禁断のバイブル



 琴ヶ岡家の車に送られて、僕はようやく家に帰り着いた。

 八年前のビッグバン事故で両親を失った僕は叔母の望さんの家に居候させてもらっているらしいんだけど、家主である望さんは多忙のため滅多に家に帰ってこないとのこと。殆ど僕が一人暮らしをしているような状態だ。


 望さんの家は結構広めのマンションの一室だったけど、家に入ったはいいが僕は自分の部屋がわからず、とりあえずリビングから一番近い部屋の扉を開いた。


 「うわぁ」


 部屋の中は大量の段ボール箱が積み重なり、謎の器具や資料が無造作に置かれていて殆ど足の踏み場がない状態だった。辛うじてテーブルとベッドの上だけはスペースが確保されていたけど、とても人が住んでいる環境とは思えなかった。


 「見なかったことにしよう」


 多分ここは僕の部屋じゃない。家主には悪いけどここはきっと望さんの部屋に違いない。僕はそう信じて隣の部屋の扉を開いた。


 今度はきっちり部屋の中が整理整頓されていて、学生鞄が置かれていたり壁に学生服がかかっていたから、こっちが僕の部屋のようだ。意外と以前の僕は綺麗好きだったようで、ボストンバッグから着替えだったり私物を取り出して直していた。

 

 

 やがて片付けを終えて、僕は一息ついて椅子に腰掛けた。机の上には特に名前も書かれていない大学ノートが置かれていて、なんだろうと思って僕はそのノートを開いた。


 『帚木大星編 私の願いが叶いますように』


 タイトルらしき一文が書かれた下の行には、日付とその日に起きたらしい出来事が箇条書きで記されていた。

 最初は日記かと思って読み進めていたけど、日付が六月に変わってからノートに書かれている内容に違和感を覚え始めた。


 『朽野乙女の転校』


 一連の文章の中に頻繁に現れる『乙女』という文字。最初は代名詞かと思っていたけど、どうやらこれは誰かの名前らしい。体育祭の直後に転校したらしい彼女は、一体どういう人物だったのだろう?

 

 『美空ルート』

 『レギー先輩ルート』

 『アストレア姉妹ルート』


 そして乙女という人物が転校した後、僕の知り合いの名前が書かれたそれぞれのページにはやはり日記のようなものが箇条書きで記されていて、さらにそれを読み進めていくと『イベントCG回収』や……米印で『Hイベント』と付け加えられている部分があった。


 「な、なんだこれ……」


 僕はその先を読み進めるのが恐ろしくなってノートを閉じた。

 以前の僕は一体何を考えていたんだ? 最初は日記かと思っていたけど、途中から明らかに文体がおかしい。まるで……自分の知り合いを登場人物にして恋愛ゲームを作り上げようとしていたかのようだ。しかもわざわざ親友だったはずの大星を主人公にして。

 

 さらに恐怖が際立つのは、『Hイベント』という文字。

 知り合い達の話を聞いていて、以前の僕は相当なクソ野郎だった説がかなり大きいけれど、僕はこの謎のノートを見て確信することが出来た。


 「これは日記なんかじゃない……僕は現実の知り合いと登場人物にして恋愛ゲームを、しかも紳士向けのエロゲと作ろうとしていたのか!?」


 他のページにもびっしりと何か書かれていたけど、僕にはもうこれ以上読み進める勇気はなかった。こんな黒歴史の塊、読んでいるだけで鳥肌がヤバい。

 しかし過去の記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないため捨てるのも忍びなく、また落ち着いた時に読もうと思って本棚にそっとしまっておいた。



 帰宅して早々に最悪なものを見せられてしまった。本当に以前の僕がどんな気持ちであんな禁断のバイブルを作ってしまったのか、知りたくないけど知りたいよ。

 気を取り直して、僕はノートパソコンを取り出して電源を入れる。そして検索エンジンを開いて、『ビッグバン事故』と入力して検索した。


 僕の入院中、ワキアや望さんでさえその詳細を語ってくれなかった、八年前にあったという謎の事故。僕の両親が死んだというのもあるし、事故の詳細を知れば何か思い出せるかもしれないと、僕は覚悟を決めていくつかのニュースサイトを開いた。



