未だに僕は忘れている



 僕が通っている月ノ宮学園には観測レポートという独自のカリキュラムというか課題があって、定期的に天体観測をして天体に関するレポートを書いて提出しないといけない。

 同級生の大星、美空、スピカ、ムギ、受験生だから課題はないけど先輩として参加しているレギー先輩、そして僕の六人でグループを組んで二、三週間に一度土曜日に月見山の展望台に集合し泊まりがけで天体観測をするのが習慣なのだそうだ。


 「前回はお前が風邪を引いたから、俺と美空しかいなかったんだ。その時はあの……花の名前の星雲を見たんだ」

 「あ、チューリップ星雲のこと?」

 「そう、それだ。お前の分まで俺が書いたんだからな」

 「それはありがとう」


 七月二十五日、今日はその観測レポートを書くための観望会だ。僕と大星、美空の三人で先乗りして天体望遠鏡のセッティングをしている。


 「ねぇ朧っち、今日はどの星を見るの?」

 「今日はこぎつね座のあれい状星雲だよ。まだ観測したことはないよね?」

 「なにそれなにそれ~そもそもこぎつね座って初めて聞いた」

 「夏の大三角の中にあるんだけど、かなり見えづらいからね」

 「あれい状ってのは、もしかして鉄アレイのこと?」

 「そうだよ。ちょっと太めって感じかな」

 「美空がいつも使ってるあのバカ重いやつか」

 「あれは大星が非力過ぎるんだよ。あ、朧っちも今度使ってみる?」

 「僕は遠慮しておくよ」


 こぎつね座自体は明るい星が少なくてかなり目立たないけれど、あれい状星雲はその名の通り鉄アレイみたいな見た目をしている惑星状星雲で観測は難しくない。惑星状星雲は恒星が出したガスが輝いて見えるものらしいけれど、何だか異世界に迷い込んでしまいそうなワープゲートみたいな見た目をしていて綺麗だけど不気味なところもある。


 

 一時して、スピカにムギ、そしてレギー先輩の三人が合流して観望会が始まる。天体観測と言っても望遠鏡や双眼鏡で星を見て、それについて感想を観測レポートに書くだけで、それ自体はそこまで時間はかからない。

 今日はむしろ、メインのイベントが他にあるのだ。


 「じゃーん! 家からたくさん持ってきたよ!」


 美空が嬉々としながら鞄から取り出したのは大量の手持ち花火。そう、夏の風物詩といえば花火も外せない。

 というわけで大星と美空が家から大量の花火を持ってきて、水バケツも用意した。


 「羽目を外してガキンチョみたいに花火を振り回さないようにね」

 「打ち上げ花火も良いですが、こういう花火も風流ですねぇ」


 そして保護者としてこの展望台がある月研の所長である望さんと、トニーという老紳士みたいな人も同伴することになった。


 「んで朧、トニーちゃんのこと覚えてる?」

 「は、初めましてって感じなんだけど」

 「うーん、一ヶ月ぶりぐらいとはいえ孫に『おじいちゃん誰?』って言われた気分だよ」

 「待ってトニーちゃん、もしかして私のこと娘だと思ってたりしない?」

 「のぞみん所長はのぞみん所長ですよ」


 トニーさんはこの月ノ宮宇宙研究所の副所長で望さんの腹心であり、ネブラ人の宇宙船に乗っていた世代だという。そりゃ望さんぐらいの世代だと娘どころか孫でもおかしくないぐらいだ。メガネをかけていて白髪交じりのイケオジって感じの人だけど、のぞみん所長って呼び方はなんなの。


 

 「見てみて~二刀流~」

 「くだらねぇことやってんな」

 「おい美空、オレにも火を分けてくれ」

 

 この年になっても花火は楽しい。七夕祭でも打ち上げ花火が上がったらしいけど、その時丁度僕は事故に遭っていたから見そびれている。流石に展望台もそこまで広くないからロケット花火までは用意していないけれど、それでも全然花火が減る気配がない。

 

 「花火って情熱的ですよね。一度火が着けばそのエネルギーが果てるまでその火を撒き散らす……まるで命の子種を勢いよく噴射するように……」

 「スピカ、何を言ってるの?」

 

 スピカ、君は一体何を言っているんだ? 花火を見て一体何を想像しているの?


