ドッキリ大失敗
ワキアが倒れて入院してから一週間が経った八月二十七日。ベガが参加していたヴァイオリンコンクールの予選結果も発表された。
七夕祭での演奏を聞いていた僕は全然心配していなかったつもりだったけれど、若干ソワソワして心が落ち着かなかったのも事実。しかし今日、ワキアのお見舞いに訪れてその場に居合わせたベガから告げられた結果は──見事な予選突破だった。
「私がいない間ワキアの面倒をみてくださってありがとうございます、烏夜先輩」
久々にベガと顔を合わせたけれど、コンクールが無事終わったことで憑き物が落ちたのか以前よりも笑顔が自然になっていた。
「ううん。コンクールが無事に終わってよかったよ」
「おめでと~お姉ちゃん」
「ワキア。ちゃんと烏夜先輩の言うことを聞いてた? ワガママも言わなかった?」
「ちゃんとしてたって~」
ベガが親戚に子どもを預けてたお母さんみたいになってる。ベガがいなかった間、ワキアの病室にはルナやカペラ、キルケ、夢那達同級生だけでなく、スピカやムギ、それに大星や美空といった先輩達まで訪れて毎日賑やかな環境にあった。まぁ大星に関しては僕が無理矢理お願いしちゃったんだけど。
「本選っていつあるの?」
「十月の下旬ですね」
「結構先だね。今度は会場が都心になるんだっけ? 課題曲はどんなの?」
「いえ、本選で弾く曲は自由課題なんです。なので候補を絞っているところですね」
二ヶ月ぐらい先かぁ。それだけ時間が経っていればワキアも退院できてそうだけど……楽観視するのは良くないか。
その後も三人で談笑して(主にアルタいじりだったけど)時間を潰した後、僕が売店に飲み物を買いに行こうとしたタイミングでベガも一緒についてきた。そして病院の一階にある売店へと向かうエレベーターの中で、ふとベガが口を開いた。
「実は、コンクールの結果はあまり良くなかったんです」
ベガの突然の告白に驚いて、僕は思わず隣に立っていたベガの方を向いた。
「え、予選は突破したんじゃないの?」
「今回の予選では上位三名が本選へ出場できるんですけど、私はギリギリ三番目だったんです」
会場でベガがどんな演奏をしたのか僕は聞けていないけれど、これまでの彼女の練習や七夕祭での演奏を聞いても十分過ぎる実力だと僕は思っていた。でもそれは井の中の蛙だったのか、それとも……直前にワキアが倒れてしまったことでやはり動揺があったのか。
ベガはワキアに気を遣わせないように病室の外で僕にその事実を告げたのだろう。でもそれは、ベガやワキアが背負い込むことではないはずだ。
「あと二ヶ月もあるよ。僕が力になれるかわからないけれど、練習にも付き合うからさ」
「……ふふ、ありがとうございます」
本選ともなれば全国から屈指の腕前を持つヴァイオリニストが集まるはずだ。せめて本選の時は、ベガを最高のコンディションで送らないといけない。
それにしても二ヶ月後……その頃には僕も元通りになっているのだろうか?
