十六夜夢那編① 残される方のことも考えてよ
十六夜夢那は、烏夜朧の実の妹だ。ビッグバン事件の直前に両親が離婚し、朧は父親に、夢那は母親に引き取られ、それぞれが新たに築いた家庭で育った。朧はそれはまぁ地獄の日々を短期間とはいえ過ごしたわけだが、ビッグバン事件で両親を失った後は、叔母の望さんにお世話になっていた。
一方で夢那は母親と共に都心へ引っ越し、新たな父親を迎えて十六夜姓で生活していた。複雑な家庭環境ではあったが何不自由なく育った夢那の幸せな日常は、一瞬にして終わりを迎えることとなる。
夢那の両親の訃報が入った翌日、俺は病院に外泊許可を貰って望さんと都心へ向かった。その当日に通夜、そして翌日に葬儀を終えて納骨まで見届けた。夢那の母親は看護師、父親はロケット技術者で、二人の関係者も多く参列し、夢那の友人達らしき少女達も多く訪れて夢那のことを励ましていた。
十六夜一家は車で出かけていた途中の交差点で事故に遭い、夢那は軽傷で済んだものの父親は事故の衝撃で即死、母親は搬送先の病院で亡くなったという。
喪服なんて前世でも中々着ることもなかったし、俺は烏夜朧としても実の母親を失っている。八年前の記憶が蘇るようだが、前世の記憶を持つ俺としては妙に複雑な気分だ。半分自分事で、半分他人事のような……。
葬儀を終え、俺は夢那の家を訪れた。都心から少し離れた郊外の住宅街にある小洒落た一軒家で、涼しげな青や水色で統一されたリビングに通された。俺は足の骨を折っているため、松葉杖をテーブルに立てかけて椅子に座り、夢那の様子を見守る。彼女が見つめる視線の先、棚の上に置かれた写真立てには、幸せそうな家族の写真が収められていた。
そんな写真立てを手にとって、夢那は俺に背を向けたまま言った。
「久しぶりだね、兄さん」
俺がこっちに駆けつけてから何を話しかけても「うん」とロボットのように頷くだけだった夢那がようやく喋ってくれた。
「……ごめん、夢那」
俺は夢那と再会してから色々と励ましの言葉をかけ続けていたが、まずは謝るべきだっただろう。せっかく夢那がわざわざ月ノ宮へ里帰りしたのに、そこにいるはずの兄がいなくなっていたのだから。
しかし俺のテンションも低すぎたためか、夢那はクスッと笑って俺の方を向いた。
「だってさ、八年ぶりに会おうと思ってた人が丁度記憶喪失になってるとか、想像できるわけないじゃん」
「いや本当にごめん。最近になってやっと治ったんだよ」
「それで、今度は足の骨を折ったの? 絶対厄払いしてもらったほうが良いと思うよ」
「違いないね」
久々に会った兄が記憶喪失になっていて自分のことを忘れて、両親の死をきっかけに再会することになったらまた事故に遭っていて大怪我をしていると。夢那視点の朧も相当不幸だな。
だが今の夢那も、精神的に相当なショックを受けているはずだ。
場合によっては、この事態を防ぐことが出来ていたかもしれない。原作の夢那ルートでも両親の死をきっかけに夢那は月ノ宮へ戻ってくることになるのだが、俺がそのイベントのタイミングや両親の死因を明確に覚えていれば夢那は悲しまずに済んだかもしれない。
「ねぇ、兄さん。ボクが月ノ宮で最後に言ったこと、覚えてる?」
「思い出にペンダントをプレゼントすれば、それを見る度に良い思い出が蘇るみたいな話?」
「うん、それそれ」
ネブスペ2の登場人物の一部は金イルカのペンダントを持っていて、ヒロインの一人である夢那もその一人だ。
そして夏休み、俺がアルタ達後輩勢と一緒に海に行った時にお土産として似たデザインの金イルカのキーホルダーをアルタと買ったのだ。原作なら本来在庫が一個しか残ってなくて居合わせた朧はアルタに譲るはずなのだが、まさか二個も残っているとはね。
すると夢那は写真立てを戻して、俺達がいるリビングの中をグルッと見回すと顔をうつむかせてしまった。
「この家には、ボクが兄さんと別れてからの思い出がギュッと詰まってるんだ。こんな家には収まりきらないぐらいの、たくさんの思い出が。この家にいるだけで思い出せるよ。
父さんも母さんが、いなくなっても……」
夢那は湧き上がる感情を堪えられなくなり、俺に抱きついて俺の胸に顔を埋めた。微かに聞こえる嗚咽、原作でも女の子の涙は何度も見てきたが、やはり胸が締め付けられる。
夢那にとって月ノ宮での楽しい思い出が詰まっている金イルカのペンダントは、その思い出を懐かしみたくなった時、辛い時に励まされたい時に手に取れば思い出せるかもしれない。
しかし実家というものは、どの場所にいても色々な記憶が蘇る。家族との団欒を過ごしたリビング、他愛もない話を交わしたダイニング、料理の手伝いをしたキッチン、大慌てで駆け込むこともあったトイレ、歌が上手くなった気分になれるお風呂、様々なことに打ち込んだ自分の部屋……そこに幸せな思い出が詰まっている人もいれば、辛い思い出しか残っていない人もいるだろう。
