紅茶VSコーヒー、再び
スピカとムギに案内されて僕はアストレア邸へと電車で月研から月ノ宮駅まで戻ってから歩いていった。線路を越えて月見山北側の高級住宅街へ入ると、木々に囲まれた区画に建つまるで魔女が住んでいそうな怪しい雰囲気のシックな洋館の前でスピカとムギは立ち止まった。
「あ、ここ魔女の家だ~」
一緒についてきていたワキアが無邪気にそう言った。
「ここが私達の家です」
「え、ここってスピカ先輩達の家だったの!? 魔女の家とか言ってすいませんでしたっ!」
「いや、どう見ても魔女の家だから大丈夫だよ。私達もそう思ってるから」
スピカとムギが住んでいる洋館は元々地元の人達に魔女の家を呼ばれていたらしく、月学に転校する前に都心の方から引っ越してきたのだとか。僕は口に出さなかったものの、吸血鬼でも住んでそうだなぁとか思ってたよ。
しかし僕はふと思い浮かんだ疑問をワキアに投げかけた。
「あの……もしかしてスピカちゃんとムギちゃんって、ベガちゃんとワキアちゃんのご近所さん?」
「え、そうなんですか?」
「私とベガが住んでるの、そっちの通りを真っすぐ進んで突き当りにある家ですよ~」
「ってことは、ハリウッドスターとかが住んでそうなあのバカでかい大豪邸に住んでるってこと……? 警備員が入口に立ってて怖いなぁって思ってた」
「あ、そうそうその家です。まさかご近所さんだったなんて~」
アストレア邸も雰囲気こそちょっと怖いけど建物も庭の広さも十分豪邸と呼べる風格があるのに、近所にある琴ヶ岡邸はスケールがデカすぎる。
「ちなみにスピカちゃん達の家ってメイドさんとかはいるの?」
「週一でお手伝いさんが掃除とかに来るぐらいですね」
「私の家にはメイドがたくさんいます!」
「すんご……良かったねそのメイド達、朧がご主人じゃなくて。絶対エロ漫画みたいなことしてたって」
「なってないなってない」
ともかく僕達はアストレア邸へと足を踏み入れた。ガーデニングが趣味だというスピカが毎日手入れをしているという自慢の庭には様々な植物が綺麗に咲き誇っていて、今はハイビスカスやブーゲンビリアが旬だという。
「うわ~綺麗なお花~。私、お花も大好きなんですけど入院ばかりしてると中々お見舞いで貰えなくて~」
「何その入院あるある」
「確かに鉢植えは『根付く』から『寝付く』を連想させるのでタブーですし、お花の色や品種に色々制限がかかりますからね。良ければワキアさんのために何かアレンジメントを作りましょうか?」
「えー! 良いんですかー!?」
スピカの提案を聞いたワキアは目を輝かせて、テンションが上がったのかとてもはしゃいでいた。
「じゃあお礼に、えぇっと……あ、折角ご近所さんですし私達の家でお茶会なんてどうですか!? 私、ピアノ弾けるのでリクエストがあればなんでも弾きますよ!」
「良いですね。その際には是非朧さんもお呼びしましょうか」
「え、なんで?」
「私達が何か話している間に朧が何か思い出せるかもしれないでしょ?」
そんなテキトーにやって都合よく僕が記憶を取り戻すことがあるかなぁ? でもそのお茶会に同席させてもらえるなら是非僕も参加したい。ていうか何かのお礼としてお茶会に誘うって、この世界にそんな優美な文化あるんだね。僕達庶民にはわからないよ。
アストレア邸の庭の花々を堪能した後、僕達は洋館の中に入った。
やはり琴ヶ岡邸でのインパクトが凄すぎて霞んでしまうけれど、アストレア邸も趣のある美術品が飾られていて、家具やインテリアからもロイヤルな雰囲気が醸し出されている。
玄関からリビングへと向かう途中、廊下の壁に飾られていた絵画の前で立ち止まったワキアが、突然目を輝かせながら口を開いた。
「あーっ! もしかしてこれ、レギナ・ジュノーの絵ですか!?」
レギナ……展望台でスピカとムギと話していた時にチラッと話に出てきた人の名前だ。
「そうなんです。実は七夕祭の後にご本人から特別に頂いたんですよ」
その絵はモノトーンの背景を背にセーラー服姿の少女が笑顔でこちらに向けて笑っているかのように見える抽象画で……何より目を引くのは、白と黒の二色でしか表現されていないその絵画の世界で、少女の胸からまるで爆発するように赤い絵の具が飛び散っていることだろう。
「なんだか誰かのことを考えすぎてドキドキして、もう心臓が爆発しちゃいそうだよ~って感じの絵ですねー」
僕は何か心臓が爆発して血が飛び散ってるのかなぁって感じたけれど、病弱のワキアの前でそんなことを言うわけにはいかない。当のワキアはちょっとロマンチックに捉えてるみたいだし。
「本人は私達に渡す時に『愛は爆発だー!』なんて言って高笑いしてたから、多分それがこの絵のタイトル」
成程。背景や少女がモノトーンで描かれているからか、元々彩りのない生活を送っていた少女が愛を知ったことで初めて喜びを得たのを表現している、って感じなのかな。僕なりの解釈になっちゃうけど。
