ブリブリッ
誰かと食卓を囲めることは素直に幸せだと思える。俺はループを繰り返している中でも度々月ノ宮へ帰ってきた夢那と一緒にご飯を食べていたが、やはり一人で黙々と食べている時よりも人生に彩りを感じられるような気がする。
「う、美味すぎる……! 美味すぎるよぅ……!」
と、感動のあまり涙を流す神戸牛のステーキを頬張る乙女の姿は見ていて面白い。俺は烏夜朧としてアストレア邸や琴ヶ岡邸の食事をいただいてかんどうしていたが、やはりネブスペ2において金持ちキャラ筆頭のシャルロワ家の食事はランクが違う。
まぁ俺は随分前にシャルロワ家にお世話になっていたから今更珍しく感じることもないが、乙女の反応を見ているとこれが当たり前の幸せではないのだと気付かされる。
「乙女ちゃんはどのブランドの和牛か好きなの?」
「松阪牛しかわからないです」
「あら、それはもったいない。個人的には佐賀牛や但馬牛もおすすめよ。今度取り寄せてみるわ」
「いや、そこまでしていただかなくても……」
こんな美味い飯を毎日食べられるなんて金持ちは凄いなぁと羨ましく思うが、それ以上に過酷な環境に放り込まれているのだ、俺のもう一人の幼馴染は。
「乙女ちゃん。ほら、口を開けて」
「え、いやちょっと、それは流石に恥ずかしいですけど!?」
「はい、あ〜ん」
「むぐぅ!? ……お、美味しいです、この謎の白濁色のプルプルした……これなんですか?」
「これはネブラビッグフットの睾丸よ」
「こ、睾丸!?」
こんな豪勢な食事の中に変なのが紛れ込んでいるのもエロゲクオリティ。アイオーン星系にはビッグフットがいるもんなんだなぁ。
美味しい食事をいただいて満足したところで、乙女はローラ会長と一緒にお風呂へ入りに行った。あれだけ乙女を偏愛しているローラ会長が乙女の裸体を見て変な気を起こさないか不安でしょうがないが、流石に俺が一緒に入るわけにはいかない。それこそ俺の方が変な気を起こしてしまう可能性がある。
まぁ俺はこの家に泊まるわけでもないから入浴こそしないものの、浴室の中は見せてもらったことがある。流石に琴ヶ岡邸程広くはないが、高級ホテルのような雰囲気のある浴室だった。
俺は二人が入浴している間、客間の大型テレビでバラエティ番組を見ていたが、トイレに行くため廊下を歩いていると、浴室の方から叫び声が聞こえてきた。
『きゃああああああああああっ!?』
何事かと思って、俺は慌てて浴室へと駆け出した。今のは乙女の叫び声だろうか。乙女とローラ会長が入浴中だろうが構わず、緊急事態だと思って俺は浴室の扉を開いた。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け込んだ俺の視界に映ったのは、浴室の隅で何かに怯えて縮こまっている乙女、そんな彼女を庇うように守りながらも体を震わせるローラ会長。二人ともタオル一枚を体に巻いているだけだが、そんな二人よりもインパクトがあったのは……浴室の壁に張り付いた巨大な黒光りの生物だった。
「お、朧!? 早くそいつをどうにかして!」
「いやどうするって言ったって……こ、こいつは」
「ね、ネブラゴキブリね」
なるほど、見たまんまですかこれ。体長一メートルは越えているであろう巨大なゴキブリは、真っ白な大理石の壁に大人しく張り付いている。
「ゴキッ!」
いやゴキブリが鳴くんじゃねえよ。しかも結構かわいい声してんな。
だがこのサイズのゴキブリは流石の俺でも生理的に無理だ。浴室でもゴキブリを見かけることはあるにはあるが、一体どっから入ってきたんだよこんなデカブツが。
「コイツってゴキジェットとか効きます?」
「いえ、ネブラゴキブリに有効なのは愛の告白よ」
「こ、告白!?」
ネブスペ2原作にはこんな生物が出てくることはなかったが、もしや原作者であるローラ会長の構想の中にあったというのか。趣味が悪すぎだろ。
それに、何が嫌でゴキブリなんかに告白しないといけないんだよ! だが乙女やローラ会長を助けるためだ、俺はネブラゴキブリに向かって叫ぶ。
「ネブラゴキブリ! 僕は君のことを愛してるぞぉ!」
俺は一体何をやっているんだろう。
すると俺の思いが届いたのか、壁に張り付いていたネブラゴキブリは二足歩行でこちらへ近づいてきて……え? ゴキブリが二足歩行してたら別作品になってしまうだろ。
いやもう気持ち悪くてしょうがないが、ネブラゴキブリは前足を大きく振り上げて──。
「ブリィッ!」
「いっでええええええーっ!?」
「お、朧ー!?」
俺はネブラゴキブリに思いっきりビンタされた。どうやら俺の告白はお気に召さなかったらしい。それもそうだ、ゴキブリに対して愛情なんて湧くわけがない。しかもコイツがオスなのかメスなのかもわからんし。
