内気な少女、カペラ・アマルテア
病室を出てトイレに向かったその帰り。廊下を歩いていると、長いクリーム色の髪の少女とすれ違う。白シャツにグレーのスカート、そして水色のストールを羽織っていて、長い髪の先には赤いリボンを着けている。前髪を結構長めにしていて目元は隠れていた。
どうやら入院患者ではなさそうだけど、その少女の容姿が僕の頭に残ったのは……片足を悪くしているのか、彼女が杖をついていたからだ。
しかしそれ以上は気に留めず病室へ戻ろうとした時、廊下の後ろからビターンッ!ともの凄い音が響いた。
慌てて後ろを振り向くと、さっきすれ違ったばかりの少女が廊下に仰向けに転んでしまっていた。
「だ、大丈夫かい!?」
あまりにも見事な転びようで、僕だけじゃなくて他の入院患者や看護師さん達も少女の元に駆け寄った。
「だ、だだだ大丈夫ですっ、すみません」
少女は他の人の手を借りて立ち上がり小さな声ですみませんすみません、ありがとうございますありがとうございますとペコペコしていた。そして僕が拾った杖を少女に手渡すと、その長い前髪に隠れた目で僕のことを神妙そうな面持ちで見ながら口を開いた。
「どこかで、会ったことがある気が……」
え、もしかしてこの子も以前の僕と知り合いなのか?
しかし今の僕は絶賛記憶喪失中であるため何も思い出せなかったが、少女は「あ、そうだ」と少し笑顔をほころばせて言った。
「確か月学の先輩ですよね? あの、ワキアちゃんの病室を知りませんか?」
「ワキアちゃん? ワキアちゃんなら僕の病室にいると思うよ。案内するね」
「あ、ありがとうございます」
彼女は杖をついているため、僕は彼女の歩くペースに合わせて病室へと案内した。
僕の病室に戻るとやっぱりまだワキアがテレビを見ているところだった。
「あ、烏夜先輩おかえり~……って、カペちゃんだ!? どうして烏夜先輩と一緒に!?」
「わぁちゃん久しぶり。さっきそこでこけちゃったんだけど、この人にも助けてもらったんだ」
やはりこの子はワキアの知り合いのようだ。彼女の分の椅子も用意して僕はベッドの上であぐらをかいて、杖をついた女の子はちょこんと椅子に座った。
「あれ? カペちゃんって烏夜先輩と面識あったっけ?」
「ううん、何度か学校で見かけたことがあるだけで、話したのは今日が初めてだよ」
「じゃあ自己紹介が必要だね。ほらカペちゃん、烏夜先輩に可愛くアピールして」
「へ、へぇ!?」
「いや、普通にしてもらっていいよ」
わざわざアピールしてもらわなくても十分に可愛らしい雰囲気の子だ。残念ながら以前の僕と面識が無かったようだけど、彼女は恥ずかしそうに伏し目がちになりながら小声で言う。
「わ、私はカペラ・アマルテアって言います。カペラって呼んでください。私はわぁちゃんとは同じクラスで、えぇっと……ふ、不束者ですが、よろしくお願いします!」
なんでかわかんないけど改まった雰囲気の挨拶をされてしまった。そういうのってビジネスとか結婚の挨拶とかに使うやつじゃないの?
そんなことを考えていると、ワキアが僕の脇腹を小突きながら言う。
「ね、烏夜先輩。どう? ウチのカペちゃん、もう~抱きしめたくなるぐらい可愛いでしょ?」
「うん」
「へ、へぇ!?」
ワキアの意見には同意するしかない。カペラは顔を真っ赤にして、羽織っていたストールで顔を隠してしまったけど。
「あ、僕は烏夜朧……って名前なんだっけ?」
「合ってるよ~。あ、そうだったカペちゃん。この人二年の先輩なんだけど、今ちょっとした事故で記憶喪失になってるんだ~」
「へ、へぇ!? き、記憶喪失に……? あ、もしかしてベガちゃんを事故から庇った人ですか?」
「そうらしいよ。だから自己紹介するにしても、自分の名前すらあやふやなんだよね。アハハ」
と、僕は自虐気味に軽く笑い飛ばした。実際自己紹介しようにも僕は自分の趣味嗜好を全然思い出せていないから、本当に僕の名前なのかも自身が持てないまま名乗ることしか出来ないのだ。
「そんな烏夜先輩の趣味はね、女の子をナンパすること。夢はハーレムを築き上げること!
