入夏の記憶



 「まず、貴方は子宮の中にいるわ」

 

 あ、そこまで遡るの? 


 「生まれたわね……あら、美しいお母さんね。お父さんは結構ムキムキね」


 なんか両親の姿が見えるような……いや生まれた瞬間なんて生まれた側が覚えてるわけないだろ。


 「待望の一人息子、すくすくと育って……随分と活発的だったのね。体も丈夫で、幼稚園じゃガキ大将。結構わんぱくな子ども時代だったのね。田んぼの中に入ったり山の中を探索してすっかり泥んこだわ」


 確かに子どもの頃は結構アウトドア派というか外で遊ぶのが好きで、幼稚園を抜け出して裏山を走り回って保育士さんとか親にメチャクチャ怒られた記憶がある。

 懐かしいなぁと自分の少年時代を思い返していると、その風景の中に一人の女の子が現れた。


 ──◯△!


 ……誰だ? 誰か、俺の名前を呼んでいる。


 「あら、好きな女の子がいたのね。泣き虫で運動もそんなに得意じゃないのに、貴方の後ろをついてきて……貴方のことが好きだったのかしら、フフフ」


 長い黒髪で、頭に可愛らしい青いリボンをつけた女の子だ。顔はよく思い出せないが……俺は、この子のことが好きだったのだろうか?


 ──◯△!


 あれ……。

 俺の記憶の中に、こんな子いたっけ……?


 ──◯△!


 自分の少年時代を思い返すと、確かにその女の子といつも一緒にいたような気がする。

 だが、この子は誰だ……?


 「小さい時はガキ大将だった貴方も、小学校に入るとちょっと大人しくなったわね。授業中も落ち着いててお利口さんで、先生に褒めてもらえることも多かったみたいで、すっかり優等生ね。

  でも……貴方は気づいていなかったのね。あの子がいじめられていたことに」


 俺の視界に映ったのは、泣きじゃくる女の子の姿だった。

 なんだ……数人の男子に何か喧嘩をふっかけられているのか? 話はよくわからないが、何か因縁をつけられている? どう聞いても言いがかりにしか聞こえない──。


 ──◯△!


 女の子が俺の存在に気づいた。その目が、俺に助けを求めていた。

 俺は、行動するしかなかったのだ。


 「……それからというものの、貴方の学校生活は散々だったわね。相手が悪いとしかいいようがないわね、いじめの標的が変わって毎日陰湿ないじめを受けるようになり、遠くの学校に進学してようやく貴方は解放されたわけね。

  そして、あの女の子も貴方についてきた」


 ──◯△!


 誰かが、俺のことを呼んでいる。


 ──◯△!


 あの女の子が俺の元へと近づいてきて、そして手を差し伸べてきた。


 ──入夏いるか


 俺のことを入夏いるか、と女の子は呼んできた。

 入夏……?


 「成程ね」


 俺は自然と目を開いていた。すると目の前に座るテミスさんは俺の手を握ってきて、そして妖艶な笑みを浮かべながら言う。


 「入夏……それが、ボロー君の『中の人』の名前だったのね?」


 俺は、自分の過去の思い出の景色を見ているのかと思っていた。

 だが、それは烏夜朧の記憶ではない。

 烏夜朧に転生した、『俺』の前世の記憶だった。



 「いる、か……? それが、俺の名前……?」


 俺は、確かに前世の記憶を持っている。数多くのエロゲを嗜んできたエロゲプレイヤーであり、そしてこの世界の元となったネブスペ2を完全攻略したこともある。

 だが、それ以外の記憶はかなり曖昧というか、自分の前世の名前とか経歴は詳しく思い出せていなかった。六月の頃はまだ記憶が混同しているのかと思っていたが、確かに俺は自分自身のことを思い出せていなかった。


