アストレア姉妹編㊴ 贖罪



 俺は屋上まで一気に階段を駆け上がり、勢いよく扉を開いた。俺が声をかける前に、屋上から飛び降りようとしていたムギが屋上に現れた俺の存在に気づいた。


 「お、朧……?」


 ムギは屋上の柵の向こうで、両手で柵を掴んで立っていた。俺の登場に少し驚いているようだが、その表情はこの世界への絶望に染まっていた。ネブスペ2のイベントCGで見たことがある、あの最悪のイベントの表情のままだ。

 

 「やめるんだ、ムギちゃん」


 俺はゆっくりとムギに歩み寄る。その距離、約十メートル。しかしムギが一度その身を投げれば、どんな天文学的数字でも表せない場所へ行ってしまう。

 しかしムギは、近づいてきた俺に対して首を横に振って、涙声で訴える。


 「こ、来ないで……!」


 ムギの怯えた表情を見て、俺は歩みを止めた。

 うん、ムギの説得役に俺は不適任過ぎる。だってムギがこんな行動に出た原因はおそらく俺にあるのだから。スピカやレギー先輩達を呼びたいところだが、時間的な余裕があるとは思えない。


 「ムギちゃん。どうして、こんなことを?」


 俺はムギを諭すように、敵意なんて全てかき消して、極限まで優しい声で問いかけた。するとムギは目に涙を浮かべながら答える。


 「もう……もう嫌なの! こんな何度も苦しむことになるなんて……何もかも、もう、全部嫌いなの!」


 涙を流しながら、ムギは悲痛な叫びを上げる。

 まだ、いける。ムギにはまだ迷いがあるはず。


 「スピカちゃんのことまで嫌いになったのかい?」


 八年前、ムギの新たな家族となったスピカ。ぶつかることもあったかもしれないが、二人の絆はそう簡単に壊れるものじゃないはずだ。

 しかし、ムギは見るからに体を震わせながら首を横に振った。


 「このままだと、スピカにまで迷惑をかけちゃうから……私、スピカが可哀想な目に遭うの、見たくないよ!」


 スピカを引き合いに出してもダメか。ムギ達への嫌がらせは終わったものかと思っていたが、実はまだ続いていた……いや、大星達を不安にさせないように、二人が隠していた可能性もある。

 ならば──。


 「じゃあ、乙女のことも?」


 俺がそう言うと、ムギの表情に明らかな動揺が見えた。

 三ヶ月ほどの短い間とはいえ、乙女がムギに残したものは大きかった。前の学校でいじめに遭い、新しい環境に対する恐怖があったムギの心を安らぎを与えたのは乙女だ。乙女との合作が原因で理不尽な仕打ちを受ける羽目になっても、彼女のことは嫌いになれないはずだ。


 「でも、乙女はもういないもん……!」


 しかし、肝心な本人はここにいない。月ノ宮を去り、今はどこにいるのかもさっぱりわからない。

 それが一番の難点だが、俺は優しく微笑んでムギに言う。

 

