琴ヶ岡姉妹編⑤ 死なば諸共よ



 俺は、バッドエンドを二度迎えている。

 一つはカペラバッドエンド『妨害』。つい最近まで俺が前世の記憶を失っていたから最早しょうがないが、テミスさんのおかげでバッドエンドを回避出来た上に前世の記憶を取り戻すことも出来た。


 そしてもう一つはワキアバッドエンド。そもそもとしてカペラバッドエンドはワキアルートの条件を満たしていること前提で起きるが、望さんの助けがなかったら俺はもうこの世にいなかったかもしれない。



 こんなにもバッドエンドを迎えるに至った要因は単純なことだ。俺が前世の記憶を失っていた間、個別ルートに入るためのイベントを回収しきれなかったからだ。

 エロゲに限らず、所謂恋愛ADVというものはプレイヤーが選んだ選択肢によってイベントが発生するが、プレイヤーはヒロインの誰かを攻略するために最適な選択肢を選ぶ。しかしその裏で、当然他のヒロインのイベントも起きているわけだ。


 例えばカペラのイベントなんかが顕著で、カペラと野球観戦に行った日はその裏でワキアと二人でデートに行くというイベントがあったはずだ。さらに七夕祭のミニコンサートに向けたベガの練習を見ていた裏で、さらにルナとのイベントも起きていたはず。

 誰かを攻略したければ、当然誰かを犠牲にするしかないのだ。しかし、おそらく俺は全ヒロインのイベントを回収しきれていない。つまり全ヒロインのグッドエンド条件を満たしていない。


 ネブスペ2第二部で全ヒロインのルート分岐条件を満たしていない場合は救済措置としてベガノーマルエンドを迎えることもできるはずだが、もしかして俺全ヒロインのバッドエンド条件満たしてる? もうこれ運命が俺を殺しに来てない?



 しかし俺は目の前のことを解決していくしかない。

 望さんが薬を作るため帰った後、容態が安定したワキアが病室に戻ってきたため俺は車椅子に乗って隣にあるワキアの病室を訪れた。昨日のことがあったため入りづらい感覚もあったが、俺は病室の前で深呼吸をしてから扉をノックした。


 「ワキアちゃん、いるかい?」


 いつもは「どうぞ~」なんていうワキアの呑気な声が聞こえてくるのだが、まるで別人かのような「……いいよ」という暗い声が返ってきて、俺は恐る恐る扉を開いた。


 いつもは開いていることの多い病室のカーテンが締め切られ、普段よりも病室の中が薄暗く感じられた。まだ夏の暑さが残っているとはいえ今の時間はそこまで日差しもないし、ワキアはあまり暗い雰囲気を好まないのに……。


 「やぁ、ワキアちゃん」


 俺は努めて明るく笑顔で挨拶をしたつもりだった。ただ車椅子に乗っていたから、いつもと世界が全然違うように感じられた。

 ワキアはベッドの上でうつむいていて、いつもの明るく陽気な少女は消えてしまっていた。


 「烏夜先輩……」


 もうこの張り詰めた部屋の雰囲気だけで俺のノミの心臓は潰されるか弾けてしまいそうだったが、俺は意を決してワキアのベッドの側に近づこうとしたが──。


 「どうして私のところに来たの?」


 ワキアのその一言で、俺は車椅子を進めることが出来なくなった。そしてようやくワキアは顔を上げて俺の方を向いたが、まるで泣き腫らしたかのようにワキアの目元は真っ赤になっていた。


 「私、烏夜先輩のことを傷つけようとしたんだよ? 私、なにがなんだかわけがわからなくなっちゃって、もう、おかしくなりそうで……」


 不安げに、自分に襲いかかる未知の病に怯えて体を震わせるワキアの側に近づき、そして彼女の手を握った。


 「僕は何も困っちゃいないよ。むしろ僕が相手で良かったと思ってるぐらいさ」

 「……可愛い女の子に噛まれたい欲求でもあったの?」

 「一理あるね」


 実際、ワキアには見せないようにしているが昨日ワキアに見事に噛まれた俺の右手は包帯でぐるぐる巻にされていて、それはそれはもうご飯が食べづらいし割と今も痛い。

 でも女の子に噛まれるのちょっと興奮するとか言い始めたらますます俺がマゾ気質みたいになっちゃうだろ。

 

