四人の織姫編⑭ 日常は変わらない



 朽野乙女の消失。

 そんな大事件の深刻さを知るのは俺と夢那、そしてテミスさんだけだ。しかも夢那とテミスさんの二人は俺がその事実を伝えたから知っているというだけで、乙女との思い出が残っているのはこの世界で俺ただ一人なのである。


 どうしてこんなことが起きたのか、あまりにも現実離れしていて到底理解が追いつかない。机に向かって一晩考えてみたが、ネブスペ2にこんな展開は勿論存在しない。

 強いて言うのであれば、エロゲに限らずヒロインが物語の都合上消失するということもなくはない。俗に泣きゲーと呼ばれるジャンルにもそういう要素はあるが、どうして乙女が?


 確かに乙女は物語の途中で退場させられる運命にある。こちらから関わろうとしてもまるで不思議な力で跳ね返されているかのように、彼女が物語に再登場することは許されなかったのかもしれない。それこそ、同じく物語の途中で退場させられる朧と一緒に唯一生存できるエンディング、トゥルーエンドを除けばだ。


 『貴方が死んだ方が、この世界にとっての最善の選択なんじゃないの?』


 テミスさんの言葉が俺の頭をよぎる。この現象は、今も俺が生きていることが原因で起きてしまったのだろうか?

 確かに俺は度々忠告を受けていた。朽野乙女にあまり関わらない方が良いと。その結果がこれか? テミスさんが言うように、この世界は誰かが望む未来に向かって強制的に展開を動かしているのか?


 

 「朧、どうしたの? そんなにボーッとして」

 

 気づけばもう放課後。ウチのクラスの出し物であるメイド&執事喫茶の準備も順調に進んでおり、今日は発注していた衣装が届いたのだ。

 そして早速ムギ達がメイド服を試着して、俺の前までやって来たのだが……。


 「ははーん。もしかして私のメイド姿にメロメロなわけだね?」

 「うん……」


 メイド服を着たムギの姿は確かに俺の視界に映っているが、正直今の俺の心境はそれどころではない。いつもなら心の中でメチャクチャテンションが上がっていたところだろうが、今の俺はなんにも集中できない状態だ。

 そんな俺に対し、ムギと同じくメイド服を着たスピカが俺の肩をポンポンと叩きながら心配そうな面持ちで口を開いた。


 「あの、朧さん? どこか具合でも悪いのですか?」

 「うん……」

 「これテキトーに頷いてるだけだね。朧、私と結婚してよ」

 「うん……」

 「こりゃダメだね。重めの賢者モード入ってるのかも」


 今日一日、授業の内容や友人達の会話も全部聞き流してしまっているような状態で、俺の頭はまだ混乱から立ち直っていなかった。昨日もスピカ達には連絡したのだが、改めて聞いてもやはり乙女のことなんて覚えていないという。乙女が関わった出来事について根掘り葉掘り聞いても、どういうわけか乙女の存在だけが欠落してしまっているのだ。

 未だに生気を失ったかのような俺を見てスピカとムギが困惑していると、同じくメイド服を着た美空が禍々しいオーラを放つドリンクを片手にやって来た。


 「朧っちー。これ飲むと元気出るよ~」

 「うん……」


 俺はコップをグイッと無理やり口に突っ込まれて、およそ人間が飲めるドリンクとは思えないぐらい禍々しいオーラを放っている謎の液体をゴクゴクと喉に通した──。


 「のわああああああああああああああああああああっ!?」

 「あ、起きた」

 「やはりダークマター☆スペシャルは劇物なのでは……」


 美空が俺に飲ませたのは、月ノ宮名産の栄養ドリンク、ダークマター☆スペシャルだ。かなり健康に良いドリンクとされているが、その味は気絶するぐらいぶっ飛んでいる。


 「はぁ、はぁ……あぁみんなおはよう。どうしたの? こんなに集まって」

 「もしかして朧さん、今日登校したということすら覚えてらっしゃらないんですか?」

  

 不安が解消されたわけでは無いが、あまりもの刺激のおかげか頭のモヤモヤも少しは晴れたような気がする。そういえばメイド&執事喫茶で出すメニューの中にダークマター☆スペシャルを入れてしまったが、これ死人とか出ないか?

