ベガの告白
八月三十一日。気づけば夏休みも最終日で、きっと今日一日は全国で学生達が夏休みの宿題に追われて悲鳴を上げているに違いない。むしろ開き直って終わらせない学生もいるかもしれない。
そんな最終日。僕は受験のことだって考えていたのに遊び呆けていた大星と美空、そしてムギが案の定悲鳴を上げていて勉強会を開催することになったけれど、僕は欠席して三人のお守りは全部スピカに任せてきた。ごめんスピカ。
「朧パイセンがちゃんと宿題終わらせるタイプってのが信じられないですね」
「よく言われる気がするよ」
僕は夏休みの最終日である今日もワキアの病室を訪れて彼女の宿題を手伝っていた。ベガは今日もヴァイオリンのレッスンがあるけれど、代わりにルナも宿題を終わらせに来ていた。
「烏夜先輩って自由研究とか何やってたの? 街行く女性を上手くナンパする方法とか?」
「昔提出したけれど校長先生に呼び出されたのは覚えてる」
「前科あったんですね」
自由研究だなんて懐かしい。流石に校長先生に呼び出されたのはちょっとした嘘だけど、なんか提出した記憶だけはどこかにある。それまでは大星や美空、乙女達と昆虫採集や植物採集をしていたけれど、確かウケ狙いでやったんじゃなかったかな。全然ウケなかったけど。
「でも朧パイセンみたいな人でも来年には受験じゃないですか。進路とか決まってるんですか?」
「僕みたいな人でもってどういうこと。まぁ進路はまだイマイチ決まってないね」
「確かに烏夜先輩からそういう話、全然聞いたことないね。昔からも」
僕はある程度学業面で頑張っているつもりだし、この夏休みに模試も受けて結構良かったけれど、記憶喪失になってしまった僕は自分が将来的に何を目指していたのかさっぱりわからないのだ。自分の部屋には色んな大学のパンフレットとか過去問が置いてあるけれど、僕は文系選択のはずなのに理系学部の過去問だってあった。
今の僕は段々と記憶喪失から回復して大分色んなことを思い出せるようになっていたけれど、それでも思い出せないということは元から決まっていなかったのかもしれない。
「中々想像つかないね、自分が将来どうなっているのか。二人はどうだと思う?」
「やっぱり朧パイセンはナンパ師になるつもりなのでは……」
「ワンチャンパチプロとか」
「僕だって少しはまともな人生を歩みたいとは思ってるよ」
僕も宇宙に興味はあるから、流石にロケット工学を学びたいとはいかないけれど天文学の勉強をしてみたい。やっぱり叔母である望さんの影響もあるかもしれないけれど。
でもだとしたら僕はどうして文系選択だったのか……ものすごい偏見だけど、大学でも可愛い女の子とイチャイチャしたかっただけなのかな。
「ワキアちゃんは将来何かなりたいの? 前に会長に音楽の道を勧められてたけど」
「ピアノは趣味で良いかな~。お姉ちゃんがヴァイオリニストになるなら私も裏方としてついていきたいんだよね。海外を飛び回るついでにグルメとか観光関係のブロガーになりたいなぁ」
「もしかして、ベガちゃんが海外の音大に行くという噂って本当なんですか!?」
「そういう話は来てたけど、お姉ちゃんが行くつもりなのかはわからないな~」
世界中を旅したい、というのは入退院を繰り返している病弱なワキアにとってはまさに夢そのものなのだろう。
「ちなみにルナちゃんは将来やりたい仕事とかあるの?」
「写真家です!」
「あ、新聞記者とかじゃないんだ」
「勿論記事を書くのも好きといえば好きですけど、それよりはカメラの方をメインにやりたいんですよ。今も結構色んなコンクールに写真を送っているんですが鳴かず飛ばずですねぇ……」
コンクールに応募するなんて行動に移せるの凄いなぁ。写真家っていう仕事は中々想像しづらいけれど、確かにルナは首にかけた一眼レフカメラでパシャパシャと写真を撮っていることが多い。
