丁重過ぎるもてなし



 七月二十一日。ようやく僕は退院の日を迎えることが出来たんだけど──。


 「あ、駅前に新しいお店出来てる~」


 隣に座るワキアがキャッキャと無邪気にはしゃぎながら僕の手を掴んできた。


 「ねぇ烏夜先輩。私、退院祝いに新しい服が欲しいな~」

 「あぁ、そう……」

 「買ってくれる~?」

 「うん……」

 「烏夜先輩!?」


 ボーッとしていた僕はワキアのおねだりにテキトーに答えてしまっていたけど、前の助手席に座っていたベガが慌てて止めに入る。


 「烏夜先輩、あまりワキアを甘やかしてはダメですよっ。ワキアはすぐにあれも欲しいこれも欲しいとワガママを言うので、大半は聞き流してください」

 「うん、そうだね……」


 せっかくのベガの忠告も耳から耳へとすり抜けていってしまい、多分すぐ僕は忘れてしまうだろう。


 「烏夜先輩? さっきからボーッとしてるけど、どーかした?」


 隣に座っていたワキアが心配そうな面持ちで僕の顔を覗き込んでくる。今まで質素な病院服姿しか見ていなかったから、ワキアの私服姿はとても新鮮だ。意外とファッションは大人しめというか、淡い黄緑色の薄手のトップスに深緑のロングスカートがシックな雰囲気を醸し出している。

 僕はワキアの方を見て精一杯微笑んで口を開いた。


 「だ、大丈夫だよ……久々に街の景色を見たから、戸惑いが多くてね」


 僕が記憶喪失になってから初めて見る外の世界。ここら辺じゃ一番に栄えているという葉室市の中心街はそれなりの賑わいで、平日でも遊びに来る月学の生徒もいるという。

 だからといって僕の記憶に変化があるわけでもないのだけど、じゃあなんで僕がこんなに戸惑っているかと言うと──その原因は今、僕が乗せられているこの車にある。


 「烏夜様? 何かございましたら遠慮なくどうぞ」

 「あぁいえ、お構いなく……」


 僕の目の前、運転席にはそれっぽい制服を着て帽子を被り、そして白い手袋をつけた運転手がこの車を運転している。僕はあまり車に詳しくないけどこの車は海外の自動車メーカーの高級車だし、僕が座っている後部座席の質感だとか匂いも高級感が凄い。


 ……え? ベガとワキアの家ってそんなお金持ちなの? リムジンじゃないだけマシだったけどこの車も相当高級車だよ? ワキアはこんな車に乗ってるのにどうして呑気にジュースを飲んでいられるの? 緊張するから車内にかかっている上品な雰囲気のクラシック音楽も本当は止めてほしいけどベガとワキアが心地よさそうに聞いているから止めてとも言えない。

 僕がここにいるのは、明らかに場違いだ。



 本来、葉室総合病院を退院した僕は友人達に荷物を持ってもらって電車で帰るつもりだったんだけど、ベガとワキアがどうしても僕を家に招きたいとのことで、ついでに荷物と一緒に車に乗っけてもらうことになったのだ。

 だからこうして僕はベガ達と一緒に帰っているんだけど、はっきり言って全然落ち着かない。執事や召使いが家にいるとは聞いていたから二人の家がお金持ちなのは想像していたけど、このレベルは想像以上だぞ。


 なんてビクビクしていると車は月ノ宮町に入り、月見山北側の麓にある高級住宅街へと入った。整備された木々が並ぶ高級住宅街を進んでいくと、その奥に──うん、やっぱり想像以上の邸宅が見えてきた。


 真っ白な壁に青い屋根が特徴的な三階建ての……カントリーハウス?と言えば良いのだろうか。屋敷全体を見るために顔を左右に動かす必要があるぐらいには大きいんだけど、もう城とか宮殿ってレベルじゃんこれ。アメリカの超お金持ちなハリウッドスターとか芸能プロデューサーとかが住んでる雰囲気だよ。


 敷地の入口には警備員が立っていて、厳重なゲートが開いて車は敷地内に入る。そして屋敷の玄関口が近づくに連れ、玄関口に一列に並んだ一団が僕の視界に入った。


 「お待ちしておりました、烏夜朧様」


 戸惑いつつも車を降りると、屋敷の玄関の前に並んだ十数人のメイド達に僕は圧倒されてしまう。そしてその列から一歩前に出た、スーツに蝶ネクタイ姿でおしゃれな髭を携えた老紳士が僕に丁寧に一礼する。


 「あ、烏夜先輩。この方は屋敷の執事長のホクトです」

 「私達はじいやって読んでるけどね」

 「は、はぁ……」


 執事長って何? 


