四人の織姫編⑮ この緊張感で寝る勇気



 十月二十五日。

 今日はベガのヴァイオリンコンクール本選の日。彼女の演奏を聞きに行くため、俺は夢那と一緒に都心の会場へと向かった。

 日本有数の大きなコンクールというのもあってお客さんの数も多く、会場も月ノ宮町の文化会館なんて比にならないレベルの巨大なホールで、俺は緊張しつつ夢那と一緒に席に座った。


 「なんだか緊張しちゃうよ、こういう場所」

 「兄さんはこういう所、来たことないの?」

 「全然。夢那はあるの?」

 「友達のを何度か見に行ったことはあるよ。音楽のことはあまりわからないけどね」


 そういえば夢那が前に通っていた竹取大附属って結構お金持ちの子女も通っているらしいし、身近にそういう人間が多かったのか。ていうか乙女の奴、どうしてそんな学校に入ったんだ。

 まぁ、もう誰も乙女のことは覚えていないが……。


 俺は隣に座る夢那とお喋りをして気を紛らわしていたが、周囲の客席に座る人々を観察するとどこか気品の高い上流階級の雰囲気漂う人ばかりだ。勿論俺達みたいに普通のお客もいるみたいだが、身内が出場するとはいえ緊張の度合いが跳ね上がってしまう。

 なんて俺が震え上がっていると、俺達が座っている席に近づいてくる人影が二つ。


 「やっほ~烏夜先輩~」


 手をブンブンと振って呑気な挨拶をしてくるワキアと、その後ろに立つ会長。二人共銀髪で、服装もクラシカルな雰囲気だからか並んでいると姉妹のように見える。


 「やぁワキアちゃん。会長もいらっしゃったんですね」

 「教え子の晴れ舞台だもの」


 そうやって優しく微笑む会長の姿を見て、俺は何故か少し体を震わせてしまった。その姿が可愛らしかったとか美しすぎたからというわけではなく、俺が感じたのは恐怖だ。


 「本当はアルちゃんにも来てほしかったんだけど、今日もバイトがあるらしいんだよねー」

 

 ネブスペ2原作だと第一部からちょこちょこ顔は出してくるものの、会長がメインヒロインとなる第三部までそれまでのストーリーに干渉してくることはなかったはずだ。しかし第一部でスピカやムギルートのイベントを荒らし回っていくなど不可解な行動を見せ、他にも何か事を起こすのではと俺の悩みのタネとなっていたのだ。

 だがベガの拉致未遂事件の時には会長の助けが無かったら死んでいただろうし、何なら七夕に事故に遭った時に救急車を呼んでくれた命の恩人だ。だからこそ俺にとって会長という存在はずっと謎のままなのだが……。



 やがてコンクールが始まり、重苦しい緊張感の中でヴァイオリンの音が奏でられていく。俺は見ているだけなのに胃がキリキリと痛むぐらいだから、舞台上でヴァイオリンを弾いている演者はとても考えられないような緊張感と戦いながら自分を表現しているのだろう。


 この本選に課題曲はなく、演者達がチョイスした曲を演奏していく。しかし自由課題とはいえ大半はクラシック曲で、後はジャズだったり洋楽の名曲だったり、そして半分ぐらいは全然聞いたこともない曲だ。

 素人の俺には何もわからんが、自分の実力を発揮できる曲を選んでいるはずだ。俺は前世でギターを少し触っていたぐらいだからヴァイオリン曲の難易度なんてわからないが、確かに心揺さぶられるような音が奏でられているのは感じる。だからこそベガではなくても他の演者達に素直に拍手を送ることが出来る。


 「いよいよ、か……」

 

 俺は緊張しながらも結構このコンクールを楽しんでいて、それは夢那も同じようだった。しかし一方でワキアや会長の二人は小さく笑顔こそ浮かべているものの、感動しているようには一切見えなかった。しかも大体、ワキアはこういう時に寝ているイメージがあったのに、どこかつまらなさそうにしているように見えた。



 ベガの演奏は最後、つまり大トリだ。この流れはネブスペ2原作と一緒だ。これまで他の演者達の素晴らしい演奏を聞いてきて、観客達も大分耳が肥えてきただろう。

 夏休みにワキアが倒れたというのもあって俺はベガの予選を見に行くことは出来なかったが、あの時のベガの結果は三位。ギリギリでの予選通過だった。ベガの演奏を直接見ることは出来ていないから、どんなレベルだったのかはわからないものの……もしベガが落選してしまったらどうしようという不安も僅かに残っていた。


