四人の織姫編⑧ 誰も知らなかったこと
来週から中間考査が始まるというのもあり、それが終わるまでは星河祭実行委員も活動はなく、精々それぞれのクラスで多少の準備をしているぐらいだ。
そろそろ本格的にテスト勉強が必要だということで、俺は琴ヶ岡邸にお邪魔していた。ベガやワキア達と一緒にテスト勉強をするためだ。まぁ学年が違うからテスト範囲も全然違うから教え合うことは出来ないが、これも一種のデートだと俺は受け止めていた……しかし。
「烏夜せんぱーい。今度のテストでお姉ちゃんよりも成績よかったら何かご褒美ちょーだーい」
「ベガちゃんより良かったらね」
「じゃー婚姻届にサインしてー」
「思ったよりも無茶苦茶な要求じゃん」
なんてワキアはふざけているが、俺はあることを忘れていた。ベガもワキアも成績良いから、俺が教えることは何もないのだ。
前にスピカとムギと勉強会をした時もそんな状態に陥ったが、第一部のヒロイン勢だとスピカが飛び抜けて頭が良かったぐらいで他はまぁまぁ普通よりかは下というぐらいの成績だった。しかし第二部のヒロイン勢だとベガは優等生だしワキアも入院生活が長いのに元々の出来が良いし、そして夢那も進学校に通っていたからかなりの秀才だ。誰が一番頭が良いのかはわからないが、割と普通なルナが取り残されてしまっている。
なお、勉強会にはルナとか夢那とかカペラも誘ってみたのだが、三人はキルケのテスト勉強に付き合っているらしい。なんかテストで赤点ばっかりとって泣き崩れているキルケの姿が容易に想像できるから、俺が本当に助けてあげるべきなのはキルケだったのかもしれない。
俺も次こそは好成績を残すために真面目に勉強しているが、記憶喪失だった頃の俺が夏休みの間に真面目に勉強してくれていたのが功を奏している。やっぱり俺という存在が朧の学力を下げてるんじゃないか? いや、常にエロゲのことを考えてたらそりゃ学力は下がりそうだけど。
そんなテスト勉強も一区切りついて小休憩を取った後、今月の末にヴァイオリンのコンクール本選を控えているベガの演奏を聞かせてもらうことになった。
ベガが演奏する曲は、人気アーティストのナーリア・ルシエンテスの大ヒット曲『ネブラリズム』のアレンジだ。今月末のコンクールの課題曲は自由だそうで、そこで弾く予定の曲は当日までのお楽しみだという。
「ぐごー」
とまぁ、せっかくベガが素晴らしい演奏をしてくれているのに呑気に寝ている奴がいる。ワキアがこうしてアホ面かいて寝ているのも最早風物詩だしなんだか安心する。
ナーリアの大ヒット曲『ネブラリズム』はネブスペ2のオープニング曲で、彼女のデビュー曲である『StarDrop』は初代ネブスペのエンディング曲だ。大星の携帯の着メロが『ネブラリズム』だったり、アルタの携帯の着メロは『StarDrop』だったりという要素もある。
ちなみに前世でネブスペ2をプレイした俺はコンクールの本選でベガが演奏する曲も知っているのだが、当日まで俺も知らない振りをしておこう。
「ぐがー」
久々にベガのヴァイオリンの演奏を聞くことが出来たが、ここまでなんだかんだ上手くネブスペ2第二部のイベントをこなしてきた(と思っている)中で、唯一残っている不安。
それが、ベガのコンクールの合否だ。
ベガルートのバッドエンドだとコンクールに落選してしまうのだが、先日の騒動なんかもあってベガが動揺していないか不安だ。今、こうしてベガの演奏を聞いている限り特に問題は無さそうなのだが、素人の俺が聞いてもぶっちゃけこればかりはわからん。
「ぐごー」
そもそもベガがネブラ人の過激派に誘拐されるというイベント自体がかなりのイレギュラーで、これが今後の展開に大きな影響を及ぼさないか不安だ。
いや……この騒動をきっかけに俺とベガが交際を始めたという点では、かなり影響はあったが。
今まで俺が頑なにスピカ達のラブコールを断り続けてきた理由は三つ。
まず、俺の死が近いこと。
この第二部の数々のイベントで、予想以上に自分が死と隣合わせの状態にあるということを思い知らされた。カペラバッドエンド、ワキアバッドエンド、そして先日の騒動はテミスさんや望さんの助けがあったから生き延びることが出来ただけで、生きるか死ぬか紙一重の状況だった。何なら第二部が始まる七夕の日の事故で俺が死んでいた可能性もなくはなかった。
そして第二部はまだ終わっていないから誰かのバッドエンドを迎える可能性もまだ残っており、そして第二部が終わっても新たに第三部が自動的に始まる運命にあり、そして十二月二十四日の第三部共通ルートで烏夜朧は死ぬ運命にある。これに関してはテミスさん達の助けがあっても生還出来るかまだ微妙で、そんなイベントで誰かを悲しませるぐらいなら、元々そんな関係になりたくなかったのだ。
第二に、誰か一人だけに構う暇がないこと。
第一部では主人公である大星が美空ルートに入り、そのままグッドエンドを迎えた。本来ネブスペ2原作なら誰かのルートに突入したら他ヒロインのイベントなんて起きないはずなのに、俺はスピカ達三人のイベントを回収するために奔走することとなった。それは第二部でも同様で、まさかのアルタが原作でモブキャラのはずだった謎のキルケルートに入ってしまっている。夢那が朧の妹という設定が原作にあったから若干助かったが、それでも俺が記憶喪失になってしまうというハンデは想像以上に大きかった。
