第3話 母の仕事の手伝い

 ある日、家で夕食を食べていると母が言った。

「ねぇレイン。母さんの仕事を手伝ってみる気はない?」

「えっ、治癒士の仕事?」

 僕は驚いて母の顔を見た。母はいつものように優しく微笑んで僕を見ている。

「そうよ」

 正直、母の仕事には多少興味があるし働いてる母を見てみたいという気持ちもある。でもいいのかな。

「僕、農作業の仕事もあるよ」

 それはどうなるのだろう。


「私が村長さんに話を通してあげる。問題なく働けるようにしてあげるわ。ちなみにお金は農作業よりも少し多く出るわよ」

「やる」

 僕は即答した。お金につられて。

 冒険者になるためにもお金を貯めることは大事だ。農作業よりも多く稼げるということはそれだけ出発を早められるということでもある。

「そう。それは良かったわ」

 母は嬉しそうに安堵の表情を浮かべるが、僕としては心配事もある。

「僕に治癒士のお手伝いなんて務まるかな」


「大丈夫よ。私がしっかり教えるから。心配しなくても平気よ」

 母は僕を勇気づけるように、優しく告げる。その言葉に僕は心が軽くなる気がした。

「具体的には僕は何をすればいいの?」

「レインにはヒールを覚えてもらおうと思ってるわ」

 ヒール。それは低位の神聖魔法の一つで最も基礎的な回復魔法でもある。

「えっ、そんなの僕、使えないよ?」

「大丈夫。ちゃんと教えるから。きっと使えるようになる。だから頑張って覚えてみない?」


 母が僕の目を見て、丁寧な口調で、諭すように言ってくる。

 僕は心の中で本当に出来るようになるだろうかと再び不安がよぎる。

 なぜ不安なのかというと昔、僕がまだ10才の頃に母に魔法を教えてとお願いしたことがある。

 母も快く応じて僕は魔法を教わることになった。

 だがその当時の僕は魔法がまったく身につかなかった。

 いくら「ヒール」と唱えても母のように癒しの力を発揮することができなかったのだ。


 僕はそれが悔しくて泣いてしまったことを今でも覚えている。

 あの時は母を困らせてしまったし、その後「魔法なんかいらない」って僕が拗ねてしまったので、母を悲しませたかもしれない。

 そしてその後は母に魔法を教わることはなかった。

 どうして今になって魔法を僕に教える気になったのだろう。

 そんな僕の逡巡を感じ取ったのか母はぽつぽつと語り始めた。


「私は母としてレインに何をしてあげられるんだろうって考えたの。冒険者になる夢を叶えるために、じきに巣立っていく息子に対して今出来ること。答えはすぐに出たわ。それは回復魔法をレインに教えてあげること。レインが怪我をした時に自分一人でも傷を癒せられるように。そうしてあげることが私がレインにしてあげられる最高の贈り物なんじゃないかって思うの。冒険者になるってことは楽しい事ばかりじゃなくて、つらい事や危険なこともあるでしょう。絶体絶命のピンチに陥ることもあるかもしれない。そんな時に少しでも生存確率を上げるための手は打っておきたいの。レインが村を出て行ってしまったら、私はレインの力になれないから、今のうちに。そう思ってるの。それが私の願いよ」


 母が僕のことをよく考えてくれているのが分かって嬉しくなり、ちょっぴり泣きそうになる。

 母の思いやりを無下にするわけにはいかない。

「わかったよ、母さん。僕、頑張って覚えてみるよ」

「そうしてくれると私も嬉しいわ」

 こうして僕は母の仕事を手伝うことになった。


  ☆

 数日が経ち、母が村長に話を通したおかげで、僕の仕事は三日に一日位のペースで母の仕事の手伝いをすることになった。

 そして今日は初仕事の日。僕は村の治癒院で患者が来るのを母と一緒に待っている。

「患者さん、なかなか来ないね。まだ朝が早いからかな」

「そうね。その内に来るでしょう。今はゆっくりと待ちましょう」


 まあこの小さい村だ。そんな頻繁に怪我人が来るわけがない。

 それにしても普段はどんな人が治癒院を利用しているのだろう。

 疑問に思い母に聞いてみたら次のように答えてくれた。

「色んな人が来るわよ。転んで怪我をした子供とか、農作業で怪我をした人とか、料理で火傷した人とか、腰が悪いお年寄りとか、様々ね。皆、気軽に来てくれるから意外と人は来るわよ」


