アストレア姉妹編㊹ もはや死神



 六月二十八日、日曜日。梅雨明けにはまだ遠く、今日も曇り空だ。

 体調もすっかり良くなり、久々に晴れやかな気分で迎えた休日。俺はある人に呼ばれて、月見山の展望台へと自転車を走らせた。


 休日ということもあってか月見山を散歩する人と多くすれ違う。確かに月見山の展望台は地元の人や観光客が多く訪れるスポットという設定のはずなのだが、そういえば何かと重要なイベントの時は周りに人がいたことがなかった。やはり何か大きな力に俺達は動かされているのか、だなんてバカバカしいことを考えていると展望台へと到着した。


 展望台にはちらほらと散歩に訪れた地元の人々の姿が見える。そんな中、展望台の一角で太平洋を眺める黒いローブを着てフードを深く被った、まるで魔女みたいな格好の女性に注目が集まっていた。


 「あ、あれが月ノ宮の魔女か……」

 「何かの儀式でも始めるつもりか?」

 「きっと魔王を召喚するに違いない」


 一応月ノ宮の魔女の正体は周知の事実なのだが、あまりにも異様な見てくれだから畏怖の対象になってしまっている。だって誰も近づこうとしないからあの人の周りだけ誰もいないもん。

 だが俺は、そんな月ノ宮の魔女の元へと向かって声をかけた。


 「お久しぶりです、テミスさん」


 俺が挨拶すると、彼女は俺の方を向いてフードの下から赤い瞳を光らせて笑っていた。

 そう、彼女は月ノ宮の魔女ことテミス・アストレア、スピカとムギの母親だ。海外での仕事のため家を空けていたが、月ノ宮へ戻ってきた。


 「ボロー君ったら、ますます死相が濃くなったわね」

 「ま、マジですか?」

 「えぇ。相変わらず危なっかしいことをしているのね」


 テミスさんは呆れるように笑うと、視線を海の方へと戻した。今日は少し風が強めで海も少々荒れているようで、テミスさんが着ている黒のローブが潮風になびいていた。


 「さて。まずはごめんなさい、ボロー君。私の娘達が迷惑をかけちゃったみたいね」

 「いえ、謝るべきは僕の方ですよ。僕はテミスさんの大事な娘さん達の心を傷つけてしまったので……」

 「いいえ、一連の話はスピーちゃんとムギーちゃんから聞いてるわ。貴方はあのシャルロワ家のご令嬢を庇うために体を張った、それだけでしょう?

  私が家を空けている間、二人を守ってくれて……本当にありがとう」


 そう言ってテミスさんは俺の方に体を寄せてきて、肩が密着する。俺は思わずドキッとして体が若干震えてしまったが、それがバレたのかテミスさんはフフッと微笑んで俺の頭をコツンと叩いてきた。


 「これぐらいでドキッとしちゃダメよ。そんなんじゃ私の可愛い可愛いスピーちゃんとムギーちゃんは任せられないわね」


 テミスさんはいたずらっぽく笑う。いや、俺かて惚れやすいタイプなんだから仕方ないだろう。そういう意味では俺にとってネブスペ2というエロゲ世界は毒が過ぎる。


 「それに……本当にスピーちゃんとムギーちゃんを幸せにしたいのなら、貴方に長生きしてもらわないと困るわ」


 テミスさんは、烏夜朧という人間の中に『俺』という前世の人格が生まれたことを、ただ単に前世の記憶を思い出しただけではなく、人格すら移り変わろうとしている俺の謎をこの世界で唯一知っている人だ。

 そしてテミスさんの占いによれば、やはり俺は原作通り年内に死ぬ可能性が高いらしい。回避出来る可能性もある中で、おそらく俺は着実に死へと近づいている。


 「さっき死相が濃くなってるっておっしゃってましたよね? もしかして死期が早まりました?」

 「いえ、その未来がより現実に近づいたというだけよ。ここ最近の出来事が貴方をそうさせたのでしょうね」


 原因は明白というべきだろうか。レギー先輩のイベントでも多少のイレギュラーはあったが、スピカとムギルートのイベントは全体的な流れこそ似ているが内容は殆ど違う。前世でネブスペ2をプレイした俺でさえ知らないグッドエンドへの生き方を模索する中で、俺の命がどんどん削られてしまったのだろう。


 「ボロー君。貴方はスピーちゃんやムギーちゃんの、いえ……この世界の行く末を多少は知っているのよね?

