シャウラ・スコッピィの傷痕
自分の前世のことを覚えている人はどれくらいいるだろう? たまにテレビなんかで前世の記憶を持っていて前世の自分がどういう人間だったかを説明できる人がいたり、占いなんかで前世の人物像を探ることもあったりする。
「僕の前世って、一体どんな感じだったんですか?」
前世どころか生まれてからの記憶すら一度は失いかけていた僕が、果たして前世の記憶なんか覚えているだろうか?
全然見当もつかない僕に対し、テミスさんはその不気味な赤い瞳で僕を見つめながら言う。
「ボロー君はね、前世の記憶を思い出したというよりかは平行世界のボロー君の記憶を持った人間の人格がいたのよ。まるで多重人格、というよりは殆ど一体化していたみたいだけど」
「僕が平行世界のもう一人の僕とリンクしていた、ってことですか?」
「そんなことは信じられないけれど、不思議なことにもう一人のボロー君は私達の行く末を知っていたみたいなのよね。だから何かと誰かのために動いていたし、結果的にスピーちゃん達に好かれるようになったのね」
僕自身が当事者であるはずなのに、にわかには信じがたい不思議な話だ。大星達の話を聞くに相当なお調子者だった僕がスピカ達を射止めた理由は、何か未来が見えていて行動していた……?
テミスさんからそんな事実を告げられても、僕は全然ピンときていなかった。
「やっぱり、何も心当たりがない?」
「そうですね。未だにそれを忘れてるのかもしれません」
「いえ、普通は前世の記憶だとかもう一人の自分の存在なんて気づかないものよ。むしろ今までのボロー君が異常で、あの事故をきっかけにもう一人のボロー君はどこかへ行ってしまったのかもしれないわね」
「でもそっちの僕が未来が見えていたとしたら、何か重大な事故を防げていたかもしれないということですよね」
「そうね。以前のボロー君は自分に死が近づいていることも理解していたみたいだし、だから一生懸命だったのかもしれないわね。私の占いだと限界はあるけれど、今のこの状況が果たして、あのボロー君が想定していた未来なのかがさっぱりわからないのよね……」
皆の話によると、六月は乙女の転校に始まり、大星と美空が無事付き合い始め、レギー先輩、スピカ、ムギのトラブルが立て続けに起きたけども何とか解決し、そんな最中で僕はベガと付き合い始め……その行動全てが、何らかの未来が見えていたもう一人の僕の行動だったのだろうか?
それは、七夕祭の日に僕が事故に遭うことも含めて?
「……そういうことか」
「どうかしたの?」
「いえ、ちょっとした謎があったんです。七夕祭の日、僕はお祭りの会場から離れて、わざわざ人気のない月見山の広場に行って、そこで事故に遭ったんです。僕が誰かと待ち合わせの約束をしていたわけじゃなかったらしいので、どうしてそんなところにいたんだろうって思ってたんですけど、もしかしたら僕は事故が起きるのを知っていたのかもしれません」
僕とベガが事故に遭ったのは、月見山の頂上にある月研の観測施設へ資材を搬入するための狭い道路だ。その中腹に小さな広場があるけれど、地元の人ですら殆ど知らないような場所だ。どうしてそんなところに僕がいたのかベガ達も不思議だったようだけど、以前の僕が事故が起きることを予見していたなら辻褄が合う気がする。
「成程。じゃあボロー君は自分が記憶喪失になる可能性があったのにも関わらず、その身を挺したというわけね。
前から思っていたけれど、そうやって簡単に身を投げだすからボロー君の死相が濃く見えるんだと思うわ」
そう言ってテミスさんは呆れたように溜息をついていた。
でも今の僕だってベガが事故に遭うことがわかっていたら絶対に現場に急行して庇いに行くとは思う。例えベガや知り合いじゃなくても、そんな現場に出くわしたら咄嗟に体が動いて欲しい。
テミスさんの占いを終えて僕は帰途についた。
自分にもう一人の人格があっただなんて少し怖いけれど、もしこの世界の運命を知っていたなら教えてほしいぐらいだ。ベガがヴァイオリンのコンクールで優勝できるのか、ワキアの病気は果たして治るのか……いや、もし最悪の結末を知っていたなら僕はどう行動したのだろう?
以前はお調子者で女好きだった僕は、六月に幼馴染の乙女が転校してから変わったと皆は言う。以前の僕はその出来事を踏まえて、一体どんな未来が見えていたのだろう。
もしかして……最悪な結末を知っていたんじゃないか?
