ネブラ人の王女様



 僕はベガとじいやさんに琴ヶ岡邸の中へ通され、そしてベガの後をついていく。

 そしてベガの部屋に辿り着いて彼女がドアを開くと、部屋の中でベッドの上に座ったワキアが携帯ゲーム機で遊んでいるところだった。


 「あ、おかえりお姉ちゃん。怖い人達とのお話終わった? ……ってあれ、烏夜先輩だ。もしかして超バッドタイミング?」

 「そういうことよ」

 「や、やぁ……」


 あれから全然ベガは僕と目を合わせてくれないし何も喋ってくれないから、僕は心臓バクバクのまま部屋の中に入った。ベガの部屋といえば、前にちょっとした事故で彼女の下着姿を見たことがあるけれどそんな出来事すら頭から吹き飛ぶぐらい僕は緊張していた。

 ベガのイメージ通りと言うべきか、部屋の中は整理整頓が行き届いていて、意外と勉強机やベッドや本棚はそんなに綺羅びやかなものではないけれど、棚に飾られているいくつかのヴァイオリンがかなり雰囲気を醸し出している。


 「飲み物はジュースで大丈夫ですか?」

 「あ、うん、それで」


 やっとベガに声をかけられて、僕はジュースを出してもらった。ワキアは呑気そうにジュースをチュウチュウとストローで飲んでいるけれど、僕は何も喉を通る気がせず、ベガが出してくれた椅子の上に座り、その正面にある勉強机の椅子にベガは座った。


 「……先程は失礼しました、烏夜先輩。わざわざ来てくださったのに粗相を見せてしまい申し訳ありません」

 「あ、いや、そんなことは全然」

 「きっと聡明な烏夜先輩なら、何を揉めているのかご理解されたかと思いますが、これは私達の口からお話するべきでしょう」


 聡明なんて言われる程でもないし未だに混乱している僕は何が何だかサッパリという感じだ。

 

 確かにそれは、あまりにも突拍子過ぎる現実だからかもしれない。しかしこれが現実だ。僕はこれから、その現実を教えてもらわなければならない。

 ワキアは呑気そうにベガのベッドの上に座ってジュースを飲んでいたけれど、ベガは僕の正面で姿勢を正して口を開いた。


 

 「当家にいらしてから、きっと烏夜先輩は疑問に思われたかもしれません。どうして私達のような若輩者が多くの使用人を抱えてこんな広い邸宅に住んでいるのか。ビッグバン事故で亡くなった私達の両親は一体どういう立場の人間だったのか」


 確かに、琴ヶ岡家に関する疑問はいくつかあった。特にこの豪邸。日本、いやこの地球で暮らしているネブラ人達の代表であるシャルロワ家のお屋敷に匹敵する大豪邸に住んでいるというのは、最初こそそのスケールに圧倒されるけども、じゃあ琴ヶ岡家が社会のヒエラルキーにおいてどこに位置するかというのは想像しづらい部分があった。

 

 「烏夜先輩は私達のことを気遣い私達の両親について質問されることはありませんでしたが、きっと以前でしたらシャルロワ財閥系の子会社の社長だったと誤魔化していたでしょう。現にルナさんやキルケさんにもそう伝えています」


 八年前に起きたビッグバン事故の時点で、ベガもワキアも物心がついていただろう。今も多くのメイド達と生活しているといえど、やはり家族を失くした辛さは今も残っているはずだ。

 そしてベガは席を立つと、本棚へ向かって大きな書籍を手に取り、折りたたみ式のテーブルを出してその上に本を開いた。そこには日本語、いやおそらくこの地球上のものではない言語──ネブラ人達が母星で使っていたであろう言語の文章が並び、まるで太陽系のような星々が描かれていた。


 「烏夜先輩もご存知の通り、かつてネブラ人が住んでいたアイオーン星系には神星アイオーンを中心に九つの惑星が存在します。我々ネブラ人に伝わる神話では、神々を運ぶ彗星がアイオーン星系の側を通過した際に、それぞれの星を統べる王として神々を遣わしたとされています」


