ボクの兄さん



 夢那に呼び出された僕はすぐに家を出て自転車を走らせて、五分足らずで月ノ宮駅に到着した。そして都心方面へと向かう特急列車のホームへと向かうと、そこには赤色のキャリーケースとたくさんのお土産が詰まった大きな紙袋を携えた夢那の姿があった。


 「こんばんは、烏夜さん。すみません、わざわざ呼び出して」

 「あぁいや、いいんだよ」


 おそらく夢那は次に出発する特急列車に乗って帰るのだろう。ホームには同じようにキャリーケースを引いたビジネスマンや観光客がいたけれど、僕達の知り合いはいなかった。


 「まだ時間あるし、キルケちゃん達も呼べば良かったんじゃない?」

 「いえ、良いんですよ。結構夜も遅いし、ボクも皆にお別れの挨拶は済ませてきたので」


 今日のバイト前に僕は夢那と一緒に葉室総合病院を訪れ、ベガとワキアに挨拶を済ませて、そしてバイト中にルナやカペラがやって来て、ルナはこの夏休みに撮りまくった大量の写真を、カペラは夢那の似顔絵をプレゼントしていた。

 皆が夢那との別れを名残惜しく思うのは、それだけ皆の思い出の中で夢那が輝いていたわけだし、それは僕も一緒だ。


 「どう? 良い思い出は作れた?」

 「はい、とっても。ボクは皆とたくさん楽しい思い出を作ることが出来て、とても幸せです。あ、勿論烏夜さんとも出会えて嬉しかったですよ?」

 「ありがと、そんなことを言われると僕も嬉しいよ」


 マスターやレオさん達ノザクロのメンバーだけじゃなくて、偶然出会ったベガやワキア達同級生が暖かく夢那を迎え入れて海や遊園地へ一緒に遊びに行ったことは、夢那にとって大切な思い出になっているだろう。

 こうしてまた夢那と顔を合わせると、どうしても彼女との別れが寂しく感じられる。でも僕には、一つ気がかりが残っていた。


 「夢那ちゃん。君はこの月ノ宮に、大切な人を探しに来たんでしょ? でも結局全然見つけられなくて、ごめん……」

 

 夢那達が金イルカのペンダントを貰ったタイミングは、八年前のビッグバン事故が起きる直前の、夏の終わり。その時からずっと皆は探しているらしいけれど、未だに見つからないということは……しかし夢那は「いいえ」と首を横に振ると、僕に微笑みかけて口を開いた。


 「実は見つけてたんですよ、ボクが探してた人」

 「え?」

 「謝るのはボクの方です。ごめんなさい、烏夜さん。ボクはちょっと嘘をついてました」


 すると夢那は、首にかけていた金イルカのペンダントを握りしめて、そして満天の星空を見上げる。


 「ボクにこのペンダントをプレゼントしてくれた人も勿論見つけたいですけれど、本当に探していたのは別の人だったんです」

 「えっ、だ、誰なの?」

 「……それは秘密です」


 夢那は僕の方に顔を向けると、悪戯な笑みを浮かべて誤魔化した。

 誰だろう。もしかしてアルタとかベガ達の中に実はいたのだろうか。でも皆夢那とは初対面だったみたいだし、僕達が知らない誰かだった……?

 すると夢那はなおもペンダントを握りしめながら言う。


 「烏夜先輩。前に皆で海に遊びに行った時に買った金イルカのキーホルダー、持ってますか?」

 「うん、持ってるよ」


 僕は自転車の鍵に付けていた金イルカのキーホルダーを夢那に見せた。夢那達が持っているペンダントと少しデザインが違うけれど、皆との思い出の一つとして僕とアルタが買ったものだ。

 夢那は僕が見せたキーホルダーに上から手を添えると、目をつぶりながら口を開いた。


 「金イルカのペンダントは、大切な人との絆を繋いでくれるお守りみたいなものなんです。ボクは寂しい時、辛い時、このペンダントにすがって生きてきました。そして今、皆とおそろいのペンダントを持っているボクは、それだけたくさんの絆と繋がっているんです。勿論、烏夜さんも含めて」