それは意識しようがしてまいが、目に入れようとしなくてもその場所にいるだけであらゆる思い出が蘇ってきてしまう環境なのだ。
「僕は、夢那が今も元気でいてくれてとても嬉しいよ」
俺も夢那の体を抱きしめて、彼女の頭を優しく撫でた。
「今は思い出すだけでも辛いかもしれないけれど、それを思い出して感極まるのはとても素晴らしいことだと思うよ。それを忘れなければ、いつか夢那が大切な人と出会えた時、それ以上に幸せになれるはずさ……」
ネブスペ2でも、両親を失って月ノ宮へ戻ってくることになった夢那はその傷ついた心を隠してアルタ達と学校生活を過ごし、夢那ルートが進むとこうして素直な感情を剥き出しにする。夢那にとって、月ノ宮での思い出の中心にいたアルタに向かって……いやなぜか俺にすり替わっちゃったけど、兄としてケアしなければならないだろう。
俺の胸の中ですっかり泣き腫らした夢那は気分が少し晴れたのか、携帯に収められた数々の思い出の写真を俺に見せて、その都度俺が知らないここでの思い出を楽しそうに話してくれた。
そして俺も月ノ宮での思い出を夢那に話した。やっぱり女性をナンパしまくってた話をすると呆れられた。
今日は望さんがとってくれたホテルに宿泊する予定だったが、夢那に帰らないでとせがまれてしまい、俺はこの家に泊まることになった。
まぁ、まさか夢那の部屋で寝ることになるとは思わんかったが。
「こうやって寝るの、何年ぶりだろうね」
俺はこの世界に来てから、無機質な自分の部屋のベッドだけではなく、割と色々な場所で寝たことがある。一番ドキドキしたのはレギー先輩と一緒に寝た時かもしれないが、あれは状況が状況だったし、俺の記憶に残っている大半は自分の部屋か病室だ。
「昔の夢那は、あまり僕と寝たことなかったでしょ」
「そうだっけ?」
「ずっと母さんと一緒だったじゃないか」
「あはは、そうだったね」
なんかもう聖域というか、この世界に来てから女の子のベッドで寝るなんてのは初めてだ。布団の感触も匂いもこの薄暗さも、何もかもが心地よく感じられる。
まぁ、相手は妹だけど。
「あの、リビングのソファで寝ちゃダメ? 床でも良いんだよ?」
「いや、その状態で床から起きれるの?」
「確かに無理かもしれないね」
足にギプスを巻いていて踏ん張りがきかないし、それに夢那に頼まれたから仕方ない。とはいえ相手が妹とはいえ布団の中で抱きつかれて夢那の体も密着しているし、烏夜朧と融合した俺にとっては半分身内で半分他人みたいな微妙な存在だから俺も気が気でない。妹としての夢那を知っている烏夜朧と、エロゲヒロインとしての夢那を知っている俺がいるからだ。
「兄さんってさ、女の子と一緒に寝た経験とかあるの?」
「あるよ」
「……あるの!?」
事の経緯を説明するのは面倒だが、一応レギー先輩と一緒に寝たことはある。
「もしかして彼女とかもいるの?」
「いや、いない」
「じゃあなんで寝たの? ワンナイトラブ?」
「まぁ色々あって、ただ一緒のベッドで寝たってだけだよ」
夢那はネブスペ2第二部のヒロインの一人だが、俺は一体どこまで夢那ルートのイベントを回収すれば良いのだろう。まさかの妹だからなぁ。
エロゲなんかではよく主人公の妹もしれっと攻略対象になっているが、実は血が繋がっていなかったり、まんま実妹設定のまま性描写に入ることもある。妹萌えというジャンルもあるしやはり兄妹という関係にあるという中での恋愛の葛藤が描かれるのも面白い部分ではあるが、自分が当事者になりたくはない。
「話には聞いたけどさ、兄さんってカペラちゃんを庇って大怪我を負ったんでしょ? それで記憶が戻ったから良かったけどさ、そう何度も事故に遭ってるといつかは死んじゃうよ?」
「う、うん……僕は気をつけてるつもりなんだけどね」
実はワキアに襲われかけてましたとかなんて言えないし、多分これからも俺は何度も死の危機を迎えると思う。俺は夢那バッドエンドすらまだ恐れてるんだからな。
夢那ルートのバッドエンド、『連鎖』では、端的に言えばアルタが夢那を事故から庇って死んでしまうエンディングだ。アルタが事故死するという点はルナのエンディングと変わらないが、ルナは永遠に返ってくることのないアルタを待ち続けるのに対し、夢那はもうこの世に存在しないアルタがさもそこに存在するかのように接し、異常な愛を見せ続けるという壊れっぷりを見させられる羽目になる。そりゃ事故によって目の前で両親だけでなく愛する人や兄も失ったら、多分それは夢那達にとってのバッドエンドだよな。