 「ねぇ、烏夜先輩。記憶喪失、治ったんでしょ? 記憶喪失の頃の烏夜先輩、私に色んな約束してくれたけどさ、そんなのもう破っちゃっても良いんだよ。私みたいなのに時間を使うの、勿体ないでしょ?」


 いやエロゲのバッドエンドを回避するためだよ、とは流石に言えない。

 それはそれとして、記憶を失っていた純朴な俺、いや俺は今も純朴なつもりだが、バニラ朧は何かの使命感なんかではなく、大切な人であるワキアの幸せをただ願っていただけだ。全ての行動がそれに繋がっていただけに過ぎない。

 そしてその気持ちは、今の俺も変わらない。


 「僕はいつだってワキアちゃんのことを大切に思ってるよ。それに今の僕も記憶を失っていた頃の僕も変わらないし、僕は自分の時間を十分好きに使わせてもらっているよ。ワキアちゃんと楽しくお話することが、僕の人生の幸せの一つなんだから」


 原作だとアルタって何てワキアに言ってたかなぁ。俺はプレイヤー目線でワキアを見ていたけど野郎なのにアルタに惚れそうになったのは覚えてる。何か普段ぶっきらぼうな奴が突然デレを見せたりするのずるいよね。

 

 「ホント、ずるい人なんだから……」


 どうやらワキア目線だと俺も大概ずるい人らしい。いや、俺かて落ち込んでいる人が目の前にいるのに放置するほど鬼じゃないよ。


 「もし私が死んじゃっても、泣かないって約束してね?」

 「ふふ、それは無理なお願いだね。僕はもうとめどなく泣き続けるだろうから」


 妙に聞き覚えのあるセリフだと思っていたら、これは本来林間学校前に倒れたワキアがアルタに言うセリフか。

 だが、そんな悲壮な約束をする必要はない。


 「大丈夫だよ。もしかしたら、ワキアちゃんの病気を治す方法が見つかったかもしれないんだ」

 「へ?」


 するとその時、ワキアの病室の扉がノックされた。ワキアが応答すると、扉を開けたのは白衣姿の望さん。医師免許なんて持ってないはずなのに病院にいるだけで若干医師っぽく見える。

 そしてその手には、禍々しいオーラを放つ謎の薬品が入るペットボトルが握られていた。


 「ふぅ。どうやら間に合ったみたいね」


 いや、そんな切迫した状況ではなかったけど良いタイミングだった。


 「えっと、それが薬なんですか?」

 「そうよ。貴方の体を蝕む毒素を抹殺するとびきり素敵なお薬を作ってきたわ」

 

 いや、多分ダークマター☆スペシャルと俺の部屋に置き去りにされていたテミスさん特製ポーションを混ぜただけだろ。ますますヤバそうな薬品が出来上がってんだけど。


 「あの、本当にワキアちゃんに飲ませて大丈夫なの?」

 「大丈夫よ」


 と、望さんの後ろからメガネをかけた茶髪ショートの女医さん、アクア先生が現れた。


 「あ、アクアたそじゃないですか」

 「次その呼び方したらバリウム飲ませるから」


 何その地味に嫌過ぎる罰。レイさんにはアクタたそって呼ばれてただろ。


 「所長さんの話、確かに興味深かったわ。血液とか検査しても全然引っかからない未知の毒素なんてにわかに信じ難いけれど、少しでも治せる可能性があるなら試してみましょう」

 「どのくらい飲めば良いの?」

 「コップ一杯ぐらいね」


 紙コップにとても薬とは思えない液体が注がれた。うん、やっぱり人が、というか生物が摂取して良いものとは思えない程毒々しいオーラを放ってる。ダークマター☆スペシャルは見た目もヤバいし味も相当狂ってるけど一応栄養ドリンクとしての効能はある。でもそこにテミスさんの薬が加わったことでさらに味がおかしくなっている可能性だってあるし、見た目はもう工場の廃液ってぐらいだ。