 「いや、いるよ」


 俺はそう言って、ムギの背後──向かいの校舎の屋上に目をやった。


 「そんな、ウソ──」


 そんなバカなと、ムギも思わず俺の視線の先に目をやった。



 ごめん、ムギ。俺は嘘をついた。一か八かの賭けに出るしかなかった。

 そこに乙女がいるわけがない。



 俺はムギが向こうの校舎の屋上に気を取られている間に一気にムギに近づいて、ムギの腕をしっかりと掴んだ。ムギはようやく俺の嘘に気づいたようだが、もう離さない。

 一度抱えたことがあるから、俺はムギの体の軽さを知っている。俺はムギの体を自分の方へ引き寄せると彼女の体を持ち上げて、柵の内側へと引っ張った。


 「いっで……!」


 俺はムギの体を抱えたまま後方へ倒れ込み、屋上に背中を強く打ち付けた。そのままムギが俺の体の上に乗っかる形となる。


 「む、ムギちゃん、大丈夫?」


 ムギは緑色のサイドテールを揺らして起き上がると、俺の体に馬乗りになったまま、俺の首元へと手をやった。


 「む、ムギちゃん……?」


 するとムギは両手で俺の首を掴み──恨めしそうな目で俺を睨みながら、信じられない程の力で俺の首を絞めてきた。


 「かはっ……!?」


 喉仏を押さえつけられる痛みよりも息苦しさを先に覚え、息を吸うことも吐くことも出来ず、呼吸をしようとしても乾いた咳が出るばかりだった。

 俺はもがこうとしてムギの両手を掴んだが、ムギはなおも俺の首を絞める力を強めて言う。


 「どうして、私を助けたの……!?」


 ムギのことが大切だったからに決まっている。しかし、そう答えようとも首を絞められている俺はまともに言葉を発することが出来ずにいた。


 「私が死ねば、大団円だったはずなのに……!」


 絞り出すようにそう言ったムギの目から涙が溢れていた。

 俺はそんなムギの姿を見て、もがくのをやめた。ただムギの手に自分の手を添えただけで、段々と遠のいていく意識の中で、俺の体の上で泣き崩れるムギの姿を見ていた──。



 ---



 目を覚ますと、満天の星空が広がっていた。どうやら俺は月研の展望台にいるようで、ふと視線を下げると……白衣姿の望さんと、相変わらず魔女っぽい怪しい黒装束のテミスさんが笑顔で佇んでいた。


 「善意で助けたつもりが、まさか絞殺されることになるとは毛頭なかったんでしょうね。でも仕方ないわ、わざわざ助けるという選択を選んだのに、それが悪い方向に向かうだなんて普通考えないもの」


 そう言って諦めるようにため息をつく望さんの隣でテミスさんがウンウンと頷きながら、今度は彼女が口を開く。


 「ムギーちゃんの中に芽生えた恋心、なんて愛おしいんでしょう。ボロー君がムギーちゃんの大事な大事な絵を破ったことで儚く散ったものかと思ったら、それでもムギーちゃんはボロー君への淡い恋心が忘れられず……もうグチャグチャね、グチャグチャ。のぞみんの部屋ぐらいグチャグチャ」


 な、何を話してるんだこの二人は……いや、なんでこの二人がここに? というかなんで俺がここに?


 そこで俺はハッと気づいた。ネブスペ2ではバッドエンドを迎えると、こうして望さんとテミスさんが出てきて、バッドエンドを迎えたプレイヤーの心の傷に塩を塗った後で、そのバッドエンドに応じた的確なアドバイスをくれるおまけイベントみたいなものがある。

 ってことは、俺ってバッドエンド迎えたの?


 「にしても朧を殺しちゃったムギちゃんはどうなるのでしょうね。スピカちゃん達がどう思うのやら」

 「ムギーちゃんはきっと苦しむと思うわ……本当は大好きだったボロー君を一時の感情で命を奪ってしまって、ボロー君が死んだ後も彼への想いが忘れられず……これは最高の曇らせね」


 何言ってんだこの人。お前ムギの親だろうが。

 と、段々とこの世界の異常に気づき始めた俺の意識がまた飛んでいく──。



 ---



 目を覚ました俺の視界に映ったのは、屋上に仰向けに倒れた俺の体の上でワンワンと泣いているムギの姿だった。

 どうやら俺は助かったようだ。無性に嫌な夢を見たような気もするが。まだ首に痛みはあるものの、俺はムギの体を抱きしめた。


 「ごめんね、朧……」


 仰向けの俺の胸に顔を埋めながら俺の制服をビショビショにしているムギが言う。そんな彼女の頭を軽く撫でてやる。


 「僕はね、女の子のために死ぬのが夢なんだ。例え殺されたとしてもね……」


 こんなセリフを、作中でも朧がどこかで言っていたような気がする。まさか半年後に自分が死ぬだなんて彼は思っていなかっただろう。俺もまさか助けた後で首を絞められるとは思ってなかったよ。本当に意識飛んでたし、絞められてた時間も結構長かったし。


