命の恩人
「ベガちゃんは、もうすぐヴァイオリンのコンクールがあるんだっけ?」
僕が目覚めてからベガは毎日僕のお見舞いに来てくれている。ベガが話す内容は半分がヴァイオリンに関係することで、残り半分は幼馴染だというアルタに関係することだ。
「はい、来月の末にあるんです。今日の昼間もずっと練習をしていて、そのコンクールの予行演習として、来月の月ノ宮神社の七夕祭の本祭でミニコンサートを開くことになっているんです。
そこでどんな曲を弾こうか、少し迷っていて……」
そういえば七夕祭の話は僕も他の友人達やワキアからよく耳にしている。そもそも僕が事故に遭ったのは、その七夕祭当日の出来事だったわけだし。
月ノ宮町にある月ノ宮神社では元々旧暦の七夕に七夕祭を開催していたらしいけど、新暦の七月七日にも開催されるようになり、今も八月の七夕祭が本祭として扱われていてより盛大になるらしい。
「予行演習なら、やっぱりコンクールの課題曲を弾けば良いんじゃない?」
「でもやっぱりお祭りなので、もう少し明るい曲にしたいんです。それこそ流行りのポップな曲をカバーしてみたりだとか……」
ヴァイオリンカバーか。ピアノのカバー曲は動画サイトなんかでもよく見かけたりするものだけど、ヴァイオリンでカバーできる曲となると結構制限が厳しそうだ。演奏の難易度というか編曲の難易度というか。
「良いね、J-POPのカバーメドレーなんてどうだろう? クラシックの落ち着いた雰囲気もいいけど、やっぱりたくさんの人が知ってる曲も良さそうだね」
「昔に流行った定番の曲とか……最近の歌手ならナーリアさんの曲も良いですね。あの人の曲はヴァイオリンのアレンジも出来そうですし」
「ナーリア……」
ナーリア・ルシエンテス。確か昔はアイドルとして活動していたけど諸事情でアイドルグループを脱退して、今も歌手として活躍している人だ。
最早一般常識というか、歌番組でよく見かける人だから僕も勿論知っているけれど……どうして彼女の名を耳にすると懐かしい感覚に襲われるのだろう?
「ねぇ、ベガちゃん。ちょっとおかしな質問になるかもしれないけど、以前の僕とナーリアは面識があったと思う?」
「いや……私は知らないですね。確かにナーリアさんは月学のOGですけど、最近月ノ宮に来たという話も聞きませんよ。烏夜先輩とナーリアさんがお知り合いだった可能性は否定できませんけど……」
携帯の連絡先を確認して彼女の名前があればわかりやすいんだけど、生憎僕は事故に遭った時に携帯を紛失してしまっている。
月ノ宮出身なら面識があったという可能性は否定できないけど、そんな有名人と知り合いだっただなんて信じられないもんなぁ……。
「ぐごー」
僕とベガが話している間、ワキアはベガの体に寄りかかっていびきをかいて寝ていた。今時ぐごーっていびきをかく人がいるものかね。もうちょっと可愛らしくスゥスゥと寝息を立てるものかと思っていたんだけど、すんごいアホ面かいて寝ている。
「ワキアちゃん、中々起きないね。退院の準備は大丈夫そうかな?」
「慣れてるので大丈夫ですよ」
「そ、そうなんだ……」
それに慣れてるってのも凄いなぁ。多分ベガもワキアが突然入院することになっても準備が完璧なんだろうなぁ。
ベガは幸せそうな寝顔のワキアの頭を撫でながら口を開く。
「ワキアったら、私と会うと烏夜先輩の話ばかりしてくるんです。ワキアが入院していた時も私やアルちゃんが毎日のようにお見舞いに来ていたんですけど、やっぱり頼りになる人が隣の病室に入院していると楽しいんだと思います」
「そ、そうなのかなぁ……」
そういえばベガとワキアもご家族を八年前のビッグバン事故で亡くしていたんだっけ。執事や召使いがいるとは言っていたけれど、どれだけ友人達がお見舞いに来てくれたとしてもやっぱり病院という環境は心が落ち着く場所ではないだろう。ワキアは他の入院患者や看護師さん達と楽しそうに過ごしているけれど、やっぱり心の何処かに寂しさを感じていたのかもしれない。
