第9話 魔獣と戦う

 父が魔獣をおびき寄せるためのアイテムを燃やすと辺りに強い匂いが漂い始めた。後は魔獣が来るのを待つだけで、僕たちにできることは周辺の気配に気を配ることくらいだ。息をひそめてただひたすら待つ。何かがやって来る気配は今のところない。

 目の前にはランタンの光に照らされた森が静かに広がるだけだ。緊張感に耐えられず僕は口を開く。


「魔獣のテリトリーがどれくらいの広さなのかは分からないけど、テリトリーの反対側に魔獣がいた場合、この匂いって届くのかな?」

「今は魔獣がいる場所まで届くと信じて待つしかないだろう。案外匂いは遠くまで運ばれるものだ。人が感知できないほど薄まった匂いでも獣たちは嗅ぎ分けられるしな。もし魔獣が現れなかったらその時は、もう少しテリトリー内に踏み込むしかない」

「ワシが思うに、その点は大丈夫じゃろう。奴はこの時間、いつもテリトリー内を徘徊しておる。たとえ反対側の端まで届かなくても、匂いが届く場所まで奴が移動したら、匂いを嗅いでここまでやってくるじゃろう。まあ、この匂いに魔獣が興味を示せばだが」


 父は多分大丈夫だといったが、普通の獣と魔獣とでは関心を示す匂いに違いがあっても不思議じゃない。

 その場合この作戦は失敗だが、あまり最悪の事態は考えたくない。きっと魔獣は現れると自分に言い聞かせた。

 その後、どれくらい待っただろうか。どこか遠く、森の奥深くから獣の遠吠えが聞こえてきた。

「奴じゃ!」

 精霊が断言し、僕と父の間にも緊張が走る。僕はいつでも魔法が唱えられるように心の準備を行う。


 魔獣の気配を感じたらまずヘイストウインドを自分にかけて、次は父にアースパワーだ。そして余裕があれば自分にもアースパワーをかけておく。

 父と話し合った一連の流れを再確認して僕はいつでも動けるように身構える。そんな僕に警告をもたらすかのように獣の遠吠えが再び聞こえてくる。

 さっきよりも明らかに近くなっている遠吠えに僕は足がすくみそうになるが全力で抗う。こんなことで怖気づくわけにはいかない。

 魔獣は何度も遠吠えを繰り返しながら徐々に近づいてくる。

「そろそろ来るぞレイン。魔法を唱えておけ」


 父の言葉を受けた僕は速やかに行動を開始し、あらかじめ決めた順番で魔法を唱え始める。ヘイストウインド、アースパワー、アースパワー、と唱えたところでそいつがすぐ近くまで来ていることに気づいた。

 草木に遮られて姿はまだ見えないが、グルルルル、と唸り声を上げて威嚇したかと思えば、次の瞬間、ガサガサと森の中を何かが移動する音が聞こえてくる。

「周囲の明かりはワシに任せるのじゃ」

 精霊の言葉とともに、周辺が明るく照らされる。戦いの舞台に魔獣の巨体が入ってきた。

「でかい!」

 体長は2メートルを超え、太い胴体は黒い毛並に覆われている。器用に木々を避けながら走り、あっという間に父に跳躍して襲い掛かった。


「おっと、あぶねえ」

 父が魔獣の跳躍を身をひるがえしてかわす。そしてすぐさま剣を抜いて上段から魔獣に切りかかった。

「お前の相手はこっちだ」

 しかし魔獣は驚くほどの俊敏さを発揮し、父の攻撃をかわす。その間に僕は再び父の後ろに隠れるように移動する。ヘイストウインドを唱えたことで自分でも驚くほど身軽に動くことができた。

 ちなみに精霊は魔獣の手が届かない5メートルほどの高さまで上昇している。あの体はただの発光体のようにも見えるが、攻撃されればダメージを負うのだろうか。


 などと一瞬頭によぎったが、今はそんなこと考えている暇はないと思い直す。今は魔獣の存在に集中しろ。魔獣との位置関係に意識を集中し、自分が狙われないように立ち回る必要がある。

