大切な人のために



 八月四日、今日も今日とて僕はバイト三昧だ。キルケも夢那も大分業務に慣れてきたようで、ホールは随分と頼もしい。アルタは後輩だけどとても頼りになるし、忙しいけれどやりがいのある一日だった。


 さてバイト後、僕はベガに呼ばれて夜に自転車で琴ヶ岡邸を訪れていた。もうすぐ開催される月ノ宮神社の七夕祭本祭でのミニコンサートに向けた練習を聞いてほしいとのことだった。


 「ぐごー」


 楽器や多数の楽譜が並ぶ厳かな部屋で、人気歌手ナーリアの曲「ネブラリズム」をヴァイオリンで奏でるベガ。その演奏は素晴らしいと言う他なく、僕は肘掛け椅子に腰掛けてベガの演奏に魅入っていた。


 「ぐがー」


 やっぱりワキアは相変わらずアホ面かいて寝てるけど、それだけベガの奏でるヴァイオリンの音色が心地よいと言うことだ。そう思うことにしよう。


 

 演奏を終えると、ベガは僕達に一礼をしてから笑顔を作った。素晴らしい演奏を聞かせてもらったから僕は拍手をしたけれど、ワキアは横で相変わらず寝ていた。

 

 「ほら起きなさいワキア」

 「ふごっ! あ、おはようお姉ちゃん。今日も良い音楽だったよ」

 

 本当に聞いていたのかい君は。


 「この調子だと七夕祭のミニコンサートも問題無さそうだね。コンクールの方はどうなの?」

 「まだ緊張はありますけど、練習の方は順調に進んでます」

 「無理はしないように頑張ってね」

 「はい、ありがとうございます」


 今月の末に大事なコンクールの予選を控えるベガは、毎日のようにヴァイオリンの先生から厳しいレッスンを受けているという。それでもベガは笑顔を絶やすことはないけれど、無理をしているんじゃないかと不安に思うことあった。

 そんな不安が頭によぎる中、急にワキアが僕の腕に抱きついてきた。


 「ねぇ~烏夜先輩。私もミニコンサートのために最近はピアノの練習してるんですよ~?」

 「じゃあなんで今日は弾かなかったの?」

 「お姉ちゃんの演奏を聞いてたら眠くなってきちゃって」

 「……それだと本番でも寝るんじゃない?」

 「まー大丈夫でしょ!」

 「一応何度か合わせて練習してるので、本番も大丈夫ですよ」


 確かに病弱なワキアをベガと同じようにハードな練習に付き合わせるわけにはいかないだろう。本人は平気そうにしているけれど、またいつ発作が起きるかわからない。今後もずっと今みたいな笑顔を振りまいてほしかった。



 ベガのヴァイオリンの演奏を聞いた後、琴ヶ岡邸の天文室と呼ばれる星がよく見える大きな窓がついた部屋へ通された。

 僕が大星達と集まって天体観測をしているように、月学に在籍しているベガ達にも観測レポートという課題がある。僕達のように月見山の天文台に大勢で集まって天体観測はしないけれど、都合が合えばアルタと一緒にやっているとのことだ。


 「あ、お姉ちゃんがよく見える~」


 望遠鏡を覗きながらそんな冗談を言うワキア。その先には、こと座の一等星ベガが光り輝いていた。


 「ロマンチックな名前だね。ベガちゃんはまさに織姫様みたいだし」

 「そ、そんなことはないですよ。私には勿体ない名前です」

 「やーいお姉ちゃん照れてる~」

 「あ、ちなみにワキアの名前もベガがモチーフになってるんだからね?」

 「へ? そうだったの?」


 アル・ナスル・アル・ワーキア。こと座の一等星ベガのアラビア語での呼び名で、木の枝や巣に止まっている鷲という意味だ。


 「じゃあ私も織姫様ってことかな? やーい彦星、ジュース買ってきて~」

 「彦星をパシる織姫なんて見たくないよ」

 

