今日は家に帰さないよ、キルケ
八月二十二日。夏休みの終わりも段々と近づいてきた今日は大星達と集まっての天体観測の予定だったけれど、生憎の雨により今日は中止になった。
朝からずっとザアザアと雨が降りしきる中、僕は今日も葉室総合病院に入院するワキアの元を訪れていた。そして病室には、既に愉快な先客が涙を流しているところだった。
「お元気ぞうでよがっだでずうううううううう!」
ベッドの上のワキアにすがりつくように大泣きしているキルケ。そんな彼女の頭を撫でるワキアと、横で苦笑いをしている夢那の姿があった。
前から感じてたけど、キルケって大分涙もろいんだね。
「いや~そんなに喜ばれるなんて元気になった甲斐があるよ」
「そんなキルケちゃんにウチのマスターからお見舞いだよ」
「あ、ノザクロのフルーツケーキだ! ありがとう夢那ちゃん」
「本当はサザクロのケーキの方が好みって聞いてたんだけど、『ノーザンクロスのパーフェクトでエッセンシャルでグレートなスイーツもラブしてほしい』って言ってたよ」
「な、なんて……?」
昨日、徹夜明けだった僕とアルタはマスターのご厚意でバイトを休ませてもらったけれど、その分残されたキルケと夢那、そしてレオさんは大変だっただろう。そして今日、キルケと夢那はノザクロからワキアのためにお見舞いのお菓子を持ってきたという次第だった。
「烏夜さんはワキアちゃんにお見舞いの品とかないんですか?」
「え? 僕も一緒にそのフルーツケーキを贈ったつもりだったんだけど?」
「ボク、ルナちゃんが売ってた巫女服のコスプレセットが欲しいな~」
「あのコスプレ、結構楽しかったですね」
「私も着た~い」
「あれ結構高いんだけど?」
レンタル料はそこまでだったけど、コスプレセットは確か八千円ぐらいしたはずだ。ワキアとキルケと夢那の分の三点を一括購入するから二万にならないかとルナに値引き交渉をしてみるか。
「ワキアさんはいつ頃に退院できるのでしょう?」
「多分一ヶ月ぐらいは出られないかもね~」
「で、ではもうワキアさんと夢那さんは一緒に遊べないということに……!?」
「ボクも地元に帰るまではお見舞いに来るつもりだから大丈夫だよ!」
夏休みの終わりは、つまり今ここにいる夢那とのお別れも意味する。そう思えば夏休みの早い時期に皆で海や遊園地に行けたのは良かったかもしれない。
……何だか夢那が帰る当日に、もう僕達が笑っちゃうぐらいギャン泣きしているキルケの姿が簡単に目に浮かぶなぁ。すっかり夢那は僕達の日常における当たり前の存在になっていた。
「あ、そうだ。キルケちゃんってテミスさんから占いを習ってるんだよね? ワキアちゃんの退院時期を占ったり出来ない?」
「実はですね、ついこの前に師匠から新しい占いをご教授していただいたんですよ! 早速やりましょう!」
キルケがテミスさんから教えてもらった占いの方法は、まずキルケが占いをする相手の両手を握りしめ、お互いに目と目を合わせて相手に何かセリフを言ってもらうことで未来を予知することが出来るという。
占いっていうと占星術とか卜占とか手相のイメージがあるけれど、テミスさんの占いって独特だなぁ。そして早速キルケはワキアと手を繋いで目と目を合わせて口を開いた。
「ではワキアさん。私に『愛してる』と言ってください」
え?
「愛してるよ、キルケちゃん」
「ごふぅっ!?」
「キルケちゃーん!?」
ワキアから愛の告白を受けたキルケは、鼻血を噴き出しながら卒倒してしまった。ワキアと目と目を合わせて真正面からそんなことを言われたら僕も卒倒するかもしれないけれど、これって占いとかじゃなくてただの愛してるゲームというやつでは? ここは飲み会の場ですか?
