アストレア姉妹編㊶ 庇った理由



 芸術家の男、そして彼と対峙する会長のただならぬ雰囲気に驚いた俺は、校舎の壁裏に身を潜めてその様子を伺う。


 「私は芸術家が他人の芸術に優劣をつけるのはいかがなものかと意見しただけです。ああいったコンクールというものは閉鎖的な環境で選考されるものではなく、多種多様な考えを持つ多くの人々の目によって公の場で決められるものであるべきだと」


 どうやら七夕祭のコンクールについて議論を交わしているようだ。議論っていうか、今にも殴り合いが起きそうな緊迫した雰囲気だが。

 冷静な面持ちで対応する会長に対し、芸術家の男は語気を上げながら喚き散らしていた。


 「それは月ノ宮神社の面々が、あの祭の運営委員会が決めたことだ! 選考方法なんて私達の知るところじゃない!」

 「果たしてそうでしょうか? 確かに第一回から選考委員による選考はありましたが、本祭では二次選考を突破した複数の優秀な作品を展示し、月ノ宮神社を訪れた人々が最も優れた絵を選んでいたのです。

  その選考方法を現在のように変えたのは貴方だと私は聞いているのですが」

 「だから何だって言うんだ? 芸術を知らない人間が選んだものよりも、より芸術を知っている人間に選ばれたものが評価されるに決まっているだろう?」

 「そうですね。多くの芸術作品を目にしてきたこと、そして目が肥えているか否かは大きく左右されると私も思います。しかし貴方は選考委員としての立場を利用して、己の出世のために自分に近しい人間を優遇していたのでしょう? しかもかなりの謝礼を受け取った上で」

 「そんな証拠、一体どこにあるというんだ! 大体シャルロワ家だって最近は殺し屋を雇って気に入らない人間を消して回っていると聞くぞ!?」

 「さぁ、そんな証拠が一体どこにあるんでしょうね」


 なんかすげぇ闇が垣間見える。会長はどうやら多くの不正を繰り返してきた芸術家の男を追及しているようだが、それが本当なら思ったよりも悪いことやってんな。会長があの男をわざわざここに呼んできたとは思えないし、あの男は文句を言うために月学まで乗り込んできたのか? そういえば月学のOBだったらしいしな。


 「大体、今回のコンクールの選考委員としてレギナ・ジュノーを呼んだのはお前なんだろう? シャルロワ家は七夕祭に協賛しているじゃないか、それこそ自分に都合のいい人間を贔屓するためのお膳立てじゃないのか?」

 「私は会食の席で父がコンクールについて話をされていたので、例の一つとして彼女の名前を出しただけです。

  レギナ・ジュノーは海外でも高い評価を得ている世界的な芸術家です、実績も貴方とは比べ物にならないでしょう。客観的に見て、彼女の意見の方が信用できると思うのですが」

 「お前は芸術家の優劣をトロフィーの数で決めるつもりか!?」

 「その道をよく知らぬ愚かな人間は、数字でしかその世界を知ることは出来ません。自分のコネと賄賂でしか指示を得られない貴方とレギナ・ジュノーは違うんです」


 会長ってば凄い喧嘩腰じゃん。

 確かにムギ達を手助けするとは言っていたが、もしかして会長はムギのために戦ってくれているのだろうか? そもそもとしてムギの絵を破ったのは会長なんだから、自分の尻拭いは自分でやってもらいたいものだが。

 そんなことを考えながら様子を伺っていると、その瞬間──


 「やかましい!」


 会長は、芸術家の男に顔を殴られた。


 俺は慌てて壁裏から飛び出して会長の元へと急ぐ。会長は殴られた衝撃で体がよろめいて校舎の壁に体を打ちつけ、そのままずり落ちるように地面に倒れた。

 そんな会長の追い打ちをかけるように詰め寄る芸術家の男の腕を俺が掴むと、ようやく彼は俺の存在に気づいた。


 「お前は……前に見た覚えがあるぞ」

 「あぁそうだよ。タイマンなら俺とやろうぜ、クソ野郎が」


 余程気が立っているのか、芸術家の男が構えを取ってきたので俺もファイティングポーズを取る。しかし芸術家の男が構えを取ったことにより足が開いた隙を突いて、俺は思いっきり足を振り上げ──男なら誰しもが弱点である股間を狙って強烈な蹴りを食らわせた。


