レギナの不安



 とうとう七月に突入し、第一部の最終日である七夕まで一週間を切った。

 幸か不幸か、あの芸術家の男が死亡したことによってスピカやムギの周囲のゴタゴタはすっかり静かになり、ムギも七夕祭に向けて毎日自宅のアトリエでキャンバスに向かっているようで、学校でも天井を仰ぎながらブツブツ思案していることも多くなった。


 結局、あの芸術家の男は事故死という風に処理されてしまった。今朝、取材対応やら何やらですっかり疲れ切った様子で帰宅した望さんからそう耳にした。

 だがどうも腑に落ちない。俺は八年前のビッグバン事件の犠牲者を直に目にしたことがあるが、展望台から転落したとしてもあんな風に血が流れるとは思えないのだ。何らかの圧力がかかったのか、おそらく手を引いているのはシャルロワ家、いや会長……そう決めつけるのは早計か。本人は関係ないと言っているし、あまり深く突っ込むと俺まで消されかねない。

 結果的にスピカやムギルートのイベントから不安が取り除かれた形になってしまったが、死人が出てしまったから素直に喜べない。


 「ま、負けた……」


 そしてショックな出来事がもう一つ。今日までに期末考査の結果が全て返却され順位も決まったわけだが、学年トップと豪語していた烏夜朧、つまり俺の成績はというと……全ての教科の点数が下がってしまい、学年順位は十五位という結果であった。


 「お前はテスト期間中に色々とやらかしてたからだろ」

 

 大星は不安な教科の赤点も免れ、全体的な成績は中の上ぐらい。何よりも驚きなのは、月学独自のカリキュラムである天文学系の教科の点数がかなり伸びていたことだろう。あんなに宇宙とか星とか大嫌いだったのに、俺が知らない間に奴もかなり成長している。

 というか大星、俺はお前が美空ルートに入ったせいでレギー先輩とスピカとムギと三股してるみたいな状況に陥ってるんだよ! 夢みたいだけどどうすればいいんだよ!


 「烏夜さんも色々とありましたからね……」


 実際期末考査前からあまり勉強に時間を割けなかったし、期間中もスピカやムギルートのイベントが立て続けに起きていて、俺の精神までズタボロだった時期だった。多少の情状酌量は欲しいが、単純に前世の俺の人格が邪魔をして朧がバカになってるだけだとは思う。俺も俺なりにちゃんと勉強していたつもりだったんだけども。


 「でもスピカは一位じゃん」


 ムギがスピカの脇腹を小突きながら言う。

 そう、学年トップの座から陥落した俺の代わりに学年トップに輝いたのはスピカだった。確かにスピカルートのグッドエンドでもスピカって朧を越すぐらい成績が良くなっていたが、今回は俺が下がり過ぎだ。ていうかスピカだって俺のせいで色々大変だったのに、よくちゃんと点を取れたものだ。


 「そ、それはそうだけど、もしも烏夜さんが本調子だったらこうはいかなかったはずです」

 「それはスピカちゃんにも言えることだよ。僕の完敗だ……夏休み明けの中間考査は負けないからね!」

 

 俺は調子に乗って学年トップと豪語していたが、こんなに成績が下がったとなるとうかうかしてられない。点数だけじゃなくて順位として結果に出るのも残酷だ。一位から十五位なんて、ヨーロッパとか南米のサッカーの強豪国が国際大会で負けまくったみたいな成績だからなぁ。

 俺だっていつかは進路を決めないといけないし……いや、俺が生きて年越し出来るかもまだ微妙なところではあるが、夏休みは第二部のヒロイン達をチェックしながら少しは勉強しないとな……。


 「でも、皆赤点を回避できてよかったね! これで夏休みは思いっきり遊べるよ!」

 「一番不安だったのはお前だったけどな」

 「ま、まぁギリギリだったけど頑張ったもん! もうすぐレギー先輩の舞台もあるし、七夕祭もあるし、それが終わったらすぐ夏休みだよ! 予定空いてる日を教えてくれたら私がセッティングするから、夏休みまでに教えて~」