リビングへと通された僕とワキアはお茶を出してもらうことになったんだけど……どういうわけか僕とワキアの目の前には紅茶とコーヒーが出されている。
「あの、どうして紅茶とコーヒーが?」
どちらか片方だけならわかるけれど、その両方を出された僕は困惑しながらスピカとムギに聞いた。
「今、記憶を失っている朧なら正確な評価を下してくれると思ったんだよ」
「ど、どゆこと?」
「とにかく飲んでみてください。そしてどちらの方が美味しかったか、素直に感想をどうぞ」
な、なんだかスピカとムギから妙な圧力を感じるんだけど……僕は恐る恐る紅茶の方から口にした。隣に座るワキアも同じく紅茶に口をつけると、一口飲んだだけで目をカッと見開いた。
「……ハッ! こ、このはちみつのような甘い味わいはキャンディですね。アイスティーにしているのもこだわりを感じます~」
「キャンディはタンニンが少ないからですね。この暑い時期にはピッタリです」
キャンディって何? ダージリンとかアッサムみたいにインドとかスリランカとか南アジアの地名? タンニンが少ないとか言われても全然わからないけど、意外と甘くて飲みやすい。紅茶ってもっと独特の香りがあるのをイメージしていたけど、これはまだいける方かも。
さて、次はコーヒーをいただく。紅茶を先に飲んだせいかフルーティな匂いが鼻に残っているけれど、まぁコーヒーの苦味が勝つだろうと思って一口飲んでみる。
「こ、この独特のジャスミンのような香り、それにこのコーヒーとは思えない柑橘系のフルーティな味わいはまさかゲイシャ……これどこ産ですか?」
「パナマだよ。パナマゲイシャ」
「こ、これがパナマゲイシャですか……私、初めて飲みました!」
パナマに芸者さんがいるの? どうしてワキアのテンションが上がっているのか僕にはさっぱりわからないけれど、確かにコーヒーとは思えないほど酸味と甘味が強く、ブラックのはずなのに全然苦味も感じない。さっきの紅茶もそうだけど、何だかあっと驚かされるような珍しいものを飲んだ気分だ。
「さて二人共。どっちの方が美味しかった?」
「しょ、正直な感想をどうぞ」
そして僕達は究極の選択を迫られた。どちらも甘くて飲みやすいが……何だか僕のことを見ているスピカとムギの笑顔がすんごく怖い。何? 一体僕はどんな答えを期待されてるんだろう?
だけど正直に言えと言うなら正直に言うしかないだろう。
「僕は日本茶が欲しいかな」
「え」
「えっ?」
「ほら、和菓子とか食べた後って無性にお茶を飲みたくなるでしょ? その感覚」
二人に飲ませてもらったキャンディという紅茶、そしてパナマゲイシャというコーヒーはどちらも甘さが特徴で後味も良いのだけど……何かその甘味がずっと喉に残っているからすっきりさせたい気分だった。それが僕の正直な感想だ。多分コーヒーと紅茶と日本茶の三択なら迷いなく日本茶だ。
「ば、バカな……記憶喪失になってもやっぱり好みは一緒ってこと……!?」
「同じお茶なのに、どうして負けてしまうのでしょう……!」
僕の正直な感想を聞いたスピカとムギは見るからに落ち込んでしまっていて気の毒に思えたけど、どうやら二人は以前の僕にも同じようなことをしたらしいな。
「えっと、二人は何か勝負をしていたの?」
「私は紅茶が好きで、ムギはコーヒーが好きなんです。ですのでどっちが本当に美味しいのか、客観的な評価を貰いたくて……」
「この前の朧はどっちも好きとか言ってたけど、実際は違ったんだね。失望したよ」
「僕は正直に言っただけなのに?」
きっと以前の僕は二人に気を遣ってどっちも美味しかっただなんて言ったんだろう。女好きの僕のことだからきっと二人にいい顔をしたかったに違いない。
「ちなみにワキアちゃんはどうなの?」
僕は隣に座るワキアを見る。彼女は紅茶とコーヒーが入った二つのカップとにらめっこをしているところだった。
「私は……あまりコーヒーの苦味が好きじゃなくて、カフェモカとかがギリギリなんですよねぇ。パナマゲイシャも美味しいですけど、そんな好きってほどでもないです」
「ば、バカな……こんな高級なコーヒー豆なのに……!?」
「じゃあ、紅茶の方が美味しかったということですか!?」
「私は午◯ティーの方が好きですねー」
「そんなー!?」
「まぁコーヒーよりは紅茶の方が好きですけど、今日に関してはイーブンですかねー」
スピカ(紅茶派)VSムギ(コーヒー派)、両者引き分け。敗因はどちらも苦手で日本茶好きの僕がいたこと、そしてワキアの好みを当てることが出来なかったことだろうか。
「次こそは絶対に朧さん達を満足してみせます!」
「次はカフェモカ路線か……」
でも色んな産地の珍しい茶葉とかコーヒー豆をいただけそうだから、是非また勝負をしてほしいなぁとは思っていた。
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