 「アオオォッ!?」


 俺がまともに喧嘩できると思ってんのか、喧嘩童貞だぞ舐めんなよ。

 まともにパンチでやり合うよりかは手っ取り早い方法である。こんなにクリーンヒットするとは思わなかったが……同じ男としてその痛みは共感できる部分はあるが、会長に暴力を振るったのは許さない。


 「さっさと帰れよ。アンタらみてぇな家柄とか世襲にこだわる金持ちは子ども作んのに忙しいんだろ? 二度と子どもが出来ないようにしてやんぞ」

 「ぐっ、ぐおおおっ……お、覚えてろ!」


 芸術家の男は歯を食いしばりながら股間を押さえて、体をふらつかせながら逃げるように去っていった。

 そして俺は後ろで倒れている会長の方を向く。会長は体を起こしていたものの殴られた左頬に手を添え、顔をうつむかせて座り込んでいた。ついさっきまで芸術家の男と対峙していた威勢の良さはすっかり消えてしまっていた。


 「か、会長。大丈夫ですか?」


 俺もしゃがみ込んで、体を震わせていた会長の手を握ろうとしたのだが、俺の手はパシッと払われ──会長は俺を見上げて叫んだ。



 「さ、触らないで!」


 会長は、俺に酷く怯えていた。体を震わせ、いつもは凛々しいその表情もすっかり怯えきっていて、その黄金色の瞳に涙がたまっていた。


 「か、会長……?」


 俺は目の前の少女が本当にエレオノラ・シャルロワなのかと戸惑っていた。


 「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 どういうわけか会長は俺に対して、いや違う。俺でも、あの芸術家の男でもない誰かに対して病的な程に謝罪を繰り返す。


 「もう、歯向かわないから、許してください……許して……」


 先生を呼ぼうかとも思ったが、もし騒動が大きくなって生徒が大勢集まってきたら面倒だ。こんな……こんな会長の姿を他の生徒に見せるわけにはいかない。


 「か、会長……」


 しかし会長は俺に対して怯えてしまっている。今の会長を落ち着かせることが出来る人物……あの人しかいないだろう。俺は携帯を取り出して、慌てて電話をかけた。


 『お、もしもーし。どうした?』


 会長の親友、レギー先輩はすぐに電話に出てくれた。


 「レギー先輩、今どこにいますか?」

 『月ノ宮の駅だけど』

 「今すぐ月学まで戻ってきてください。会長が、会長が大変なんです!」

 『ろ、ローラが!? わかった、すぐに戻る!』

 「本校舎裏の用具倉庫の前で待ってます」


 俺は現在地だけ伝えて電話を切った。月ノ宮駅からならそう時間はかからない。


 「会長、大丈夫ですよ。もうすぐレギー先輩が来てくれます」


 俺は震える会長の手を握る。今度は拒絶されなかったため、俺は彼女が不安にならないように力強く握りしめた。

 すると会長は俺が握っていない方の手で自分の首元に手をやると、制服の下に隠れていたペンダントを取り出した。それは、美空やスピカ達が着けているものと同じ金イルカのペンダントだった。

 会長はそのペンダントと一緒に俺の手を握りしめると、小さな声で呟いた。


 「助けて……」


 俺に懇願しているのだろうか。いや、そうは見えなかった。

 きっと……そのペンダントを会長にプレゼントした、今も彼女の思い出の中で生き続けている初恋の人に助けを求めているのだろう。


 「必ず助けてやりますよ、会長」


 やっぱり無理をしているじゃないか、エレオノラ……だから俺は、スピカやムギに嫌われることがわかっていても、お前を庇ったんだよ。

 彼女だけを、苦しませるわけにはいかない。

 

 俺はレギー先輩が到着するまで、震える会長の手をずっと握りしめ続けていた。

 

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