「私は、烏夜先輩にとっても感謝しているんです」
ベガは改まった様子で、僕の手を握ってきた。
「命をかけて私を事故から庇ってくれたことは勿論、烏夜先輩がワキアの遊び相手になってくれていることは、本当に感謝してもしきれないんです」
「……いや、それほどでもないよ。僕もワキアちゃんのおかげで楽しい入院生活を送れているよ」
もし僕が事故に遭っていなかったら、こうしてワキアと楽しい毎日を過ごすことはなかったはずだ。そういう意味では、記憶喪失になるという大きな障害を抱えることになっても良い経験だったと思う。
「でも、厚かましいようですが一つだけワガママを言わせてください。ワキアが退院した後も、烏夜先輩がお暇な時だけでも構わないので、ワキアの遊び相手になってくださいませんか?」
そう言ってベガは寝ているワキアの体を支えながら僕に深々と頭を下げた。僕はその姿に少し面食らってしまったけど、慌てて頭を上げるように言った。
「ベガちゃんに頼まれなくても、僕はきっとそうしていたよ。もうすぐ夏休みに入っちゃうけど、もしよければどこかに遊びに行ってみたいね。僕は友人達と海や遊園地に行く予定があるみたいだし」
「ありがとうございます、烏夜先輩……貴方も一緒なら、ワキアもきっと喜ぶと思います」
ベガも色々と大変だろうに、なんて妹思いなんだろう。僕もワキアと一緒にいると楽しいし、何より彼女の病状の不安も大きかった。ワキアはいつも平気そうに振る舞っているけれど、さっきも発作を起こしていたし、そんなに体が丈夫じゃない。
アウトドアは厳しいかもしれないけれど、ワキアにとって楽しい思い出が作れるように僕も協力したかった。
やがて面会時間も終わり、ベガはワキアを病室に運んで帰ってしまった。
ベガはワキアのためにと病院に泊まっていくことも少なくないけれど、最近は僕のために病院に泊まっていることも多かった。ベガが原因ではないはずだけれど、あの事故をきっかけに僕が記憶喪失になってしまったからベガは負い目を感じているに違いない。
僕は全然気にしていないし、今の生活も楽しいと感じられているんだけど……ベガのためにも、早く記憶を取り戻さないと。
そんなことを考えていると病室の扉がノックされた。ワキアが起きたのか、それとも看護師さんがやって来たのか、そんなことを思いながら返事をすると扉が開かれた。
「こんばんは」
現れたのは、ベガやワキアと同じ銀髪を持ち、髪のサイドに黒薔薇の髪飾りを着けた容姿端麗な女性だった。黒いリボンのついた白いブラウスに黒のサスペンダースカートがクラシックな雰囲気を醸し出していて、カツ、カツとブーツの靴音を響かせて僕のベッドまで近づいてきた。
「こんばんは……すいません、どちら様ですか?」
彼女のあまりの美しさに言葉を失っていた僕は、彼女にまずそう聞いた。僕が記憶を失ってからこんな人が来たのは初めてだ。同じ銀髪だしベガやワキアの親族だろうかと思っていると、彼女は僕に微笑んでみせた。
「残念ね、私のことも覚えていないだなんて。
私はエレオノラ・シャルロワ。月ノ宮学園三年生、生徒会長をしているわ」
せ、生徒会長……そう言われても確かにと納得できるだけの風格がある人だ。前に副会長で僕と古い付き合いだという明星一番って先輩も来たから、その人の同級生か。
会長は僕のベッドの前を通り過ぎると窓際へと向かい、そして窓の向こうに広がる星空を眺めながら言った。
「やっぱりここだと街の光で星が見えづらいわね。月ノ宮の方が綺麗に見える」
窓から差し込む月光が会長の銀髪をより煌めかせる。いや、この病室からも十分星空は綺麗に見えるけれど、そんなに月ノ宮の星空は綺麗なんだろうか。
「あの……面会時間過ぎてますけど、どうやって入ってこられたんですか?」
「私の一族がこの病院を経営しているの。そこら辺の些細な融通は利くわ」
え? もしかしてこの方もすっごいお金持ちでいらっしゃる? 確かにお嬢様って雰囲気が凄いし、いやだとしたらなんでそんな人がわざわざこんな時間に僕のお見舞いに来てくれたのだろう?