  貴方にとって、今回スピーちゃんとムギーちゃんの身に起きた出来事は予想できてた?」

 「いえ、全然違いました。ムギちゃんが七夕祭のコンクールで最優秀賞を取ることだけは一致しているんですが……会長、エレオノラ・シャルロワがこんなに関わってくることは想定外でした」

 「そうなのね。ボロー君には無理をかけてしまったわね」


 するとテミスさんはよしよしと突然俺の頭を撫でてきた。

 やめろ、やめてくれ。スピカ達との仲が元に戻ったとはいえ俺のメンタルは未だにボロボロなんだから、少し優しくされただけでときめいてしまいそうだ。テミスさんって未亡人だしワンチャン……いや、そんな邪な考えはダメだ。エロゲ主人公だったら平気でテミスさんを手籠めにしてそうで怖い。エロゲだったら選択肢が出てくるだろうからとりあえずセーブをしていただろうに。


 「さて……問題はそのシャルロワ家のご令嬢ね」


 テミスさんは照れる俺を面白がって笑った後、撫でるのをやめると表情を曇らせてしまった。


 「テミスさん達の家の側に花壇がありますけど、あれを会長が作ったことはご存知でしたか?」

 「いえ、花壇の存在こそスピーちゃんに教えてもらったことはあるけど、あのご令嬢が関わっているとは知らなかったわ。確かにローズダイヤモンドってとても貴重な品だから一般庶民がそう簡単に手に入れられるものじゃないけど、あの子なら納得ね」


 でもテミスさんは普通にローズダイヤモンドを買うことが出来るぐらい稼いでいそうだ。作中だと主人公達にど直球な下ネタを絡めた変なアドバイスしかしてこない変な人だったが、その腕は確かな占い師だし。


 「テミスさんは会長と面識があるんですか?」

 「いえ、名前を知っているだけよ。やっぱりあのシャルロワ家のお世継ぎというだけあって立派な子だと思うけど……シャルロワ家自体にあまり良い噂を聞かないのよね」

 

 と、テミスさんは小声で言う。この月ノ宮を始めとした周辺地域を支配しているのはシャルロワ家と言っても過言ではないため、そんな彼らの悪い噂は大声で話せない。

 それに会長はスピカとムギに悪意を持って危害を加えている。だからシャルロワ家に目をつけてられているのでは、と不安なのだろう。


 「会長は確かに怖いところもありますが、ムギちゃんの件の解決に協力すると言ってくれてます。会長もスピカちゃんやムギちゃんのことを嫌っているわけじゃないと思うんです。大体、会長に一番嫌われている僕が特に目をつけられていることもないですし」

 

 会長はスピカやムギ個人を嫌っているわけじゃないだろう。だったらムギに嫌がらせをする連中の解決を提案してくるわけがない。いや、自分でムギの絵を破っておいて問題をややこしくしておきながらしゃしゃり出てくるのは結構謎だが、ただ単に気が変わっただけなんだと思いたい。

 しかしテミスさんはなおも不安そうな面持ちで口を開く。


 「でも、あまり良い未来は見えないのよね。スピーちゃんやムギーちゃんは確かに大丈夫かもしれないけど、問題はボロー君よ」

 「え、僕ですか?」

 「そう。あのご令嬢が──ボロー君を亡き者にする未来がなんとなく見えるのよね」


 俺は、前世で画面越しに見ていたネブスペ2のイベントを思い出す。

 烏夜朧は作中の十二月二十四日、クリスマスイブに死んでしまう。とあるヒロインを庇って。そしてそのイベントが起きる遠因として、確かにエレオノラ・シャルロワは関わっているのだ。


