先輩と後輩、この一戦にあり



 ──私だって、未練はたくさんあるよ。


 ──これから夏休みがあってさ、すーちゃん達と思いっきり遊んで、修学旅行とか文化祭とかさ、色んな行事を楽しみにしてたよ。


 ──それに……すーちゃん達のお星様だって、私達の力で見つけ出しかった……そんな必死にされたら、余計に未練が残っちゃうじゃん。


 ──でも、もう決めたことなんだ。荷物も全部持っていっちゃったから、今更戻れないよ。



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 また、僕の夢に彼女は現れた。

 僕はその出来事を正確には覚えていない。でも彼女のセリフと状況から考えるに……記憶を失っている僕の脳のどこかに残っている、彼女が転校したという六月一日の、朽野乙女という少女との別れの記憶なのだろう。


 ぼんやりと僕の夢に現れる紫色の髪の少女が、僕の身近にいたことは間違いない。しかし過去の記憶を思い出せたわけではなく、なんかそういう知り合いがいたということ以外は思い出せず、あの謎のノートも怖くて先を読めずにいる。


 しかしそんな過去の記憶に打ちひしがれている暇もない。なんせ僕の入院生活は終わり、今日は久々……というか僕が事故に遭って記憶喪失になってから初めて学校に登校するのだ。とりあえず制服を着て朝食を食べて、鞄を持って威勢よく家を出たけれど──僕はここで重大な過ちに気づいた。

 そう、記憶喪失になった僕は、自分が通っている月ノ宮学園の場所を覚えていなかった。


 僕は携帯も持っていないため友人達に聞くことも出来ず、なんとなく家の周りを彷徨って月ノ宮駅前まで来ていた。すると駅前で月ノ宮町の案内図が立っていて大まかな学校の位置は把握できたため、あとはテキトーに見かけた月学の生徒の後ろをついていこうかなぁと考えていた時──僕は突然背後から肩を叩かれた。


 「よぉ、おはよう朧!」


 そう元気に僕に挨拶してくれたのは、笑顔が眩しいレギーさんだった。そういえば家が近いんだったっけ。


 「おはようございますレギーさん」

 「さ、さん付けか……お前にさん付けされると、ちょっと悲しくなるな……」

 「え? 前の僕はなんて呼んでたんですか?」

 「れ、レギー先輩で頼む」

 「わかりました、レギー先輩。実は月学の場所をイマイチ覚えてないので、案内してくれませんか?」

 「あぁそうか!? お前、記憶喪失だからそこまで忘れてるのか!?」


 今までずっと入院生活だったから困らなかったけど、意外なことを忘れているものだ。町の全体像はなんとなく覚えていたつもりだったんだけど、毎日通っていた学校の場所さえ忘れてしまうなんて、記憶喪失は恐ろしいものだ。


 「どうだ? 何か思い出せたことはあるか?」

 「そうですね……少しずつは、何か掴めてると思います」


 ビッグバン事故という出来事をきっかけに僕は少しずつ記憶を思い出しつつはあるけれど、それについてレギー先輩に伝えるのはやめた。レギー先輩もビッグバン事故っで何か悲しい出来事があったかもしれないし、ネブラ人であるレギー先輩もあの事故の直後は色々と大変だったに違いない。

 もっとあの事故について知ることが出来たら他の記憶も取り戻せそうだけど、僕の友人達に聞くわけにはいかないのだ。だって、皆あの事故を経験しているはずだから。


 「オレ、劇団に所属してるんだけど、オレの舞台を見たことも忘れてるのか?」

 「すみません、覚えてないですね」

 「そうか、いや謝ることはないんだぞ? むしろオレはお前へのお礼が言い足らないぐらいだよ。オレがちゃんと舞台を乗り切れたのは、お前のおかげだったんだから……」


 レギー先輩が劇団に所属しているという話は聞いていたけれど、舞台の稽古とか忙しいだろうに僕が入院している間、レギー先輩も毎日のようにお見舞いに来てくれていた。その度僕に助けられたからとしきりに感謝してくれてるんだけど、僕は一向にレギー先輩との思い出を思い出せずにいる。


 「あ、そうだ。お前、よく替え歌を歌ってたよな。特に、ドレミの歌の」

 「ド~はド~ナツ~のド~ってやつですか? どんな替え歌だったんです?」

 「え、あ、それは、その……」


 レギー先輩の方から言い出したのに、急にレギー先輩は恥ずかしそうにモジモジしはじめた。ドレミの歌の替え歌でそんな恥ずかしがるようなことがあるだろうかと疑問に思っていると、レギー先輩は意を決したように口を開いた。


 「……ド~はど~◯ていのド~って感じだったぞ」


 なんかレギー先輩の口から信じられない言葉が発せられた気がするけど気のせいかな?


