アストレア姉妹編㊺ 愛の力



 日が沈み、すっかり周囲が暗くなってしまった夜十時。俺はアストレア邸の側にある、ローズダイヤモンドが咲いていた花壇を訪れていた。

 そこで、俺はとある人物と待ち合わせをしていた。


 「あの、烏夜さん。一体何をされるつもりですか?」


 俺は事前にスピカに連絡を入れて花壇まで来てもらっていた。会長によって花を取られたローズダイヤモンドは、あの美しい面影はなく今も枯れたままだ。


 「スピカちゃんは、もしローズダイヤモンドの花が咲いたらどうするつもりだったんだい?」


 スピカは八年前に見た美しいローズダイヤモンドの花を見て感動し、もう一度咲かせようと愛情を注いで育てていた。そんなスピカのゴールはローズダイヤモンドの花を咲かせるだけではない、俺はそれを知っている。


 「……ムギに、贈るつもりだったんです」


 八年前、ビッグバン事件の直前。スピカはこの場所でローズダイヤモンドの花を見ているが、ムギはそれを生で見たことがないのだ。そもそも当時の二人はまだ姉妹という関係でも友人という関係でもなかったからだ。

 そのためスピカは、大切な家族であるムギにこの花をプレゼントして、彼女の芸術的な才能に生かしてもらおうと考えていたのだ。その夢は潰えたようにも思えるが、俺はまだ諦めていない。


 「スピカちゃん。ムギちゃんの絵は、訳あってなくなってしまっただろう?」

 「そ、そうですね……」

 「今、コンクールの選考委員会は最優秀作品を改めて選考しているんだけど、議論が紛糾しているらしいんだ。本来なら締切はもう過ぎてるけど、僕はもう一度ムギちゃんに絵を描いてもらいたいんだ」


 俺はムギの絵をこの目で見て感動させてもらった。だからあんな絵を描けるムギの才能を眠らせておく訳にはいかない、俺はもう一度ムギの絵を見たい。


 「だから、ローズダイヤモンドの花を咲かせて、それをムギちゃんに贈れば……それをテーマにして、とても良い絵が描けそうだと思わないかい?」


 七夕の絵、というテーマはやはりどこかありきたりになってしまう。題材は限られているし、七夕祭のコンクールも中々に歴史が古いから多くの応募作品があるためどうしても似ている作品が出てくるだろう。ムギの絵はあんなに素晴らしかったのに、構図が似ているというだけであれだけ難癖をつけられ、最悪の結末を迎える可能性もあった。

 しかし、このローズダイヤモンドは題材としてとっておきだ。この花に伝わるお姫様の逸話も七夕伝説に似ているところがあるし……この花を絵で表現するのは本当に大変そうだけど。


 と、俺は朝から考えていたアストレア姉妹ルートをグッドエンドに導くためのプランをスピカに提案する。

 するとスピカは表情を曇らせて、枯れてしまったローズダイヤモンドの茎を擦りながら口を開いた。


 「それはとても素晴らしい提案だとは思いますけど、どうやってローズダイヤモンドを咲かせるのですか? 次に花を咲かせるのは、早くても数年先だと思います」


 ローズダイヤモンドは普通の草花と違い、水や肥料ではなく『愛情』を栄養にして育つという特殊でロマンチックな植物だ。一度は枯れてしまったローズダイヤモンドだったが、スピカが月ノ宮に戻ってきておよそ三ヶ月程で一度は咲かせることに成功している。

 本来は花を取るという行為自体に問題はないはずなのだが、あの時花を千切った会長に邪念があったのか、ローズダイヤモンドは一瞬で枯れてしまった。今もそのままだが、ならばまた愛を注げば良い。


 「スピカちゃん。ローズダイヤモンドを咲かせる方法を知ってるかい?」

 「愛情を込めて育てることでは?」

 「そう、それも合ってるんだ。でもそれだけじゃない。愛情を込めるってのはね、行動に示すことでも十分なんだよ。例えば……僕達人間が愛を確かめるためにすることって何?」


