n回目のお仕置き



 僕はお茶でも飲んでさっさと家に帰ろうかと思っていたんだけど、ベガとワキアのご厚意で半ば強制的にお風呂に入れてもらうことになった。こんな現実離れした環境は中々気分が落ち着かないけど、これもお礼の一つだとベガに言われてしまったため、僕は素直に甘えることにした。


 「ふぅ……」


 体を洗い終え、僕は浴槽に浸かる。


 「全然落ち着かない……」


 僕の想像通り、いや想像以上に琴ヶ岡邸の浴室は広かった。もうこれ大きなホテルとかにある大浴場ってレベルだよ。多分五十人ぐらい入れるよこれ。住み込みで働いているメイド達の浴場はまた別にあるらしいし、この空間をベガとワキアだけで使ってるということか?


 入院していた時の入浴は中々落ち着かなかったけど、これもこれで全然落ち着かない。

 そんな事を考えながら少しソワソワしていると──大浴場の大きな扉が勢いよく開かれた。


 「烏夜せんぱーい、背中流しに来たよ~」

 「ちょおおおおおおい!?」


 大浴場に笑顔で入ってきたのは、裸にタオルを一枚だけ巻いたワキアだった。僕は慌てて自分の股間をタオルで隠してワキアから目線を背けたけど、ワキアは一切気にする様子はなく笑顔で僕が浸かっている浴槽へと駆け寄ってきた。


 「もう少し恥じらいを持ってワキアちゃん!」

 「大丈夫だって。私は妹みたいなものだから」

 「それとこれとじゃ話が違う!」

 「私と先輩は兄弟の盃を交わした仲じゃん……」

 「それ全然意味が違う」


 ワキアはやはり病弱だからかベガよりスレンダーな体型だけど、その細さに欲情する奴だっているんだぞ。その白い素肌が妙に艶めかしいし……しかしワキアは僕の顔を覗き込んできてからかうように笑う。


 「え~やっぱり男性ってこういう時は背中を流してほしいんじゃないんですか?」

 「ごめん、もう洗った後なんだよ」

 「じゃあワンモア。タワシでゴシゴシしてあげるよ」

 「僕の背中を削る気かい?」

 

 しかしワキアが目に見えてしょげているのがわかったため、僕は一度浴槽から出てワキアに背中を流してもらうことにした。


 「なんだか、烏夜先輩の体って傷跡だらけだね。何か格闘技でもしてたの?」


 僕は入院していたときも勿論入浴していたけど、僕の体の所々にある傷跡は特に疑問に思っていなかった。切り傷の痕とか火傷痕なんかもあるけど、昔の僕は相当やんちゃしていたのかなぁと考えていた。


 「昔は僕も結構ワルだったんじゃないかなぁ。そういう噂はなかったの?」

 「女好きってことぐらいしか……」

 「じゃあ女性につけられた傷かもしれないね、これは」


 ハハハ、と僕は軽く笑い飛ばした。この月ノ宮は自然も多いみたいだし、昔の僕は野山を駆け回ったりしていたのかもしれない。火傷痕なんかもあるけど……きっと八年前のビッグバン事故という出来事が関わっているに違いない。

 そう感づいていても、僕はあえてその事を口に出さずにいた。


 「じゃあお湯流すねー。かゆい所ないですかー?」

 「ここは美容院かい?」

 「お仕事何やられてるんですー?」

 「ナンパ師ですね」

 「サイテー」

 「折角ノッてあげたのに!?」


 ワキアに背中を流してもらった後、僕はもう一度浴槽に浸かろうとしたんだけど……ワキアもさも当然のように大きな浴槽に入ってきて、そしてこんなに広いのにわざわざ僕の隣にやって来た。


 「……あの、ワキアちゃん?」

 「どーかした?」

 「なんで僕と一緒にお風呂入ってるの?」

 「大丈夫だよ。私はアルちゃんと何度もお風呂入ったことあるし、裸も何度も見てきたから!」

 「それっていつ頃の話?」

 「四、五歳ぐらいの時かなぁ」


 ワキア、君は今の自分の年齢を理解しているかい? 長い年月を経て人間の体がどう成長して、そして純粋な心がどれだけ汚れていくのかを理解してる?

