第十頁 ラインホルトゥスで見つけた謎の少女

 界刻たちはラインホルトゥスに入り祝詞を唱え、戦闘態勢に入った。


「祝詞は唱えなくてもいいんじゃないのか?」

【必要ですよっ。界刻を守るための契約でもあるんです! 結婚式の誓いの言葉と一緒です!】

「お前と恋人になった覚えはない、変な例え方すんな」

【いいじゃないですか、それくらい罰なんて当たらな、】

「いやぁあああああああああああああああああ!!」


 どこからか少女の絹を裂く悲鳴を耳にする。

 ……不味いな。おそらく一般人だ。


迷人まよいびとです! 行きましょう!!】

「ああ! わかってる!!」


 お互いの決意表明を胸に、界刻は刀を持つ手に力を込める。

 今聞こえた悲鳴が、誰かの声と似ていた気がする。

 ……が今はそれどころではない。助けに行かなくては。


 息を切らせながら、涙が頬に伝うのを無視して少女は走り続ける。


「はぁ、はぁっ、来ないで!!」

【ガァアアアアアアアアアアア】


 少女の悲鳴はむなしくも、怪物の恐怖感をにじませた鳴き声にき消される。

 雑踏ざっとうの中の気分にさせる怪物は学生服の少女に迫って来た。

 茶髪を振り乱しながら、少女は必死に逃げる。うごめ冒涜的ぼうとくてきな生物と評しても異論はない不気味なその存在は赤い涙を多眼から垂らせ、腕が人の腕がいくつも繋がった手足で向かってきている。


「はぁ、はぁ……っ!!」


 蜘蛛くもひょうするには、底なしの泥沼に溺れる気分にさせてくる……なんで自分はこんな場所にいるのだろうと、理解することもできずにただひたすら、走り続けることを少女に余儀よぎなくされる。

 迷い込んでしまった空間で、少女は逃げる以外の術を知らない。


「きゃっ」


 少女は、宇宙を模した謎の空間で転ぶ。

 膝の痛みを堪えながら、振り返れば既に怪物は数センチ差まできていた。


「だ、誰か――」

【ガァアアアアアアアアアアアアアアア】


 少女は死を覚悟した。

 目を強く閉じて、痛みが襲ってこないのに恐る恐る目を開ける。

 気が付けば、怪物の腕の一本が吹っ飛んだ。何……?


「大丈夫か?」


 少女が見上げれば、ローブを纏った界刻が異害の前に相対する。

 少女にとって界刻の黒のローブはどことなくボロボロで、まるでファンタジーの暗殺者のような背中が映る。誰かが来てくれたことに胸に沈殿していた恐怖感が洗い落とされていく少女に、界刻は続けて彼女の前に出る。


「下がっていろ」


 界刻の優しい言葉に安心感を感じて目に涙が込み上げてくる。


「……は、はいっ!」


 少女は界刻の邪魔にならない範囲になるべく立つことにした。


「……さぁ、やろうじゃないか異害様」

【ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア】


 界刻は異害の前に出た。

 ……大丈夫だ。彼を信じよう。きっと、この人以外私を助けてくれる人はこの謎の空間でいないのかもしれないのだから、と少女は目の前の戦闘を見守った。

 界刻と異害は……互いに動いた。

 異害の腕は先に界刻の握っている剣を掴もうとするのに、界刻は避けながら刺し傷を与えていく。


【ガァアアアアアアアアアアアアアア!!】


 異害は界刻に自分の手で押しつぶそうと手を床に叩き始める。

 界刻は大ぶりな攻撃に一つ一つ身軽に避けては、異害の隙を狙って異害の核となる心臓を探す。

 スピードならば異害よりもこちらの方が有利だ。

 しかし、何か決め手に欠けている。腕も放置していれば自然と生え戻ってくる。どうしたものか……なんて、聞く方が早いよな。


「メアリー」

【透姫です! 心臓はおそらく、影の方に隠しています!】

「……影か」

【影に踏まれないようにしてくださいね旦那様っ】

「ああ」

【ガァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!】


 先に動いたのは異害の方だった。

 異害は紫色の息を吐き、俺はすぐにローブで口を塞いだ。

 ……毒、か。持久戦で持ち込まれたら、彼女が死にかねない。

 

