第十一頁 新たな居候

 界刻は一旦ベットの上に少女を寝かせてから、回転椅子に座った。


「……ふぅ」


 異害を倒せたのは御の字だが、それとこれとは話が別だ。

 雫川千鶴、彼女は俺が学生時代の知人だ。

 知人、とだけ言っていいか迷うが知人は知人……だ。

 なぜ彼女があんなところにいたのか、理由がわからない。

 だって、彼女は――当の昔に。


「……むぅ、旦那様。じっとその女を見過ぎですっ」


 界刻が千鶴のことをじっと見続けているのに透姫は不満を口にする。


「別にいいだろ」

「……それだけじゃないくせに」

「何か言ったか?」

「なんでもないですっ」


 界刻は彼女の柔らかい茶髪にそっと触れる。

 学生服は俺が通っていた学校でも夏物だ。今はまだ春の季節だ。

 恰好的な違和感はない、ないのだが。


「んっんぅ……?」

「起きたか」

「あ、あの化け物は!?」

「大丈夫だ、俺とあの怪異で倒した」

「え?」


 飛び起きた少女は、頭の上に疑問符を浮かべている。

 まあ、当然っちゃ当然か。


「ああ、俺たちは、」

「彼は御神渡界刻様です。有名小説家様ですよ、こうべをたれなさい。人間」

「え、そ、そうなんですか?」

「……おい」


 相棒は腕を組み、自慢げに鼻を鳴らす。

 ペンネームをバラす馬鹿がどこにいる。


「本名は内海悟うちうみさとるというロリコン男ですから、貴方が傍にいたらあっという間に骨まで食べられますよ」

「え!? ろ、ロリコン!? 骨まで!?」

「おいこら、メアリー」

「なんのことでしょう? 私、唯是透姫という名前があるんです」


 俺が説明しようとすれば大声で自己紹介をかましてくる。なんで怒っているんだ? しかも俺のペンネームどころか本名すらも暴露するとか。


「え、えっと……」


 ……まぁ、いいか。

 彼女も状況が理解できなくて困っているし。


「気にしなくていい、アイツによくある癇癪かんしゃくなだけだ」

「そ、そうなんですか?」

「で、君は自分のことを覚えているなら教えてもらってもいいか?」


 相棒がえぇ、と小さくしょんぼりする様を眺める理由はないからスルーする中、知鶴は恐る恐る答えを返してくれる。


「え、えっと……私は雫川千鶴しずかわちづるです。あの化物もそうですけど、ここはどこなんですか?」

「ここは俺の家だ、あの化物は異害いがいという怪異だな」

「……怪異って、妖怪とかですよね? あの空間ってなんだったんですか?」

「多元統制境界線、ラインホルトゥス。それがあの空間の名称でわかりやすく言うなら並行世界と現実世界を渡るための通路みたいな物だ。定期的に俺たち遺骸殺しと呼ばれる怪異の掃除屋が、あの空間に現れる異害を掃除してる、ってことだな」