 「何やら思い当たる節があるみたいね」


 俺の動揺が表情に出てしまっていたのか、テミスさんにあっさりとバレてしまう。

 あのイベントに、確かに会長は関わっている。烏夜朧が命を落としてまで庇ったヒロインは、会長の妹なのだから。


 「私はボロー君にトメーちゃんと関わらないようにって忠告したかもしれないけれど、あのシャルロワ家のご令嬢もボロー君にとって危険な存在かもしれないわ。

  もしかして、貴方が知っている未来もそうなの?」

 「まぁ、似ているかもしれませんね」


 俺はテミスさんを不安にさせないように軽く笑い、そして言う。


 「でも、それがスピカちゃんやムギちゃんのためになるなら、僕はその道を進んでいくでしょう」


 実際、会長はあんなキャラだが第一部や第二部で主人公やヒロイン達を助けてくれることもある。だから本来ネブスペ2では第三部まで会長の本性は出てこないから良い人そうだなぁとプレイヤーである紳士達は勘違いするわけだ。

 俺が会長のバッドエンドに到達する未来は容易に想像できる。関わりたくないというのが本音でもある。

 しかし、俺は皆を助けたいのだ。このネブスペ2に登場するキャラ達全員の幸せを願って……その中には、会長だって含まれている。


 テミスさんは俺の決意を聞くと残念そうな表情で大きくため息をついていた。


 「残念だわぁ、私がせっかくアドバイスしてあげてるのに聞いてくれないなんて。本当にボロー君が死んでしまったらどれだけスピーちゃんとムギーちゃんが悲しむと思っているの? 私、怒りのあまりボロー君のお墓を荒らしに行っちゃうかもしれないわ」

 「いえ、だからこそスピカちゃん達を悲しませないために、僕も生きるつもりですよ」

 「そうなると良いのだけど……」


 ぶっちゃけ今の俺に明るい未来は見えていない。ネブスペ2ではまだ第一部、なのにスピカとムギルートで起きたイレギュラーなイベントにこれだけ手間取ってしまっているのだ。第二部第三部でどうなることやら、この先の未来に不安しかない。



 一通り話を終えると、俺はテミスさんと一緒に展望台から登山道を降りる。曇りとはいえ展望台を訪れる人と多くすれ違うのだが──線路を跨ぐ歩道橋を渡って月研の入口付近までやって来ると、一際目立つ長い銀髪の少女が目に入った。


 「あら、奇遇ですね。こんなところで月ノ宮の魔女とお会いできるとは」


 現れたのはエレオノラ・シャルロワ。なんでこうも出会うタイミングが心臓に悪いのだろう。

 会長を見かけたテミスさんは彼女に軽く会釈をする。


 「初めまして、シャルロワ家のご令嬢さん。貴方のことは娘達からよく聞いています」

 「左様ですか。私も貴方の噂は常々お聞きしております。是非私も占われてみたいものですね」


 なんかすごい社交辞令みたいな挨拶してる。

 しかし一昨日、俺は何かに怯える会長の姿を目撃していたから、このいつもと変わらず凛とした佇まいの会長を見て戸惑っていた。立ち直ったのなら俺も構わないのだが、どうも気がかりだ。

 そんな中、会長はテミスさんに挨拶を済ませると俺に挨拶せずに展望台の方へと向かおうとする。やはり俺はかなり嫌われているようだと若干ショックを感じながら、俺は会長を呼び止めた。


 「会長。何かあったなら僕が相談にのりますよ」


 会長にそんなことを提案しても意味がないとわかりながらも、俺はそんなことを言ってみる。俺は会長のせいで色々とメチャクチャにされたが、あんな姿を見せられては心配にもなる。


 「さぁ、何のことかしらね」


 と言って、会長はスタスタと去ってしまった。


 「何かあったの?」

 「いえ、何も」


 おそらく、会長が俺に心を開いてくれることはないだろう。第一部の主人公である大星がメインヒロインである美空ルートに入ったのを考えるに、第三部の主人公である明星一番はメインヒロインの会長ルートに入るはずだ。あんな人と無理矢理付き合わされる一番先輩も大変だぜ。

 だから俺が会長に変に絡む必要はないはずだ。今は……スピカとムギのために、俺は動かなければならないのだ。


 だから俺は今日、スピカとムギルートのイベントをグッドエンドに導いてみせる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る