おそらく第三部でも俺が望まなくともヒロイン達とのイベントが起きるだろう。現に俺は第三部に登場するヒロイン達と出会ってしまっているし。ベガという彼女がいながら自分から女の子に接していくのは不貞な行動なのでは我ながら思うのだが、そこをベガがどこまで許してくれるかどうか……。
そして、幼馴染である朽野乙女の存在。
前世でネブスペ2をプレイした俺にとってはアペンドで攻略可能ヒロインに昇格して欲しいキャラの筆頭候補だったのだが、まるで運命がそれを許さないかのようにどんどん乙女を遠ざけていく。最初こそ大星と乙女をくっつけようとしたが割と早々に大星は美空ルートに入ってしまい、乙女に直接連絡を取ることも出来ず、ようやく居場所を知ることが出来たと思ったらまさかの海外に留学していたという結末。
俺が転生した烏夜朧にとって、心が荒んでいた時期に支えてくれた乙女の存在は非常に大きかった。だが……烏夜朧にとっても俺にとっても、朽野乙女との思い出は霞のように薄れて消えてしまいそうになっていた。
そんな諸々の理由があっても俺がベガの告白を受け入れたのは、あんな危機的状況だったからという吊り橋効果もあったからかもしれないが……数々のイベント回収に追われる忙しさ、常に死と隣合わせにあるという緊張感で俺の精神が大分参っていたというのもある。それがダメそうになったタイミングと、施しを受けたタイミングが合致し、それに──様々な環境を踏まえて、ベガのことを支えたいという気持ちが強かったからだろう。
ただ、この選択を後悔したくないという気持ちと、この選択が今後にどんな影響を及ぼすのかという不安が俺の中でせめぎ合っていた。
「ぐごー」
いやずっと寝てんなワキア。ベガの演奏がワキアに睡眠作用でもあるのか。
「ワキアったら、また寝ちゃってますね」
演奏を終えたベガがワキアの頬をツンツンと突きながら笑う。
「そういえばシャルロワ会長からお聞きしましたよ。烏夜先輩ったら、わざわざあの別荘に侵入して私に会おうとしてくださったらしいじゃないですか」
「あ、あぁ……結構ムチャクチャなことをやっちゃったけどね」
「アルちゃんも臨時収入が入ったみたいで喜んでました」
アルタには申し訳ないことをした。いや会長達にもだけど。アルタも俺がベガを事故から助けた件の借りを返してくれただけで、多分本当は嫌だっただろうけどね。
なんて話していると、アホ面かいて寝ていたワキアが目を覚ます。
「ふがっ。あ、おはよ~お姉ちゃん。烏夜先輩、せっかくだしお姉ちゃんとお風呂入ってったら?」
「え?」
「だいじょーぶ、こういう時ぐらいは私も邪魔しないから!」
ワキアの突然の提案に、思わず俺とベガは目を合わせた。
ベガと、お風呂……か。
……。
……いや、やめよう。これは流石に不味い。ベガの肢体を目の前にして理性を保てる気がしない。
「えと、さ、流石に二人きりだと恥ずかしいからワキアも一緒に入ろ?」
「お姉ちゃんがそう言うならしょうがないにゃ~。じゃあそういうわけで烏夜先輩、裸の付き合いといきましょうや」
「いや、帰る。帰るよボクは。まだそういうのは早いと思うんだ」
「私とは前に一緒に入ったことあるのに?」
「あれはワキアちゃんが勝手に入ってきただけでしょーが!」
いや本当は俺だってベガやワキアと一緒にお風呂に入りたいけど、このまま成り行きに任せてズルズルと受け流されてしまうと変な展開になりかねない。エロゲだったらもう事が始まっていてもおかしくないタイミングだが、それが終わった後にもうベガのことしか考えられなくなってしまいそうで怖い。
そんな風に誰かに夢中になってしまう毎日にも憧れるが、俺は歯を食いしばりながら琴ヶ岡邸を後にした。
俺だってせっかくエロゲ世界に転生したなら、もっとこの世界を満喫していたい。こうしてヒロイン達と毎日を過ごせるだけでも幸せだが、どうせなら何らかのおこぼれにあずかりたい気持ちだってある。
しかしベガが正式に彼女になった今でもベガとの関係を深めてしまったら、スピカ達への申し訳無さが倍増してしまう。
すまないベガ、もうちょっとだけ俺を童◯でいさせてくれ。
悔しさなのか不甲斐なさなのか後悔なのかわからないが、俺は心の中で涙の雨を降らせながら帰宅した。勉強会のためキルケの家に遊びに行っていた夢那は先に帰宅していたようで、リビングへ向かうと夢那はテレビも点けずに黙ってソファに座っていた。
「おかえり、兄さん」
いつもなら笑顔で迎えてくれる夢那の表情が強張っていた。何事かと思って口を開こうとしたその時、夢那の正面にあるリビングテーブルの上に一冊のノートが置いてあることに気づいた。
「あ」
それは、禁断のバイブル。前世でプレイしたネブスペ2の攻略チャートを書き留めた、俺の生命線である。
そして、誰にも見られたくない、誰にも見せてはいけない黒歴史ノートを夢那が読んでしまったのだと俺は即座に理解した。
「ねぇ、兄さん」
エロゲの攻略チャートが書かれたノートを見たらきっと俺を軽蔑するだろうと思っていたのだが──夢那は突然涙目になって、声を震わせながら言った。
「兄さん、もうすぐ死んじゃうの?」
夢那はきっと、ノートを最後まで読んでしまったのだろう。そして理解してしまったのだ、今年の十二月二十四日、俺が誕生日を迎える前日に死んでしまうということ──。
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