 「ちなみにレは?」

 「れ、レオタードだった気がする」

 「……ミは?」

 「ミニスカポリスだった」


 以前の僕は一体どういうつもりでそんな替え歌を作ったんだ? 自分の性癖を暴露してただけなのでは?


 「ちなみにシとかどうなってたんです?」

 「シは……しお……って何を言わせる気だこのけだものぉー!」

 「なんで僕が怒られないといけないんですかー!?」


 塩ラーメンのシかと思ったけど、割と本気めのチョップが食らわされたから僕は相当変な替え歌を作っていたようだ。


 「お前、無知だったら何でも聞いていいってわけじゃないんだぞ!」

 「いや、でも僕が記憶を取り戻せるきっかけになるかもしれないじゃないですか」

 「オレはこんな替え歌で記憶を取り戻してほしくない! オレが悪かったから、もうこの歌は忘れてくれ。二度と思い出すな」


 レギー先輩の方から話題に出してきたのに理不尽過ぎる。

 その後も以前の僕の口癖だったりおもしろおかしな出来事をレギー先輩は丁寧に教えてくれたけど、やはりどれも僕が記憶を取り戻すきっかけにはならなかった。

 レギー先輩達はこんなに僕の記憶を取り戻させようと頑張ってくれているのにもどかしい。ただ……僕はある不安も抱えつつあった。


 「……あの、レギー先輩」

 「なんだ?」

 「今の僕は、以前の烏夜朧と全然違う人間に見えますか?」


 僕がそんな質問をすると、レギー先輩は困ったように苦笑いした後、中々答えを言い出さなかった。


 「やっぱり、昔の烏夜朧の方が面白い人間でしたか?」


 烏夜朧という人間は確かに記憶喪失になって自分の名前すら忘れてしまったいたけれど、それでも今も『僕』という人格がいる。じゃあ『僕』は果たして烏夜朧と同じ人間なのだろうか? それとも全くの別人なのだろうか?

 烏夜朧としての記憶を失った僕のどこに、烏夜朧たらしめる要素があるのだろう?


 交差点で赤信号に捕まり立ち止まった所で、ようやくレギー先輩が口を開いた。


 「そりゃ、正直オレも戸惑いはあったよ。オレは朧と話しているつもりなのに、まるで全然違う人間と話している感覚なんだ。どんな話をしても、それがどれだけオレの中で思い出に残っている出来事だったとしても、お前は愛想笑いをしてくれるぐらいだから……」


 レギー先輩達のような、かつての烏夜朧と親しかった人達にとってはきっと別人なのだろう。姿形は一緒でも、中身は全然違うのだから戸惑いやショックも大きいはずだ。


 「でも、朧は朧だよ。確かにお前は人が変わっちまったぐらい大人しくなったけど、やっぱり根本的な性格は変わらないんだろうなってのはわかるんだ」


 歩行者用信号が青に変わると同時にレギー先輩はニカッと僕に微笑んで歩き始めた。僕もそれに続いて横断歩道を渡る。


 「お前とは結構付き合いも長いからな。事あるごとに女を口説こうとしていた変な奴だったけど、それはお前が自分でそういうキャラ付けをしようとしてたんじゃないかって薄々思ってたんだ。お前はまともに恋愛をしていなかったしな」


 それは以前の僕が女心もわからないクソ野郎だっただけなのでは?


 「でもお前は、オレが本当に苦しんでいた時に、体を張ってオレを助けてくれたんだ。正直、こんなに頼りになる奴とは思ってなかったよ。

  だから……お前がベガって子を庇って頭を強く打ったって聞いた時も、そりゃ心配の方が勝っていたけど納得もしていたんだ。お前なら、きっと迷わずにそう行動したんだろうなって」


 そう褒められるとなんだか恥ずかしい。なんでベガやワキアがあんなに僕に感謝してくれてるんだろうとたまに不思議に思うこともあったけど、そう聞くと僕も大分体を張ってたんだなぁ。現に今それが原因で記憶喪失になっているんだし。


 「記憶を失ったって、朧は朧だよ。オレにとっては頼りになる大切な後輩だし……これからも新しい思い出は作っていけるだろ?

  だからオレは、今の朧のことも好きだよ。その気持ちは変わらない」


 ……。

 ……えっ?