 「バカ……」


 なおも俺の胸に顔を埋めながらムギが俺の肩を拳骨で叩いた。その威力は随分と可愛いものだった。


 「バカ、バカ……!」


 俺は大馬鹿者だ。それはよく知っている。前世の記憶があれば、どんなイベントも楽勝だなんて楽観視していた自分が恥ずかしい。


 「どうして、朧はどんどん私達から離れて行っちゃったの……!?」


 俺はもっと目の前のことを真剣に考えるべきだった。ムギ達はゲームの中に登場するキャラではなく、一人の人間なのだ。自分の思い通りに動くだなんて考えが甘かった。

 いや、前世の俺が知っている通りに動いてくれないと、俺としてはかなり困るんだけど。


 「乙女みたいに、いなくならないでよ……!」


 その後もムギは何度も俺を叩きながら、俺の胸の中で泣き続けていた。


 ……あぁ、怖かった。自分が死ぬわけでもないのに、まるで自分が絶体絶命のピンチを迎えたようだった。

 まさかこのタイミングでこのイベントが起こると思っていなかったが、どうにか無事に解決することが出来たようだ。もしムギへの説得が失敗していたと思うと、その結果を考えるだけで体が震え上がる。

 しかし、これからどうしたものか……夢の中で望さんとテミスさんも言っていたが、俺とムギの関係はグチャグチャなのだ。


 

 ムギが落ち着いたのを見計らって、俺は彼女から最近の事情を聞いた。俺がムギの絵を破った(ということになっている)後、俺は大星や美空、レギー先輩にスピカとムギのケアを任せていたのだが、スピカとムギは彼らに余計な心配をかけないように嘘をついていたらしい。

 実際にはアストレア邸には頻繁に無言電話がかかってきており、初日のようにネコの頭部が入っていることはなかったようだが謎の小包が届いてきたりと不審な出来事が続いていた。警察に相談したものの相談に乗ってくれたというだけで本格的な捜査には乗り出さなかったという。


 何しろ相手はあの芸術家の男……この月ノ宮や葉室市一帯を支配するシャルロワ家と対抗できるほどの大企業の御曹司だ。何か裏で警察に働きかけている可能性だって考えられる。本当にそこまで出来る権力があるだなんて信じられないが、作中でも似たような設定や描写はあったし、やはりそれに対抗できるのは会長ことエレオノラ・シャルロワしかいない。

 でも俺は会長に嫌われているから、俺からあの人に働きかけてももうどうにも──。



 「こんなところで何をしているの?」


 奴は、また現れた。最早その声がトラウマとなり、耳に入っただけで鳥肌が立つようになってしまった。


 「か、会長……!?」


 エレオノラ・シャルロワ。こいつがメインヒロインなのは第三部のはずなのに、メチャクチャしゃしゃり出てくるじゃん。

 突然屋上に現れた会長は、俺とムギの元まで歩み寄ってきながら笑顔で口を開く。


 「白昼堂々、しかも校内で情事に及ぼうとするなんて大した度胸ね」


 ムギは今も俺の体の上に乗っている。馬乗りで。確かにもうどいてもらいたいなぁと若干思っていたが、俺もムギが離れないように彼女の腕を掴んでしまっている。俺も怖くてムギを離せない。

 俺は状況が状況だっただけに冷静だったが、一方でムギは急に顔を真っ赤にして俺の体の上から離れた。


 「ち、違うの! これには、えっと、色々訳があって……!」


 ムギは慌てふためきながら会長に弁明しようとしていたが、会長はそんなムギのことを微笑ましく思っているのかクスッと笑って、ムギに続いて起き上がった俺の方を向いて言った。


 「さて、色々と困っているみたいね。今日の私は気分が良いから、特別に貴方達のために時間を割いてあげてもいいのだけれど?」


 会長の言葉に俺は驚愕していた。ムギも面食らったような顔をしている。

 どうしたんだ……あんなに俺のことを嫌っていた会長がどうして? ていうか大体、ムギの絵を破ったのはアンタだろうと俺が思っていると、今度はムギの方を向き──会長は深々と頭を下げた。


 「ごめんなさい、ムギ・アストレア」


 え。


 「貴方の絵を台無しにしたのは、この私です」


 ……えぇ?


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