アストレア姉妹編㊳ 最高と最悪



 六月二十五日。明日で期末考査も終わるが、誰とも会話しない一日を送るのがこんなにも辛いことだと、俺は気づくのが遅かった。この前雨を浴びたせいかなんとなく体もだるいし、俺はテストを終えると早々に帰ろうとしていた。

 

 しかし、今日も俺はレギー先輩に呼び出されていた。LIMEで連絡を貰った俺は本校舎から渡り廊下を歩き、レギー先輩が待っている特別棟の演劇部の部室へと向かった。

 部室に入ると、今日もレギー先輩だけが一人部室の中で待っていた。


 「昨日はごめんな、朧」


 パイプ椅子に座っていたレギー先輩が俺に頭を下げてきた。


 「良いですよ、僕も意固地になってしまってたので。レギー先輩のご厚意は素直に嬉しかったです」


 俺はレギー先輩の正面に座った。俺はレギー先輩が設けてくれた機会を全て無駄にしてしまったわけだが、会長はあんな感じだししょうがない。急に優しくされても困るのだ。


 「昨日、ローラに少し相談したんだよ。スピカやムギのこと、どうすればいいかって。

  ほら、その……最優秀賞をとったムギの絵がなくなっただろ? んでまた新しく選考してるみたいなんだが、選考委員の方で凄く揉めてるらしいんだ。二つの派閥に分かれて争ってるんだと。その選考委員の中の一人がここら辺じゃ有名な実業家の息子らしいんだがそいつが凄い厄介で、なんでもここらの芸術関連の業界を支配したいとかいう野望を持っているらしい」


 おそらくあのど派手な格好をした芸術家の男の話だろう。なんであんなにムギの絵に固執するのかと不思議だったが、なんかもっときな臭い話が絡んでいたのか。つまり業界の勢力争いにムギは巻き込まれてしまった、と……随分とはた迷惑な話だ。絵を破ったのは俺だけど。いや、正確には会長だけど。


 「しかもその御曹司とやらはローラの家の遠い親戚にあたるらしいんだが、ローラはそいつのことを随分と嫌っていたな。なんでも前に見合いの話があったらしいが、実際に顔を合わせた途端に破談になったんだと」


 会長の実家であるシャルロワ家はここら辺じゃ有名な実業家だし、あの芸術家の男の実家もそのグループの一つということか。見合いだなんていかにも金持ちらしい政略結婚だが、確かにあの人なら顔を合わせた瞬間に真顔で『貴方のことは嫌いです』とか言ってそうだな。


 「ローラも一応スピカ達の心配はしてくれてる。今は一旦スピカ達の嫌がらせはなくなったようだが、また何かあったら手助けするとは言っていた」


 ……ってか、ムギの絵を破ったのは会長自身だろうが。事の発端を作った張本人が一体何の心配をしてるんだよ。

 いや、別にこの騒動自体は会長が原因ではない。あくまで会長は俺とスピカ達の関係が崩れた原因となっただけで、俺がわざわざ自分で罪を被っただけだ。あの人は故意で何もかもをメチャクチャにしてるけど、話をややこしくしているのは俺だ。

 そもそも、スピカとムギルートのシナリオがこれだけ原作から逸脱してしまったのは、確実に俺のせいだ。


 「でも、やっぱりオレはお前達の関係をどうにかしたいんだ。ローラだけじゃない、スピカやムギだって……この状況を良く思ってるわけがない」


 レギー先輩は俺のことをよく考えてくれている。来月の五日に迫る舞台の準備で忙しいはずなのに、わざわざ時間を割いて俺の心配を……この状況はまずい。


 「明後日は、夏休み前の最後の天体観測があるだろ? その時にオレはどうにか出来ないか考えてるんだ」


 期末考査明けの土曜日には早速天体観測が待っている。大星や美空だけでなく、スピカやムギもやって来るはずだ。俺さえいなければつつがなく進みそうだが、それはレギー先輩が許してくれないのだろう。


 「ごめん、朧……オレは、もっとお前のことを助けてやりたいのに……」


 だが、もうそれだけでいい。


 「ありがとうございます、レギー先輩」


 レギー先輩は、俺のために時間を使い過ぎている。


 「俺も明後日のことは考えておきます。でもレギー先輩には、もっと大事なことがあるでしょう」

 「舞台の話か? いや良いんだよ、大星や美空も手伝ってくれてるし、今のところは順調だからな」

 「いえ、油断はいけませんよ。いつ何時、どんなトラブルが起きるかわかりませんからね」


 まだ、レギー先輩や美空のグッドエンドが確定したわけではない。今のところは順調とはいえ、今後二人のルートにどんなイレギュラーが起こるかわからないのだ、何せ第一部の期間はまだ十日以上残っているのだから。