 ――ならば。


 界刻は異害に飛び掛かり、前の両腕を切り落とす。

 すぐ再生するのを無視しながらも続けて頭の部分を切り落とし、他の腕となった足を透姫の鎖で俺の動きを阻害そがいさせないために拘束こうそくする。

 界刻はそのままジャンプを要領ようりょう胴体どうたいから影に向かって剣の力を込める。心臓を影に隠すほどの慎重さなんだ。

 気づかれにくい所に隠しているに決まっている。

 異害の血を浴びながら、界刻は刃の先に固い感触を感じた。


「――――ここだ!!」

【ガァアアアアアアアアアアア!!】


 界刻は透姫の力を借りながら、強く胴体の下の影めがけて剣を突き刺した。


【ガ、ァアアアア……】


 界刻は砕かれた心臓が、剣に喰われたのを確認してから、横に異害の血を剣から祓う。異害は赤かった血が黒い血へと変わり、界刻の服や顔に着いた血がゆっくりと消えて行った。


「あ、あの……大丈夫ですか?」

「他人の心配じゃなく、自分の心配をしろ」

「……で、でも、貴方のお名前は?」


 恐る恐る彼女は俺を心配してきた。

 彼女の制服は、白いシャツと黒の袖なしのワンピースが特徴的だ。

 現代的な制服と言えるだろう。サラサラの栗毛の肩甲骨けんこうこつ当たりまであるロングヘア。愛嬌のある可憐な笑みは、野に咲く一輪の花の幻視させる。可憐で、初心の印象を抱く……そんな彼女に界刻はどことない覚えがあった。


「――っ」

「? どうかしました?」


 界刻は唇を一瞬噛んで迷ってから、名前を告げた。


「俺は御神渡界刻おみわたりかいこく。ただの小説家だ」

「界刻さん……ありがとうございます、私、は……っ」

「お、おいっ」


 彼女は緊張きんちょうの糸が切れたのか、倒れそうになったのを慌てて抱き留める。彼女の顔は青ざめており、相当走って来たのだろう。

 疲れているのなら、休ませてやらねば彼女は死んでしまうかもしれない。


『……危ないっ!!』


 一人の少年が、一人の少女に手を伸ばす走馬灯が一瞬頭を過った。

 ……もう、忘れてしまっていたと思っていたのにな。


【界刻、彼女は……】

「俺のことを全部知ってると謳っていたお前が、珍しい反応だな」

【……意地悪はどうかと思いますっ】


 皮肉を込めた冗談に相棒は拗ねた声で言う。

 いや、空気を呼んだだけか……相棒が背後で不満そうにしてるが無視し、腕の中の少女を抱き留める力を強める。


「彼女が目覚めてから聞けばいいだろ」

【……浮気はどうかと思いますよ】

「恋人になった覚えはない。一旦安全な場所へ移動させよう」

【では、扉を出しますね】

「ああ」


 ……俺が見間違みまちがうはずがない。

 俺の腕の中に彼女がいるという、一種の絶望感が心臓を強く締め付けてくる。

 彼女がなぜここにいたのか。理解に苦しむがここは並行世界の狭間。

 ならば、可能性はあり得ないわけじゃない。

 壊れ物を抱き上げる感覚で彼女を姫抱きし、透姫に扉を出させるために名前を呼ぶ。


「……メアリー」

【透姫ですっ……施錠せじょう


 相棒が不満そうに言いながら再度、生涯武装を解き白扉は出現させる。


「では、帰りましょう。界刻先生」

「……ああ」


 相棒が扉の開錠を確認した後に、俺は我が家の敷居と並行世界の敷居を踏んだ。

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