「並行世界? あそこが……?」


 ……まぁ、普通の人間ならまず入れない領域だからな。あの空間は。

 目を見開いて驚く千鶴に頷いた。


「……じゃあ、私はどっちの人間なんですか?」

「それは、」


 界刻は言いよどむ。彼女に行っていい言葉なのか、千鶴が、彼女どう告げればいいか言葉に迷う。


「貴方の家は出現した怪異で潰されているのは確認済みですし、両親も亡くなっているのは知っています」

「そ、そんな……っ」

「おい、メアリー」


 なんで嘘をつく必要がある、と目で訴える。

 正史世界での彼女の家族は千鶴が死んで、精神を病み二人とも死亡している。家ももちろんない、が……メアリーは何をするつもりだ。

 相棒は対しすました顔をする意味は、彼女をここに住まわせようとする魂胆が垣間見える気がする。


「ふんっ」


 腕を組む相棒は、彼女なりの気遣いを感じる。

 ……こうなったコイツは言っても聞かないからな。しかたがない。


「じゃあ千鶴、君が俺の家に住んでもらっても構わないがどうする?」

「……いいんですか? 悪い気も」

「餓死するよりマシだろ、俺の家を拠点代わりにすればいい……どうだ?」


 彼女は少し間を置いてから、小さく頷いた。


「……わかりました、じゃあお願いします」

「そうか……というわけでいいか相棒」

「ま、まぁ? そういうことになったらなら問題ないかと思いますよ」

「お願いしますね、透姫さんっ」

「ああ、もう、なんですかこの泥棒猫が!!」

「え!? わ、私、泥棒にも猫になった覚えもないですよ!?」


 ……新たな同居人が増えたことは意外だったが、しかたがないだろう。

 少なくとも、彼女のことを探るためにも情報収集は必要だ。

 できる限りのことは尽くそう。


「えっと、界刻さん! よろしくお願いしますねっ」

「……ああ」


 少女の満面な笑みに、男の胸に灯る熱に気づかぬふりをした。

 彼は小さく微笑んだ。


「ズルいですよこの三毛猫!! 界刻に笑ってもらうなんて!!」

「へ!? み、三毛猫?」

「気にするな、こいつの罵倒の語彙が貧弱なだけだ」

「ひどいですっ旦那様ぁっ、私との関係は昼夜どちらとも熱いというのに!!」

「え? もしかして二人は夫婦……?」

「熱かった覚えはない、嘘をいうな」

「なんで否定するんですか界刻っ!! そのまま通せばいいのに!!」

「俺にだって拒否権くらい持ってる」

「もぉー!!」

「ふ、ふふふ、あははっ」


 相棒が俺の胸を拳にした両手で叩くのを見て、千鶴は吹き出す。

 千鶴の笑い声を聞かず、俺の胸に全力で叩く相棒は憤慨して俺の影に引きこもった。


「界刻さん、寝る場所はどこをお借りすれば……?」


 晩食は俺でも作れるレトルト食品を二人で食べながら、千鶴が視線を向けてくる。

 ああ、確かにそのことも大切だな。

 

