善人の仮面を被った男
まず、テミスさんによると少なくともスピカとムギの誕生日パーティーに集まった面子の中に前世の記憶を持つ人物はいないらしい。テミスさんは俺が真実を言う前に俺の正体を暴いていたし、そんなテミスさんの情報なら十分に信頼できる。
そもそもとしてこの世界に転生者がいるという仮説のソースは乙女の謎の手紙しかないから、その真偽を確かめる術はない。だって本人がいないんだもの。
仮に俺が前世で出会った女の子がこの世界に転生してきていたとしても、その子がまず自分が前世の記憶を持っていることに気づいているのかもわからないし、ネブスペ2というエロゲを知っているかどうかもわからない。
だから事を急いてもしょうがないのだが……この世界を生き抜くためのヒントになるかもしれない。
とはいえそっちに注力するわけにもいかず、星河祭前の最後の登校日である今日十月三十日、俺は月研を訪れていた。宇宙に関する様々なカリキュラムがある月学は近くにある月研と提携していて、月研に勤める学者さんが授業をしてくれることだってある。
星河祭でも月研のブースがあり、主に天文学に関する様々な展示があってこれが結構人気なんだと言う。教室を一つ借りてプラネタリウムもするらしい。
そして月研の所長は俺の叔母である望さんであるため、甥っ子の俺が向かわされたというわけだ。まぁシャルロワ家の車が月学から送ってくれるから移動は楽だったけど。
「あぁ……もう働きたくない……」
月研の所長室はやはりゴミ屋敷かっていうぐらいとっ散らかっていて、部屋の中央にある僅かなスペースで、望さんがデスクに向かって項垂れていた。真夏は暑いからと冷房がガンガンに効いた部屋でダラダラしていた望さんは、秋になっても調子は変わらない。
「お疲れ様、望さん。最近あまり家に帰ってこないけどそんなに忙しいの?」
「そりゃもう過去一の超絶ブラックよ。私、明日アメリカ行ってくるから」
「は? アメリカ?」
「少なくとも一週間はいなくなると思う」
確かにとっ散らかった部屋の片隅にはパンパンのキャリーケースが置かれていた。多分望さんのことだからろくに服も畳まずに中に突っ込んだのだろう。
こう見えても、というか優れた観測技術を持っているネブラ人の学者達をまとめ上げる長という立場にある望さんは世界の天文学界隈では割と偉い立場にある。どこかの大学の教授とか講師としての就任依頼もあったらしいが、面倒くさいという理由で全て断っているぐらいだし。
「アメリカにわざわざ行くって、一体何があったの? 望さんってそういう移動が面倒くさいって言って全部リモートでやってるじゃん」
「まぁ、そんぐらい一大事ってこと。そうね……朧、アンタ火炙りにされても秘密を吐かない自信はある?」
「いやもう泣き咽びながらベラベラ話すと思うよ」
「そんぐらい正直な方が私は好きよ。ま、私はアンタのことを信用してるからちょっと教えてあげる」
望さんは俺をデスクの方へ手招きして、モニターに映された画像を見せてくれた。どうやら天体望遠鏡で映された宇宙の画像のようだが……点々と様々な色の星が映る中、赤い丸で示された部分にはやけに光り輝く星のようなものが映っていた。
「これね、最近になって太陽系の周辺をうろうろしてる小惑星か彗星かなんかだと思ってたの、ちょっと前まではね。ほら、ネブラ彗星の軌道を計算し直したら近い内に観測できるかもって話したでしょ? だからネブラ彗星なんじゃないかって思ってたんだけど……この天体、妙に変な動きをするのよね」
すると望さんは、その謎の天体の軌道がわかりやすいように天体図に線を引いてくれた。
太陽系の外にはカイパーベルトや外縁天体など、小天体が広がっている大きな領域があるが、そこから突然太陽に向かって吸い寄せられるように軌道が変わった一つの天体があった。
「普通に彗星なんじゃないの?」