 「というわけで、今日は失礼します。自分のことは、自分で考えますので」


 俺はそう言って席を立って足早に演劇部の部室を出ていた。


 「ま、待てよ朧!」


 レギー先輩はそんな俺を慌てて追いかけてきて、後ろから俺の右腕を掴んで引き止める。


 「お前、こんなところで何の意地を張ってるんだよ!? ローズダイヤモンドを千切ったりムギの絵を破ったりしたのはお前じゃないんだろう? そりゃ、お前は、その……ローラのことが好きだから、あいつのことを庇いたいのかもしれないが」


 あ、俺って会長のことが好きってことになってるんだった。確かに俺は昨日、会長に面と向かって好きだとは言ったけど、その好きってのはお付き合いをしたいっていう意味の好きじゃなくて、一人のキャラとしてとても魅力があるなぁという意味で……ネブスペ2の世界に転生した俺は確かに会長を救いたいとは思っているが、絶対に会長とお付き合いしたくないのだ。

 しかしそんな裏話はできない。


 「今のスピカとムギを助けるには、朧の力が必要なんだ。お前は……乙女と一緒に作り上げたこの絆を壊すつもりか!?」


 途端に、朽野乙女の顔が俺の頭をよぎる。

 なんで、なんでまた乙女のことを。俺だって今でも乙女のことは大事に思っている。だからスピカやムギ達のことだって……でも、俺にはもうどうすれば良いかわからないのだ。

 俺はレギー先輩に後ろから腕を掴まれたまま、ずっと黙っていた。するとレギー先輩は俺の右腕をさらに力強く握る。


 「もし、お前がまだ迷うってなら──」


 レギー先輩は俺の右腕を引っ張って無理矢理俺をレギー先輩の正面に向けさせると、背伸びして目をつぶり──俺の頬を両手で掴みながら、力強く唇を重ね合わせた。


 「んぐっ……!?」


 あの時とは違う、全力の、力強い愛の表現。

 迷ってばかりだった俺の心は、一瞬でレギー先輩に釘付けにされてしまった。随分と荒々しいキスだったが……それだけ熱のこもった、溶けそうなほどの愛を注がれた。


 「朧……一応言っとくが、これは演技とかじゃないからな?」

 「そ、そうですか……」


 俺から顔を離したレギー先輩は、なおも俺の頬を両手で掴みながら言う。こんなの演技だったとしてもときめいちまうよ。


 「朧。オレはお前のことが好きだ。あの時、お前が助けてくれたから……オレは、今も前を向いてるんだ。

  だからオレは、お前のことを放っておけない。だ、だから……」


 するとレギー先輩は俺の頬から手を離すと、自分の胸をドンッと叩いて、そして顔を真っ赤にしながら言った。


 「か、悲しいことなんて全部忘れられるぐらい、お、オレに夢中にしてやりゅよ!」


 大事なところで噛んじゃったよこの人。原作だとちゃんと言えてたのに。


 「か、噛んじまった……」

 「ふ、フフッ……」

 「わ、笑うなよ!」


 レギー先輩は大事なセリフを噛んでしまったこと、そして柄にもなく小っ恥ずかしいセリフを口走ったことで沸騰したように顔を真っ赤にして、両手で顔を覆い隠し体を縮こませていた。いや、自分で言っといて何で照れてるんだよ。


 だが、待ってほしい。

 いや、待ってくれ。マジで待って。

 俺、これどうすればいいの? どうすればいいんだぁ?



 俺はこの前、ムギと良い雰囲気になってキスを交わした。なんか好きとか大事なことは言わなかったけどすげぇ良い雰囲気だったじゃん。でもあんな幸せから急にどん底に落とされて、そして現に至る。

 果たして俺とムギが交際関係にあったのかは、当事者である俺もわからない。しかし今となってはそんなことを言ってられる状況ではない、それぐらい彼女達との関係は最悪な状況なのだ。


 でもここでレギー先輩の思いを受け止めてしまうと、なんだかすっごい罪悪感がある。だって俺はムギの思いをメチャクチャにしてしまったわけだし、俺だけが幸せになって良いものだろうか。俺だって一途でいたいし……いや、レギー先輩の気持ちはメチャクチャ嬉しいけど。レギー先輩に告白されるなんてもう幸せ過ぎて死んでしまいそうだけども……でも俺はスピカやムギ、美空や会長のことだって好きだし、未だに乙女のことも忘れられないし……いや、本当にどうすれば良いんだよもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!


 「なぁ、朧……お前が前に言ってくれたこと、覚えてるか?」

 「ど、どのことですか?」

 「ほら、前に俺を家に泊めてくれた時……」


 ……ど、どれ? どのこと? 

 こんなところでその言葉を外すのは格好悪すぎるから、俺は慎重に思い出してそれらしいセリフをひねり出す。


 「もしかして……レギー先輩の辛そうな姿を見たくない、ってやつですか?」

 「あぁ、それだ。今のオレも一緒だよ。オレは、その……朧のことが、す、好きだからな! だから、無理して強がってるお前を見たくないんだよ」


 好きって言葉に照れてる先輩かわヨ。いや、俺も恥ずかしくてその言葉を避けているところはあるけどそんなに言ってたっけ。多分あの時は必死だったからあんまり覚えてない。


 「あと、オレが、その、お前の布団に潜り込んだ時……お前、オレを抱きしめてくれただろ。あのときに言ってくれた言葉も、とても嬉しかったんだ」


 ……ど、どれ? さっきから何を言ってるんですかレギー先輩? そのヒントの出し方何?