 ベガが舞台上に上がると同時にパチパチと拍手が送られる。いつも青いリボンを頭に着けているベガは、その色に合わせて青いドレスを身に纏っていた。その美しさはまるでファンタジーの世界から出てきたような神秘ささえ纏っているが、出で立ちは別だ。

 前回の予選から二ヶ月、様々な出来事があった中でベガはちゃんと練習が出来ていたのか。先日の騒動が何か悪影響を及ぼしていないか……そして、舞台上でベガがヴァイオリンを構えた。



 静かな海の漣のようなイントロに始まり、そして一拍置いてから奏でられる、星降る夜をイメージして作られたという一転して激しい曲調。

 それは、今や人気アーティストとなったナーリア・ルシエンテスが所属していたアイドルグループを脱退して芸能界を干され、新たにシンガーソングライターとして第二の人生を歩み始めた時のデビュー曲、『StarDrop』。


 八年前、ビッグバン事件の直後。ビッグバン事件を起こしたのではと迫害を受けていたネブラ人の一人であるナーリアが、自分を取り巻く環境に苦しみながらも、月ノ宮の夜空に広がる美しい星空から着想を得て書き上げた一曲。

 歌詞の内容を大雑把に説明すると、遠い星から地球に住む貴方のためにはるばるやって来ましたよみたいな感じなのだが、ビッグバン事件で亡くなった人々への鎮魂歌という意味もあるらしい。


 この第二部ベガルートのイベントでStarDropが流れるのは、初代ネブスペを遊んでいたプレイヤーにとっては中々に感慨深い瞬間ではある。俺も前世でこの歌が好きだったからギターで引いてたし。今は引けるかわからないが。


 この曲が審査員達にどう評価されるのか俺にはわからない。

 だが、ベガが奏でるその音色は、一時的ではあるが俺の心に存在した様々な悩みを洗い流すように浄化していった。隣に座る夢那に至っては無意識だろうか涙を流しているぐらいで、そしてワキアの方を見ると──。


 「ぐがー」


 ……。

 ……って、寝てるー!? 寝てますよこの人!?

 ワキア!? 今お前の最愛のお姉ちゃんが頑張って演奏してるんだぞ!? 何寝てるんだよ!


 いや、落ち着け俺。むしろワキアがこうやってアホ面かいて寝ているということはそれだけベガの演奏が素晴らしいという証かもしれない。


 「ぐごー」


 でもこういう場でいびきかいて寝るのはやめてくれ。



 ベガの演奏が終わり、盛大な拍手の中でベガは舞台から降りていった。結果発表まで少し時間はかかるが、ベガの演奏への感動の余韻に浸ろうとしていた時だった。

 ふと後ろを見ると、審査結果の発表前に客席から去る一人の少年の姿が見えた。そして俺はその姿を追うように席を立つ。


 「兄さん、どこに行くの?」

 「ちょっとトイレ」

 「へ? もうすぐお姉ちゃんの表彰とかあると思うよ?」

 

 夢那やワキアの制止を振り切り、俺は会場を出て少年の後を追った。すると会場の裏手の駐輪場でその姿を見つけて駆け寄ると、俺の存在に気づいた彼が呆れたような表情で口を開いた。


 「……何の用ですか、烏夜先輩」


 そこにいたのは、鷲森アルタ。ネブスペ2第二部の主人公であり、ベガの幼馴染だ。ワキアの話によればバイトで来られないとのことだったが、こいつこっそり来てたんだな。


 「まさか君が来ているとは思わなかったよ。結果は聞かなくても良いのかい?」


 俺がそう問いかけると、アルタは自転車のヘルメットを被りながら言う。


 「そんなの、わざわざ聞かなくてもわかりきってることでしょう。それに烏夜先輩こそわざわざ僕のことを追いかけに来て、結果を聞きに行かなくて良いんですか?」

 「愚問だね。そんなのわかりきってるじゃないか」

 

 俺がそう答えると、普段は俺に対してぶっきらぼうなアルタがフフッと笑った。


 「これで万が一ベガが落選していたらどうするんですか」

 「その時は、アルタ君も僕も全然格好がつかないね」

 「確かに」


 そしてアルタは自転車のサドルに跨って言う。


 「ベガがあれだけ楽しそうにいられるなら、僕ももう思い残すことはありません。ベガのこと、頼みましたよ」


 幼馴染としての言葉。きっとアルタは俺のことを鬱陶しい先輩だと思っていただろうが……まさかアルタにこんなに信頼されるとは思ってなかった。


 「アルタ君こそ、キルケちゃんと上手くやりなよ? キルケちゃん、アルタ君のこと相当好きみたいだからね」

 「えぇ、それは嬉しいぐらいに伝わってきてますよ。んじゃ、僕はこれからナートゥのバイトがあるので」


 そう言ってアルタは自転車を漕いで会場から去っていった。

 ……何かアルタって妙に気が利く奴だよな。ビッグバン事件で両親を失って今は寮で生活し、日々の生活費やロケットの製作費用を稼ぐためにバイトに励んで、それでいて大切な人達への気遣いも忘れない……何なら俺はアルタにハーレムルートに入ってほしかったよ。なんで一時は全部こっちに来ようとしてたんだよ。

 あと……ナートゥのバイトって何?