 ネブラ人に伝わる神話なら僕の頭にも多少入っている。月学の授業でも習うことだからだ。僕達が住む地球が属する太陽系は、今のところ地球以外に生命は存在しないとされているけれど、アイオーン星系はそれぞれの星に文明があったのだ。それぞれでほぼ同時に誕生したというのはなんとも不思議な話だ。


 「やがてそれぞれの星王国で文明が発展し惑星間での交流が盛んになりましたが、小さな争いをきっかけにアイオーン星系の星王国間で数度の大戦が発生しました。その度に一つの王国が滅び、やがて残された二つの王国間で最後の戦争を繰り広げたのです。度重なる戦火で神秘の星々と呼ばれた惑星は荒廃していき、そしてとうとうネブラ人はアイオーン星系を脱出し、目的地なき旅を始めることになりました」


 ベガが本のページを捲っていくと、一つ、また一つと荒廃した惑星が描かれていた。そして最後に残された二つの惑星の一方から脱出する巨大な船団を指差し、ベガは言った。



 「この時脱出したネブラ人の王族が、私とワキアの直系の先祖にあたります」


 

 改めてその真実を告げられても、僕はまだ半信半疑というか、あまりにも衝撃的過ぎる内容で理解が追いついていなかった。信じられない、という様子で顔を上げてベガの方を見ると、彼女はいつものようにニコッと僕に優しく微笑みかけてきた。


 「だからといって私達にあらたまった態度を取る必要はないですよ、烏夜先輩。今までの関係のままで大丈夫ですから」

 「で、でも、ベガちゃんとワキアちゃんは王女様になるってことだよね?」

 「私達のことを知る人々がそう呼ぶことはありますが、そんな肩書は必要ありません。それに今、ネブラ人に王政なんてないのですから。存在するのは地球人による国家制度だけです」


 そして二人がネブラ人の王族の末裔という事実が頭に入ると、先程の謎の黒服の男との口論の内容も理解できてしまう。


 「ねぇベガちゃん。さっきの人はそれを知ってるんだよね? そして王族のベガちゃん達を祭り上げて……」

 「確かに現状を気に食わないネブラ人がいるのも事実です。しかし私達はそんなことを望みません。それは私達の両親もそうでした。私達の先祖は自分達で争いを起こして故郷を失っているのに、また自分達から争いを起こすのはおかしいではないですか」


 数十年前にネブラ人がこの地球に降り立った時から、ネブラ人に対して不信感を抱いている地球人は一定数存在する。特に日本ではビッグバン事故後に一度ネブラ人を追い出そうという動きだってあったのだ。そういった不信感が湧き出るのは、地球を支配しようと考える過激派のネブラ人がいるのも事実だからなのだろう。

 僕はベガ達がそんなことに加担するとは思っていない。でも僕は初めて……地球人をよく思わないネブラ人を目の当たりにしてしまったのだ。しかしベガはそんな僕の前へとやって来て、僕を気遣うように手を握ってきた。


 「私達は、烏夜先輩達の味方ですよ。これからもずっと……私はそう祈り続けているので」


 毎晩、星に祈りを捧げているというベガ。世界の平和を願うのは、かつて多くのネブラ人を統べていた王族の末裔という大き過ぎる責務からか。

 でもベガのその笑顔は僕に安心感を与えてくれたし──王族の末裔であり、王女という肩書を秘めた少女の覚悟が垣間見えた。



 「ぐごー」


 いや全然王女らしくない子がいるんですけど。彼女のいびきで全部台無しだよ。

 ベッドの上で座って話を聞いていたワキアはいつもの呑気ないびきをかいて眠っていた。ベガの双子の妹ってことはワキアも一応王女様なんだよね?