 そもそも名字に琴って付いているし、まるでベガとワキアのために用意されたようだ。むしろそれにあやかって二人を名付けたのかもしれない。

 

 そんな冗談を言いながらも、二人は熱心に観測レポートを書いていた。次回は二人の幼馴染であるアルタ、いやわし座の一等星アルタイルのレポートを書くつもりだという。


 「烏夜先輩。お星様に何かお願いしませんか? 記憶が戻りますようにとか……いえ、ナンパが上手くいきますようにとかどうですか?」

 「な、ナンパは別に良いかな」


 そういえばベガは毎晩お星様にお祈りをしているという。織姫がお星様にお祈りだなんてロマンチックな話だ。僕も病院に入院していた時にその姿を見て、とても神々しいと感動した。


 「お姉ちゃんね、毎日烏夜先輩の記憶が戻りますようにってお祈りしてるんだ。だから早く治ってよ」

 「無茶言わないで。でも何かお願いするなら、僕は幼馴染に会いたいね」

 「幼馴染? というと、朽野先輩のことですか?」


 僕の幼馴染だった朽野乙女もベガやワキアと親交があったようで、僕と同じくおもしろおかしい先輩という認識だったらしい。いわく僕と乙女は名コンビで、夫婦漫才のように息の合ったギャグを披露していたという。

 僕にそんなセンスがあるようには思えないけれど。


 「ベガちゃんやワキアちゃん達のおかげで大分色んなことを思い出せているんだけど、何かとても大切なことを忘れているような気がするんだ。特に僕は乙女がいなくなってからの記憶がすっぽり抜け落ちているから、彼女と再会できたら何か起きるんじゃないかと思ってね」

 「もしかして烏夜先輩、あの人のこと好きだったの?」

 「さぁ。どうだったと思う?」

 「そこで恋が芽生えてたら面白そうだけど、でもお互いに否定し合ってた気がするよ」

 「照れ隠しだったかもしれないですけどね。とても仲良しでしたので」


 ──はぁ!? 私と朧がデート!? 昨日のはそういうのじゃないんだって!


 ──別に幼馴染にストレス発散に付き合ってもらったっていいでしょ。言わば都合の良い存在なの、朧って奴は。


 思えば、一番身近にいた存在だったのに彼女と好きとかどうかとかそういう話はしたことがない。僕にとっては恩人みたいな存在だったけれど、乙女は僕のことをどう思っていたのだろう?

 

 

 昨日、僕は黒歴史ノート……僕の妄想が垂れ流されていた禁断のバイブルを久々に開いた。僕が退院した日以来のことだ。

 もう一度よく見てみると、僕の記憶にない六月一日以降の出来事が事細かに記されていた。前にスピカとムギ、そしてレギー先輩から聞いた数々の出来事が確かに記されていたけれど、女好きだった僕にしては珍しいというか意外だったのは、それらの出来事を踏まえて僕が困惑しているような感想を書いていたことだ。女好きだった僕でさえも驚くぐらいには三人からのアタックが強かったのだろうか。


 しかし本題はそっちではない。僕はどこかへ引っ越してしまった乙女の行方を追うための手がかりを探そうとしていたのだ。

 しかし以前の僕も乙女本人からは何も聞かされていなかったようで、居場所については都心の方に引っ越したこと以外めぼしい手がかりは見つからなかった。でも以前の僕も乙女の行方を追っていたようで、乙女の母親の穂葉さんが大きな病院に転院したこと、そしてビッグバン事故の真犯人との疑いがかかっている乙女の父親の秀畝さんがシャルロワ財閥の企業で働いているかもしれないという情報を仕入れていたみたいだ。

 

 「そういえば穂葉さん、私の病室の隣だったよ」

 「え!? そうだったの!?」

 「というか烏夜先輩が入院してた病室だったよ」

 「そうなのぉ!?」


 乙女の行方を探している件について二人に説明していると、なんとワキアから思わぬ情報が入った。


 「穂葉さんね、いつも私のお話を聞いてくれててとても良い人だったんだ~穂葉さんは旦那さんとの馴れ初めの話とか惚気話しかしてなかったけど。確かに五月ぐらいに転院するかもみたいな話をしてたね」