 そして、もし父がピンチになることがあれば援護をしなければならない。僕は守られる対象とはいえ、父がやられると僕も助からないだろう。敗北必至だ。なのでいつでも援護できるように身構える必要がある。

 すぐにでも斬りかかれるように剣は抜いてある。魔獣と戦う準備はできてる。あとはいざという時に勇気を振り絞るだけだ。僕は父と魔獣の戦いに意識を集中する。


 父の剣を回避した魔獣がすかさず突進を開始して、父の体に喰らいつこうと襲い掛かる。それに対し父はタイミングを合われて剣を横薙ぎに払う。魔獣が再び剣に反応し、一瞬で突進を止めて、後ろに飛びのいた。

「攻撃が当たらないのは厄介だな。かなり素早いし、パワーもありそうだ」

 父が魔獣を冷静に分析し、そう評価する。それに僕を守りながら戦うのはやはり大変なのかもしれない。後ろに飛びのいて距離が開いた魔獣に父は追撃を加えることもせず、僕を背にかばいその場で剣を構えている。

「それに跳躍して襲い掛かってくる攻撃も厄介だ。あれを回避せずに受けたら、奴の巨体を受け止めきれない可能性が高い。そのまま押し倒されてしまいそうだ。横に回避するしかないが、そうすると後衛のレインが攻撃に晒される危険がある」


 基本的に父と僕と魔獣は一直線に並ぶような位置取りをしているので、父が横に躱すと魔獣の正面には僕がいることになる。先ほどは父がうまく魔獣の注意を引き付けたが、毎回うまくいくとは限らない。前方に跳躍した勢いそのまま僕の方に突進する可能性もある。

「跳躍は基本、左側に回避するから、レインも魔獣が跳躍するのを見たら、俺の方に回り込むんだ。魔獣の正面にいると攻撃されるぞ」

「わかった、父さん」

 僕が返事をすると、魔獣が再び父に向けて突進を開始する。先程よりも早い。まるで巨体を使った体当たりで父をそのまま吹き飛ばそうとしているかのようだ。父の方は今度は突きの構えをとりタイミングを見計らって突進してくる魔獣に向けて剣を突き出した。

 当たれば串刺しに出来そうな攻撃だが、魔獣は突進の軌道をわずかに曲げてこれを回避。父の横を通り過ぎる形で魔獣が走り続け、今度は父の後ろにいた僕の方にそのまま突進してきた。


「まずい。そっちへ行ったぞレイン」

 父の焦る声が聞こえたが、もはや返事をする暇もない。僕は覚悟を決めて、迫る魔獣に意識を集中し、手に持つショートソードで父を真似て突きを放った。

 父と同じような結果を期待したがそうはならなかった。攻撃が当たらないのは同じだがそこから先が違った。通り過ぎるのではなく、そのまま大きな口を開いて僕の伸ばされた手に噛みつこうと襲い掛かった。

 やばい。至近距離で開かれた口の中には凶悪そうな牙が並んでいる。正直、あんなものに噛みつかれたら腕をもぎ取られてもおかしくない。僕はとっさに手を引っ込めて魔獣の攻撃から逃れようとする。

 魔獣の口が目の前で勢いよく閉ざされる。ガキンという音が鳴った。何とかぎりぎり手を噛まれることを逃れたが、持っていたショートソードが魔獣の牙に挟まれてしまった。


「うわあ!」

 その直後、物凄い力で手を引っ張られ戦士の命ともいえる武器を手放してしまう。魔法で腕力が向上していたはずだが、とても耐えられる力ではなかった。

 魔獣が僕のショートソードをそのまま放り投げて、再び僕に襲い掛かる。魔獣の意識が完全に僕に向かっているようで、父のことなど見向きもしない。

 魔獣が口をあんぐりと開けて僕に喰らい付こうとした時、父が魔獣に斬りかかった。

「レインから離れろ!」

 突然の危機を察知した魔獣がその場から離脱するため僕の右方向に走って逃げる。だが父の横薙ぎに払われた剣から完全に逃れることは出来なかった。

 父の剣が魔獣のお尻を切り裂き、鮮血がほとばしる。攻撃の初ヒットだ。だが魔獣の動きが鈍くなることもなく、まだまだ生命力にあふれる動きで一度距離を取りこちらに振り向いた。