 『スターリーナイト』と呼ばれる一連の出来事以前の月ノ宮町は、行楽シーズンを迎えると海水浴客が多く訪れるだけの小さな観光地で、それ以外には農業や畜産業ぐらいしかめぼしい産業はなかった。

 しかし月ノ宮町のアマチュア天文家による『ネブラ彗星』の発見、その直後に地球に飛来したネブラ人の宇宙船の一つが月ノ宮海岸に着陸したことにより、日本全国だけでなく世界的にも注目される土地となり、旧月ノ宮宇宙研究所等や月ノ宮学園が設置されただけでなく、ネブラ人が集住したことにより活気を見せていた。


 しかし今から八年前、月ノ宮海岸に保管されていたネブラ人の宇宙船が突如として大爆発を起こしてしまう。宇宙船を中心に月ノ宮町東部の住宅地が壊滅的な被害を受け、数百人もの犠牲者を出す凄惨な事故となってしまった。


 宇宙船の爆発の原因はエンジンの故障とされているが……ネブラ人の仕業だとする陰謀説等がネットを中心に流布し、一時は月ノ宮、いや日本からネブラ人を追い出そうという動きもあったらしい。ビッグバン事故について調べると奇妙な陰謀説なり関係ない主張に絡めた個人ブログ何かもたくさん出てくるから、ある意味ではそれだけ注目された事故だったのだろう。相手が宇宙人という得体の知れない存在だっただけに、やはりどこかに恐怖もあったに違いない。


 ──今日からは、私が貴方を守ってあげるから。だから、もう怯える必要なんて無いわ。


 僕の脳内に、ふとそんな声が聞こえてきた。ビッグバン事故の直後、身寄りを失った僕を引き取りに来た望さんの姿を、思い出すことが出来る。

 そういえば望さんって僕の叔母らしいけど、僕の実の父親と離婚した母親の妹だったんだよな……。


 「ビッグバン事故で死んだのは実の父親の再婚相手で、望さんは離婚した方の母親の妹で……ややこしいな僕の家系図」


 血縁といえば血縁だったんだろうけど、どうして望さんが僕を引き取ってくれたんだろう? 素直に聞いたら望さんは教えてくれるのだろうか? そもそも以前の僕はその経緯を知っていたんだろうか?



 他に記憶を思い出すきっかけとなるものが無いか、僕は自分の部屋を漁っていた。過去の写真が多く残っているアルバムなんかがあれば手っ取り早いんだけど、それらしいものは全然見つからなかった。


 「写真……誰か持ってたりするのかなぁ」


 僕は事故の時に携帯を失くしてしまっているから、そこに残されていたかもしれない写真も見ることが出来ない。そもそも以前の僕がマメに写真を撮るタイプだったのかも怪しい。女好きの僕のことだから、きっと女の子の写真しか撮ってなかっただろうなぁ。


 

 結局それらしい思い出の品は見つからず、僕は諦めて再びPCでビッグバン事故について調べていた。まぁ大半はネブラ人を排斥したい人達の主張ばかりだったけど……ネットの海を彷徨っている間に、気になる記事を見つけた。


 『月ノ宮周辺に広まる真犯人の噂』


 それはつい先月に書かれたらしい個人ブログの記事だった。なんでも事故とされていたビッグバン事故に真犯人がいるという、よくある陰謀論の一つかと思っていたけれど……プライバシーに配慮してか個人名などはボカされていたものの、六月の始めに月ノ宮学園のとある教師が突然異動し、その娘である生徒も転校した際に広まった噂だという。

 この六月始めに転校したという女子生徒に、僕は心当たりがあった。僕は慌てて本棚にしまった、あの黒歴史盛りだくさんの謎のノートを取り出して再び開き、該当するページを探した。


 『六月一日月曜日 朽野乙女の転校』


 僕や大星達と親しかったらしい朽野乙女という少女の転校。

 不思議なことに、このノートに記されている数々の出来事は、彼女の転校を分岐点として大きく変化するかのように書かれていた。



 ──さよなら、朧。


 ……そうか。


 ──皆に、ごめんって言っといて。


 僕の夢に何度も現れて僕を苦しめていたのは、君だったのか……朽野乙女。


 

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