そんな不安にかられながら僕が居候している望さんのアパートの前まで辿り着いて、エレベーターで部屋へ向かうと部屋のドアにもたれかかって赤毛の女の子が座り込んでいた。彼女はスゥスゥと寝息を立てていて、どうやら眠っているようだ。
そして丁度女の子は望さんの部屋のドアにもたれかかって寝ているから、部屋に入るにはこの子を起こさないといけない。
「あ、あの~」
僕は恐る恐る女の子に声をかけた。目覚めたらいきなり変な男がいては混乱してしまうだろうと思って慎重に声をかけ続けたけれど、女の子が起きる気配は全然ない。
体に触れるのも躊躇われたので、もう少し近づいてボリュームを上げて声をかけようとした時──突然女の子は僕の腕を掴んで引っ張ってきた。
「ぬおわああっ!?」
突然のことに僕は反応できずなされるがままで、何故か僕は女の子に抱きつかれる形になってしまい、女の子に手と足でがんじがらめにされてしまった僕は女の子の柔らかい体に包まれてしまっていた。
「ちょ、ちょっと! あの、起きて! 起きてってば!」
こんなところを他の人に見られては大変だと思った僕は慌てて女の子に声をかけ続けて、そして拘束された体を必死に動かした。
「んぅ……?」
するとようやく女の子の目がゆっくりと開き始める。彼女の長い赤毛の間からは、まるで痣のように広がった大きな火傷痕が見えた。
女の子はパチクリと目を開くと、彼女に抱きしめられた僕の顔を不思議そうな表情で一時の間見つめた後、ようやく僕の拘束を解いてくれた──というか僕の体を突き飛ばしてきた。
「なななななななになになになになになに!? 貴方誰!?」
僕の体を思いっきり突き飛ばした後、女の子はサササッと僕から逃げるように身を引いて怯えたような表情で僕を見ていた。いや、無理矢理抱きしめられていたのは僕の方だったんだけど。
「あぁいや、寝てらしたので起こそうと思ったら、何故か抱きつかれてしまって……」
「え……え? そうなんですか? ……あ、確かに私が抱きしめてたかも?」
女の子もようやく状況を理解してくれたようで、すると今度は僕に何度も頭を下げて土下座してきた。
「すいませんすいません! 私、目の前に家があったのに目前で力尽きちゃったみたいです!」
「あぁいや、大丈夫ですよ。お元気そうで何よりです」
特に体調が悪かったというわけではなくただ眠っていただけらしい。いやどんだけ眠くても玄関までは辿り着いてほしかったなぁ……いや、この子が寝ていたの僕の部屋の前ですけど。
「あの、そこ僕が住んでるところなんです。貴方の部屋、多分別なところですよ」
「え……あぁっ!? 私、人様のお宅の前で寝ていたんですか!? すいませんすいません!」
「もう土下座は大丈夫ですって!」
別にこの子だってそんなに悪いわけじゃないのにそんなに謝られると僕まで申し訳なくなってしまうので、お気をつけてと声をかけて別れようとした時──女の子は隣の部屋のドアの鍵を開いた。
「あれ? ってことはお隣さんですか?」
気づいたタイミングはほぼ同時で、女の子の問いに対して僕はうんと頷いた。
確か反対側は空室で、こっち側には気の良さそうなご夫婦が住んでいた気がする。そのご夫婦とは何度か顔を合わせたことはあるけれど、この子は……確か前にエレベーターでぶつかった時ぐらいしか出会ったことがない。まさかお隣さんだったなんて。
「こうして顔を合わせるのは初めてかもしれませんね。僕は烏夜朧といいます。月学に通ってる二年生です」
「わ、私はシャウラ・スコッピィ……一応、月学の三年生。確かお隣って月研の所長さんが住んでらっしゃいますよね? まさか弟さんがいたなんて……」
「あ、実は甥っ子なんです。じゃあまた、学校で会えるかもしれませんね」
「そ、そうですね……」
と、僕達はお互いに部屋のドアを閉めて別れた。
あの女の子の見た目、顔に広がる大きな火傷痕につい目が言ってしまうけれど、話してみると何だか仲良くなれそうな感じがする。
その火傷痕について聞きたくはないけれど、やっぱり八年前のビッグバン事件が関係しているのかな……。
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