琴ヶ岡姉妹編③ 折れた止まり木



 ──俺の最推しキャラは朽野乙女だ。これは揺るがない。彼女のために俺はここまで頑張ってきたと言っても過言ではない。

 しかしネブスペ2には他にも魅力的なヒロインがまだまだ登場する。攻略可能な十二人のヒロインだけでなく、乙女を始めとした攻略不可能なモブも含めてだ。

 前世の記憶を失っていた夏休みの間に知り合い親交を深めた鷹野キルケもその一人である。モブに過ぎない彼女がアルタに恋することはあっても、アルタとの恋が成就することはないのだ。決して書き換えられることのないシナリオがそんな運命を定めてしまったからだ。


 そんなキルケが……第二部主人公のアルタを見事射止めた。

 え、マジ? 大マジですか? もう一度俺は頭をぶつけた方が良いですか? どっかで乱数調整した方が良い?


 「どったの烏夜先輩。箸、全然進んでないよ」


 一緒に夕食を食べていたワキアにそうツッコまれて俺はハッとした。いかんいかん、キルケとアルタが付き合い始めたというニュースが衝撃的すぎて我を忘れてしまっていた。


 「いやぁ……何だか色々あったなぁと思ってね」

 「二ヶ月の間に二回も死の淵を彷徨っていた人の感想とは思えないね」

 

 今回の事故で俺はかなりの大怪我を負ってしまったが、足の骨折に関しては治りも早く俺もリハビリに励んでいる。完全に治るには一ヶ月以上はかかると言われたが、俺は諸事情あって早く退院したいのだ。


 「改めて、夏休みの間は色々ありがとねワキアちゃん。そしてごめん」

 「へ? 烏夜先輩って何か悪いことしたの?」

 「いや、ワキアちゃんの発作を見過ごしたばかりに、病気を悪化させちゃったからさ」

 「なぁんだそんなこと? だいじょーぶだって、そんなの気にしなくていいよ」


 なんてワキアは笑顔を見せているが、今日は一日中何かの検査をしていたし、食事のペースも明らかに落ちているように感じる。

 改めてこうしてワキアみたいな子と日常を過ごせるなんて夢みたいな話だが、こんな日常もいつ終わりを告げるかわからない。


 ワキアのバッドエンドの前に俺が記憶を取り戻したから良いものの、問題はいつ望さんの手が空くか……そして原作通り望さんがワキアの病気の治療法を見つけ出してくれるかどうか。俺が奔走していた六月の頃の流れに沿うならば、おそらくワキア達のイベントも俺が解決しないといけない。だってアルタ、本当は存在しないはずのキルケルートに入っちゃったんだもん。

 もしかしてアルタ、俺が気づかない間にネブスペ2のアペンドディスクでも買ったのか? 発売されてないはずだけどそれ。



 だが、キルケの恋が成就したという出来事はかなり革命的だ。

 前世の俺の最推しであり俺が転生した烏夜朧の幼馴染である朽野乙女はキルケと同様にモブに過ぎないが、キルケが見事下剋上を果たしてアルタと付き合い始めたということは、乙女にもその可能性があるということだ。

 

 まぁ問題は、残る第三部の主人公である明星一番は乙女と絶対に合わないということ、そして本人が未だに行方不明ということだろう。

 しかし俺が記憶を失っている間に、原作でも語られることのない乙女の行方に関するヒントを得ることが出来た。出来たけども……色々と衝撃的な情報ばかりで今の俺ですら頭を整理できていない。

 だけど、彼女が無事で何よりだ。



 夕食を終えると、ワキアは眠くなってしまったようで自分の病室へと戻っていった。そして俺は、自分の携帯のLIMEの画面を開く。


 『今も、君は星に祈ってる?』


 昨日、俺はベガにそんなメッセージを送っていた。これは原作でも、ベガから恋路の相談を受けた朧が送るものだ。

 しかし返事が来る気配は一向にない。ワキアに聞いてみるとワキアの元にも来ていないようで、俺が目覚めた日以来、この病院に姿を現していない。


 『実は烏夜先輩が記憶喪失になる前、私達は付き合っていたんですよ』


 ベガがついてしまった嘘。

 それはネブスペ2原作に即しているものだ。本来俺ではなく記憶喪失になったアルタが一向に記憶を取り戻すことが出来ず、魔が差してしまったベガが嘘をついてしまうのだ。

 私達は交際関係にあったのだ、と。


 それは第二部の共通ルートのイベントで、ベガの嘘から始まった歪な関係が後々の展開をややこしくしてしまうわけだが……奇しくも俺が当事者となってしまったわけだ。どうしてそうなってしまったのかを考えるのは後にして、今後のことを考えなければならない。


 『私が好きなのは、烏夜先輩なんですっ!』


 ベガが俺についていた嘘は、一体どこからどこまでだったのだろう。

 確かにベガを守ろうとしたことで俺は事故に巻き込まれ、頭を強く打って記憶喪失になってしまった。でも俺はベガが事故に遭う方がもっと嫌だし、あれは自分が望んだことだ。どうして俺があの現場に居合わせたかを説明することは出来ないが、ベガが責任感を抱く必要なんてない。

 でも、もしベガが本当に俺のことを好きになってしまっていたら……いや、待て。


 俺は、果たして記憶を失っていた間の、第二部の共通ルートの選択肢を間違えていなかっただろうか?