「いや、私達が予測しているよりも突然速くなったり遅くなったり、しまいには軌道が変わったりするのよね。私達にはわからない、その天体に作用している未知の天体や物質が存在しているのか、もう私達はそれの調査で大忙しってわけ」
「地球にぶつかる可能性もある?」
「さぁね。今のところそれはなさそうだけど、側は通るかも」
「いつぐらい?」
「一番速い計算で一週間以内」
いや地球にぶつかる可能性がある天体が一週間以内に最接近するのヤバいでしょ。ア◯マゲドンとかデ◯ープインパクトみたいな地球滅亡系の映画でももうちょっと猶予あったよ。
しかし……俺は知っている。ネブスペ2第二部の終わりでもあり第三部の始まりでもある十一月一日の星河祭の夜、約五十年ぶりにネブラ彗星が観測されるのである。
だからこの謎の天体というのはネブラ彗星なんだろうと俺はメタ的に推理することが出来るが、そんな変な天体なんだこれ。
「わざわざアメリカに行って何するの?」
「いや向こうの偉い人に呼ばれちゃったのよ。この変な奴が意味のわからない軌道をとったりするから、ワンチャンネブラ人の宇宙船っていう可能性もあるわけ。こんなでっかい宇宙船は流石に作れないってウチのネブラ人達は言ってるけどその可能性も拭いきれないから、また宇宙船が地球に来たときの対処とかを考えないといけないのよ。
なんで私がって感じだけど」
俺は前世でネブスペ2のイベントを知っているからあまり恐怖とか抱いていないし、むしろいよいよ来るのかとワクワクしているぐらいだ。そりゃ何も知らないこの世界の人達にとっては地球の存亡がかかっているぐらいの切羽詰まった状況なのだろう。
第三部だとネブラ彗星はただ観測されるだけで何かイベントが起きるわけではないが、トゥルーエンドだとまた違う展開になる。望さんが可能性と一つとして上げていたように、本当にネブラ人の宇宙船が飛来するのだ。
ネブスペ2は宇宙をモチーフにした作品だが、第一部や第二部では登場人物の中に
俺も前世でネブスペ2をプレイしていた時にゲーム中に実装されている用語集で色々宇宙に関する知識を手に入れたが、流石に天文学や天体物理学に関する知識では望さんに敵わない。なんか壮大な話をしているが、多分星河祭の夜にネブラ彗星すげ~って思うぐらいだと思うよ俺は。
その後も謎の天体について望さんから色々と教えてもらっていると、所長室の扉がコンコンとノックされた。そして部屋に入ってきた白髪交じりでメガネをかけた老紳士、月研の副所長であるアントニオ・シャルロワは望さんの姿を見つけると慌てた様子で口を開いた。
「のぞみん所長! どうしてまだここにいるんです!? あと二時間で飛行機出発しますよ!?」
「え、明日じゃないの?」
「何言ってるんですか、今日ですよ今日!」
「やばーい!?」
望さんはボサボサの髪を整えずに(いつも整えてないけど)、パンパンのキャリーケースを手に大急ぎで部屋から出ていった。いやあと二時間て、まぁ空港が近いからギリギリ間に合うかどうかという感じか。
望さんが部屋から出ていくと、それを見送ったトニーさんは頭を抱えながら溜息をついていた。あんな人が上司って大変だなこの人。
「久しぶりだね、朧君。ゆっくりしてた所すまない」
「あぁいえ、むしろ望さんのスケジュールを管理してくれてありがたいです。トニーさんは行かれないんですか?」
「のぞみん所長がいない間は、私がここを預かることになっているからね、お留守番さ。それより朧君、月学の学園祭の件で来たんじゃないのかい?」
「あ、そうです。月研の展示とかミニ講義のことなんですけど……」
所長である望さんがいなくなってしまったため、俺は急遽トニーさんと打ち合わせをすることになった。トニーさんの研究室に通されたが、あのとっ散らかった望さんの部屋とは打って変わって様々な資料やファイルがきちんと整頓されていて、こっちの方が明らかに快適だった。