 ワキアはびっくりするぐらい距離感が近いけど、その度に僕は肝を冷やしているんだからね?


 「せめて体を密着させるのはやめてくれない?」

 「え~どうして~?」

 「まったく君は……あまり野郎を相手にこういうことをしちゃいけないよ。アルタ君を相手にもこういうことしてるの?」

 「最近はあまりウチに来ないからわかんない」

 「やるつもりはある?」

 「どういう反応をするか楽しみ~」


 やるつもりなんだ……アルタは結構真面目そうだしワキアを無理矢理追い出すか、先に自分から出ていきそうだなぁ。

 ……てゆーかこの状況、僕が大人しく先に上がれば良いのでは?



 しかし僕もワキアの魅力にしてやられているわけで。頑張って理性を保ちながらワキアと四方山話を続けて乗り切った。二度とこの家のお風呂には入りたくない。


 「いや~やっぱり伸び伸び湯船に浸かるのは気持ち良いねー」


 先に着替え終わっていたワキアが廊下で待ってくれていた。さっき着ていた私服も緑色がベースになっていたけれど部屋着も黄緑色だから、そういう色が好きなのかな。


 「本当はお姉ちゃんも入れようと思ってたんだけどねー、誘っても恥ずかしがってばかりでどうしようもなかったよ」

 「恥ずかしがるのが普通だよ」

 「それだと私がおかしいみたいじゃん?」

 「僕はおかしいと思うけどね」

 「え~こんなに可愛い女の子が一緒にお風呂に入ってあげたのにそういうこと言うんだ~」


 自分で言ったら台無しだよそれは。ワキアが可愛いのは否定しないけど、恐ろしいのはワキアが自分の武器をよく理解していることだ。ワキアが病弱なのを忘れてしまうぐらいには怖い。


 僕はワキアに先導されて二階へと上がる。こんなに広いお屋敷なのに、ちゃんと廊下の隅々まで掃除が行き届いている。窓なんかもピカピカだし、小物の上にもホコリ一つないし……僕がそう感心していると、とある部屋の前でワキアが足を止めた。


 「あ、ここお姉ちゃんの部屋ね。準備は良い?」

 「え、何の? もしかして入るの?」

 「そうだよ? お姉ちゃんが中にいるはずだし」


 僕はなんとなくワキアの後をついていっていたけど、流石にベガの私室に入るわけにはいかない。確かに僕はこの屋敷を自由に使っていいとは言われたけど、ベガやワキアの私室はプライベートな空間だから話は別だ。

 

 「いや、流石に僕が入るわけにはいかないよ。僕はちょっとした挨拶に来たぐらいの気持ちだったし、家に帰って荷ほどきもしないといけないからそろそろ……」

 「だいじょーぶだって。烏夜先輩はお姉ちゃんを助けてくれたんだし、それぐらいの権利はあるよ。

  んじゃお邪魔するねー、お姉ちゃん──」


 そう言って笑顔でワキアは、ベガの部屋の扉をノックせずに開いた。


 「え?」


 正面の窓際には一台のグランドピアノが置かれていて、部屋の中には星を模した可愛らしい小物から奇妙なインテリアまで並んでいて、意外にも明るい色合いの部屋だったんだけど──その部屋の主であるベガは着替え中であった。


 「あ、やべ」


 扉が開かれて数秒間、僕とワキアは状況を理解できずベガと見つめ合ったままだったが、先に我に返ったワキアが部屋の扉をそっと閉めた。

 しかしその数秒で、僕ははっきりと……ベガの下着姿を目に焼き付けてしまっていた。


 「あの……烏夜先輩?」

 「ななななななんだい?」

 「見ちゃいましたよね?」

 「いいいいいいや何もみみみみ見てないけど?」


 やっぱりベガには青色が似合うなぁとか思ったよりも大きいんだなぁとか全然考えてないけど?