 レギー先輩、なんだかとっても大胆なこと言わなかった?


 「あ、あのレギー先輩? それってどういう意味──」


 レギー先輩の突然の告白に僕は戸惑っていたけど、再び赤信号に捕まって立ち止まった時、背後から聞き覚えのある女子の声が聞こえてきた。


 「随分と大胆なことを言いますな~レギー先輩~」


 突然声が聞こえて驚いて後ろを振り向くと、ニヤニヤしているムギと恥ずかしそうにモジモジしているスピカの姿があった。


 「む、ムギにスピカ!? お前達、いつからついてきてたんだ!?」

 「『よぉ、おはよう朧!』って辺りからですね……」

 「駅前からかよ!?」


 じゃあ今までのレギー先輩との赤裸々な会話、最初から最後まで全部聞かれてたんだね。ドレミの替え歌とか忘れてくれないかな。


 「レギー先輩も意外と卑しいんだね~朧が記憶喪失になったのを良いことにそこに付け込んで彼女面しようだなんて~」

 「ち、違うぞ!? オレは本当に朧のことを心配してだな」

 「でも抜け駆けはずるいと思います」

 「す、スピカ!? お前そんなことを言う奴だったか!?」


 なんか僕の目の前で修羅場が始まりそうな気配がある。しかも僕が原因で。そういえば僕が目覚めた日に一度集まってからこの三人が揃うことは中々無かったけど、この三人って僕に熱烈なラブコールを送ってきてたな……何なら僕は彼女達とキスまで済ませているみたいだし、僕みたいなクソ野郎に好き好んで近づくなんて、一体僕と彼女達の間に何があったんだろう。


 「朝から元気だねー」

 「昼ドラでも始める気か」


 するとここで大星と美空が合流して、呆れたような表情で言う。

 良いね君達はもう正式に付き合ってるから! 随分と余裕そうだな!


 「逆に考えたらさ、今の私達ってイーブンな状態で戦えると思わない? 朧の私達との思い出がまっさらな状態ならさ、果たして朧は誰が本当に好きなのかわかるんじゃない?」

 「では夏休みを使って勝負してみますか? お菓子作りなんてどうです?」

 「しれっと自分の土俵で戦おうとするんじゃない」


 あぁなんかベガとワキアに助けを求めたいし癒やされたい。でも今あの二人が現れたら余計面倒くさそうなことになりそうだ。


 「あ、烏夜先輩だ~」

 「おはようございます、烏夜先輩」

 

 最悪なタイミングでベガとワキアが現れた。なんで来ちゃったんだよ、しかもワキアは何のためらいもなく笑顔で僕の腕に元気よく抱きついてきた。


 「烏夜先輩~どうですか私の制服姿~」

 「ちょ、ちょっとワキアちゃん!?」


 今まで殆ど病院服の姿しか見たことがなかったワキアの制服姿──薄手の半袖の白シャツと紺色のブレザーのスカートが不思議と爽快感を出している。他の面子と同じ制服を着ているはずなのに、ある意味これもギャップなのだろうか。


 「あんな自然に朧にスキンシップできるなんて……いつの間にそんなに距離を縮めていたの」

 「油断も隙もないですね……」

 「いやお前ら、後輩を相手に何をそんなに張り合ってるんだ」


 とうとう年長のレギー先輩が冷静になってきてるじゃん。さっきまで主役だったはずなのに、もうボケが多すぎてツッコミ役に回らざるを得なくなってるじゃん。


 「烏夜先輩。今日のお昼は一緒に食べませんか? 烏夜先輩の分も作ってきたんですよ」

 「え、えぇ!?」


 そしてここでベガの一欠片も悪意の無い一言が火に油を注いでしまう。


 「待ってください。私も今日朧さんのためにお弁当を作ってきたんです」

 「私も手伝ったよ~盛り付けだけ」

 

 いや、スピカとベガ、お互いにすっごい笑顔だけどどうしてそんなに怖いオーラを出せるの? 何か背後にスタンドとか出てない?


 「ち、畜生……オレは購買の弁当だから勝てねぇ……!」

 

 レギー先輩はひっそり敗北していた。別にこんな勝負に張り合わなくて良いんですよ。


 「じゃあ今日のお昼、お姉ちゃんとスピカ先輩のお弁当の勝負をしよ!」


 退院してから初めての学校。果たして僕の胃袋は誰に掴まされるのだろう?

 いや……もう心労で胃がキリキリ痛んでるんだけど、果たしてお昼まで持つのだろうか?


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