 「ほらトニーちゃん、えいっ」

 「ちょ、所長!? 花火を人に向けてはいけませんよ!」

 「じゃあ私から逃げてみなさい!」

 「のぞみん所長ー!」


 一方で望さんはトニーさんに花火を向けて、慌てて逃げ惑うトニーさんを見てキャッキャと楽しんでいた。いや、保護者としてここにいるのに花火を人に向けてるんじゃないよ。


 「なぁ朧、昔花火でやらかした時のこと、覚えてるか?」

 「ごめん、覚えてないかも」

 「まぁ記憶喪失だからな……前に俺達で集まって海岸で花火をした時にロケット花火があったんだが、砂浜に刺してたら飛ばす方向がずれて、まだ使ってない花火に向かって飛んでったんだ。どうなったかわかるな?」

 「大星が火の海に呑まれてしまったと……」

 「いや俺じゃなくてお前だよ。なんで火傷しなかったんだって不思議なぐらい火の海のど真ん中にいたからな」


 僕が無事だったから笑い話で済んでるけど、それってもうすんごい重大インシデントじゃん。


 「懐かしいね~あの時の朧っち、演出が完全に昔の刑事ドラマでよく見る爆発みたいだったよ」

 「そ、そんなことがあったんですね……」

 「何その話、すごく面白そう。再現できない?」

 「ムギ。君は僕を火の海の中に飛び込ませようってのかい?」 

 「朧は丈夫そうだからいけるだろ」

 「レギー先輩!? 貴方は止めてくださいよ!」 


 その時のことを再現すれば意外と何かの記憶を取り戻せたりする? いやいや、なんでそんなに体を張らないといけないんだ僕が。


 「あの時のおとちゃんの慌てっぷり、面白かったなぁ。水だ水だって言いながらガソリン缶を運んでたから……あ」

 

 美空はハッとした表情で慌てて自分の口を塞いだ。どうして美空がそんな素振りを見せたのだろうと不思議に思っていると、スピカが口を開いた。


 「あ、もう乙女さんのことはお話ししたので大丈夫ですよ」

 「もしかして僕の前だと乙女の話はタブーみたいに決めてたの?」

 「だって朧っち、記憶喪失なのに余計にショックを受けるかもしれなかったし……」


 確かに僕の入院中、大星や美空達は僕の記憶喪失を治そうと色々な話をしてくれていた。でもたまに話の歯切れが悪くなることもあったけれど、きっと僕に気を遣って乙女の存在を省いていたのだろう。本当は乙女も思い出の中にいたはずだったんだ。


 「ありがとね、皆。僕のためにそこまで考えていてくれて。確かに乙女のことほぼんやりと頭の中に思い浮かべることは出来るんだけど、皆が言うみたいにショックを受けているわけじゃないよ。それよりも、僕は今もこうして皆と思い出を作ることが出来てとても楽しいよ」


 確かに乙女は僕達の前からいなくなってしまった。僕の思い出の中からも消えかけていた。幼馴染のことも大切だけど、それよりも僕は、こうして僕のために頑張ってくれている皆に感謝しなくてはならない。


 「やっぱり、今の朧は純朴過ぎて気色悪いな」

 「なんでそんなこと言うんですか、レギー先輩?」


 しかし僕の感謝の気持ちはレギー先輩のその一言で一蹴されてしまった。僕はただ素直な気持ちを述べただけなのに。


 「確かに昔の朧なら、『僕が女の子のことを一秒たりとも忘れるわけないじゃないか!』って目を泳がせながら慌てて取り繕っているところね」

 「望さんまで!?」

 「あの朧さんが女性のことまで忘れるなんて、やはりそれ程重症なのかもしれませんね」

 「スピカちゃんまで!?」


 どうやら純朴な烏夜朧に味方はいないようだ。でも確かに以前の僕が他の皆が言うような女好きだったなら、例え記憶喪失になったとしてもその片鱗はどこかに見え隠れしているはずだ。

 どこかのタイミングで、僕が突然急変する可能性もるのだろうか。そんなことを考えていると、トニーさんが星空を眺めながら口を開いた。

 

 「ヒデの娘さんか……懐かしいね。いつも研究所に遊びに来てはプラネタリムを見ていたよ。ヒデはただ宇宙にロマンを追い求め続けていた男だったのに、今はどこに行ってしまったんだろうね……」


 トニーさんがヒデと呼ぶのは乙女の父親である秀畝さんのことだろう。彼はビッグバン事故の真犯人なのではと噂されていたらしいけれど、結局のところ真相は闇の中だ。


 「だ、大丈夫だよっ。おとちゃんはいつか月ノ宮に戻ってくるって。

  それよりさ、前に皆で海とか遊園地に行こうって話してたでしょ! 多分八月の三日なら皆の予定が空いてるっぽいし、その日に海に行かない?」

 「そうだな。早めに行かないと課題を最終日まで残してそうな奴もいるからな」

 「だ、誰のことかなー。あ、遊園地も八月中の予定だから!」


 美空は場を和まそうと笑顔で話題を変えようとしていたけれど、スピカとムギの笑顔はどこかぎこちなく感じられた。

 乙女の突然の転校がショックだったのは僕だけじゃない。彼女と親友だったスピカやムギ、それに大星達もそうだったはずだ。乙女の転校から一ヶ月以上経った今も、その影響は色濃く残っているのかもしれない。


 それにしても、やっぱり僕は何か重要なことを忘れているような気がする。

 朽野乙女。僕の幼馴染だったとはいえ、彼女の存在が僕の頭に引っかかるのは、一体どうしてなんだろう……。


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