 しかし僕の動揺っぷりがあからさま過ぎたからか、ワキアは僕を疑うようにジーッと見つめていたが、やがて笑顔で僕の背中をバンバンと叩きながら口を開いた。


 「まー烏夜先輩は悪くないよ! これは事故だもん! たまたま変なタイミングでお姉ちゃんが着替えてただけで──」

 「ワキア」


 その声が聞こえた瞬間、僕の背筋が凍りついた。ついさっきまで笑顔だったワキアの肩を掴みながら、その背後からニコニコと微笑みながら着替え終わったベガが現れた。


 「誰かがいるかもしれない部屋に入る時はノックをする。これは社会に出てからも必要な基本的なマナーよ。何度も教えたでしょ?」

 「そ、そーだったっけな~?」

 「十八回目ね、これ」

 

 いや前科あり過ぎでしょ。

 背後に佇むベガのただならぬ気配を感じているのか、ワキアは冷や汗をダラダラと流していた。僕の目から見ても、ベガは笑顔のまま明らかに怒り狂っているんだけど……ベガは僕に笑顔を向けてきたため、僕はビクッと体が震えた。


 「烏夜先輩。大変失礼いたしました。烏夜先輩は全く悪くありません」

 「いや、ごめんベガちゃん。どう詫びればいいか……」

 「いえ、悪いのは私の不出来な妹です」

 「ひ、ひぇ……お、お姉ちゃん……?」

 

 ベガは笑顔でワキアの背後から彼女の両肩を掴み、ワキアはまるでこの世の終わりかのような表情で体を震わせていた。


 「もう少しお屋敷を見て回られますか?」

 「あ、いや、荷ほどきもあるから今日はお暇させてもらうよ」

 「わかりました。では玄関付近にじいやがいると思いますのでお声掛けください。私はワキアに再教育を施しておきますので」

 「そ、そう……」

 

 再教育って何? その言葉の響き、すんごく怖い。もしかして僕も初犯じゃなかったら再教育されてたの?


 「お、お姉ちゃん? 私、今日退院したばっかりだよ? 病み上がりなんだよ?」

 「退院したならもう大丈夫でしょ?」

 「ひ、ひぇぇ……た、助けて烏夜先輩!」

 

 一体ワキアがベガに何をされるのかわからないけど、ワキアの怯えっぷりを見るにワキアの身にとんでもないことが起きるのは目に見えている。


 「……ごめん、ワキアちゃん。どうかお元気で!」

 「烏夜せんぱーい!?」


 ごめんワキア。僕は罪を君になすりつけてしまった。いや僕が悪かったのかはわからないけど、僕が謝るべき相手はベガだ。

 ごめんベガ……僕はもう一度事故に遭ってこの記憶を消したいよ。そんな謝罪を繰り返しながら、僕は玄関付近にいたじいやさんに声をかけて帰ることにした。


 「今日はありがとうございました。お風呂まで入れさせてもらって」

 「いえいえ、お嬢様達も楽しそうにされていましたよ」


 『ぎゃああああああああああああああっ!?』


 なんか屋敷のどこからか断末魔が聞こえるんだけど。


 「烏夜様のお宅は保護者の方からお伺いしているので、車内でもゆっくりしてくださいませ」

 『ひゃああああああああああああああああっ!?』

 「あのじいやさん、凄い叫び声が聞こえるんですけど大丈夫ですか?」

 「いつものことですので、お気になさらず」

 『ぎぃええええええええええええええええっ!?』


 いや明らかに事件性のある断末魔が響き渡ってるんだけど!? 一体ベガはワキアに何をしているんだ!?

 僕はそんな不安を抱えたまま玄関の前に停められていた車に乗り込んで、家へと送迎してもらっていた。

 そして、絶対にベガを怒らせてはならないなと自分に言い聞かせていた。


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