 夏休みの予定か。今のところ大星達と海、遊園地、七夕祭の本祭に行く用事もあるが、俺は喫茶店のバイトも週三で入る予定だし、何なら模試だって受けておきたい。

 しかし、最優先は第二部のヒロイン達のイベントを追うことである。


 

 放課後、大星と美空はレギー先輩の舞台の手伝いのため葉室市まで向かった。次の日曜が本番で、舞台の準備も大詰めという段階だ。幸いにも大星達が諸々のトラブルを解決してくれているようだが、本当にそっちはつつがなく進んでいてほしい。


 一方で俺はスピカとムギに一緒に帰ろうと誘われたため一緒に校門まで向かうと、校門前にモノトーンファッションで、サイドに巻いた星柄のリボンが特徴的な女性が笑顔で俺達を待っていた。


 「あ、ど、どうも……」


 月学OGで世界的な芸術家、レギナさんが俺のことを見て気まずそうな表情で挨拶してきた。


 「いや、だから僕は気にしてませんって」

 

 前にコガネさんに呼ばれて俺はレギナさんに謝られたし許したはずなのに、俺をぶん殴ったことを未だに申し訳なく思っているようだ。

 そんなオドオドしているレギナさんを見て、スピカとムギが彼女に声をかけた。


 「レギナさんではないですか。一体どうして月学まで?」

 「ムギちゃんに用事があるんだよ。いや、スピカちゃんや朧君にも関係あることなんだけどね」

 「わ、私に?」


 ムギに用事がある、という状況は前に会長がコンクールの件についてムギに報告した時と状況が似通っている。

 そのため若干の不安に襲われたが、レギナさんはムギに笑顔を向けて口を開いた。


 「実はね、七夕祭のコンクールのことなんだけど……お祭りが開催される七夕の日に本選をすることになったんだ。選考委員が予め選んだ五つの作品の中から、当日に七夕祭の来場者の投票で最優秀賞を決めてもらう、かつての方式に戻ったんだよ。

  そして五つの作品の内一つは、ムギちゃんのために残してある」

 

 前に会長と芸術家の男が揉めていた七夕祭のコンクールの選考方法は、会長が言っていた以前の方式に戻ったのか。作品こそ訳あって無くなってしまったが、最優秀賞を取るだけの腕があったムギを参加させるためだろう。そんな半ば身内贔屓のような融通を利かせることが出来たのは……あの芸術家の男が死んでしまったからだろう。


 「七夕祭の前日に選考委員はもう一度集まるから、出来ればその日のお昼までに仕上げてほしいんだ。かなりの短期間になると思うけど間に合いそうかい?」

 「う、うん。もう完成図は見えてるから」

 「良かった。ボクも選考委員の一人だからアドバイスとかは出来ないけど、ボクは君のことを応援してる。もし良かったら、月学を卒業後にボクについて来ない?」


 レギナさんからのまさかの提案に、ムギだけでなくスピカまで驚いていた。勿論俺もびっくりしたが、ムギにとっては夢のような提案だろう。レギナさんは芸術家としての腕は勿論のこと、世界を旅しているから様々な芸術に触れることだって出来るし、自分の才能を認めてくれているのも大きいだろう。

 しかし、ムギは首を横に振った。


 「私は家の中で一人で描いていた方が落ち着くし、旅とか疲れそうだからやだ」


 そう、ムギはまぁまぁインドア派だ。スピカと一緒に出かけることこそあれど行動範囲は俺達に比べてかなり狭い。対するレギナさんは初代ネブスペでも描写があったが、とにかく絵にしたい風景を探し求めて各所に足を運ぶのである。ムギとレギナさんでは少し芸術のスタイルが違うのだ。


 「そ、そんな……別に移動してばかりってわけでもないし、生活費ぐらいはボクでも出せるよ?」

 「でも私は月ノ宮が好きだし……友達の帰りを、ここで待っていたいから」


 ムギが言う友達とは、彼女の親友である朽野乙女のことだろう。乙女はまだ、俺達の想い出の中で強く生き続けている。

 一方で魅力的な提案を断られたレギナさんは、絶望の表情を浮かべながら項垂れてしまっていた。


 「そんな……ムギちゃんと旅先であんなことやこんなことをしたかったのに……」

 

 もしかしてレギナさん、ムギに対して邪悪な劣情を抱いてますか?


