愛く強請っている。

 恋人だったのなら、即OKするレベルの可愛さだろう。上目遣いというか、自分の価値を十分に理解していなくてはできない行為だ。

 だが、自分はそう簡単に調子に乗る男ではない。


「……ふざけるなら他の遺骸殺しとすればいいだろ」

「君がいいんだよ、君がいいの。私は君にだけ特別扱いをしたいんだよ、御神渡界刻――――私が愛しき愛読書足り得る物語様なんだから」


 さやかは界刻の左頬にそっと触れる。

 彼女の深海色の瞳が、まるで自分が大海に沈む鳥の錯覚を覚えた。

 呼吸をしたくても、酸素がない。

 酸素なんて物を与えないと言いたげに、自分だけを見ろとでも言いたげにさやかは熱のこもった視線を向けてくる。

 彼女は恋ができない、はずだ。この図書館の司書だから。

 彼女は愛を知らない、はずだ。紙切れのような存在だから。

 彼女は憎だけ知っているはず。数多の物語の大半が憎悪に満ちてるから。

 だと、いうのに。

 彼女の瞳の裏にある思考まで、今の自分には察する余裕がなかった。 


「この泥棒猫!! 何してるんですか!?」

「……メアリー」


 俺は相棒の声が聞こえた方に振り向こうとすれば、彼女は俺とサヤの間に割り込むように入ってくる。


「見つかっちゃったね、残念。せっかくの逢引きだったのに」

「おいサヤ、誤解招く言い方は、」

「逢引きですって? 知らないんですか? 恋人の二人が、誰にも知られない場所でするのが逢引きなんです! 黒猫はそこまで馬鹿だったんですね」

「冗談を通じないと君のご主人様が疲れちゃうよ、少なくともほぼ他の遺骸殺しが来ないのも事実なんだから、逢引きと言っても差し支えないのは事実でしょ? 二人だけの秘密の会話もしたから、帰っていいよ。界刻君」

「きー!! 腹立たしい女ですね、貴方って女は!!」

「誉め言葉かな、だったら嬉しいよ」

「誉めてないです、勘違いやめてもらっていいです? 気持ち悪いです」

「言うね」

「ふんっ! 貴女こそ!!」


 バチバチと二人の間には火花が散っている。

 俺はそろそろ退散して、家のソファで寝たいんだが。


「旦那様もそう思いますよね!? ねぇ旦那さっ、あいたぁっ!!」

「都合のいい時だけ旦那様呼びすんなアホ」


 チョップをかましてやれば、涙目で頭を押さえる相棒の図が出来上がりだ。

 コイツがこうなっている時、ちょっとしおらしい気がする。


「う、うぅ……ひどいですぅ」

「とっとと帰るぞ、メアリー」

「だから、私は透姫です! 界刻が名付けたのにこの仕打ちは何ですかぁ!? もうっ!!」

「またね、界刻君」

「……ああ」


 界刻は振り返らず、図書館から透姫と二人で出た。


【もう、界刻! あの女にむやみやたらに傍にいたら喰われますよ!?】

「問題ないだろ、別に」

【……なんの話をしてたんですか】

「秘密」

【……わかりました、今回もそういうことにしておいてあげます。私、待てができる女なので】

「狂犬がよく言うな」

【むむっ! それは罵倒ですか!? 界刻!!】

「とっとと帰るぞ」

【あ、あぁん! 待ってぇ旦那様ぁ!!】


 界刻はヘッドフォンを頭につけてスマホを手に握る。

 青年、御神渡界刻は知らない。

 分史世界の少女、雫川千鶴を正史世界に招いたことであんな結果になるとは。

 小説家と無貌少女の二人は思い知ることになる。

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