 そして、グルルルルゥ、と唸り声を上げてこちらを威嚇してくる。まるで憎しみがこもっているかのような声だ。


「浅かったか。まだ奴は元気そうだな」

 そういって父は僕を背にかばい、魔獣と向かい合う。

「今のうちに剣を回収しておけ、レイン。また来るぞ」

 僕は父の指示に従い、少し離れたところに落ちているショートソードを素早く拾いに行く。拾ったら再び父の後方に戻り待機だ。

 だがこの配置も安全ではないことが先程確認された。魔獣の突進力が高すぎて簡単に前衛が突破されてしまう。僕が父の後ろにいる意味はあるのだろうか。

 配置を変えるなら決断は早いほうがいい。今はまだ魔獣が父を警戒して動きが無いが、すぐに行動を開始するだろう。

 そうなれば先程と同じような展開になるのは目に見えている。さっきは父の助けが間に合ったが次も同じとは限らない。


「父さん。僕も前衛に出た方がいいんじゃないかな」

「いや、それは危険すぎる」

 父の言いたいことはわかる。後衛にいるのが危険だからといって前衛に出ても、むしろ危険度は増す。まだ後衛の方がマシという判断だ。

 だが後衛から前衛に出ることで一つだけメリットがある。それは精霊から教わったウインドカッターが使用できるということだ。

 ウインドカッターは目に見えない風の刃を前方に飛ばす魔法という性質なので、後衛では使えない。目視での回避ができない以上、父に攻撃が当たる可能性があるからだ。

 それが原因で魔獣との戦いに敗北する可能性も捨てきれない。完全に自滅だ。


「大丈夫だよ、父さん。僕にはウインドカッターがある。危なくなったら、それで何とかしてみるよ」

 父も現状の悪さを認識していたのだろう。逡巡した後に「……わかった。でも決して無理はするなよ」と僕が前に出ることに了承してくれた。許可が出たので僕も前に出て、父の剣に巻き込まれないよう適度に距離をとって、魔獣と対峙する。

 魔獣をよく観察すると眼が魔力を帯びて少し光っているのがわかる。その眼がぎょろりと動き、僕と父の間を行きかって、品定めをしている。

 そして弱そうな僕のことを気に入ったのか、僕の方に視線を固定した。

「来るぞ!」

 父の言葉が合図だったかのように、魔獣が僕に向けて突進を開始した。僕はショートソードを左手で持ち、空いた右手を前に伸ばして相手を照準し、魔法を発射した。


「ウインドカッター」

 風の刃が魔獣を襲う。さすがの魔獣も不可視の攻撃には反応できないのか、回避行動は見せない。何の躊躇いもなく突っ込んでくる。あまりの躊躇のなさに、僕の魔法では効果がないのではと不安になる。だがそれは杞憂だった。

 まず魔獣の顔面に裂傷が生まれ、突然の攻撃に魔獣が驚き足を止めて、僕を警戒するように後ずさる。

 そして少し距離を取った位置で警戒態勢を続け、怒りに満ちた眼で僕を睨んでいる。グルルルル、という唸り声が聞こえる。

 僕の魔法は致命傷ではないが効果があったようで嬉しくなる。更なる追撃をしようと再び右手で魔獣を照準しようとしたけれど父に止められる。


「待て。考えなしに連射をするな。すぐに魔力切れを起こすぞ。それより出来るなら次は頭部じゃなく脚を狙え。奴の機動力を奪うぞ」

 なるほど。僕の魔法の威力では魔獣を倒すことは出来ないが、脚に傷を付けることで機動力に影響が出れば、後は父が何とかしてくれる。そう信じられる。

 ただこの魔法、自分にも攻撃範囲が正確には見えないので、細かく照準を合わせるのが難しい。いや、せっかく父が僕を頼るような言葉をくれたのだ。

 弱音なんて言っていられない。難しくても実行あるのみだ。

「わかったよ、父さん。やってみる」

「ああ、頼んだ。だが実行は少し待て。今は俺が攻撃に出る」


 父がそういうと、魔獣との距離を一瞬で詰めて剣で斬りかかった。だがやはり攻撃が当たらない。魔獣が父の攻撃を右へ左へと難なくかわす。魔獣も父に噛みつこうとするが、完璧な対応で攻撃が当たらない。しばらく父と魔獣との接近戦の攻防が続いた。