 おそらく俺はそれを間違えていたからカペラのバッドエンドを迎えかけていたのだ。そのエンディングのフラグが立っていたということは、もしかして他のバッドエンドのフラグも立っているのでは?


 ……ダメだ、この二ヶ月間もの記憶を思い出そうとするのは疲れてしまう。

 今度望さんに俺の禁断のバイブルを持ってきてもらうよう頼んで、そこで考えを整理しよう。そう決めた俺は、窓の向こうに広がる星灯りに照らされながら眠りについていた。



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 『烏夜先輩、右手がパンになってるよ?』

 

 俺はア◯パンマンか?

 しかし自分の右手を見て確かめると、俺の右手は本当にパンになっていた。ちゃんと手の形はしてるけどむくんでる感じがある。


 『これは一体何の病気なんだろう?』

 『食べれば治るんじゃない?』

 『そんな荒療治ある?』


 パンになったとはいえ自分の右手を食べようとは思わない。しかしワキアは俺の側に近づいてくると、俺の右手の指先をハムッと咥えた。


 『あ、これレーズンパンの味がする!』

 『僕はレーズンパンマンってこと?』

 『いや~このレーズン独特の触感がたまらないよ~』

 『って、どんだけ食べるの!?』


 モグモグと俺の右手を美味しそうに頬張るワキアを見て、俺は慌てて起き上がった──。





 最初に感じたのは、自分の右手をガジガジと噛まれている感覚だった。見ると、確かに俺の右手の指が誰かに噛まれていたのだ。


 「わ、ワキアちゃん……?」


 寝ぼけていた俺は状況を即座に理解できず、俺の右手をガジガジと噛んでいるワキアの姿を眺めているだけだった。

 しかしワキアがまるで食い千切るかのような強さで指を噛んできた時、俺はようやくはっきりと目を覚ました。


 「いだだだだっ!?」


 指に激痛が走り、俺は慌てて右手をワキアから離した。見ると右手の指には月明かりではっきり見えるほどの歯型が残っていた上、ワキアに強く噛まれたであろう人差し指からは血も流れていた。

 そんな指を押さえながらワキアの様子を確認すると、ゆっくりと上げられたワキアの表情が月明かりにくっきりと映し出された。


 「烏夜、先輩……」


 ワキアは笑顔を絶やさない。謎の病に冒されているのにも関わらず、ワキアはいつも俺達に対して明るく振る舞っていた。

 そして今も、ワキアは笑っていた。しかしその笑顔が病的とも思えるほど、思わず俺の背筋がゾッとするほど、ワキアは興奮した様子で鼻息を荒くしながら、今にも獲物を貪らんとする獣のような瞳で俺のことを見ていた。


 「私の最後のお願い、聞いてくれない?」


 ワキアは俺が寝ているベッドの上に乗ってきて、そして俺の体に馬乗りになる。俺は慌てて起き上がろうとしたけれど足の骨を折っていたことを忘れていた。


 「もう、わかってるんだ。私が、だんだんおかしくなっていくの」

 

 ネブスペ2第二部、琴ヶ岡ワキアルート。

 病弱ながらも健気に振る舞う銀髪の少女に簡単に惚れてしまったプレイヤー達が見ることになるであろう、ワキアの豹変イベント。

 俺もその一人だったが──もしバッドエンドの条件を満たしていたら、俺はこのままワキアに食べられてしまうぞ!?


 「わ、ワキアちゃん! 落ち着くんだ!」


 俺は自分の体の上からワキアをどかそうとしたが、逆に信じられない程の強さで両手を簡単に押さえ込まれてしまった。ワキアに片手で押さえつけられているだけなのに全然勝てねぇ!? なんかの補正でもかかってんのか!?

 俺が必死にもがく中、ワキアはなおも不気味な笑顔を見せながら言う。


 「私、烏夜先輩との思い出、とっても大好物なんです」


 まずい。

 対象が俺であること以外は、ネブスペ2の原作と全く一緒だ。しかもこれ……バッドエンドの時の演出じゃん!?


 「だからね、烏夜先輩が持ってる私との思い出を食べさせてほしいの」


 ワキアはゆっくりと、俺の首筋に顔を近づけてきた。今までに感じたことのない寒気を感じて叫びそうになったが、ワキアは俺の口を手で塞いできて俺の耳元で囁いた。


 「だって烏夜先輩、とっても美味しそうなんだもん──」


 そしてワキアが俺の首筋にガブッと噛みついた瞬間──ワキアの背後から彼女の頭をめがけてピコピコハンマーが迫っていた。


 

 「とりゃっ」

 「あふぅっ!?」


 ピコピコハンマーで頭を叩かれたワキアは、その軽い一撃で気を失ったのか俺の体の上に倒れてきた。今まさに俺に襲いかかろうとしていたワキアの体を揺さぶってみたが起きる気配はない。が、ちゃんと息はしている。


 「間一髪だったわね」


 俺が寝ているベッドの側でふぅと一息ついていたのは、白衣姿で片手にピコピコハンマーを持っている望さんだった。

 

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