カペちゃんも可愛いから烏夜先輩の毒牙にかからないよう気をつけないとね」
「どういう意味!? 流石に今の僕はそんな節操なく女の子に声をかけたりしないよ!? あ、カペラちゃんが可愛くないとかそういうわけではなくてね……」
「わ、私はまだ男性の方とそういうお付き合いをする勇気は……」
「も~本当にウブなんだから~」
どうだろう、以前の僕がもし見かけた女の子全員をナンパしていたのなら僕もそうする方が自然なのだろうか? もしかしたら昔やっていたことを繰り返していたら何か思い出せるかもしれないし……でもカペラはもの凄く内気な子みたいだし、あまり突っかかるのは良くないな。そもそも今の僕にそんな勇気はない。
「あと烏夜先輩。カペちゃんを見てて何か気になることない?」
「え、いや特には……」
「え~もうちょっと興味を持ってあげてよ。ほらカペちゃん、杖をついてるでしょ?」
そう、さっき廊下で出会った時からカペラは杖をついて歩いていた。松葉杖や視覚障害者が使う杖ではなく、足を悪くしたご老人なんかが使う杖だ。
ちょっと僕の方からは触れづらいことだなぁと思っていたけど、ワキアが話すのかそれを。
「実はね、カペちゃんも私と一緒で八年前のビッグバン事故で足を悪くしちゃったの。最初は車椅子が必要なぐらいだったんだけどね、カペちゃんはとぉってもリハビリを頑張って一人で歩けるようになったんだよ」
「へぇ~よく頑張ったんだねカペラちゃん」
「あ、あぅぅ……」
カペラも八年前のビッグバン事故という出来事で被害に遭っているのか。車椅子が必要って相当な具合だと思うけど、まだ小さかっただろうによく頑張ったなぁ……見習わないと。
なお褒められている当人はずっと恥ずかしそうにストールで顔を隠してしまっている。
「あとね、カペちゃんって絵がすっごく上手で漫画も描いてるんだよ。ネットにも公開してて人気絵師なんだよ~」
「わ、わぁちゃん、恥ずかしいからもうやめて……」
最近はネットで色んな作品を投稿できるから、活躍するための裾野が広がっている。そういう世界で人気になれるだなんて憧れるけど、一体どれほどの腕前なんだろうと僕は興味を持った。
するとカペラは鞄からタブレットを取り出すと、それをワキアに見せる。
「その、わぁちゃん……今日も新作を持ってきたんだけど、見る?」
「見たい見たい! あ、烏夜先輩も見る?」
「え、見ていいの?」
と僕がカペラの方を見たら、彼女は顔を真っ赤にして体をプルプルと震わせていた。
「あ、いや僕は遠慮しておくよ。流石に恥ずかしいだろうし」
「でもカペちゃん。やっぱりこういうのって男の人の意見も聞いた方が良いと思うよ?」
「う、うぅ……じゃ、じゃあお願いします……」
そして僕はワキアと一緒に、カペラが描いた漫画を読むことになった。
物語の主人公は内気な女子学生で、彼女には憧れの男子の先輩がいる。彼は地元の劇団に所属していて俳優を志しており、しかもモデルとして活動するなど他校でも人気の先輩で、主人公は自分なんかは釣り合わないと自信を失っていたが……ひょんなことからそんな先輩のサポートをすることになる。
実は先輩は過去にあるトラウマを抱えていて、それが引き金となって舞台で大事件が起きてしまう──というストーリーであった。
「う~ん、かっこいい先輩には隠された裏が……これは気になるねぇ」
タブレットを出し決めながらワキアは興奮した様子で語る。物語は途中で終わっていて、続きはまた今度描くとのことだ。
物語に登場する男子の先輩は男の僕の目から見ても格好良いけど、主人公の女の子はなんだかもう気の毒に思うぐらい内気で引っ込み思案な子で……あまりこうは言いたくないけど、多分自己投影してるよなぁ、これ……。
「あ、あまり良い続きを思いついてなくて、何か助言がほしいなぁ、と思って……」
「じゃあこの先輩、実は過去に人を殺したことがあるとか?」
「いくらなんでも前科ある人相手にラブコメは厳しいんじゃないかな?」
「じゃあ逆に殺されたことあるとか?」
「先輩急に幽霊になっちゃったよ」
ワキアがちんぷんかんぷんなアイデアを出す一方で、僕も素人ながらアイデアを練ってみる。以前の僕が一体どれだけ小説にしろ映画にしろアニメにしろ創作作品に触れてきたのかわからないけど、もっと先輩を魅力的なキャラにしてみたいなぁと考え……。
「この先輩、普段は格好良いけど普段は自堕落というか、主人公にだけ何か弱みを見せるとかどう?
皆の憧れの人だけど、実は弱点があってみたいな」
「成程、ギャップってやつだね。ピーマンやニンジンが苦手とか?」
「ま、まぁそれもありかもしれないけど……」
僕はワキアと少しふざけていたけど、一方で僕のアイデアを聞いたカペラは急に真剣な表情になって何か考えているようだった。
「ギャップ……確かにいいかもしれないですね、それ。
ごめんわぁちゃん、急にインスピレーション湧いてきたから帰るね」
「え、烏夜先輩のアイデアが役に立ったってこと?」
すると椅子から立ち上がり杖を手にしたカペラは、僕に深々と頭を下げてから言った。
「ありがとうございます、烏夜先輩。先輩のアイデア、参考にさせていただきます」
「な、何か助けになったなら何よりだよ」
「で、では失礼しますっ」
「気をつけて帰ってね~」
カペラは半ば早足で杖をつきながら病室を去っていった。内気でオドオドしていたカペラが急にやる気をみなぎらせていたから僕もびっくりしたけど、それはカペラの友人であるワキアも同じようで呆気にとられているようだった。
「何だかああいう感じのカペちゃん珍しいね。凄いよ烏夜先輩、カペちゃんのやる気スイッチ入れたじゃん」
「そ、そうだったのかなぁ……カペちゃんっていつも恋愛の漫画を描いてるの?」
「うん。もうベッタベタの甘々で呼んでて恥ずかしくなっちゃうぐらいの」
恋に恋するお年頃、という感じか。ワキアという熱心な読者が身近にいるのもきっと心強いだろう。同じ八年前のビッグバン事故で体を悪くしてしまった者同士、何か通じ合うものがあるのかもしれない。
誰に対してもフランクで陽気なワキアと、内気で人見知りなカペラ。見事に対照的な二人だけど、僕はこの二人の仲がずっと続けば良いなぁと思っていた。
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