すると今度はローラ会長がネブラゴキブリの前に立ちはだかる。
「なら私の番ね……ゴキブリ先輩。私はずっと前から先輩のことが好きでした。ゴキブリ先輩が壁に張り付いている姿も、ベッドの下の隙間に隠れている姿も、ハエたたきで潰されてしまった姿も好きです、付き合ってください!」
成程、ローラ会長は先輩と後輩というシチュエーションを作り上げたようだ。いや世界観がぶっ飛んでるし、どこにいてもゴキブリは嫌だろ。それにゴキブリ先輩って呼び名は悪口過ぎる。
そしてローラ会長の思いをぶつけられたネブラゴキブリは、彼女に近づくと──前足でローラ会長の額に軽くデコピンを食らわせた。
「ゴキッ!」
「いたっ。あら、これでもダメ? やっぱり異種姦モノじゃないとダメかしら?」
いや見たくねぇよそんなの。それに俺には思いっきりビンタしてきたくせに、どうしてローラ会長にはそんな優しいお仕置きだったの、ネブラゴキブリさんよ。
俺もローラ会長も愛の告白でネブラゴキブリを満足させるには至らず、とうとう残るは……今も浴室の隅で怯えている乙女だけだ。ネブラゴキブリが無言でカサッ、カサッと乙女の元へ近づくと、乙女はさらに体をガタガタと震わせて怯えていた。
「ひ、ひぃ!? もしかして私、エロ同人みたいにされちゃうの!?」
「落ち着け乙女! お前の一番の告白をそいつにぶつけろ!」
「なんでこんなのに告白なんてしなきゃいけないのよー!」
乙女の嘆きはごもっともだと思う。だがこのままでは自分がエロ同人みたいにされてしまうと危機感を抱いたのか、乙女は声を震わせながら口を開いた。
「や、優しくして、ね……?」
……。
……いやそれ、告白って段階すっ飛んでね!? もうベッドの上にいるだろ!?
乙女本人は無自覚なのかどうかわからないがかなり責めていたが……彼女からの告白を受けたネブラゴキブリは、前足を器用に使ってサムズアップしていた。
「ゴキッ!」
どうやらお気に召したようだ。コイツもしや、欲望と下半身が直結してるタイプだな。
「ブリブリ~」
乙女の告白に満足したらしいネブラゴキブリは、俺達に手を振ってカサカサと浴室を去っていった。いやブリブリはやめとけ、それをバイバイみたいに使うんじゃない。
「た、助かったぁ……ネブラゴキブリと付き合わないといけないのかと思って焦ったわ」
「お似合いカップルだねって言ったら僕は殺されるかな?」
「その時は朧の彼女がゴキブリになるよう呪ってあげるわ」
そう言いながら乙女はネブラゴキブリが張り付いていた壁や歩いていた床を念入りにお湯で洗い流していた。別に不衛生っぽくは見えなかったが、まぁ存在自体が不衛生のように感じてしまう。
「でもさっき乙女の告白は中々だったね」
「忘れなさい。さもないとこの浴槽に沈めるわよ」
「いやいや、中々の名演技だったと思うよ。ねぇ、ローラ会長──」
そう言って俺がローラ会長の方を見ると──彼女は鼻からおびただしい量の血を流して浴室の床に倒れていた。
「……ローラ会長おおおおおおおおおおおおっ!?」
俺は慌ててローラ会長の側にしゃがんで彼女の意識を確かめる。さっきから妙に静かだなと思ったが気づかぬ内に死にかけてるぞこの人。
俺がローラ会長の体を揺さぶると、鼻血をドバドバ流しながら彼女は笑みを浮かべて口を開いた。
「ゴフッ……不覚だったわ。乙女ちゃんとのベッドシーンを想像したら盛り上がりすぎちゃったわ」
……なんか本気で心配した俺がバカみたいだ。
「わ、私のベッドシーン……?」
ほら、乙女が顔を赤らめてまた体を縮こませてしまったじゃないか。やっぱりローラ会長を乙女と二人きりで入浴させちゃダメっぽいぞ。
「グヘヘ……乙女ちゃぁん。少し湯冷めしてしまったし入り直しましょう」
「ひぃぃ……た、助けて朧……って、どうしたアンタがここにいるのよー!」
「今更ー!?」
あまりにも奇怪な緊急事態だったから忘れられていたが、乙女とローラ会長は体にバスタオルを巻いているだけのかなり際どい状態で、俺がここにいるのはおかしいのだ。
結局俺は浴室から追い出され、結局乙女はローラ会長とお風呂に入り直していた。ローラ会長が何か変な気を起こさないか心配だが、まぁ乙女ならローラ会長に勝てるだろう、多分。
それにしても、ラブコメなんかで女の子のキャラの入浴中に遭遇してしまうトラブルはよく起きてしまうが、なんか惜しかったなぁ……。
「ゴキッ」
「いやお前に慰められても嬉しくねぇんだよ」
ネブラゴキブリは平然とローラ会長の別荘に居座ってるけど、やっぱりコイツも一匹見かけたら百匹いるのかな……。
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