 「わかります、その気持ち」


 項垂れるレギナさんに寄り添うスピカ。どうしてムギはこんなに邪な感情を抱かれることが多いのだろう? どことなくそそられる庇護欲や嗜虐心が人を狂わせてしまうのかもしれない。


 「でも、ボクは諦めないからね!」


 レギナさんはまだムギを自分の弟子にして連れて行くことを諦めていないようだが、ムギは七夕祭に向けての絵に専念するためスピカと共に帰っていった。

 一方、俺は残ったレギナさんと一緒に駅前へと歩いていた。


 「えっと……その……」


 俺と二人きりになった途端、急に気まずそうにモジモジするレギナさん。俺を殴ったことをかなり気にしているらしい。俺は本当に全然気にしていないから、まず俺がこの空気をどうにかしなければならない。


 「ありがとうございます、レギナさん。ムギちゃんのために便宜を図っていただいて……これでムギちゃんも頑張れると思います」


 半ばムギの出来レースのようになっているが、多分ムギは間に合いさえすれば最優秀賞を取れると思う。例え取れなかったとしても、今のムギなら前向きに進むことも出来るはずだ。

 俺が礼を言うと、レギナさんは表情を曇らせながら口を開いた。


 「まぁ……彼がいなくなったことで、障害は無くなったからね」


 あれだけ敵対していても、やはり人の死を喜ぶことは出来ない。あの芸術家の男の死はレギナさんにとっても複雑だろう、俺やコガネさんと一緒に現場を目撃しているし。


 「朧君は、彼が本当に展望台から転落して死んだと思うかい?」

 「いえ……信じがたいですね」

 「選考委員の間でもね、もっぱらの噂なんだよ。彼は消されたってね」


 誰に消されたのか、その黒幕が誰なのか最早考えるまでもない。その証拠こそないが、俺だって会長がそう仕向けたと信じたくはない。


 「ボクはなんだか嫌な予感がするんだ。またこの街で何か起きるんじゃないかって……」


 月ノ宮を影で支配していると噂されるシャルロワ家。あのビッグバン事件の黒幕なんじゃないかという噂もあるし、初代ネブスペではレギナさんやコガネさんを始めとしたヒロイン達の障害として立ちはだかる立場でもあった。


 「ボクやコガネはこの街を離れてしまったけど、それでも好きなんだ……ボク達の故郷はアイオーン星系なんかじゃなくて、この月ノ宮なんだから」


 ネブラ人の故郷であるアイオーン星系は未だ地球から観測されておらず、もはや戦火によって消滅した可能性も説の一つとして挙がっている。それに今、この地球で暮らすネブラ人は宇宙船に乗っていた世代も殆ど残っていない上に、アイオーン星系生まれの純粋なネブラ人は存在しないのである。


 『私達とネブラ人ってどう違うんだろうね』


 昔、朧は乙女とそんな話をしたことがある。今、地球人とネブラ人を区別するものはなんだろうと。もうそんな区別をつける必要はないと思っていたからこそ、乙女はスピカ達と別け隔てなく接していたのだろう。


 「大丈夫ですよ。例え何かが起きたとしても、僕がレギナさんをお守りします」

 「ボク、七夕祭が終わったらイタリアに行くけどついて来る気かい?」

 「レギナさんのためならどこへでも赴きますよ」

 「旅費は自分で払ってね」

 「ムギちゃんにはあんなに優しかったのに!?」

 「だって君、あまり芸術の才能が無さそうだもん」


 これまで散々イレギュラーなイベントは経験している。きっとこれからも、前世の俺が画面越しで見たことのないイベントが起きるだろう。

 今でこそ何とか解決出来ているが、レギナさんが言うようにいつかビッグバン事件のようなことが起きるのではないかと、俺は不安を抱きつつあった。


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