禁断の恋(妄想)



 七月二十三日。終業式を終えてとうとう夏休みが始まる。

 今日から夏休みだー! ふぉおおおおおおおおおおおおっ!

 と言えるほど、今の僕はテンションが高くない。多分以前の僕なら夏は海だ山だ宝くじだと相当浮かれていたんだろうけど、今も僕は完全に記憶を取り戻せたわけじゃない。

 でも、記憶喪失ってどの段階が完治と言えるのだろう?


 「……成程。まだ完全というわけではないんですね」


 放課後、僕は月ノ宮神社を訪れて境内の階段に座って巫女服姿のルナの取材を受けていた。どうやら新聞部に所属しているルナは本気で記憶喪失の僕が記憶を取り戻していく過程を記事にまとめ上げるつもりのようで、それを文化祭に出展するつもりらしい。

 ちょっと恥ずかしいけど、でもこんな可愛らしい巫女さんと一緒にいられるなら……いやいやいやいや、僕にそんな下心なんて無い。可愛い後輩の頼みを聞いてあげただけさ。


 「ちなみに朧パイセンは私と初めて出会った時のことは覚えてないんですか?」

 「全然」

 「記憶喪失だとしてもショックですね……」


 ルナを始めとした後輩達とは案外長い付き合いのようだけど、大星や美空達との思い出を少しずつ思い出している今も、彼女達との思い出は取り戻せずにいる。


 「どんな出会いだったの?」

 「数年前の冬頃、私が境内の掃き掃除をしている時に、朧パイセンが私をナンパしてきたんですよ。『その巫女服、とっても似合ってるよ~』だなんて言って」


 以前の僕は女性を見かけたら口説かずにはいられなかった獣だったのか? いや、今更か。


 「階段から突き落とそうかと思ったんですけど、知り合いの先輩の受験が上手くいくようにと学業成就のお守りを探していたらしくて、いくつかお守りを買っていかれましたね」

 「その先輩って、もしかしてレギー先輩のこと?」

 「はい、そうだと思いますよ」


 レギー先輩が月学に受かるようにわざわざお守りを買っていたなんて、以前の僕も結構気が利く奴だったんだなぁと思う反面、そういう行動一つ一つが全部下心ありきのものに思えてしまう。

 でも初対面の女性にまずナンパという行動から始める奴がこうして慕われていたのなら、多分良いクソ野郎だったんだろう。


 「でもその時の巫女服姿の私を見ていた朧パイセンの目がいやらしかったので、お姉ちゃんにしばかれてましたよ」

 「そ、そうだったんだ……え、ルナちゃんってお姉さんがいるの?」

 「はい。姉と兄が一人ずつ。私は三兄妹の末っ子です」


 末っ子の割にはしっかりしてるなぁと僕は思い直す。身近にいる末っ子がムギやワキアしかいないからそう思うのかもしれないけど、ルナって新聞部の活動だけじゃなくてこうして実家の神社のお手伝いもしっかりやっているみたいだし。


 「あ、そうか。朧パイセンは私のお姉ちゃんとかのことも忘れてるんですよね。私のお姉ちゃん、月学で一年の担任と現国の先生をやってるんですよ。皆には紬ちゃんって呼ばれてますけど」

 「紬ちゃんか……確かにクラスの友人が話をしていたのを聞いたことあるよ。僕も紬ちゃんって呼んでた?」

 「はい。『紬ちゃ~ん♡』って感じで」

 

 不◯子ちゃんみたいな呼び方してるじゃん。皆に名前で呼ばれてるって、慕われてるというか愛されてる先生なんだな……以前の僕は完全にふざけて呼んでただろうけど。


 「ちなみにだけど、以前の僕はルナちゃんのお姉さんを口説いたことがある?」

 「はい。スープレックス食らってました」

 「スープレックスを!?」

 「すごい鮮やかでしたよ」


 そんな先生を相手に僕はよく『紬ちゃ~ん♡』って軽々しく近づけてたな。怖いもの知らずというか、一体僕はどうなりたかったんだよ。


 「確かルナちゃんの名字って白鳥だよね? 普通に白鳥先生って呼んだ方が良いよね?」

 「でも今更朧パイセンが白鳥先生って呼び始めると逆に気味悪がられると思いますよ」

 「じゃ、じゃあ紬ちゃんって呼ぶしかないんだね僕は……」

 「呼んだ?」


 すると、境内の階段に座っていた僕達の背後から突然女性の声が聞こえた。僕の「紬ちゃん」と呼ぶ声に反応した女性は──。


 「あ、お姉ちゃんおかえり」


 白鳥紬。夏物のレディーススーツを着た黒髪のボブショートの女性で、身長も高く大人っぽい雰囲気だけど、顔立ちはやはりルナに似ている部分がある。年齢は二十代前半ぐらいか。


 「久しぶりね烏夜君。最近会いに来てくれないから寂しかったわよ先生」

 「いや、僕達の学年の担当じゃないでしょう」

 「そう? 前は少なくとも月一ペースで口説かれた記憶があるんだけど」


 月一で教師を口説く生徒はヤバいでしょ。しかもなんで白鳥先生は満更でも無さそうに笑ってるんだよ。


 「それにしても烏夜君が元気そうで良かったわ。貴方が七夕祭の日に事故に遭って記憶喪失になったって話は有名だからね。しかも私のクラスのベガさんを庇っただなんて見直したわ。次私を口説こうとしてたら停学にしようかと思ってたんだけど、もう少し我慢してあげる」

 「ってことは結構イライラしてたんですね!?」


 良かった~体を張ってベガを守って。何も知らずに以前の僕のまま白鳥先生を口説いてたら停学を食らっているところだった。流石にこれは笑い話にはならないよ。


 「実際朧パイセンはお姉ちゃんのどういうところが好きだったの?」

 「今の僕に聞かれても」

 「私も驚いたわ。教師が生徒に口説かれるだなんて漫画とかドラマの世界でしょって思っていたけど、まさか本当に経験することになるなんて……教師と生徒という関係にありながら繰り広げられる禁断の恋、まだ学校に人が残っているというのに空き教室のカーテンを閉めて二人で……」

 「あ、あの、白鳥先生?」

 「校庭から響く運動部の声、校舎の各所から聞こえる吹奏楽部の音色、そして私は空き教室の窓際に追い込まれて……」

 「白鳥先生?」


 ダメだ、こっちの声が白鳥先生に届かなくなった。何故だかわからないけど、白鳥先生が妄想の世界へと入ってしまったぞ!?


 「お姉ちゃんのいつものやつですね。こうなると一時間は帰ってきませんよ」

 「よ、よくあることなの?」

 「はい。私のお姉ちゃん、妄想癖があるので。男運が悪すぎてもうリアルじゃ恋を出来なくなってしまったんです。現国の教科書に恋愛譚とか載ってたら授業にならないですよ」


 そんな人が現国の先生やってて大丈夫? 多分古文の先生も向いて無さそうだからもっと理系の……いや最悪数式に性的興奮を覚えるような変態になりかねないしなぁ。


 「まぁお姉ちゃんはおいといてですね。朧パイセン、二十七日って空いてますか?」

 「月曜日? 午前中に病院に行かないといけないけど、バイトもないしお昼からは予定ないよ」

 「ならお昼から私の取材に付き合ってくれませんか? 以前の朧パイセンと今の記憶喪失になっている朧パイセンの生態の違いを調査したくてですね」

 「僕は別に構わないけれど、それを書いた記事は面白いかな?」

 「いや、朧パイセンは貴方が思っている以上に有名人ですからね?」

 「女性を見かけたら口説かずにはいられないナンパ師として?」

 「よくご存知じゃないですか」


 実際に記事にするときは仮名でお願いしたいところだけど、多分意味がないだろう。月学で事故に遭って記憶喪失になったのって僕ぐらいしかいないから。僕もそういう記事を見かけたらちょっとは気になるし。


 「あと、二十八日はどうですか? 私とワキアわぁちゃん達で海に行くんですけど、一緒にいかがです? わぁちゃんが是非朧パイセンも誘いたいって言ってたので」

 「え、メチャクチャ行きたいんだけど」

 「ならわぁちゃん達に伝えときます~私が皆の写真を撮りまくるので、欲しければ一枚五千円でお譲りしますよ」

 「ご、五千円か……の、乗った!」

 「美少女の写真のためなら五千円を支払うのは、以前と変わらないですね朧パイセン……」


 いきなり夏休みの予定が出来た。大星達とも海や遊園地、そして七夕祭に行く予定とかノザクロでのアルバイトもあるし、意外と僕の夏休みの予定はたくさんあるぞ。

 それだけ予定が詰まっていれば、夏休み期間中にきっと僕の記憶喪失だって治るはずだ。ワキアが言っていた通り、焦らず、ゆっくり……僕は自分にそう言い聞かせた。


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