「前に見せてもらったことあるけど、ルナちゃんが撮った星空の写真、とっても良いと思うんだけどなぁ」
「趣向を変えてみるとかはどう?」
「そうだよ、例えば烏夜先輩のヌード写真とか」
「それ意味ある!?」
「焚書ものですね」
「そこまで!?」
そんな与太話も交えながら、無事にワキアとルナの宿題は終わった。明日からは久々に学校が始まるけれど、そこにワキアはいない。でも毎日お見舞いに来るよとワキアに約束して、僕はルナと一緒に月ノ宮へと戻っていた。
その日の夜、ワキアのお見舞いから戻って家で勉強していると、ベガからLIMEで連絡があった。なんでもヴァイオリンの練習を見て欲しいらしくて、僕は自転車を走らせて琴ヶ岡邸へと向かった。
警備員さんに顔パスで門をくぐらせてもらい、出迎えてれたベガに案内されていつもの部屋へと向かう。ベガとワキアが王女様だという秘密を知った後だと、この豪邸がまるでお城とか宮殿のように思えてしまう。
唯一の家族であるワキアが入院しているから、この大きな家にいるのはベガだけだ。勿論たくさんのメイドやじいやさん達がいるけれど……心細いことに変わりはないだろう。
今は弾いてくれる主のいないピアノの側で、七夕祭のミニコンサートで聞きそびれた『StarDrop』をベガは弾いていた。僕は側の肘掛け椅子に座り、部屋の明かりを点けずに窓から差し込む星灯に照らされるベガの姿に感動していた。ベガは笑顔を浮かべていたけれど、その表情はどこか寂しげだった。
「わざわざお越しいただきありがとうございます。今日で夏休みも終わりだというのに」
「ううん、夏休みの最後もベガちゃんと会えて良かったよ」
「ふふ、お上手ですね」
これまでワキアが入院していた間、ベガは一人どんな気持ちで過ごしていたのだろう。じいやさん達だってベガを支えようとはしてくれているだろうけど……ベガの心に空いた穴は本当に埋まっているのだろうか。
「そういえば僕もちょっと調べてみたんだけど、十月のコンクールって結構有名なんだね。僕でも知ってるようなヴァイオリニストが審査員とかしてるし、やっぱりそれだけ難しいの?」
「そうですね……やはり上を目指すための登竜門のようなものですから」
多分そのコンクールに出場している人達の演奏を僕が聞いてもちんぷんかんぷんだろうけど、ベガの実力がどうこうというより、本番でベガが本調子で演奏できるかという方が気がかりだった。この前の予選では直前にワキアの件があったから多少の動揺があったはずだから、次はせめて万全の状態で挑んで欲しい。
ベガはヴァイオリンを立てかけると、星灯が差し込む窓の側へと向かった。僕も肘掛け椅子から立ち上がり、窓の側へと向かった。
「そういえばさ、ベガちゃんはヴァイオリニストを目指しているの?」
今日、ワキアのお見舞いに行っていたときの会話を思い出してなんとなく聞いてみた。するとベガは儚げな表情で星空を眺めたまま口を開いた。
「烏夜先輩は、私がヴァイオリニストになれると思いますか?」
「うん」
「そ、即答ですね……」
世の中、いくら自分が努力したつもりでも敵わない夢は数え切れないほど存在する。自分の夢を叶えるために背中を押してくれる人もいれば、もっと堅実に生きていたほうが成功するはずだと止める人だっているだろう。そういう人は大抵進路相談にのってくれる家族や先生という立場が殆どだろうけど、ベガの場合はもう両親がいないのだ。
ベガは必ずヴァイオリニストになると僕が保証することは出来ないけれど、僕はベガの背中を押してあげたかった。
「ベガちゃんはあまり自信がないの? あんなに凄いのに」
僕にはそれがどれだけ険しい道なのかわからないけれど、もしベガが何か悩んでいるのなら先輩として相談にのってあげたかった。僕がベガを助けられるかわからないけれど──するとベガは僕の方を向いて口を開いた。
「私は、ワキアのために生きていたいんです」
それは、病弱な妹の姉としての覚悟だった。