 先日、このローズダイヤモンドを枯らした張本人から俺はその方法を聞いた。俺も未だにその方法は半信半疑だが、スピカは俺が言っていることの意味を理解したのか、一歩間違えればドセクハラな俺の問いを聞いて、やや顔を赤らめて口を開いた。


 「つ、つまりそれは……ローズダイヤモンドに、直接愛を……!?」


 確か会長は涼しい顔でそう言っていたが、流石に俺も口に出してそれを言うことは出来ず、ただウンと頷いた。

 すると恥ずかしがっていたはずのスピカは良からぬスイッチが入ったのか、たちまち満面の笑みを浮かべて興奮気味に口を開いた。


 「つつつつまり、ローズダイヤモンドとイチャラブ[ピーーー]をすればいいということですか!? どっちが攻めでどっちが受けなんですか!?」


 あ、やべぇ。危惧していたことが起きた。

 いつもはおしとやかなスピカの、下ネタ大好きお嬢様モードのスイッチが入ってしまった……。


 「いや、もしかしたらタチとネコの可能性も……」

 「ま、まぁそれだけじゃなくて、その……かけるだけでもいいとは聞いたよ」

 「つつつつまり、この花を[ピーー]に見立てて[ピーーー]をぶっかけるということですか!?」

 「やめて、大声で言わないで」


 せめて何かオブラートで包んでくれないとスピカの発言がピー音だらけになっちまう。スピカがその意味を即座に理解してくれたおかげで話は早いのだが、このスイッチが入ってしまったスピカはちょっと面倒くさいぞ。このど直球な下ネタを聞かされている俺の方が恥ずかしくなってくる。


 「その、ね……逆に茎を入れるってのもアリらしいから」

 「茎を……茎を!? つまり[ピーー]や[ピー]も可能だと!?」

 「ま、まぁそうだね」

 

 ダメだ、いつもはおしとやかなスピカの頭が完全にピンク色で染まってしまっている。

 一応俺なりにローズダイヤモンドの育て方について調べてみたのだが、愛情を込めて育てることという以外にアドバイスはなかったし、テミスさんに聞いたら「やっぱりS◯Xよ」って真面目な顔で言ってたし、多分方法はそれぐらいしかない。やっぱりエロゲ世界は狂ってる。


 「良いですね……つまりこの茎をムギに入れても良いわけですよね?」

 「いやそれは良くないと思うけど」

 「ムギはどんな風に愛を受け止めるんでしょう……」

 「す、スピカちゃん……?」


 いい加減そのムギに対する謎の邪念を捨てろって言ってんだろうが。このままではスピカと一つ屋根の下で生活しているムギの貞操が不安だ。むしろ今までよくそんな邪念があったのにローズダイヤモンドを育てることが出来たなぁ。


 「落ち着いてスピカちゃん。実はね、この前……一度ローズダイヤモンドが咲いた時、実は会長が蕾にキスをして咲かせてたんだ。だからもしかしたら、スピカちゃんのキスで咲くかもしれないよ」


 あの日、会長は蕾にキスをしただけでローズダイヤモンドを咲かせてみせた。会長の口ぶりを聞くにキスだけで咲かせるためには相当の愛が必要らしいが……どれだけの愛が必要なのか数値化出来るものでもないし、その愛とはなんぞやという感じだ。

 だって会長は、ローズダイヤモンドの花を嫌っていたはずだからだ。


 「キス、ですか……」


 下ネタに興奮してばかりいたスピカは、ようやく気分を落ち着かせてローズダイヤモンドを咲かせる方法を真剣に考えているようだった。流石に手っ取り早いとはいえローズダイヤモンドに[ピー]をぶっかけたり[ピーーー]をするわけにもいかないだろう。俺だってあまり見たくない。