 そんな恥ずかしそうにするならわざわざ言わなくてもいいだろうに。しかしあの時のことを思い出し始めた俺はそれらしいセリフをひねり出す。


 「幸せは倍に、悲しみは半分ってやつですか?」

 「あぁ、それだ。あの時のお前はオレにそんな言葉をかけてくれたのに、一人で抱え込むんじゃない。オレじゃ頼りないかもしれないけど、少しは楽になるはずだぞ?」


 まぁそのセリフだって何かのことわざから引用しただけなんだけども……同じ悩みを共有できる存在というのは貴重だ。現状、例の件が会長の仕業だって知っているのは当事者を除けばレギー先輩だけだし。


 「あと、梨亜の妹を救出した時……」


 まだあるの!? と俺は驚愕しつつ、レギー先輩がときめいた俺のセリフを自分で再度言わされるという、半ば辱めみたいなことをされる羽目になっていた。



 ……思い出した。なんで急にレギー先輩が急に過去を振り返って、俺にセリフを当てさせようとしているのか。

 ネブスペ2は選択肢によって分岐していく単純なノベルゲームで、どの選択肢を選んだかによって各ヒロインの好感度や暗黒度というパラメータが変動していき、その数値によってエンディングが決まる。

 しかし、最終日にほぼグッドエンド確定というイベントが起きた時、つまり肝心なラストシーンなのだが……ここでプレイヤーは攻略しているヒロインの『願い』を当てなければならない。画面上に定型文が表示されるため、作中で回収したキーワードを当てはめるだけなのだが若干の推理要素がある。それに正解しなければ、ゴール目前だったのにも関わらずバッドエンドを迎えてしまうという最後のトラップなのである。

 ……ぶっちゃけ原作ならセーブ&ロードを駆使すればそこまで難しくはない。


 レギー先輩はそれを意識しているわけではないだろうが、多分このネブスペ2というゲームの大いなる意思に憑依されてこんな問題を出してきてるんだと思う。

 問題は当の俺がキーワードを回収できないことだ。だって作中だとシステムメニューを開けば確認できたけど、俺はそんな画面開けないんだもん。異世界転生とかしたら当たり前のようにシステムメニューとか開けるのに。

 もしかして毎日日記でも書く必要があったのか? ムギとキスした時にそういうのを聞かれなかったのは、もしかしてもう一度本番があったりする?


 そんな恐怖に怯えながら俺はレギー先輩との思い出を一つ一つ思い出しながら、レギー先輩の問いに全問正解した。いやぁ疲れたぜ。死に設定だと思いきやちゃんと回収されるのかよ、勘弁してほしい。


 「その、朧……お前の夢はハーレムだから、俺のことは特別扱い出来ないかもしれないが」


 しかも俺の夢がまたここで邪魔をするだと!? 確かムギも同じこと言ってたじゃん!?


 「ま、まぁ確かに僕のモットーはこの世の女性全てを等しく愛することですからね!」


 俺は心の中で災害級の涙を流しながら強がってみせた。ごめんレギー先輩、俺は第一部のヒロイン勢だと貴方が一番好きだけども、ムギとの思い出も忘れられないし……前世の俺の最推しであり、朧の幼馴染である乙女の存在もある。

 ……誰か一人だなんて選べねぇよおおおおっ! なんでこの世界はセーブが出来ないんだクソゲーかよ!


 「でも、いつか……お前のと、特別になりたいなぁ、だなんて……」


 いやレギー先輩可愛すぎかよ!

 俺はもう我慢できず、レギー先輩の肩を掴んだ。するとレギー先輩は戸惑いながらも、俺の意思を汲み取って目をつぶる。


 この世界に来て二回とも向こうからされちゃったけど、今度こそ自分から──そう意を決した瞬間、俺の視界の端に何かが映った。



 レギー先輩の後ろの、窓ガラスの向こう。俺達の教室がある本校舎の屋上に人影が見えた。遠目でもわかるその特徴的な髪色と髪型、そしてその少女が──屋上の柵を乗り越えて、今にも飛び降りようとしていた。


 「──すいません、レギー先輩!」


 俺はキスをすることなくレギー先輩の体を離して、本校舎へと走り出した。


 「お、朧!?」


 突然の事態にレギー先輩は戸惑っているようだったが、事情を説明していられるほどの余裕はなかった。


 何故。

 何故だ。

 何故、そのイベントが今日起きるんだ?


 事は一刻を争う。階段を一気に滑るように降りて、渡り廊下を一目散に駆け抜け、今度は本校者の階段を駆け上がる。

 

 俺がレギー先輩に告白を受けていた一方で、並行して最悪のイベント──作中のバッドエンドと同様に、ムギが校舎の屋上から飛び降りようとしていたのだ。


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