 「俺は、いるか……?」


 何か、何かを思い出せそうな気がする。

 しきりに俺の名前を呼んでいた女の子は一体何者だ? あれは乙女じゃない、一体誰だ、何か重要なはずなのに──。


 「落ち着いて、ボロー君」


 するとテミスさんは席を立って俺のことを抱きしめて、落ち着かせようと背中を擦ってくれた。


 「貴方はボロー君でもあり、入夏君でもあるのよ。私は今後もボロー君で通すわね」

 「は、はい……」


 テミスさんから感じる温もりで俺は落ち着きを取り戻し、テミスさんも椅子に座り直した。


 「俺は……確かに前の自分の名前とか全然覚えてなかったんですよ。入夏……確かにそんな名前だったような気がします」


 入夏、か。キラキラネームまでとはいかないかもしれないが、水族館の飼育員になるか、春が来て綺麗になった君のことを歌うしかない運命を強いられているような名前だな。俺ってそんな名前だったんだ。


 「へぇ、ボロー君が自分のことを俺って言うの珍しいわね」

 「あ……いや、まぁ前世の自分はそうだったんですよ。僕って言うのも慣れてきましたけど」

 「他に何か思い出せたことは? あの女の子は?」

 「いや……顔すらうろ覚えという感じですね」


 女の子、というのはわかるが顔や名前は全然思い出せない。だが、ただ一つ……あの女の子が、俺にとって大切な存在だったかもしれないことは思い出せる。


 「もしかしてその子、ボロー君が探している幼馴染の子に似ている?」

 「いえ、全然ですね。僕の知人の中で言うと……ベガちゃんが一番近いかもしれません」


 おそらく家柄は違うはずだが、雰囲気や性格はベガに似ていたかもしれない。髪の色は違うが、同じく頭に青いリボンをつけているし。


 「もしかしてボロー君があの琴ヶ岡のご令嬢と付き合ったのって、それが原因なのかしら?」

 「さぁ……これってテミスさんの占いを続けたらもう少し思い出せそうですか?」

 「もしかしたら出来るかもしれないけど、今のボロー君の疲労具合を見ると今日はやめた方がよさそうね。前世の記憶と今のボロー君の記憶がごちゃごちゃになって精神に異常をきたす可能性もあるわ。

  本当は今のボロー君の記憶を探りたかったけど、思わぬ成果があったわね」


 そうだ、元々はこの世界から消えてしまった乙女をどうにかできないか考えていたはずだ。

 だが……俺の前世の記憶を辿ることで、何かヒントが見つかるだろうか?


 「前世のボロー君って結構長生きだった?」

 「いや、それすらもわかんないですね。自分がどうやって死んだのかも」

 「これがボロー君の夢の中の世界っていう可能性もあるかしら?」

 「だったら僕が死の淵を彷徨っている段階で目覚めてほしいですけどね」


 『転移』という形だったら俺が前世の姿のままこの世界に来ていたはずだ。だが俺はネブスペ2に登場するモブ、烏夜朧に『転生』している。つまり前世の俺は何らかの原因で死んでいるはずだ。

 ……俺、なんで死んだんだろ? 自分が死ぬ瞬間とか思い出したくないが、何だか気になってきた。


 「ねぇ、ボロー君」


 するとテミスさんは顎に手を添え、俺のことをジッと見ながら口を開いた。


 「この世界に、ボロー君以外に転生してきた人っていないの?」


 俺が、今まで全く考えてこなかった一つの可能性。

 この世界に、俺以外の転生者が? だがそんなことを匂わせていた奴いたか? 俺がそのヒントに気づけていないのか、まだ転生者本人が気づいていないのか、もしくはもういないか……そもそもとして転生者自身がネブスペ2というエロゲについて知っていないと何がなんだかさっぱりだろうからな。

 しかし、ふと乙女と夢那の言葉が俺の頭をよぎった。


 『でも昔、朧が私に話してくれたこと覚えてる? いじめっ子にいじめられてた女の子を助けたことがあるって、一度だけ私に話してくれたこと。誰を助けたのかも、いつの話だったかもわからないって朧は話していたけれど、正直私は夢の話を現実と間違えてるだけだって思ってた。だってあんなに泣き虫だった朧がケンカに強いとか、信じられるわけないじゃん』


