不吉な予感



 ──ねぇ、アルちゃん。


 ──私の最後のお願い、聞いてくれない?


 ──私ね、アルちゃんとの思い出、とっても大好物なんだ。


 ──だからね、アルちゃんが持ってる私との思い出を食べさせてほしいの。


 ──だってアルちゃん、とっても美味しそうなんだもん。


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 それは以前にも見たことのある悪夢だった。豹変したワキアが、幼馴染のアルタを……いや、前回見た時の相手はアルタだったけど、今回は僕だった。


 『ごめん、烏夜先輩……』


 昨日、琴ヶ岡邸でのことを思い出す。病院の時と同じようにワキアは発作を起こしていたけれど、結局僕はワキアを甘やかしてしまった。

 あんなに苦しそうな表情をしていたのに、それがただならぬ事態だというのはわかっていたはずなのに、僕は心を鬼にすることが出来なかった。ワキアの苦しむ表情は、発作による体の異常ではなくて、ベガと一緒にミニコンサートに出られない辛さによるものだと僕は考えたのだ。


 『ありがとね、烏夜先輩』


 ミニコンサートが終わったら病院に行くとワキアは約束してくれた。でもそれまでワキアの体が持つかわからない。ベガとアルタがそれを知ったら、無理矢理にでも病院に行かせるだろう。

 ワキアの先輩である僕も、本来はそうするべきだったんだ。


 「僕は、どうすれば良いんだ……!」


 ワキアのために、と僕はつい彼女を甘やかしてしまう。でもその結果ベガやアルタ達を悲しませるようなことになったらどうする?

 でも、あんな瞳に見つめられてしまうと僕は拒絶することが出来なくなってしまう。


 僕と、ベガとアルタ達との差はなんだろう? 僕がワキアと血縁じゃないから? 幼馴染じゃないから? 恋人でもないから? ただの先輩後輩という間柄だから?

 これがきっかけになってワキアがこの世界から消えてしまっても何も思わない? いや、そんなことは絶対にない。


 そんなことを考えても何も手につくはずもなく、僕は自然と琴ヶ岡邸へ自転車を走らせていた。



 今日も真夏らしく眩しい太陽に照らされて自転車を漕ぐ。海へ向かうのか浮き輪を持ってはしゃいでいる子ども達の側を過ぎて月ノ宮駅前に通りがかった時、ロータリーを歩いていた二人組に声をかけられた。


 「あれ、烏夜先輩じゃないですか!」

 「偶然ね、ボロー君」

 「キルケちゃんにテミスさん!?」


 こんな暑い日だというのにも関わらず黒いローブを羽織ってフードを深く被った魔女みたいな装いの凄腕占い師のテミスさん。そしてそんな彼女の唯一の弟子だという、青と白のチェック柄のパーカーを着た水色のボブヘアーの少女、キルケが二人で歩いていた。


 「これから師匠と一緒に葉室で薬草とか買いに行く予定なんですけど、一緒に行きませんか?」

 「あぁいやごめん、ちょっと用事があってね」

 「もしかして夢那さんとデートですか!? 聞きましたよ、この前デートに行ったって!」

 「あらまぁボロー君。眠っていた本能がとうとう目覚めてしまったのね……」

 「いや違いますよ!?」


 確かに夢那と月見山の展望台に遊びに行ったけど、あれは夢那に誘われて……いやあれはデートだったのか? でもこのご時世で男女二人で出かけることをデートだとか逢引きというのは違う気もするし……それだと僕は色々な人とデートに行っていることになってしまう。

 僕が慌てて弁明している中、さっきまで笑っていたテミスさんが急に僕の顔を覗き込んできた。黒いフードの中からまとめた煌めく緑色の髪が垂れ、そしてその赤い瞳に見つめられ吸い込まれそうになってしまう。


 「ボロー君。これから誰かのところへ行く予定?」

 「は、はい。ちょっとベガちゃんとワキアちゃんのところに」

 「一人では飽き足らず、双子を一気に食べようとしているのですか!?」

 「だから違うって!」


 僕はただ七夕祭のミニコンサートとヴァイオリンのコンクールが間近に迫るベガと、昨日発作を起こしていたワキアの様子を見に行きたいだけだ。

 流石にそんな詳細を二人に伝えようとは思わなかったけれど、無自覚ながら僕を性魔獣扱いしてくるキルケに対し、テミスさんは僕の目をジッと見つめながら、深刻そうな面持ちで口を開いた。


 「ボロー君。悪いことは言わないわ。今日は大人しく家にいた方がいい」


 テミスさんは僕が乗っている自転車のハンドルを握りながらそう言った。

 前にテミスさんは、僕に死相が見えると言っていた。だからこそそのテミスさんの警告の意味を僕は理解できたし、それはテミスさんの弟子であるキルケもそうだった。


 「師匠、どういうことですか? 何か視えたのですか?」

 「不吉な予感がするの。ボロー君の家、すぐそこでしょ? 早く帰りなさい。それともそんなに急ぎの用事?」

 「……僕にとっては、急ぎの用事ですね」


 琴ヶ岡邸へ向かっている途中に僕が事故に遭うとでもいうのだろうか。それとも琴ヶ岡邸で何かが起きる?