「ん、ああ、嫌じゃなければ俺のベットを使ってくれ。予備にあるシーツと毛布でベットメイクしてあるから後は眠ってくれれば問題ない」

「え? いいんですか?」

「他は敷布団しかないからな、君が嫌じゃなければだが」

「えっと、じゃあお言葉に甘えて……」

「そうか」


 界刻は味噌汁を飲み終え、ご馳走様と手を合わせてから洗い物をシンクへと運ぼうとすると、千鶴から声をかけられた。


「か、界刻さん、住まわせてもらうのでお手伝いしてもいいですか?」

「ん? ああ、頼む。料理はどうも下手でな。本当なら本格的な料理の方が君はよかったろ」

「いえ、お母さんも仕事で忙しい時は、たまに使ってたので慣れてます」

「……そうか」


 俺が知る彼女も庶民的で、嫌味がなかったな。

 ……彼女が、なんの並行世界でのIFの彼女であるのか想像はつかない。

 だからこそ、聞ける範囲で知るべきなのも事実。


「敬語はいい、素で話してくれるか?」

「え、っと……年上の人に対してマナーがない、ってことには」

「今後一緒に住むのに他人から見れば怪しむはずだ。後、ペンネームであまり呼ばないでくれ。身バレする」

「……じゃあ、えっと……内海、さん?」

「できれば名前の方で」

「え、えっと……悟、さん。よろしく、ね?」


 千鶴は顔を赤らめながらスカートの裾を掴む。


『――悟さんっ』


 頭に過る、彼女の声。

 学園祭の、あの時の、彼女の笑顔が頭の引き出しから出てくる。

 夕焼けに照らされて朗らかに微笑む彼女の笑みを、何度見惚れたことか。


「や、ややややっぱり!! なしですよねコレ!! できれば敬語も、癖、なので!! 年上には敬語で、っている実家ルールだったので!!」

「……そうか、じゃあ俺はソファで寝るから着替えは休日に買うってことで」

「は、はい!!」


 首まで真っ赤にしていう彼女が可愛くて。愛おしくて。忘れられなくて。

 胸に棘が刺さる感覚はいつぶりか。

 彼女が俺の部屋へと去ると、俺は準備しておいたソファにベットメイクされ終えているソファに寝っ転がった。


「……千鶴」


 あの頃に、戻れたのなら。あの日に、戻れたのなら。あの時に、戻れたのなら。

 俺は、神様を殺してでも君を助けに行くのに。

 重たくなる瞼がゆっくりキスをすると、俺の思考は常闇の淵へと落ちていった。



 ◇ ◆ ◇



 ……暗い、暗い部屋に俺はいる。

 明かりもともらない、暗い部屋。

 声を出したくても、どこにいるのかを確認したくても何も感じられなかった。

 そんな闇の中に、自分はいた。


「――悟さん、聞こえてますか?」


 綺麗な声、だった。透き通った今にも砕けてしまいそうな儚さのある声。

 俺は忘れていない。忘れるはずがない。忘れることなど、あり得ない。


「聞こえてる」


 気が付けば、あの日の夕方。学校祭まで残り3日の頃の時の光景だ。

 彼女は俺の横で、不満そうにする表情も可愛くてしかたない。


「もう、わざとですか?」

「どうだろうな」

「もう、悟さんったら意地悪なんだから」

「嫌いな奴に意地悪したがるタイプじゃないんだよ、俺は」


 悟は夕焼けで二人で歩幅を合わせながら歩いている。

 千鶴は驚いたのか、足を止める。


「そ、それって、どういう意味ですか?」

「……どういう意味であってほしい?」

「どういう意味、って、」

 

 夕焼けの赤に誤魔化せると思っているのか、彼女の頬はわずかに赤らんでいた。

 彼女は意外と鈍くて、他の男共からも好かれるような、お優しいヒロインで。

 きっと乙女ゲームならメインヒロインを張る主人公様だ。

 俺だけのヒロインになってほしいって、何度思ったことか。

 恥ずかしそうに視線を逸らす彼女が、たまらなく愛おしくて。

 たまらなく、ずっとこの時間が続けばいいなって。

 そう、願って。

 踏切の音がサイレンよりもうるさい。心臓が、うるさい。

 思い出される、あの時の光景が目の前にやってくる。

 脱線した電車がこっちに突っ込んでくる。

 

「悟さん!!」


 彼女は、俺を突き飛ばした。

 気が付けば血飛沫が舞った。

 嫌でも理解させられた、彼女は死んだんだ。

 挽肉みたいに轢き潰されて。


「あ、あぁああああああああああああああああああ!!」


 この海の暗礁よりも暗き海底よりも。

 青空を思わせる煌びやかな呼び声を。

 俺は、忘れてはないのだ。

 なぜなら、彼女は――――俺が生涯たった一人だけ焦がれた人なのだから。


「――――悟、さん?」


 もう聞こえないはずの彼女の声が、聞こえて俺は瞼を開けた。



 ◇ ◆ ◇



「……悟さん? 大丈夫、ですか?」

「……どうした」


 千鶴は心配げに俺のことを見る。

 起き上がろうと思ったが、今は彼女の顔を直接見れない。

 ……最近はあまり見ていなかったというのに。


「すごく、うなされていましたよ」

「……ああ、そうか。薬、飲み忘れてたな」

「薬?」

「精神安定剤みたいなものだ……飲めば少し落ち着く」

「悟さんは、障碍者しょうがいしゃなんですか?」

「……PTSDって奴だ」

「ぴーてぃ、えすでぃ……?」

「トラウマ持ち、って思ってくれればいい」

「トラウマ……」


 薬を台所の棚から取り出すために起き上がった界刻は、いつもの場所から薬を出し、コップに水道水を入れて薬と一緒に飲んだ。


「……悟さん。お願いしても、いいですか?」

「なんだ?」

「い、一緒に寝てくださいっ」

「ぶっ!! げほ、ごほっ……!! 何言ってるんだっ」


 残りの水を飲もうとしていたら、急に彼女の爆弾発言に吹き出さずにはいられなかった。

 なんだ、急に? どうしたんだというんだ?