 するとスピカは何かを思いついたような表情で手をポン、と叩いて口を開いた。


 「ちょっとムギを呼んでくるので待っていてください」



 アストレア邸に戻ったスピカはムギを引き連れて戻ってきた。何も説明されていないのかムギは困惑した様子だったが、スピカは花壇の前でムギの正面に立って言った。


 「ムギ。私は、貴方のことを愛しているわ」

 「え、えぇっ!?」


 突然姉から愛の告白を受けたムギは困惑して顔を赤らめてさらに困惑していたが、それに構わずスピカは話を続ける。


 「そして私は、ムギが描く絵をもっと見たいの。そしてもっと多くの人に見てもらって、ムギの絵を皆に褒めてもらいたいの。

  私のせいでムギに辛い思いをさせちゃったけど、ムギの絵には他にはない魅力がある。だから……もう一度、絵を描いてほしい。それはコンクールのためとかじゃなくて、ムギの大切な人、乙女さんのために」

 「お、乙女のため……?」


 ムギの乙女との最後の思い出の品だった絵は無惨にも破り捨てられてしまった。結果的にスピカの善意は悪い方向へ働いてしまったのだが、それでもスピカはムギを応援してやりたいのだろう。


 「私はムギにローズダイヤモンドの花を贈りたいの。この花を見ればきっと良いインスピレーションが湧くと思うから。

  だから、ムギ。一緒にこの花にキスをしましょ」

 「き、キスゥ!? ど、どーゆーこと!?」


 スピカの口から発せられた予想だにしない言葉に驚いてムギはキョロキョロと辺りを見回し、枯れたローズダイヤモンドを見て慌てて目をそらし、そして側で見守っていた俺と目が合うと更に顔を真っ赤にして目を背けてしまった。やめろ、キスを意識されるとこの前のことを思い出して俺まで恥ずかしくなってくる。


 「大丈夫。私とムギの分の愛があればきっと咲くはずよ。覚悟は良い?」

 「ちょ、ちょっと待ってスピカ」


 いつもはスピカをいじっているムギが、珍しくスピカの勢いに気圧されている。まぁいきなり呼び出されて花にキスをしようってバカらしいかもしれないが、スピカは本気だ。俺、このままこれを見てて大丈夫だろうか。

 ムギはスピカにタイムをかけた後、何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、やがてキリッとした表情になるとスピカの方を向いて口を開いた。


 「……スピカ。確かに今回は悪い結果になってしまったけど、それでも私、スピカが応援してくれて、とっても嬉しかった。やっぱりスピカが味方でいてくれると、こんなに嬉しいんだって思えたよ。

  だからね、スピカ。私は……乙女じゃなくて、スピカのことを想ってキスするから」


 メチャクチャいい話してくれてるじゃんと思ってたら、最後急にどうしちゃったんだいムギ?


 「ムギ!? わ、私のことじゃなくて乙女さんのことを……」

 「ううん、スピカが良い。だからスピカも私のことを想ってキスをして」

 「む、ムギ……」


 スピカとムギがお互いのことを思いながら愛のキスをローズダイヤモンドにするの? どういうシチュエーションなのこれ? キマシタワー建てたほうが良い?

 これは一体どうなってしまうんだと思いながら、俺は二人の邪魔にならないよう少し離れて、しかしスピカとムギがローズダイヤモンドにキスをするのがバッチリ見えるようなポジションに立って見守る。


 「い、行くよスピカ……」

 「う、うん……」


 スピカとムギはローズダイヤモンドの側に立つと互いに頷いて、そして目をつぶり──枯れたローズダイヤモンドの茎の部分にキスをした。

 傍から見ればほぼスピカとムギがキスをしているだけのように構図だったが、そんな二人から愛を注がれたローズダイヤモンドはみるみる内に生気を取り戻していく。


 枯れていたローズダイヤモンドの茎や葉が次第に青々と色づいていき、やがて茎の先に蕾が出来ると、宇宙一美しい花を見事に咲かせてみせた。


 「さ、咲いた……!」


 愛の力なんてバカバカしいと、会長は言っていた。

 しかし確かに、星々のような煌めきを持つ幻想的なローズダイヤモンドは、スピカとムギの愛の力で再び輝きを取り戻したのだ。

 空を見上げると段々と曇り空が晴れてきていて、ローズダイヤモンドに負けない輝きを持つ星空が姿を現し、俺達を照らしていた。


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