 ようやく俺の意識もはっきりし始めた頃、美空達が着ているメイド服のデザインを考案してくれた人物が俺の元へとやって来た。


 「やぁやぁ朧君。私がデザインしたメイド服の出来はどう?」

 

 やって来たのは、茶髪ロングで白い眼鏡をかけた、パーカーにジーンズ姿の若い女性。ネブスペ2の前作である初代ネブスペのヒロインの一人であるレイさんことネレイド・アレクシスだ。レイさんはかつてノザクロでバイトしてたから、朧とはちょっとだけ面識がある。


 「最高ですね。僕の目も覚めました」

 「それはダークマター☆スペシャルのせいじゃなくて?」

 「レイさんも忙しいだろうに、わざわざ業者に発注までしてくれるなんてありがたいです」

 「まーまー、私は自分がデザインした衣装を可愛い女の子が着てくれるってだけで最高の気分だからね。ぐへへぇ……」


 よだれを垂らしながらぐへへぇとか言ってますよこの人。

 レイさんの現在の仕事はアパレルショップの店員だが、趣味はコスプレ。初代ネブスペでも様々なコスプレで登場し、主人公とチョメチョメするのだ。前世の俺が気が狂ったように巫女コス推しになったのは大体この人のせいだ。


 「ちなみに大星はどこに?」

 「あの子ならもうすぐ着替え終わるんじゃないかな。あ、来た来た」


 近くの空き教室で着替えきた大星が教室の中へ入ってきた。

 そう、ウチのクラスの出し物はメイド&執事喫茶ということで、メイドだけでなく執事もコンセンプトの一つとして取り入れている。というわけで大星にはこちらもレイさんがデザインした執事服を着てきたわけだが……。


 「ど、どうだ?」


 執事服を身に纏った大星。

 なんかこう……特に感想は思い浮かばない。言葉で言い表せというのなら、『イマイチ』だ。

 

 「な、なんだよお前らその顔は。何か言えよ」

 「大星……月学の制服でも思うけど、あまりスーツっぽいの似合わないね」

 「似合わないだと!?」

 

 大星もまぁまぁ身長は高い方なのだが、顔がちょっと童顔だからだろうか、ちょっと着せられている感じがある。むしろ高校生で執事服を完璧に着こなせるのはそれこそモデルとかアイドルレベルだろうが、大星の場合はちょっと面白い。


 「これじゃあれだね。大星も私達みたいにメイド服着なよ」

 「なんで!?」

 「確かにそっちの方が似合いそうですね、大星さん」

 「そんなこと言われても嬉しくないんだが?」

 「あ、私は友達の女装メイクの手伝いとかやったことあるから頑張るよ~」

 「……え、マジでやんの?」


 そして大星はレイさんに空き教室へと連れて行かれた。グッバイ大星、君が女装させられるのは原作通りだから諦めるんだ。


 なお、俺が店員として接客すると節操なく女の子に声を掛けるからダメだと、クラス全員の総意でキッチンに収監されることとなった。ノザクロと一緒だよこれじゃ。



 その後、俺はベガの様子を身に一年生の教室へとお邪魔した。

 ベガとアルタ、ルナが所属するクラスの出し物はコスプレ喫茶だ。ウチのクラスと若干コンセプトは似ているが、ベガ達のコスプレ喫茶は店員がそれぞれ思い思いに好きなコスプレをして、希望すれば客側もコスプレできるらしい。

 そのため教室にはナースや巫女、警察に軍人など多種多様な職業のコスプレ衣装がズラッと並んでいる。そしてこれらの衣装の製作を手掛けたのも実はレイさんなのである。


 「いや~まさか私の作ったものが後輩達に受け継がれるなんてな~」


 月学に在籍していた頃のレイさんは部活でとにかくコスプレ衣装を作り続け、それらの衣装は月学の備品として保管されているのだ。さらには今回のために新しく作った衣装もあるらしく、教室の中には早速その衣装に身を包んだ子があった。


 「あ、烏夜先輩」


 まず俺の視界に入ったのは、涼し気な青いセーラー服を着て、猫耳、尻尾、そして猫の手を装着したベガの姿──。


 「ぐぼおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

 「か、烏夜せんぱーい!?」


 猫耳、尻尾、猫の手を装着しセーラー服を着ているだけなのにこれだけの破壊力。ベガの巫女服姿だけでも十分満足だったのに、それを遥かに超えるレベルのものが出てくるとは……。

 教室の入口で俺がベガの可愛さに悶絶していると、ワキアがニヤニヤしながら俺の元へとやって来た。


 「フッ、私がコーディネートしたお姉ちゃんにメロメロってわけだね、烏夜先輩。ちなみに犬耳バージョンも用意したけどどう?」

 「こ、これ以上は僕の命が持ちそうにない……!」

 「そんなにですか!?」


 恥ずかしがって猫の手で顔を隠すベガの姿もキュートだが、一方でワキアは赤と黒を基調としたドラキュラっぽい衣装を着ていて、口には牙っぽい付け歯を入れていた。何かドラキュラなのはわかるんだが、むしろサキュバスっぽい雰囲気が出ててワキアの方もかなりの破壊力だ。