「……えっと、一人で寝るの、怖くて。透姫さんは一緒に寝るのは嫌だって言われて」

「アイツが?」

「はい……だからその、悟さんと一緒に眠ってくれれば気持ちも、落ち着くかなって、もしダメなら私が寝落ちするまでお話しませんか?」

「寝落ちって……」


 まぁ、千鶴とは寝落ちするまで電話したこともあったはあったな。

 千鶴は怖いものが苦手だったはずだ。ホラーハウスとか入って、一番ビビってたしな。


「ダメ、ですか?」

「……ちょっとだけなら」

「いいんですか? やったぁ!」

「本当に少しだけだからな」

「わかってますよっ、ほら、お話しましょ悟さんっ」


 もう既にノリノリになっている千鶴に反抗する理由もないので、素直に俺と千鶴は一緒のソファで寝そべっていた。


「悟さんは、何のお菓子好きですか」

「菓子は気になった物は、たいてい食べる。テレビとかで出てるお菓子は近場に売ってたら気になるだろ」

「そうですよね、私はりんご飴が好きです。お母さんが小さい時に初めて作ってくれて! あれ以来、リンゴ系のお菓子にはまっちゃいまして」

「そうなのか、さっぱりしてていいよな」

「そうなんです! お母さんの作る物で、他にも私ホットケーキも好きで! はちみつを主にかけるんですけど、生クリームとかバターとかも定番ですけど、イチゴとかブルーベリーを載せたり、チョコソースをかけたりするのもいいんですっ」

「……腹が空いてきそうだな」

「あはは、ですね。悟さんは特別好きだってお菓子はありますか?」

「フォンダンショコラ」

「凝ったの好きなんですねっ、おいしいですよねあれも!」

「食べたかったらいつでも言ってくれ、買ってくる」

「あ、ありがとうございます! 悟さんっ」


 彼女が俺と話していて気が緩んできたのか、言葉に柔らかさが徐々に言葉に滲むのを感じた。


「ふふふ、じゃあ――」


 ……千鶴と最初盛り上がったのも、お菓子の話題だったな。出会った時は、俺のこと怯えもせずに普通に接するから意外だったのをよく覚えてる。

 彼女とはいろいろな話をした。例えば、最近ハマっている物ならストレッチと俺が言うと健康的ですねと言われ、逆に彼女はお菓子作りだと言った。

 他にも、好きなお菓子は? という話題で以前SNSで見かけた菓子の話をすると、目を爛々に輝かせて聞いてくれた。

 分史世界の中でも、正史世界に近い趣味を持っているなと確認をする。


「……ふぁあ、」


 色んだ話題をして、眠くなってきたのか千鶴はうとうととし始める。


「そろそろ寝るか?」

「もう、ちょっとだけ」

「ダメだ、学生なんだろ。この部屋ではあの化け物は来ない。安心して寝ろ」

「……はい」


 千鶴は目をつむり、寝息が聞こえ始める。

 俺は彼女を抱き上げて寝室に寝かせた。


「……お前は、どの世界でも変わってないんだな」


 千鶴の頭を撫でながら、愛おしさが胸いっぱいに込み上げてくる。

 界刻はベットの隅に座るのをやめて立ち上がる。

 最初の眠りはあれだったが、分史世界の彼女とはいえ、話せたんだ。

 満足感はこれ以上にない。

 少なくともサヤの指示には従わなければ俺の願いも叶わないのだから。

 

「……」


 界刻は黙って呼吸を繰り返すと自然と眠気を誘われて自然と眠ってしまった。

 これは必然か、偶然か。

 それとも運命なのか。

 御神渡界刻は、内海悟は知る由もなかった。

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