アルタ、事故死するバッドエンド多いからその分俺が事故死する可能性が高くなるじゃん、どうしてくれるの。
だが夢那達が目の前で事故に巻き込まれそうになったら俺も庇いに行くだろうし、実際俺は二度も行動に移してしまっていたし……皆のためならこの命なんて軽いものだと、俺は思っていた。
「ボク達が事故に遭った時ね、母さんが言ったんだ。ごめんって。
あれ、どうしてボクに謝ったのか全然わからなかったんだ」
俺の寝間着代わりのジャージをギュッと掴みながら夢那が言う。父親は即死だったらしいが、そういえば母親は事故の直後まで意識はあったんだっけか。
「でもね、今わかった気がするんだ。
ボク、ずっと兄さんに会いたいって母さんにワガママ言ってたんだけど、全然許してくれなかったんだよ。昔の父さんもビッグバン事故で死んじゃって、今は望叔母さんと一緒に過ごしているのも知っていたけど、頑なに会わせようとしてくれなかったんだよ。
でもやっと、この前の夏休みに月ノ宮に帰っていいってお許しが出たんだ。だから会いに行ったんだよ」
「わざわざ僕に会いに?」
「うん。だってボク達が喧嘩別れしたわけじゃないじゃん」
朧と夢那が離れ離れになったのは両親の離婚が原因だが、父親の暴力だとか暴言が原因だからなぁ。結局父親は何もかも上手くいかなくなってギャンブルだのアルコールだの身を滅ぼす方向に走ったわけだが。
「兄さんが事故で記憶喪失になったって聞いた時は本当に驚いたよ。だって本当に兄さんなのかわからなくて怖かったもん。
でも、記憶を失っても兄さんって感じがしたんだ。兄さん独特の微妙に信用出来なさそうな軽々しさが」
「そんなこと思ってたの?」
「兄さんがノザクロのキッチンに収監されてる原因を聞いた時は大笑いしたよ」
今までの自分の行いのせいで俺は、いや俺は悪くないんだ。節操なくお客さん達をナンパしていた朧が悪いんだ。でも今思えば、キッチンでレオさん達とワイワイするの結構楽しかった。
「母さんがどうしてボクを兄さんと会わせてくれないのか、説明もしてくれないからずっと不満だったんだ。
でも夏休みに月ノ宮に戻った時、なんとなくわかったんだ。きっとボクと違って、母さんにとって月ノ宮って曰く付きの土地なんだろうなって」
どうして他ヒロインと違って夢那だけ学校が違うんだろとか前世の俺は思ってたけど、そういう裏設定もあったのだろうか。夢那が朧の妹であることは原作でも明かされるし義理の兄として朧がアルタにダル絡みすることもあるが、朧と夢那の関係がそんな詳しく描写されるわけではない。
「でもね、母さんもきっとボクに申し訳なく思ってたんだと思う。ボクはずっと前から会いたいって言ってたし……事故でボクが一人ぼっちになるかもしれないって悟って、ボクに謝ったのかなぁって」
会わせてあげられなくてごめん、か。
おそらく母親にとっては俺と会うだけでも辛かったのかもしれないし、俺とて実の母親に会いたいと思っていたわけじゃない。望さんに引き取られて良かったと思っているし、今更他人の幸せを邪魔しようとも思わない。
以前の朧も、そう思っていたのだろうか……。
「ねぇ、兄さん」
俺の耳元で夢那が囁いた。
「もしさ、ボク以外の誰かが……兄さんにとって大切な人が絶体絶命のピンチに陥っていたら、自分が死ぬかもしれないって状況でも助けに行く?」
おそらく俺は、どれだけの危機を乗り越えても刻一刻とタイムリミットが迫っている。この第二部が終わり第三部に突入した後、俺はとあるヒロインを庇って死ぬことになる。
その時、俺が本当にそのヒロインを庇えるのか、怖気づいて見殺しにするだけなのではとも恐れていたが、俺は二度──ベガとカペラを、結果的に事故から守ることが出来た。
意外と勇気があるものだ、俺なんかにも。
「僕は、迷わず助けに行くだろうね」
きっと何も躊躇うことなく俺の体は動くだろう。
しかし、夢那は俺の体をさらにギュッと抱きしめて、そして俺の手を掴んできて言った。
「嫌だよ」
それは、兄を想う夢那の叫びだった。
「ボク、兄さんまでいなくなるの、嫌だよ」
両親が唐突な事故で亡くなり、そして俺も割と死んでもおかしくない事故に遭っていたわけだ。きっと夢那は俺もいなくなった世界も想像してしまったのだろう。
「ごめん、夢那」
誰かを救うために自分の命を投げ捨てる勇気は、確かに素晴らしいかもしれない。
「夢那を悲しませるようなことはしないから」
しかし、それをハッピーエンドとは呼ばないだろう。何かを犠牲にしては意味がないのだ。
「ちゃんと、ボクのことを見守っててね、兄さん……」
……。
……困るぜ、そういうの。
俺、簡単に死ねなくなっちゃったじゃん……。
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