 「どこの病院に行くかとか聞いた?」

 「うーん、大きな病院ってことしか。先生との話がちょっと耳に入ったことがあるけど、多分大学病院とかじゃないかな?」


 うーん。大学病院に絞り込んだとしてもかなりの量がある。でも貴重な手がかりだ。


 「シャルロワ財閥もかなり多くの企業を抱えていますけど、そちらの名簿を確認したら朽野先生を見つけることが出来るかもしれませんね」

 「そう簡単に見れるものかな?」

 「一般の方ですから容易いでしょう。じいや!」


 するとベガがいきなり指をパチンッと鳴らす。


 「及びでしょうか、ベガお嬢様」

 「じ、じいやさん!?」

 

 すると突然僕達がいる部屋にじいやが姿を現した! さっきまでこの部屋には僕達三人以外いなかったはずだし部屋の扉が開いたようにも見えないのに、一体どこから!?


 「じいや。朽野先輩が今どこにいらっしゃるか調べてほしいの。必要ならば探偵も雇っても大丈夫だから」

 「承知しました。すぐに取り掛かります」

 「急ぎでお願いね~」

 

 するとじいやの姿がスッと消えた。白髪交じりで英国紳士みたいな雰囲気の人だなぁとか思ってたのに、あの人って本当に人間か? 執事ってこういうスキルを持ってないと務まらないの?


 「た、探偵を雇うってそんな大掛かりなことまでしなくて大丈夫だよ。お金だってかかるんだし」

 「いえ、これぐらいは是非とも私達にやらせてください。そもそも烏夜先輩が記憶喪失になってしまった原因は私ですので、恩返しとしてこれは当然です」

 

 スピカにムギ、レギー先輩も乙女の捜索に協力してくれるって言っていたけれど、何だかさらに心強い味方が加わってしまった。探偵を雇うっていう発想はなかったし雇うお金もないけれど、そうなれば案外すぐに見つかるかもしれない。

 ただ、乙女の居場所がわかったとしても問題はある。


 「でも、乙女はこっちからの連絡に全然反応してくれないんだ。まるで僕達との関係を断ち切ってるみたいで」

 「見つけたとしても会ってくれるかは微妙、って感じ? 無理矢理会いに行っちゃえばいいじゃん」

 「でも、向こうは嫌がっているかもしれないよ?」


 今は例え離れ離れになったとしても電話なりSNSなり連絡自体は簡単に取ることが出来る。でもそれを断っているということは、もう月ノ宮での思い出を捨て去ろうという乙女の決意なのかもしれない。

 しかし、若干怖気づいていた僕の腕を力強く掴んだのはベガだった。


 「烏夜先輩。朽野先輩は月ノ宮を去る時に、烏夜先輩にだけ別れを告げたんですよね? それはきっと、朽野先輩にとって烏夜先輩が大切な存在だったからに違いありません」


 ──やめてよ。


 ──そんな必死にされたら、余計に未練が残っちゃうじゃん。


 あの日の、乙女の言葉が頭によぎる。乙女は一体どんな思いで僕を呼び出し、別れを告げたのか──僕がもっと強く引き留めていたら、もしかしたら乙女は思い留まったのか?

 若干震えだした僕のもう片方の腕を、今度はワキアが握ってくれた。


 「大丈夫だよ。私達が絶対に見つけてあげるから──烏夜先輩の、大切な人を」


 僕は涙をこらえながら、ありがとうと二人に伝えた。

 僕は乙女と再会することを恐れていた。僕が忘れていると自覚している出来事が、とても恐ろしいもののように思えていたからだ。

 でも皆の助けがあれば──ただ、この妙な胸騒ぎはなんだろう? どうして僕は、乙女を探すことに躊躇いがあるのだろう……?


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