「私は早くワキアの病気を治してあげたいんです。なので、私が、私自身が医学の道に進んで……治療法を見つけ出したいという気持ちもあるんです。勿論どちらも簡単に目指せるものではないですし、その両立なんて私には不可能です。
なのでそろそろ、そのスタート地点を考えなければならないんです」
医者の道とヴァイオリニストの道の両立というのは想像を絶するぐらい険しい道のりだろう。どちらとも単体でうんざりするぐらいの難易度だというのに。
だからベガは今の内に進路をはっきりと決めてそのための準備を始めようとしているのだ。
「それって、ワキアちゃんに話したことはある?」
「……いいえ。あの子にそんなことを言うと怒られそうなので」
「でも、もうすぐ答えを決めようとしてるんでしょ? いずれワキアちゃんにも話さないといけないじゃないか」
「そうなんです。そうなんですけど……」
ワキアならきっと、自分のことになんて構わないでとベガに言うはずだ。簡単に想像できてしまう。
ベガが医学の道に進むと決めたら、ワキアはどんな反応をするだろう。僕にはあまり良い未来が見えなかった。
「ヴァイオリンを弾くのが嫌いになったというわけではない?」
「今でもヴァイオリンは好きですよ。ただ、自分がどれだけ通用するのか想像できないというか、もし何も残せなかったらきっと後悔してしまいそうなので……」
八年前のビッグバン事故で両親を失ったベガにとっては、双子の妹であるワキアの比重がかなり大きいはずだ。自分本位というよりは、それこそ少しでもワキアが幸せになるようにと祈っている。
ベガは、あまりにも大きなものを背負い過ぎだ。ネブラ人の王女様としてもそうだけど、この世界はベガが自分でどうにかしなければ運命が変わらないというわけではない。
ベガの見えている世界に、僕だっているはずだ。
「なら、僕が医者になるよ」
ワキアのために生きたいと思う人間は、ベガだけじゃない。僕がそう宣言すると、ベガは戸惑ったような面持ちでアワアワしながら答えた。
「あ、いや、烏夜先輩は自分のお好きな道をお進みください。私達のために負担をかけるなんてとんでもないし」
「僕だってワキアちゃんのために生きていたいんだよ。ワキアちゃんと、そしてベガちゃんの辛い姿なんて見たくない。僕がワキアちゃんの病気の治療法を見つけて、必ず治してみせるから」
星灯に照らされていたベガの表情が段々とほころんでいく。ベガは自分自身のことに集中して、自分の夢を叶えれば良い。ワキアのことは、代わりに僕が背負うから。
いや、格好つけすぎちゃったかな。僕もそれなりに頭いいけれど、医学部なんて月学でトップクラスで頭が良いからって入れるようなレベルじゃないし、例え医者になったとしてもワキアの病気の治療法を見つけられるかもわからないし、そもそも叔母の望さんに居候させてもらっている身だから学費とか色々相談しないといけないなぁと僕は急に現実に引き戻されていた。
「烏夜先輩は、つくづく面白いお方ですね」
先程までどこかやつれた様子だったベガは、僕に笑顔を向けると首にかけていた金イルカのペンダントを取り出して、それを握りしめながら言った。
「だから私は、烏夜先輩のことを好きになったのでしょう」
へ~。
……へぇ?
……。
……へぇ!?
今、ベガが僕のことを好きって言った!?
「え、どゆこと?」
あまりに突然で僕はむしろ冷静になって、軽いLikeの意味で好きで言ったのかなだなんて思っていたけれど、ベガは照れくさそうに笑うと、僕の方へ一歩足を進めて言う。
「すみません、烏夜先輩。私、烏夜先輩に一つ隠し事をしていたんです」
そしてベガはボスンッ、僕の体に抱きついた。
「実は烏夜先輩が記憶喪失になる前、私達は付き合っていたんですよ」
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