 「ワキアちゃんはドラキュラのコスプレ?」

 「うん。日光もニンニクも十字架も平気なドラキュラ」

 「それ無敵じゃん」


 ワキアが着ているドラキュラの衣装はレイさんが昔作ったもののようで、よだれを垂らしてハァハァと興奮しながらワキアを見ているレイさんが口を開く。


 「良いね……ねぇ君、もっとミニスカにしてみない? 布質もちょっと肌に密着する感じのを使って……」

 「あのレイさん、顔がヤバいです。もうちょっと抑えて」

 「止めないで朧君! 私は今、この子に未知の可能性を感じているの!」


 いやここは学校なんだぞレイさん。初代ネブスペのヒロインはやべー奴しかいねぇのかって思ったが、確かにやべー奴しかいなかったわ。レギナさんとかは学生時代に比べて大分落ち着いたように見えるけど、この人全然変わってねぇわ。

 そして残るルナはというと、いつも実家で着ている巫女服ではなく和風のメイド服を身に纏っていた。何かルナには和な雰囲気が似合うなぁ、いつも巫女服姿ばかり見てるからだろうか。


 「ルナちゃんは和装メイドなんだね。やっぱ和風なのが好きなの?」

 「いや、前に朧パイセンが見たいって言ってたじゃないですか」

 「あぁ、そういえば」

 「私さ、本当はルナちゃんにスク水を着せたかったんだけどねー」

 「それは流石にアウトでしょ」

 「OKは出たんだけど、流石に寒いからやめようってなったんだー」

 「OKは出たの!?」

 「私がいた頃はダメだったけど、やっぱ時代ってのを感じるね」

 「貴方もやろうとしてたんですか!?」


 つまりあの会長がスク水はOKって言ったってことか? これも会長の嗜好ってこと?

 コスプレ衣装を身に纏う三人とそれに興奮するレイさんに囲まれて俺が気分を浮つかせていると、俺達の元へ近づいてくる異様な姿が一つ。


 「どうも、烏夜先輩」

 「ぬおわあああああああっ!?」

 「そんな驚かなくても」


 いや、前身白タイツで頭にまん丸い月の被り物した奴が突然背後に立ってたら驚くわ。しかも右目にロケットっぽいの刺さってるし……あ、これまんま月世◯旅行の有名な表紙の奴じゃん!?

 確かこの世界だと、月ノ宮町のマスコットキャラクターってことになってるんだっけ。いや趣味が悪すぎる。


 「あ、ツッキー君だ懐かし~」

 「もしかしてこの衣装もレイさんが?」

 「いや、私は流石にこんな趣味の悪いの作らないよ」


 いやメチャクチャ散々な言われようじゃん。確かに白タイツに被り物被ってるだけだしなぁ。


 「アルちゃん、コスプレ本当にそれでいいの? 腕に包帯巻いて眼帯とか付けなくていい?」

 「わぁちゃんのそれは、アルちゃんを厨二病っぽくしたいだけなのでは……」

 「アルちゃんはそんなにツッキー君が好きなの?」

 「どうも、ツッキー君です」

 「喋るんだ、ツッキー君って」

 「我輩の夢は地球の公転周期から逸脱することです」

 「ツッキー君の一人称我輩なんだ」


 前世でネブスペ2をプレイしていた時もそうだったが、突然ツッキー君が画面に出てくると笑っちゃうんだよな。存在感がアルタやベガ達とは異質過ぎて。

 なんて他愛もない話をしていると、突然隣の教室から誰かの悲鳴が聞こえてきた。


 「ぎょええええええええええええええええええっ!?」


 ……。

 ……これ、キルケの悲鳴だな。

 隣の教室、夢那とキルケ、カペラ達が所属するクラスの出し物は確かお化け屋敷。キルケがどうして悲鳴を出したのか、何か想像に容易い。


 「な、なんだろ?」

 「今のってキルケちゃんの声じゃないですか?」

 「き、キルケに一体何が!?」

 

 アルタは彼女であるキルケに何か起きているのではと思って慌てて隣の教室に駆け込もうとしたが、俺はすぐにアルタの腕を掴んだ。


 「な、何するんですか烏夜先輩」

 「アルタ君、冷静に考えるんだ。お化けにびっくりして倒れたキルケちゃんが今のアルタ君の君の姿を見たらどうなると思う?」


 友人が仮装したお化けを見て卒倒するぐらいのキルケが、ツッキー君にコスプレした今のアルタを見たらどうなるだろうか? 大多数の人は不気味だと感じるであろう今の自分の容姿にハッとしたアルタは、ツッキー君の被り物を外してから隣の教室へと向かったのであった。


 「すっかりキルケちゃんに夢中ですね、アルちゃんったら」

 「どこかの誰かさんとは違ってアルちゃんは一途ですからねー」

 「いや僕はベガちゃんを選んだけど!?」

 「安心してよ烏夜先輩、コスプレしたお姉ちゃんは表に出さないようにするからさ、独り占めしなよ」

 

 星河祭が段々と近づく中、その準備も順調に進んでいるのだが……ネブスペ2第二部のシナリオは決して順調ではない。

 皆のおかげで少しは平常心を取り戻せたが、俺はただ一人、誰も知らない一人の少女の存在に苛まれていた。


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