 「ワキアには、もう少し王族の末裔という自覚を持ってほしいですね」

 「ふごっ」

 「こら、いびきで返事をしないの」


 でも、そういうのに縛られないのがなんともワキアらしいとも感じる。だってワキアがまるで王女様みたいな立派なドレスを着ていたら気絶してしまうかもしれないよ、僕は。いやベガが着ていても卒倒してしまうかもしれないけどね、僕は。


 「ベガちゃん達のお父さんは王様だったの?」

 「一応後継者ということにはなるんですけど、今はそういう制度もないのでただの僭称のようなものですよ。シャルロワ財閥ほどではないですけれど、父も母も色々な事業を手掛けていましたので。琴ヶ岡という姓も地球で作ったものですし」


 逆に王族の琴ヶ岡家よりも勢力を広げたシャルロワ家って凄いんだ。色々と黒い噂は聞くけれど、昔はバチバチやったりしていたのかなぁ。流石にそこら辺の話には突っ込めない。


 「でも、ベガちゃん達がその末裔ってこと、僕に話して大丈夫だった? 他にも知ってる人はいるの?」

 「シャルロワ家の方々はご存知ですね。あとは……それこそ烏夜先輩ぐらいではないでしょうか」

 「え? アルタ君達も知らないの?」

 「そうですね。私の父上もずっと身分を隠していましたので。アルちゃんがそれを知ってしまうと、私達から離れていってしまいそうですし……」


 アルタは良くも悪くもそういう礼儀とかマナーは大事にするからなぁ、僕に対して以外には。アルタはビッグバン事故で家族を失い生活費やロケットの製作費を日々のアルバイトで稼いでいるけれど、幼馴染であるベガやワキアに頼めば快く支援してくれるだろうに。


 「そういえば、烏夜先輩はどうして今日こちらにいらしたのですか?」

 「あぁ、ちょっとベガちゃん達の様子を見に来たくなってね。練習の方はどう?」

 「烏夜先輩達のおかげで、私も頑張ることが出来てます。ワキアも元気そうですので」


 僕はふとワキアの方を見る。


 「ぐがー」


 ワキアは最近、昼間でも寝ていることが多い。元々そういう体質なのか、もしくは病状が悪化している前兆なのか。しかし昔からワキアを側で見てきたベガが問題ないというのなら、僕はそれを信頼しよう。

 


 何だか重ための話を聞くことになってしまったので、僕は長居せずに琴ヶ岡邸から帰ることにした。帰りも自転車を漕いで帰ろうかと思っていたけれど、玄関で待機していたじいやさんに声をかけられて高級車に乗せてもらうことになり、自転車を折り畳んで後部座席に乗り込んだ。


 「あらためて、本日は失礼いたしました、烏夜様。そしてベガお嬢様を助けてくださりありがとうございます」

 「え、何かしましたっけ?」

 「あの男にとってかかろうとしたではないですか」


 そういえば琴ヶ岡邸の門前でベガに詰め寄ろうとしていた男の腕を掴みに行ってたっけ。その後の情報が衝撃的過ぎてあまり覚えてない。

 僕はじいやさんとも大分仲良くなってきた気がしていたけれど、今日は色々なことがあったから車内の空気は少しばかりどんよりしていた。そんな中、青々とした木々が生い茂る高級住宅街の通りを車で走らせながらじいやさんが口を開いた。


 「烏夜様。改めて申し上げますが、私は烏夜様がその身を挺してベガお嬢様をお救いくださったこと、感謝してもしきれぬ思いです」

 「あぁいや、そんなかしこまらなくても……」

 「そして私は、烏夜様を一人の人間として信頼しております。先程の件も踏まえまして、烏夜様にお伺いしたいことがございます」


 いつも振る舞いが丁寧で紳士のような雰囲気のじいやさんがいつにも増して真剣な様子で、ハンドルを握りながら口を開いた。


 「烏夜様。どうして、お嬢様方のご両親がビッグバン事故でお亡くなりになったと思われますか?」


 僕は、ある事実を失念していた。

 それは、ベガとワキアの両親が八年前のビッグバン事故で亡くなっていること。

 シャルロワ家による陰謀が囁かれるその事故に、彼女らの両親が持つ『王族』の肩書が無関係であるはずがなかった。

 

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