「何度も星河祭で講義をやっているとね、流石にネタが尽きてきてしまうんだよ。何か良いの思い浮かばないかい、朧君?」
「何回ぐらい講義をされてるんですか?」
「月ノ宮学園が設立されてから毎年だね」
「流石に昔のネタを使っても許されると思いますよ」
トニーさんことアントニオ・シャルロワはその名の通りシャルロワ家の人で、現当主であるティルザ・シャルロワの弟、つまり会長やロザリア達にとっては叔父にあたる人だ。シャルロワ財閥という巨大な企業連合体を率いているシャルロワ家からは少し離れて、今は学者として月研に勤務している。
兄であるティルザ爺さんと同様にネブラ人の宇宙船で生まれた世代で、この地球に降り立った人だ。ネブスペ2の作中に登場するその世代のネブラ人はその二人ぐらいだろう。
星河祭の講義の内容を考えていた時、トニーさんは目をつぶって一息つくと口を開いた。
「そろそろ、ビッグバン事故について語っても良い頃合いかもしれないね」
八年前、この月ノ宮町に壊滅的な被害を与え、俺も含めたネブスペ2の登場人物達に多大な影響を与えた大事故……いや大事件というべきか。元々この月研と同じ場所に建っていた旧月研でもトニーさんは勤めていて、爆心地に近かった旧月研で数少ない生存者でもある。
「今まで話されたことないんですか?」
「メディアへの取材でならあるけれど、月学ではないね。もう八年も経って……あの事故で体も心も傷ついた生徒もいるだろうけど、それを乗り越えるための手助けをしたいね」
確かトニーさん自身もビッグバン事件で奥さんや子どもを失っているはずだ。月学で、というかこの月ノ宮でビッグバン事件について話すのは色々とタブーみたいなところはあるのだが、あの事件で傷ついた人達を助けたいという志は、何ともトニーさんらしい。
それは……俺達が見ている、あくまで表向きのトニーさんの姿だが。
「そういえばトニーさん、朽野秀畝って方のこと覚えてます?」
「いや、聞いたことのない名前だね。朧君の友達?」
「あぁいや、大したことじゃないんですよ。気にしないでください」
平たく言うと、トニーさんはネブラ人の過激派の長だ。
第一部、第二部ではちょこっと登場するだけの老紳士で、第三部においてもなんかやけに意味ありげな言葉を残していくだけなのだが、その正体はトゥルーエンドの世界線で暴かれることとなる。
こうして話していると、そんな人には全然思えない……今の俺は前世の記憶があるからこの人が悪役であることを知っているが、この世界でその証拠を持っているわけではないから、こっちが下手に行動を起こそうとすると逆に始末されてしまう可能性もある。
テミスさんや夢那を頼るわけにはいかないし、シャルロワ家の私兵部隊を従える会長が行動を起こしてくれたら捕まえられそうだが、俺が会長にトニーさんが悪人ですって言っても信じてもらえないだろう。会長はかなりトニーさんのことを信頼しているはずだから、きっと俺がとんでもなく嫌われるに違いない。
決定的な証拠を掴むまでは、俺も下手に動くことは出来ないのだ。だが原作の第三部のシナリオ通りなら変なことはしてこないはず……しかし原作と違ってネブラ人の過激派の動きが活発だからやはり不安だ。
「わざわざありがとう、朧君。それにしても、こんなことを言うのもなんだけど君がこんな真面目に働くなんて珍しいね、何かあったのかい?」
「いや僕だって頼まれたぐらいはちゃんとやりますよ?」
「はは、そういうところはのぞみん所長に似ているのかもしれないね」
トニーさんとの打ち合わせは終始和やかな雰囲気で進み、そしてつつがなく終わった。
第三部では会長やロザリア、クロエといったシャルロワ家の面々が出てくるためトニーさんの露出も増えるのだが、何か巡り巡って味方になってくれないかな……。
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