売店で僕が自分の分のアイスココアとベガとワキアの分のアイスティーを買った後、エレベーターで上の階へと戻ってワキアの病室へと向かった。
すると病室には白衣を着た先生が二人。一方はメガネをかけた茶髪ショートの長身の女性で、もう一方はボサボサの黒髪で目元が隠れるぐらい前髪を伸ばした落ち着かない様子の女性だった。
「あら、ベガちゃんにワキアちゃんのお兄さん」
「いや兄ではないですけど」
メガネの方の先生とは前にチラッとお会いしたことがある。確かワキアを担当している先生のはずだ。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はアクア・パイエオン。この子の担当医をしているの。そして隣にいるのは研修医よ」
「よ、よろしくお願いしますっ」
研修医だというボサボサ黒髪の女性はキョドりながらも僕達に一礼した。
「お久しぶりですアクア先生。その、ワキアは容態はどうなんですか?」
「今のところ経過は良好ね。検査でも異状なし。タバコとお酒をやめたらもっと良くなると思うけど」
「タバコとお酒を!?」
「冗談冗談。ところで聞いたわよ、ベガちゃん。コンクールの予選を突破したみたいね、おめでとう」
「ありがとうございます。次こそはワキアにも来てもらわないと困りますので」
その後もアクア先生によるワキアへの問診が続き、研修医だという女性も熱心に横でメモを取っていた。
ふと、研修医の女性を見て僕は何か違和感を覚えた。僕はこの人と今日初めて会うはずなのに、何だか微妙に見覚えがあるというか、知人に似ているような気がするのだ。
「な、なんですか?」
「あぁいや、すいません」
長い前髪で目元を確認しづらいと思ってついジロジロ見ていると、僕が見ていることに気づいた研修医さんは慌てて僕から目を逸らした。
でも誰かに似ているというか会ったことがある気がするんだよなぁ……。そんな違和感を覚える中、病室の扉が開かれた。
「あれ、また朧君達だー!」
やって来たのはコガネさん、レギナさん、ネレイドさんの月学OG三人組だった。三人はワキアがステージで倒れたことを知っているし、コガネさんは持ち前のアドリブ力でナーリアさんと一緒にその後の混乱を収めてくれた恩人でもある。
するとコガネさん達はワキアのベッドの側に立っているアクア先生の存在に気づくと、あぁっと声を上げて驚いていた。
「アクア!? この病院で働いてたの!?」
「コガネには前に伝えたはずでしょ。ポケベルで」
「私がそんなの持ってるわけないでしょ!」
「流行にルーズなパイエオンさんらしいね」
「レギナ。貴方は流行の先を行き過ぎて浮いてるのよ」
「余計なお世話だよ!」
「でも会長会長って呼ばれてたアクアたんが、今度は先生って呼ばれてるのかぁ」
「レイ、正しくは『アクアたそ』よ」
「そうだった、メンゴメンゴ」
コガネさん達の会話を聞いて、三人がアクア先生とどういう繋がりなのか察することが出来た。それは同席していたベガとワキアも同じだったようで、ワキアが四人に声をかける。
「アクア先生が月学のOGだったのは知ってたけど、まさかコガネさん達と同級生だとは思わなかった~有名人が同級生なら言ってよ先生~」
「ビートルズやレッドツェッペリンぐらいのレベルになったら有名人としてカウントしてあげるわ」
「ハードルたかっ!?」
医者、一流芸能人、世界的芸術家、有名コスプレイヤー……こんな四人が同窓会なんかで一堂に会したらどうなっちゃうんだろ。でもやっぱりコスプレイヤーだけ異質なんだよね職種が。本業はアパレル店員って言ってたし。
「ワキアちゃんが元気そうで良かった。連絡先教えてあげるから、何かあったら連絡してね」
「わーい。実はですね、十月にお姉ちゃんが都心の方で開催されるヴァイオリンコンクールに出場するんですよ。見に来てくれませんか?」
「そうなの!? 行く行く、レギナちゃん達も行くでしょ?」
「僕はコガネのせいで少しばかり日本に滞在することになったから、予定は空けておくよ」
「アクアたそも来る?」
「そうね。ついでに一杯飲みに行きましょ」
結構フットワーク軽いなこの人達。それにしてもネレイドさんが言っている『アクアたそ』っていうアクア先生の呼び方は何? 話を聞くに生徒会長だったらしいアクア先生をどうして萌えキャラみたいに呼んでたんだろ。