 『いやそんな詳しく聞いたわけじゃないけど、いじめっ子にいじめられてた女の子を助けたって話。なんか兄さん本人は颯爽と駆けつけて格好つけたつもりだったみたいだけど、返り討ちにあってボコボコにされたって』


 乙女が朧へ送った手紙、そして夢那が俺に語った昔の思い出。俺の記憶には……烏夜朧としての記憶には存在しなかった女の子の思い出は、前世の『俺』の記憶にはあったのだ。

 そしてもう一つ。

 乙女は重要なことを手紙に綴っていた。


 『でも、私は前にも一度、同じ話を聞いたことがあったの。

  いじめっ子にいじめられていた女の子を助けた話じゃなくて、助けられた側の女の子から、自分を助けてくれた男の子についての話をね。

  その時初めて、私は運命の出会いがあるんじゃないかって思ったんだ。朧自身が覚えているのかはわからないけれど、向こうは今でもそれを覚えているよ。

   私達が今も、あの金色のペンダントをプレゼントしてくれた謎の誰かのことを追い求めているように……きっとね、朧が助けた女の子は今も朧のことが好きだと思うよ。助けてくれたのが朧だと気づいているのかわからないけれど』


 乙女は、あの女の子にあったことがあるのかもしれない。

 俺の早とちりや乙女の勘違いでなければ、前世の俺が会ったことのある女の子と、このネブスペ2の世界にいる乙女が出会っている可能性がある。

 つまり……あの女の子も、この世界にいる?


 『私はね、ずるいことをしちゃったんだ。確かに証拠はなかったのもあるけど、その子に朧のことを教えなかったんだ。私が少しでも助けてあげたら、例えばの話でも朧の話をすれば、二人は運命の出会いを果たすかもしれなかったのに』


 乙女はそれが誰かを知っているはずだ。乙女に聞けばすぐにわかるのに、その肝心の乙女がこの世界から消失してしまっているだと!? 何の手がかりもないじゃないか!?

 思い出せ、俺。今まで見てきた中でそれらしい子がいたか? ネブスペ2のヒロイン勢の中にいる? それともモブ? 作中で登場することのない誰か? 


 「……ボロー君、どうかしたの? そんなに考え込んで」

 「もしかしたら、他にも転生した人がいるかもしれません」

 

 俺は居ても立ってもいられず、椅子から立ち上がりテミスさんの部屋を出て、皆がいる客間へと向かった。

 すると客間の入口の前で夢那が俺のことを待ってくれていたようで、俺のことに気づくと笑顔を見せた。


 「兄さん、話は終わった?」

 「夢那、重要な話があるんだ」

 「な、なに?」

 「前に……いや、昔の僕が夢那に話した女の子の話だよ。いじめられていた女の子を僕が助けて、僕が返り討ちになったって話」

 「う、うん、覚えてるよ。それがどうかしたの?」

 「夢那はその女の子と会ったことない?」

 「いや……ボクは確かに話を聞いたけど、その女の子がどんな人かは全然知らないよ」


 となると、その女の子を知っているのは乙女だけ。しかし乙女はもういない。

 うん、これ詰んでる。手がかりナッシング。


 「もしかして、その女の子の存在が物語のキーになってる?」

 「いや、僕と同じように他の世界から転生してきた人がいるんじゃないかって話になってね。夢那は何か思い当たる節はない?」

 「いやー、全然想像つかないよ。友達とかからもそんな話聞いたことないもん」

 「そうか……」


 だがその女の子を見つけたところで、俺はどうすればいいのだろう? その子が前世の記憶を持っていたとしても、そもそもとしてネブスペ2というエロゲの知識がなければ意味がない。だからそもそも本人が転生したことに気づいていない可能性も大いにある。

 だが……流石はテミスさんだ。俺以外に転生者という存在がいるかもしれないという可能性は今までに考えたことがなかった。


 本当に、この世界にいるのだろうか……?


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