「あの……つかぬことをお伺いしますけど、以前の僕は貴方と知り合いだったんですか?」
「えぇ、そうね。私の知人の中に似たような顔がいた気がするわ」
つまりそこまで親しくはなかったということか? 以前の僕はきっと凄い女好きだっただろうから、絶対僕が一方的にラブコールを送っていただけなんじゃないか。
「ちなみに以前の僕はどういう人間でしたか?」
「人間のクズね」
うーん。薄々僕は僕自身のことをそう思い始めていたけど、実際に言葉に出されるとすっごい心が傷つく。ていうかこの人、こんななりでそういうこと平気で言う人なんだ。
そう僕が若干失望していると、会長は僕に微笑みかけて口を開いた。
「でも、その評価を訂正しないといけないかもしれないわね。実は七夕の日、私は貴方と会っているの。貴方が事故に遭う直前に」
「そうなんですか?」
そういえば事故当日の話はあまり聞いたことがない。僕が友人達と七夕祭に行っていたことは知っているけど、同じ事故に遭ったベガから聞くわけにもいかなかったし、初めて聞くことになる。
「あの時の貴方はどういうわけかとても慌てている様子で、偶然出会った私に軽く挨拶しただけで暗い山道の方へ大急ぎで向かってしまったわ。
その時の貴方がとても切羽詰まった表情をしていたから、私も気になって後からついていくと……急なカーブの崖下で頭から血を流して気を失った貴方と、そんな貴方の側で泣いているベガという少女を見かけたの」
「じゃ、じゃあもしかして救急車とかを呼んでくれたのって会長なんですか?」
「えぇ、そうね」
……この人、僕の命の恩人じゃん。きっとベガは目の前で事故が起きて何もわからないまま自分を庇った先輩が目覚めなくてかなり気が動転していただろう。会長が機転を利かせてくれなかったらと思うと恐ろしい。
「ありがとうございます。僕は会長のおかげで助かったんですね」
「そんな素直にお礼を言われると寒気がするわ。まるで別人と話しているみたい」
「以前の僕はそんなクズ野郎だったんですか?」
「えぇ、仕方がないくらいに」
僕は真摯にお礼を言ったつもりだったんだけど、会長に軽く笑い飛ばされてしまう。
何だか高貴な雰囲気で立ち振る舞いもいかにもお嬢様という感じの人だけど、意外に無邪気に可愛らしく笑う人だ。そりゃ以前の僕もしつこくラブコールを送っていただろう。そのラブコールは一ミリも届いていなかったみたいだけど。
「事故からもう二週間ぐらい経つけど、本当に何も思い出せてないの?」
「まぁ、全くと言っていいほど思い出せてないですね」
すると会長は窓際から僕のベッドの方までやって来ると、屈んで僕に目線を合わせて──突然僕の顎を掴んでクイッと上げて口を開いた。
「じゃあ、私と交際していたことも忘れちゃった?」
会長がそう口にした時、僕の襲った感情は……戸惑いでも驚きでも喜びでもなく、何故か恐怖だった。
僕が返答に困っていると、会長は無邪気に微笑んで言う。
「冗談よ。貴方と付き合うだなんて想像するだけで虫唾が走るわ」
……この人、そういう冗談とか言うんだ。
「そ、そうですか……」
会長は僕をからかうだけからかって満足したのか、長居せずに帰ってしまった。
本当に何だったんだろう。でも会長は僕のことを気にかけて救急車を呼んでくれたんだし、また学校とかで出会ったら改めてお礼を言っておきたい。
──じゃあ、私と交際していたことも忘れちゃった?
でも……なんであんなに美しい人からそんなことを言われたのに、僕は本能的に恐怖を感じたんだろう?
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