コガネさん達は忙しい中やはりワキアのことが心配だったようでわざわざお見舞いに来てくれたらしいけれど、コガネさん達が持ってきた都心の方で流行りのスイーツを食しながらアクア先生も交えて盛り上がっていた。
ただ一人を除いて。
「ねぇ、そこの君」
僕達の会話の輪に入らず、病室の隅で存在感を消していた研修医の女性の元にコガネさんが向かい、彼女の肩をガシッと掴んだ。
「前に私と会ったことないかなぁ?」
「へぇ!? い、いや~私みたいな目立たない陰キャが貴方みたいな一流芸能人とお会いしたことなんて無いと思いますけど~?」
なんだろうこの既視感。つい最近、同じ流れを見た覚えがあるぞ。
確かに研修医の女性、どこかで見覚えがあるような気がしていたけれど、これだけコガネさんがニヤニヤしているということは──コガネさんは研修医の女性の前髪を思いっきり上げて、彼女の姿をあらわにした。
「やっほーナーリア。またそんなバレバレの変装して何してんの?」
七夕祭の時と同じように、コガネさんは変装していたナーリアさんの正体を得意げに看破してみせた。
そしてナーリアさんの正体がバレてしまったところで、病室の扉が開いてカメラを持ったスタッフ達がぞろぞろと病室の中へとやって来た。まぁ、そういうことだよね。
またナーリアさんは怒り出すかと思いきや、目をウルウルと潤ませながら口を開いた。
「ど、ドッキリの撮影中だったのよ! ワキアちゃんを元気づけてあげようと思ってこっそり研修医として病院に潜入して、他の先生や看護師さん達に協力してもらいながらワキアちゃんにドッキリを仕掛けようと思ってたのにー!」
全部話してくれたじゃん。何ならワキアのためのドッキリだったんだこれ。そしてまたコガネさんに正体がバレて台無しにされちゃったんだ。そりゃ泣くよねナーリアさんも。
事情が事情だっただけに流石にコガネさんも罪悪感を感じているようで、急に調子を失ってナーリアさんの肩をポンポンと叩いていた。
「まーまー落ち着きなってナーリアちゃん。またしても知り合いの私達と鉢合わせた自分の悪運っぷりを呪うしかないよ」
「ホント最悪よ! この前の企画がお蔵入りしかけてたから上手く繋げようとしたのにまたしても台無しよー!」
自分の悪運っぷりを嘆いてナーリアさんがシクシクと泣き始める中、アクア先生は溜息をつきながら口を開いた。
「あまり病院で騒がないの。土田、何事にも失敗はつきものなんだから、また次に活かしなさい」
「だから本名で呼ぶなー!」
ナーリアさんって昔からいじられキャラだったのかな。テレビで見ているとそういう風には感じられないけれど、その悪運っぷりは一度テミスさんに占ってもらった方が良い気がする。
「なら今回のお詫びにさ、ナーリアがワキアちゃん達をコンサートに呼べばいいじゃん。今度全国ツアーするんでしょ?」
「それぐらいなら全然良いけれど、来てくれる?」
「行きたーい!」
「いえ、わざわざそんなこと申し訳ないです」
「良いの良いの、関係者席を用意しとくから!」
「私達も行っておけ?」
「アンタらは自分でチケットを買いな。関係者割増しとくから」
「割増で!?」
ナーリアの誘いを快諾するワキアに対し、ベガは自分まで行くのは申し訳ないと言っていたけれど、是非二人とのことで用意してくれるらしい。二人に詫びを入れるべきはドッキリを台無しにしたコガネさんだと思うけどね。
そんな約束も取り付けたところで、コガネさんのせいでお蔵入りしかけているロケを立て直すためコガネさん達は帰ることになり、僕は病室を出てエレベーターの前までコガネさん達を見送りに行った。すると丁度エレベーターが上に上がってきて──中から銀髪の麗しい少女が姿を現した。
「君は……!」
偶然、月学の生徒会長であるエレオノラ・シャルロワがこのフロアへやって来たのだ。大企業であるシャルロワ財閥の後継者として名高い彼女はそりゃコガネさん達も知っているだろうけど──どうしてこんなにも緊迫した雰囲気になっているのだろう?
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