 でも……それでも僕は、二人の元に行かないといけない。僕は自転車のハンドルから、そっとテミスさんの手をどかした。


 「すみません、テミスさん。ご忠告は嬉しいんですけど、僕にはやらねばやらないことがあるんです。例え僕の身に何が起きたとしても、それはテミスさんの責任ではありませんから」

 

 僕がそう言うと、キルケは僕の迫力に呆気にとられていて、そしてテミスさんは小さくため息をついていた。


 「なんだか昔のボロー君を思い出すわ。例え後から泣きつかれても、死者を蘇らせる薬は作れないからね」

 「か、烏夜先輩! くれぐれも気をつけてくださいよ! やっぱりヘルメット被った方が良いですよ!」

 「ハハ、大丈夫だって」


 僕は笑顔でテミスさんとキルケと別れて、琴ヶ岡邸へと急いだ。

 死相、か、

 自分に死が近づいているだなんて、今は全然信じられなかった。


 

 通りの遠くからでも、壮大な広さを誇る琴ヶ岡邸がはっきりと見える。一応ベガとワキアには連絡済みで、生い茂る木々の中で涼しい風を感じながら自転車を走らせていると、琴ヶ岡邸の前に黒い車が停まっているのが見えた。前に乗せてもらった琴ヶ岡邸の車ではなく、どうやら客人が来ているようだけど──琴ヶ岡邸の門前は物々しい雰囲気に包まれていた。


 「ネブラ人のためには貴方達のお力が必要なんです!」


 琴ヶ岡邸の門前に立つスーツ姿でメガネをかけた白髪交じりの男が、そう訴えかけていた。彼の前に立つのはベガとじいやさんだ。

 そんな彼に対して、ベガは毅然とした態度で口を開く。


 「以前にもお話した通り、当家の方針は変わりません。きっとこれからも変わることはないでしょう」


 普段はおしとやかな雰囲気のベガが、少し語気を強めて話している。何かただならぬ事態が起きていると思って、僕は門から数メートルのところで立ち止まったけど、彼らは僕の存在に気づいていないようだ。


 「本日はお引き取りください。そちらの組織が何を企てているのかは知りませんが、当家が望むのはネブラ人と地球人の共存です。私達の神星アイオーンが数度の大戦で破壊されかけたことをお忘れですか」

 「しかし、このまま地球人に良いように扱われている現状を良しとするのですか!? 我々ネブラ人の技術があれば地球を掌握することは簡単です!」


 何だか思ったより穏やかでない話が聞こえて、ネブラ人達に関する闇への恐怖を感じた。

 でもそれよりも、どうしてベガがそんな壮大な話に関係するのだろうという疑問も湧いた。


 「貴方達の資金力があれば、数年内にこの日本を支配することだって可能です。我々も地球人を奴隷にしろとまでは言いません。しかし、地球人達との不平等な関係は一刻も早く改善するべきでしょう!

  どうして我々ネブラ人が、地球人なんかの下で働かなければならないのだ──」


 興奮した様子のスーツ姿の男がベガに掴みかかりそうな勢いだったので、僕は慌てて駆け寄って彼の腕を掴む。しかしそれと同時に、スーツの男がベガとじいやさんに向かって叫んだ。


 

 「──貴方達は、ネブラの王女は本当にネブラ人のことを考えているのか!?」



 ……。

 ……お、おうじょ?

 王女? 王女ってあの王女? 何かネブラ人にだけ伝わるミームとか隠語ではなく?

 僕は男の腕を掴んだは良いけれど、その単語を聞いて混乱してしまい立ち尽くしてしまった。


 「か、烏夜先輩!?」

 「烏夜様……!」


 そしてようやくベガとじいやさんも僕が来たことに気づいたようだ。スーツ姿の男は舌打ちをして僕の手を振り払うと、黒い車に乗り込んで走り去ってしまった。

 

 ギラギラと照りつける太陽の下、琴ヶ岡邸の門前で僕はベガとじいやさんを見つめたまま立ち尽くしていた。


 「おう、じょ……?」


 彼らの話から察するに、その言葉が何を意味するのか僕は理解できているはずだ。

 しかし、それは即座に受け入れることが難しい現実だった。


 「ベガちゃん。君が、王女様ってこと?」


 ベガは、僕から視線を逸らしながら、黙って頷いた。


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