 アルタと別れた後、今更ホールに戻ってもしょうがないと思ったため会場の入口で皆を待とうかと思っていたのだが……会場の入口から一人、会長が俺の方へ向かって歩いてきていた。


 「あれ? もう終わったんですか?」

 「結果だけ聞いて、貴方に少し用があったから来たの。まぁわかってはいるだろうけど、ベガは見事一位に輝いたわよ」

 「それは良かったです」


 俺はほっと胸を撫で下ろした。ほんの僅かな可能性ではあったが、ベガが落選する世界線も一応存在するからな。ベガルートのバッドエンドだと密室に閉じ込められて永遠にベガのヴァイオリンを聞かされる狂った毎日を過ごす羽目になるからな……。

 わざわざそれを会長が伝えに来たことは意外だったが、会長は俺の耳元に顔を近づけると口を開いた。


 「貴方には一応伝えておくわ。今日、このホールを襲撃しようとしていた武装組織がいたの」


 会長の口から告げられた衝撃的な事実に、俺は急に現実に引き戻された。


 「ぶ、武装組織って……前に僕達を襲撃した過激派ですか?」

 「そうね。でも安心して、その計画が実行する前に私達の私兵部隊が制圧したから」


 いやしれっと言ってるけど、その私兵部隊が存在するのやっぱりおかしいと思うんだよ。そんな話が全然表沙汰になってないということはそれを秘密裏に解決したってわけで、一体どうやって情報すら隠しているんだ。


 「念の為忠告しておく。まだベガやワキアを狙っている勢力は存在するわ。しかも最近はかなり手荒な手段を使おうとしている。

  彼女達の側にいる貴方も気をつけなさい」

 「いや気をつけろって言われましても……どうしてそんな躍起になってベガちゃん達を狙っているんですか、あの連中は」


 ネブラ人の地位向上を謳う勢力が存在することはネブスペ2原作でも第一部から仄めかされることだが、こうやって手荒な手段を使うようになるのは第三部からだ。しかもあれだけバッドエンドで殺される運命にある朧は、どういうわけか原作だと一番危険そうな過激派の犠牲になっていない。

 すると会長は俺の耳元から顔を離すと、辺りをキョロキョロと見回して周囲に誰もいないことを確認すると、チラッと俺を見て口を開いた。


 「貴方はベガやワキアの両親の肩書を知っているのよね?」

 「はい。それはそれはロイヤルなご身分ということですよね」

 「ビッグバン事件とどう関わっているのかも?」

 「はい。それこそ過激派の計画に巻き込まれそうになっていたんじゃ?」


 烏夜朧は、ビッグバン事件の裏で起きていたことを一部しか知らない。あくまで前にじいやさんから聞いた範囲までだ。烏夜朧が知っているのはそれだけ、いやそれのみでないといけない。

 俺は前世でネブスペ2をトゥルーエンドまで攻略しているから、その真相まで知っている。だから口を滑らしてしまわないよう慎重に答えたが、会長は深刻そうな面持ちで口を開いた。


 「あの連中は、八年前のビッグバン事件の時、宇宙船の中で起きていたことを知っている人間を抹殺しようとしているのよ」


 ビッグバン事件で起きた大爆発の原因であり、その爆心地であるネブラ人の巨大な宇宙船。その中にどういう人間がいたのか俺は知っているが、それを悟られないように俺は驚きの表情を浮かべた。


 「そこに、何か不都合な真実があるということですか?」

 「さぁ、それは私にもわからない。ちなみにだけど、貴方は何か知ってる?」


 俺は知っている。だが、ここで会長に話すべきではないだろう。

 俺は平静を装っていたつもりだったが、動揺が顔に出てしまっていたのか、会長は俺の口に人差し指を当てて口を開いた。


 「知らない、ということにしておきなさい。その方が、貴方も少しは長生き出来るはずよ」


 そう言って会長は微笑んでみせた。

 それは、俺に対する会長の気遣いだったのだろうか? 第二部の佳境は越えたと思っていたのだが……朽野乙女の突然の消失を始めとした様々な混乱は、まだまだ収まりそうになかった。

 

 

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