「キルケちゃん、しっかり!」
「きっとワキアさんには輝かしい未来が待っていることでしょう……ガクッ」
「キルケちゃん、もっとワキアちゃんに愛してるって言ってもらわないと!」
「余計に血が流れるんじゃないかな」
一体これで何が占えたって言うのだろう。愛してると言っていた時のワキアの微かな表情の変化とかで占えるのかな。ただ愛してるって言われたいだけじゃないの。
「来月の林間学校までには退院できるかな? どうキルケちゃん」
「うぐっ……ま、まま間に合うと思いますよ」
「わかった。間に合わないんだね……」
「あ、あくまで占いですので!」
そういえば一年生って来月に林間学校があるんだっけ。もう一ヶ月を切っているから直前に退院できたとしても病み上がりは流石に難しいか。
とりあえずキルケの鼻の穴にティッシュを突っ込んで落ち着かせると、今度は夢那がキルケの手を握った。
「ねぇキルケちゃん。ボクも占ってもらえない?」
「夢那ちゃんはキルケちゃんを殺す気なのかい?」
「良いでしょう夢那さん。では私に『今日は家に帰さないよ』と言ってください」
「ちょっとテイスト変わってる!?」
そのセリフに本当に占い要素があるのかさっぱりわからないけれど、夢那はキルケの手を握るだけでなく優しくキルケの体を抱き寄せてから口を開いた。
「今日は家に帰さないよ、キルケ」
「ごふぅっ……」
「キルケちゃーん!?」
案の定キルケは鼻に詰めていたティッシュを吹き飛ばして鼻血を噴き出していた。もう予想通りだよこの展開。
「一度は言ってみたかったセリフだね」
「ここ病院だよ?」
「いや、でも病院でそんな背徳感を感じながらイチャイチャしてるのドラマで見たことあるよ」
「あれはフィクションだからね、ワキアちゃん」
少なくとも病院で言われたいセリフではないと思う。病院で今日は帰さないよとか入院コースじゃん。
さて、これ以上キルケによる占いは彼女の身が危険ということで中止となった。ちなみに夢那の占いの結果は、人生山あり谷ありという感じだそう。随分とアバウト。
その後、キルケと夢那は仲良く二人で病室を後にして、僕はワキアの病室に残った。キルケは本当に夢那にお持ち帰りされてしまったのだろうか。流石にないかと考えていると、ワキアは病室の窓の向こうに見える雨空を見上げながら言った。
「今日はありがとね、烏夜先輩。本当はお姉ちゃんのコンクールを見に行きたかったんじゃないの?」
今日から数日間に渡って、ベガは少し離れた街で開催されているヴァイオリンコンクールの予選に挑んでいる。本当は僕も見に行く予定だったけれど、僕は月ノ宮に残ってこうしてワキアの元を訪れていた。
「ベガちゃんから頼まれちゃったからさ。妹のことを頼みますって。それにアルタ君が付き添いで行ってるから大丈夫だよ」
本来アルタもずっとバイト漬けの予定だったけれど、事情が事情だっただけに急遽予定を変更してベガの付き添いで(というか無理矢理僕が向かわせて)コンクールの会場へ行ってもらっている。本当はアルタにワキアを見てもらおうと思っていたんだけど、僕がベガにワキアのことを頼まれてしまったためここに残っていた。
「……本当に、烏夜先輩はそれで良かったの?」
ワキアは申し訳無さそうな表情を僕に向けた。きっと自分のせいで僕の予定が狂ってしまったのだと自分を責めているのだろう。
そんな彼女に僕は笑ってみせる。
「僕はワキアちゃんと一緒にいるのも楽しいと思っているよ。それにね、先輩には面倒をかけてナンボだよ。僕はいくらでもワキアちゃんのお世話をするから」
僕がそう格好つけて見せると、ワキアは僕の体を小突きながら笑っていた。
「なにそれ。執事にでもなりたいの?」
「ワキアちゃんに頼まれたら僕は喜んで応募するよ」
「面接するのはじいやだと思うけど大丈夫?」
「うん、大丈夫じゃないかもしれない」
ベガやアルタが月ノ宮にいない今、僕がワキアを元気づけてあげないといけない。ただの罪滅ぼしや自己満足に過ぎないかもしれないけれど、明日も来るよとワキアに約束して僕は病院を後にしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます