ご一緒にホタテはいかがですか?
ノザクロの営業時間は朝の十一時から夕方の六時まで。僕達が着いたときにはもう閉店間際で今日は他にお客さんもいなかったため、キルケの面接はそのまま店内の席で行われることになった。
なぜか僕も同席することになって。
「さて、キルケさんは月学の一年生だったね。今までにアルバイトの経験は?」
「ありません!」
「クッキングの経験は?」
「ありません!」
「接客の自信は?」
「ありません!」
「うん、ベリーグッド! 今日からキルケさんもミー達の新しい仲間だよ!」
「やったー!」
「どうして!?」
何かキルケからポジティブな情報が一切出てこなかったんだけど、マスターはキルケから渡された履歴書に赤ペンで大きな花丸を描いてキルケに返した。いや花丸をつけるものでも返すものでもないよそれ、テスト用紙じゃないんだから。
「良いんですかマスター!? こんなあっさり決めちゃって!?」
「とても元気でパワフルなガールじゃないか。ミーが一番に求めるのはエネルギーだよ! キルケさんにはそれがベリー溢れているね!」
「はい! エネルギッシュに頑張ります!」
確かにキルケはエネルギッシュでハキハキと喋る子だし、未経験とはいえ接客の手順を教えたらちゃんとやってくれそうな雰囲気はある。何より素直そうだから人間関係にも困らなさそうだ。
「ちなみにキルケさんの趣味は?」
「あ、占いです。この前テミス師匠に弟子入させてもらったんです」
「ほう、あの月ノ宮のソルシエールの? ちょっとミーに見せてくれないかい?」
「はい!」
何故か同席していた僕もまた占いをさせてもらうことになり、三人で手を繋いでテーブルを囲んで、キルケに言われた通り目をつぶる。
「なんだか
「あ、テミス師匠はそれも取り入れてるって言ってました」
この占いってそんな技法を使ってたの? じゃあウマとかネブラスライムの鳴き声が聞こえたのって霊的な現象だったりしたのかな。
それはともかく、この謎の儀式めいた占いが始まる。
「私達は今、人っ子一人いない砂漠のど真ん中にいます。太陽の日差しが容赦なく打ち付け喉もカラカラです」
うん。僕達は冷房がガンガンに効いた喫茶店の中にいるから全然実感がわかない。テミスさんとした時は自然とその世界に入れたし、やっぱりテミスさんの話術は何かテクニックでもあったのだろうか。やっぱり魔女みたいに魔法を使っていたり……。
「うーん、まるでヘルみたいなデザートだね……イラクにいた頃を思い出すよ」
いやマスター優しいね。キルケと思い浮かべてる砂漠の情景は全然違うだろうけど。
「あ、地平線の向こうから何かがやって来ましたよ! マスター、何が見えますか?」
いや、絶対この流れだと戦車とか戦闘機がやって来るじゃん。一瞬で僕達の想像の世界が戦場になると思いきや、マスターは落ち着いた様子で語り始める。
「ふむ……風音もなく、己が踏みしめた足音しかこだましない砂漠の向こうから、懐かしい彼の力強い足音が響いてくるよ。いつ見ても彼は元気だなぁ、こんな遠くからでもはっきりと見えるよ」
な、なんだ……僕も占いに参加しているはずなのにマスターが言っている情景が全然思い浮かばない。
しかしどういうわけかキルケは体を震わせながら言う。
「ま、マスター!? 向こうから何か大きな斧みたいな武器を持った、バーサーカーみたいな巨人が来ましたよ!?」
マスター……バーサーカー……何だか妙に聞き覚えがあるなぁ、この言葉。さっきまで何も意味が分からなかったけど、急に僕の頭の中にそれらしい巨人が現れる。
「心配は無用だよ、キルケさん。彼はミーのサーヴァ◯トだからね」
「さ、サーヴァ◯ト?」
一体マスターは何の話をしているんだ?
「久しぶりだねぇバーサーカー。前回の戦争は何年前だっただろう……ぐぼおーっ!?」
「ま、マスター!?」
「マスターが死んだ!?」
突然マスターが叫び声を上げたため僕達は慌てて目を開いた。完全にバーサーカーに攻撃されたような感じだったけど、マスターに外傷はなかった。
「ふう、すまないね。旧友とじゃれ合うつもりだったんだけど。今ので何か占えたかな?」
「えっと、私はまだ未熟なので詳しいことまではわからないんですけど、私はこのお店で楽しく働けそうです!」
それってちゃんと占った結果なの? しかもマスターを占ったはずなのにどうしてキルケの結果になっちゃったの。
しかしそんなこともお構いなしに、マスターは腕を組んでガハハと笑っていた。
「うん、ベリーグッド! なら早速制服に着替えてトレーニングといこうか!」
なんだかんだ正式採用となったキルケにも制服に着替えてもらって、さっそくマスター直々に接客を教えることになった。記憶喪失になった僕も念のためおさらいする。
「いや~この制服、一度は着てみたかったんですよ! こんな田舎町でもメイド服が着れるなんて感動です~」
僕が着ているのは白シャツに黒のスラックス、そしてこぐま座がデザインされた黒いエプロンなんだけど、キルケが着ているのは何故かメイド服。琴ヶ岡邸にいたメイドさん達はヨーロッパ風のクラシカルな感じだったけど、こっちはスカート丈が膝ぐらいまでしかない、フリルのついた可愛らしいデザインだ。キルケはルンルンと踊っているけどスカートが捲れそうでドキドキする。
「ここはメイド喫茶なんですか、マスター」
「いや、前に働いてたガールが自分でデザインした制服が何故か人気でねぇ。本当はガールの制服もボローボーイが着ているのと変わんないんだけど、あまり着てくれないよ」
むしろ普通の制服を着ている人がいないから認知度が低くて、このメイド服目当てで面接に応募する人が多いだけなんだろう。
キルケもメイド服に着替え終わった所で、早速僕がお客さん役になってキルケの接客トレーニングが始まった。
「まずはスマイルで元気よくいらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
「そして人数をチェック。アローンですか?」
「アローンですか?」
「あ、一人です」
「一人で来るなんて寂しい身分だねぇ、ボローボーイ」
「寂しいですね(笑)」
「帰りますよ?」
真っ先にマスターがふざけてるんじゃないよ。キルケが変な覚え方しちゃったらどうするんだ。
「じゃあ空いている席にご案内してね。カウンター席でオーケー?」
「カウンター席でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「一名様ご案内でーす」
「次は食券を受け取ってね。麺の堅さとスープの濃さと油の量を聞くんだよ」
「ハリガネ濃いめ多めで良いですかー?」
「ここはラーメン屋ですか?」
ちなみにカウンターやテーブル席にはちゃんとマスター特製の可愛らしいメニュー表が置かれている。ちゃんとわかりやすくそれぞれのメニューの写真なんかも添えられている。
「あ、注文良いですか?」
「はーい、どうぞー」
「フルーツジュースとバナナパンケーキをお願いします」
「フルーツジュースとバナナパンケーキをお一つずつですね。ご一緒にラーメンはいかがですか?」
「ポテトみたいなノリでは食べられないよ?」
「注文入りまーす、フルーツジュース、バナナパンケーキ、プリーズヘルプミー!」
「どうして助けを求めたの!?」
ノザクロのメニューはコーヒーを始めとした各種ドリンクやケーキ、そしてランチメニューとしてスパゲティやオムライスにカレーなど、欧風の美味しそうな料理が揃っている。
「ではお会計が合計で一億万円になります!」
「ここはぼったくりバーなの? じゃあ支払いはバーコード決済で」
「ワオン♪」
「いや何でそれが聞こえたの」
何気にカード決済や交通系IC、バーコード決済に対応している。田舎町ではあるけど行楽シーズンには多くの観光客がやって来るから、意外にも設備は整っているんだなぁ。
とまぁちょっと漫才みたいにトレーニングは進んでいったけど、相手が本物のお客さんではないとはいえキルケは元気よくスムーズに接客できていたと思う。最初は知り合いが多い方が良いだろうということで、夏休みが始まってから最初の日曜日、僕とアルタがいる日に早速キルケもシフトに入ることになった。最初が日曜とは中々だね。
キルケもシフトは基本週三で、開店するから閉店までフルで働くという。
「ベリーグッド、パーフェクトだよキルケさん。いや、今日からはギリシア神話に登場するキルケーと呼ばせてもらおう」
「あ、私の名前の由来ってそうらしいですよ。恐れ多いですけど」
「さて、次はボローボーイのクッキングトレーニングだね。キルケーも試食係に来るといいよ」
「やったー!」
さて、今度は厨房担当である僕のトレーニングだ。僕は一年の時の夏休み、冬休み、そして春休みもノザクロでバイトをしていたらしいんだけど、一度記憶喪失になってしまった僕はその感覚が体に残っているか不安だった。
とはいえ元々僕は家でも料理をしていたみたいだし、退院後に何度か作ってからも一応出来ていたからそこまで困ることはないだろう。
「ボローボーイの担当はランチメニューとケーキだね。ランチメニューの材料はこっちの冷蔵庫、調味料はこの上の棚ね。なんとなく覚えているかな?」
「見ればなんとなく、という感じですね。ドリンクはマスターが作るんですか?」
「コーヒー類はミーが全部作るよ。暇があればフルーツジュースもボローボーイに作ってもらおうかな。
さて、今日はオムライスをクッキングしてね。このお店で一番ディフィカルティなメニューだからね。あ、これレシピね」
僕はマスターにレシピを渡されて、早速ソースとチキンライスから作り始める。ノザクロのオムライスはふわふわでトロトロな卵をかけるタイプで、そしてソースはデミグラスソースだ。
『ライス 適量
チキン 適量
オニオン 適量
タマァゴォ 適量
トマトケチャップ 適量
バター 適量』
いや適量ってテキトー過ぎるでしょ。せめてライスと卵は数量を決めてほしかった。
『バターを熱で溶かし、玉ねぎと鶏もも肉を入れたら良い感じになるまで良い感じの火で炒め、トマトケチャップとご飯を良い感じに炒める。良い匂いがしてきたら火を止める』
いや工程もちょっとテキトー過ぎるでしょ。良い感じになったらってどういう感じなんですか。
とまぁ僕はレシピにツッコミを入れつつも、案外手際よくオムライスを作り上げた。ちょっと卵のふわふわ感が物足りない気がするけれど、これは修正できそうな範囲だ。
「うわー、美味しそうですね。いただきまーす!」
そして試食役はキルケ。ルンルンでオムライスをスプーンで一口。すると腕をブンブン振ってその美味しさを体現していた。
「おいしーです! 烏夜先輩って意外と料理出来るんですね!」
この年でキッチンを任されるなんてちょっと荷が重いかとも思ったけど、こうして誰かの笑顔を見られるなら嬉しいものだ。
「意外と、ね……ここで働いていたおかげかもしれないけどね」
多分烏夜朧の唯一誇れる特技かもしれない。いつかは誰かにお弁当とか作ってあげたいなぁ。
丁度小腹も空いてきていたのか、キルケがモグモグと夢中でオムライスを頬張るのを微笑ましく見守りながら、僕はマスターに聞いた。
「そういえばアルタ君に聞いたんですけど、僕が接客を禁止されているのって本当ですか?」
「ザッツライト。ボローボーイも元々ホールで接客してもらってたんだけど、やって来たレディのお客さん全員をナンパするのは流石にどうかと思ったんだよね」
よくクビにならなかったね僕は。
「なのにどうして僕を雇ってくれてたんですか?」
「意外とボローボーイのナンパも人気でねぇ、特にご近所のマダム達には。でも流石に困るからキッチンでクッキングしてもらったら意外と上手かったから、そのままボローボーイにはキッチンを担当してもらってたんだよ」
マダムってことは、以前の僕はちょっとお年を召した御婦人方もナンパしてたの? ちょっと節操なさすぎじゃないかい?
「でもボローボーイがまたお店にカムバックしてくれたこと、そしてキルケーというニューフェローが出来たこと、ミーはベリーベリーグラッドだよ!
これからよろしくだよ!」
まだ記憶を完全に取り戻せていないから多少の不安は残るけど、僕はこのお店でやっていけそうだと安堵していた。
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