「攻撃が当たらないな。やはりレインの魔法で機動力を奪うしかないか」

 父が機会を見て下がり、僕の横に戻ってくる。

「頼む。レインの魔法で何とか奴の機動力を奪ってくれ」

「わかった」

 僕は頷き魔獣に照準を合わせるために、右手を持ち上げる。魔獣の脚に狙いを定めて僕は魔法を発射した。

「ウインドカッター」


 風の刃が発射されたが、魔獣の脚に命中することはなかった。魔獣の少し手前の地面を抉っただけだ。失敗。もう少し上に向けて発射しないと。微調整がなかなか難しくて焦る。僕がぐずぐずしていると魔獣が動き始めた。

 やはりというか僕を狙って突進してくる。正面からの突進とはいえ、動く的を狙うのはさらに難易度が上昇する。

 こうなったら多少引き付けて至近距離から打つしかない。そちらの方が命中確率が高いと判断する。僕は魔獣の脚への照準に意識を集中する。魔獣との距離がすごい勢いで縮まり、僕に危険が迫る。

 これを外せば魔獣の攻撃を避けられない。いや、近くに父がいる。父が何とかしてくれると信じよう。僕は魔獣を引き付けて魔法を発射した。


「ウインドカッター」

 魔法は狙いたがわず魔獣の前足に命中。魔獣が一瞬ひるむがもう魔獣の攻撃範囲内だ。魔獣が大きな口を開けて僕の伸ばされた腕に噛みつこうと迫る。手を引っ込めて回避しようとするが、避けられないと本能的に思った。だがその時、横から父が魔獣に斬りかかる。

「レインに手出しはさせん」

 ついに父の剣が魔獣の体を深々と捉え、斬った所から血が噴き出すのが見えた。やった、致命傷だ。そう思ったのも束の間、まだ魔獣は絶命には至らなかった。魔獣が最後の力を振り絞り、僕の肩口から噛みついた。

「うわあああああ!」


 僕の肩に激痛が走り、口から絶叫がこぼれた。痛い、痛い、死んじゃう、死んじゃう。

「しまった、レイン!」

 父が焦った声を出して、魔獣にとどめを刺すために、剣を振りかぶる。そして渾身の一撃を魔獣に見舞い、とどめを刺した。魔獣の体から力が失われる。だが魔獣の牙が僕の肩に食い込んだままだ。

 父が魔獣の亡骸の口に手をかけて無理やり開かせ、僕の肩らから牙を抜いた。牙が刺さっていたところから、血が流れる。

 こんな時こそミーシャから貰ったポーションの出番だ。父がバックパックを置いてある所まで急いで駆け寄り、中からポーションを取り出す。そしてそれを僕に手渡した。

「これを飲んでおきなさい」

「わかった」


 僕がポーションを一つ飲み干すと痛みが引いていく。傷が塞がり、血の流れが止まった。

「まだ痛むか、レイン?」

「うん。もう大丈夫」

「そうか。一つでは足りないかと思ったんだが、傷の治りがいいみたいだな。いいポーションだ」

 ポーションによる回復量は、作成者の技量や素材に大きく影響を受ける。ミーシャが作ったポーションは出来が良い物だったみたい。帰ったらミーシャに感謝しないと。などと僕が考えていると、上空に退避していた精霊が降りてきた。

「やれやれ、終わったようじゃの。小僧も生き延びることが出来て何よりじゃ。あっさりやられるかもしれんと考えていたからの」

 酷い言われようだが、生き残れたのは何よりも精霊が魔法を授けてくれたからだと思う。

「精霊様のおかげで生き残れたのだと思います。ありがとうございます」

「礼を言いたいのはワシの方じゃ。魔獣を倒してくれて感謝する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る