 夢那を始め美空やベガ達に金イルカのペンダントをプレゼントした謎の人物は、これがある限り大切な人との絆が強く結ばれると言っていたらしい。そのペンダントがそういう売り文句で売られていたのか、ネブラ人だとか一部の民族に伝わる言い伝えなのかはわからないけれど、現に皆そのペンダントを大切に持っているのだ。


 「烏夜さんにとってボクは、他のたくさんの人達として存在感は大して変わらないでしょう。きっと年月が経つにつれ、疎遠になったボクのことなんて忘れていってしまうはずです」

 「いや、僕はずっと夢那ちゃんのことを覚えていたいよ」

 「……でも記憶喪失になったらしいじゃないですか」

 「うぐっ」


 事故に遭ったとはいえ、記憶とはこうも簡単に吹き飛んでしまうとは思わなかったけれど、僕は夢那との思い出を忘れたくはない。夢那が二度と月ノ宮に訪れることはなくても、この場所でも思い出がいつまでも楽しいものであってほしい。

 夢那は目を開くと、僕の手をギュッと握りながら言った。


 「このペンダントは、ボク達の絆を強く結んでくれます。このペンダントが目に入る度に、ボクは烏夜さん達のことを思い出せます。そしてボクは、その思い出を呼び起こしてくれる波音やセミの鳴き声も好きになれるんです」


 駅のホームに接近放送が流れ、都心方面へと向かう特急列車が入線してきた。夢那は僕の手を離すとよいしょと大きな紙袋を抱えて、特急列車のドアの前に立った。


 「今までありがとうございました、烏夜さん。ボクのこと、忘れないでね?」

 「もし僕がまた事故に遭ったらお見舞いには来てほしいね」

 「ふふ、考えておくから」


 ドアが開き、夢那は月ノ宮の地を離れるのを名残惜しそうに、ゆっくりと列車に乗り込んだ。そして僕の方を向くと、これでお別れだなんて感じさせない笑顔を見せていた。


 「じゃあまたね、烏夜さん」

 「うん……またね、夢那ちゃん」


 ホームに発車ベルが鳴り響く。ドアが閉まった特急列車の中から、夢那は僕に手を振り続けていた。僕も元気よく笑顔を作って夢那に手を振り、何ならホームを走って特急列車を追いかけた。そんな僕の姿を見て夢那は大笑いしていたけれど、僕はホームの端までずっと手を振り続けていた。


 『乙女!』


 夢那との別れと同時に、いつかの記憶が蘇る。


 『待ってくれ、乙女ぇ!』


 月ノ宮を去った乙女を追いかけたあの日の僕は、一体どうしてあんなに必死だったのだろう?

 段々と暗闇に消えていく特急列車を見送りながら、僕の頭にはそんな疑問が生まれていた。もしかしてそれが、僕が忘れている重要なことに関わっているのだろうか?


 ---


 特急列車が月ノ宮を出発し、ホームの端まで走って元気いっぱいに手を振っている烏夜朧の姿に苦笑した後、夢那は座席について首にかけた金イルカのペンダントを握りしめていた。

 

 「……ボク達、また一緒になれないかな」


 夢那は月ノ宮に里帰りする前、七夕の日にある願い事をしていた。その願い事は半分叶って、もう半分は今も叶わないままだ。


 「烏夜さんは、七夕にどんなお願い事をしたんだろう」


 窓の外に広がる明かりの少ない田舎町の風景と、それとは対照的に夜空に広がる満点の星空を見上げながら夢那は呟いた。


 「ボクはね、また一緒に暮らしたいって、織姫様と彦星様にお願いしたよ。願い続けていれば叶うって、ボクに言ってくれたでしょ?」


 あの時、月ノ宮を去ることとなった夢那を、彼女が乗る特急列車に自転車で並走して見送るバカな少年の姿が彼女の目に浮かんだ。


 「烏夜さんもボクと同じお願い事をしたのかな……してくれてると良いなぁ」


 そして夢那は、また彼に見送られたのだった。


 「きっとボク達の思いは一緒だよね、兄さん……」


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