 「此度はベガお嬢様を、その命を懸けてお救いしてくださったこと、私共一同大変感謝しております。烏夜様が記憶を失われてしまったことは大変心苦しいことですが、せめてものお詫びの印、そして私共の感謝の印として、この屋敷をお好きなようにお使いくださいませ」


 ……フフ。

 お金持ちのお礼、こわぁ。


 「あの、とりあえず解散してもらってもいいですか?」


 こんなにたくさんのメイド達に頭を下げられたままだと落ち着かないので、じいやさんの合図でメイド達は各々の仕事へと戻っていった。


 「えっと……好きなように使うってなんですか?」

 

 そして僕は執事長のじいやさんに素直な質問をぶつけてみたのだが、じいやさんとベガはきょとんとした表情をしていて、その様子を見ていたワキアが一人大笑いしていた。


 「烏夜先輩ならいつでも出入りOKってことだよー。多分顔パスで入れるよ」

  

 逆に出入りにそんな厳しく制限とかかかってるんだ。まぁ入口に警備員いたもんね。


 「もし何かお困りでしたら遠慮なく当家にお伝え下さい。当家が何事も全力でサポートしますので。

  これは、私とワキアで決めたことですから」

 

 自分の家のこと当家って言うんだ。


 「あの……僕も過去に色々とあったみたいなんですけど、一応住む場所もありますしそんなお世話になるわけには……」

 「ちっちっち。デリカシーが無いね烏夜先輩。一応私も共同で家主ってことになってるけどね、烏夜先輩が自由に出入りできるようにって決めたのはお姉ちゃんなんだよ。

  烏夜先輩は体を張ってお姉ちゃんを守ったんだよ? お姉ちゃんはもうとっても感謝してるってこと」


 そのお礼がしたいってのはわかるし、僕はこれまでの入院生活で十分お礼はされていたつもりだったんだけど、これはちょっとスケールが桁違い過ぎる。


 「そ、そういうわけなんです……」


 自分の気持ちを代弁されてしまったベガは両手で顔を隠しながら恥ずかしそうにしていた。


 「これはお邪魔ですかな。では烏夜様、ごゆるりとお楽しみくださいませ」


 執事長のじいやさんは気を利かせて業務へと戻ってしまった。

 僕はただ軽くお茶でも飲んで帰るつもりだったんだけど、これはすぐに帰れそうにないなぁ……。



 琴ヶ岡邸には庭園もあり、専用の技術を持った職人達が毎日手入れをしているそう。これだけ大きな屋敷になると中を掃除するにも人手が必要で、なんとメイド達の殆どは住み込みで働いているんだとか。小公女の世界か?

 僕はベガとワキアに屋敷の中に通されて客間に案内されたけど……客間は吹き抜けになっていて、大きな窓からは屋敷の裏手にある美しい庭園が見えた。それにもう王族が住んでいるような宮殿かってぐらい広いし内装も豪華だ。暖炉とかあるんだけど火事になったりしないの?


 「烏夜先輩、こういうの初めて?」


 紅茶を一口飲んだワキアがニヤニヤしながら言う。


 「中々落ち着かないね。凄く場違いな感じがして……」

 「そうですか? とてもお似合いだと思いますよ?」

 「褒め言葉だと受け取っておくよ……」


 僕はベガに出された紅茶に口をつける。飲んでもどこの産地だとか全然わからないけど、多分僕には勿体ないぐらいの高級な茶葉なんだろうなってのはわかる。だって食器の雰囲気の時点でエレガントなんだもん、そりゃ手も震えるよ。


 「なんだか、二人って僕が想像していた以上にお金持ちなんだね……」

 「よく言われるよ」

 「でも私達の両親が凄かったというだけで、私達自身は普通ですよ。ね、ワキア」

 「そだねー」


 いやもうベガはその紅茶を飲んでいるだけの所作でもお嬢様ってのが十分にわかるんだよ。しかもワキアと色合いは違うけど髪の青いリボンに合わせているのか白のブラウスに青いロングスカートを合わせていて、完全に雰囲気がフランス人形。この二人が現実に存在しているってことがもう恐怖に感じるぐらいだ。


 「先程じいやが言っていましたが、いつでもこの屋敷にいらして結構ですよ。体を動かしたかったらテニスコートなんかもありますし」

 「え、なんのためにあるの?」

 「テニスをするためですけど……」


 そりゃテニスコートはテニスをするための場所だろうけど、どうしてそんなのが家にあるの? ベガとワキアって楽器しか触ってないイメージあるんだけどテニスを嗜むこともあるの? もうそこら中から金持ち感溢れてて怖いんだけど。


 「もしかしてプールとかもある?」

 「はい、ありますよ。もう夏場ですから気持ち良いかと思います」

 「あるんだ……」


 ワキアの携帯でこの家の裏手にあるプールの写真を見せてもらう。学校のプールより広そうなんだけどどういうこと?


 「もしかして映画館とかも?」

 「うん、地下にあるよー。あまり大きくないけど」

 「あるんだ……逆にこの屋敷に無いものって何?」

 「ボウリング場とか?」

 「前に作ろうという計画もありましたけど、メイドの方々もあまり使う予定はないと言っていたので中止になったんですよね」


 計画自体はあったんだ……お金持ちの考えることってわからない。


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