 ちなみにこの治癒院、利用は無料だ。とはいえ母は無償で働いているわけではない。

 どこからお金が発生しているかというと村長が母に対してお金を払っている。

 村長はというと全ての成人した村人から少量ずつお金を徴収して治癒院の運営費に当てている。

 町によっては利用する患者が直接お金を支払う所もあるが、この村ではそうはなっていない。

 人が多い町ほど、患者が直接お金を支払う仕組みになっているそうだ。


 貧しい村で治癒院を有料にすると、ちょっとした怪我などでは人が来なくなり、利用者が激減し、存在意義が薄くなる。

 そして治癒院の運営も厳しくなってしまうみたい。

 だから小さい村や貧しい村は治癒院を無料にして運営費を村人みんなで支えるようになっている。

 その方が村の幸福度は高くなる。

 そういう話を先日、母から教わった。

 いい仕組みだと僕も思う。


 そんな村人たちによって支えられている治癒院だが中は非常に質素だ。

 患者を横たえられるように寝台は用意されているが、あとは椅子くらいしかない。

 本当に何もない部屋といった感じだ。

「治癒院の中はすごい質素なんだね」

 僕の思わずこぼれた感想に、母は頷いて「そうね」と呟く。


「治癒士の仕事って魔法で癒しを与えるだけだから、特に必要なものは寝台以外に何もないのよ。これがトーマス先生の所とかだったら色んな薬品があったり、調合室があったり、するんだけどね。この治癒院は質素な分、それだけ運営費も抑えられているのよ。冒険者たちがいるような大きな町だと一つの治癒院に沢山の寝台があったり治癒士が複数人いたりもするらしいわ。レオンが言ってたんだけどね」


「そうなんだ」

 魔物と戦った冒険者が利用したりもするんだろう。

 パーティに回復魔法を使える人がいれば良いが、いなかったりそもそもパーティを組んでいない戦士系の人は怪我をしたら町に戻り治癒院を利用する。

 薬屋でポーションを買うよりも治癒院の方が安いからだ。

 ポーションは原材料費がかかるのでその分高くなる。

 回復魔法は魔力を消費するだけだ。

 魔力は寝れば回復する。


 ポーションは回復魔法が使えない状況では役に立つが、町に戻ってまでポーションを利用する人はいないだろう。

 その後しばらく母と他愛ない話をしていると、最初の患者がやってきた。

「フレアさん、ちょっと頼めるかしら」

「はい、今日はどうされました」

「さきほど料理をしてたらうっかり指を切ってしまって、治していただけないかしら」

「わかりました。ただちょっとよろしいですか。実は今日は息子のレインが来ていまして……」


 指から血が出ている患者に母は次の事を説明した。

 僕がヒールを覚えるための練習台に出来ればなってほしいことと、母も一緒にヒールを唱えるから失敗することがないこと。

 それを聞いた患者は「治るんだったら何だっていいわよ」といって僕のことを了承してくれた。

「じゃあ早速始めましょう」

 母はそういうとまずは患者を椅子に座らせる。

 それから患者に怪我の箇所が分かるように手を前に出してもらった。


「レイン。手をかざしてあげて」

 僕は母に言われた通り患者の怪我の箇所に手をかざす。さらに僕の手の上に重ねるように母の手が置かれた。

「ヒールのかけ方はちゃんと覚えてる?」

「大丈夫だよ。母さん」

 僕は昨日、改めて教わったヒールのかけ方を思い出す。

 大事なのはイメージと魔力の消費だ。

 切り傷をふさぐイメージを持って魔力を注ぎヒールと唱えるだけ。


 子供の頃は魔力を注く感覚がまるで分からず諦めてしまったが、今は毎日魔法を使ってる。

 魔力を使う感覚も分かってる。

 だから大丈夫。母も今なら問題なくヒールを使えるんじゃないかって昨日言ってくれた。

 今はそれを信じよう。僕が準備できたことを母に伝えると「それじゃ、一緒に唱えましょう」と言って、タイミングを合わせ、

「「ヒール」」


 唱えた。ちなみに魔法を発動した場合、その周辺の魔力持ちにも影響を与えることが知られている。

 発動した魔法に引きずられる様に、その周辺の人の魔力も若干消費される。

 これは魔力共鳴という現象らしい。

 魔力共鳴中に同じ魔法を唱えることで威力を底上げしたり、消費魔力を減らしたり出来る。

 そして新しい魔法を習得するときに活用されることもある。

 僕は今まさに魔力共鳴によって魔力が引き出され、自分の手からヒールが発動した小さな感覚があった。


「痛みが無くなったわ」

 患者が自分の手を眺めて傷が無いことを確認した。

「ありがとう、フレアさん。レイン君もね」

 そういって患者は嬉しそうに治癒院を出て行った。僕はその背中を見送った後、自分自身の手を見つめる。

「僕、出来たのかな」

「そうね。でもまだ覚えたてだから効果が弱いみたい。もっと沢山経験を積まないとね」

 そういって母は自分のことのように嬉しそうに笑う。その後、患者が来るたびに同じように二人でヒールを唱え続けた。

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