 「こ、これを飲めば良いんだね……」


 ワキアは震える手で紙コップを持った。ワキアがここまで怯えてるの初めて見た。いや自分の病気が治るかもしれないとはいえちょっと見た目がヤバ過ぎる。


 「やっぱ薬とは思えないわよね、これ。そうだ、朧。アンタも飲みなさいよ。一緒に飲めば怖くないわよ」

 「え? 僕も飲むの? どうして?」

 「ほら、普通に体に良いかもしれないでしょ」

 「そうだよ、一緒に飲も!」


 ローズダイヤモンドに原因があるならば、それに触れたことのある俺も病に罹る可能性は十分にある。

 いや……これを飲むのは相当勇気がいるぞ。


 「いや、僕も怖いので望さんも一緒に飲みましょうよ。望さんってエナドリばっかり飲んでるし、それよりも良いかもしれないよ」

 「ちょ、私まで!? だったらアクアたそにも……っていない!?」


 マズイ流れを感じ取ったのか、ワキアの主治医であるはずのアクア先生は姿を消していた。いや、主治医がいなくなっちゃいかんでしょ。

 

 「ま、可愛い妹のためなら仕方ないわね……」

 「やったー!」


 そういえばそんな設定もあったね望さん。

 俺も望さんも紙コップを貰って、怪しい薬を注ぐ。うん、こんなものを飲むぐらいだったら泥水の方が飲める気がするぜ。


 「じゃ、じゃあ、皆準備は良い?」

 「僕は大丈夫だよ」

 「死なば諸共よ」

 「せ、せーのっ!」


 ワキアの合図で、俺達三人は一気にコップ一杯の薬を喉に通した──。



 ---



 「まさか朧さんが死んでしまうなんて……」


 棺の前でシクシクと泣く俺の友人達。皆が囲む棺の中で、どういうわけか俺が安らかに眠っていた。

 え、俺とうとう死んだの?


 「ホントに死んじまう奴がいるかよ……!」


 え、これ俺の葬式? 俺皆の側にいるはずなのにもしかして見えてない? 幽霊としてここにいる?


 「二度も交通事故に遭ったのに生還した朧が、まさか自動ドアに挟まれただけで死んじゃうだなんて……!」


 いやそんなギャグみたいな死に方してたら、不謹慎だけど笑うだろ。人を殺す自動ドアなんて最早ただのプレス機だろ。


 「朧っちなら絶対腹上死すると思ってたのに……!」


 いやそれは偏見が過ぎる。


 「朧……お前の遺志を継いで、ローラの語尾を『ぴょん♪』にしてやるからな……!」


 そんなことをレギー先輩と約束した覚えはないし、会長の語尾が『ぴょん♪』になったら笑うだろ──。


 ---



 「──はっ!?」


 嫌な夢を見てしまった。自分が死ぬ未来も十分にありえるのに、まさか死んだ後の夢を見てしまうなんて。すんごいギャグみたいな世界観だったけど。


 「うぅぅ~……ごれ、本当に病気治るの……?」


 どうにか薬を飲み干したワキアは、悶え苦しみながら俺の腕にしがみついていた。何かこういうの飲む度にあの世に渡りそうになるんだけど本当に大丈夫かよこれ。


 「流石に即効性は無いんじゃないかな、ねぇ望さん……って、望さん!?」


 望さんの方を見ると、ボサボサの黄色い髪が真っ白に染まっていて、まるで魂が抜け落ちてしまったようだった。


 「私は女神ノゾミール……」

 「何言ってんの!?」

 「良薬は口に苦しって言うけど、不味過ぎるのは最早薬じゃないわよね……ガクッ」

 「ノゾミールー!?」


 あまりの不味さに望さんは倒れてしまったが、俺はそんな望さんを放置して気持ち悪そうにえずくワキアを介抱していた。

 これで本当に治るのかわからんが、後はこの世界の運命に身を委ねるとしよう。


 「えぐぅっ、助けて烏夜先輩~」


 ……。

 ……なんかえずいてる子をずっと見てると、変な性癖が生まれそうだ。


 

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