アストレア姉妹編㉜ アステリズム
期末考査初日。テストでテンションが跳ね上がるという人も中々いないと思うが、常に学年トップの成績を取り続けていた烏夜朧がテストによってテンションが下がることなんてない。
しかし、俺は最悪の気分で期末テストを受けていた。
昨日、俺とスピカの間に何らかの出来事があったと悟ったムギから連絡はあったが、俺はスピカちゃんをよろしくとだけ伝えるに留まった。スピカがムギに対してどういう風に伝えたのか、そもそも伝えてすらいないのかもわからないが……今朝、俺が挨拶するとムギは笑顔で返してくれたが、スピカは俺から顔を背けていた。
テスト期間中は午前中しか授業がないため俺はそそくさと帰ろうとしたのだが、ムギに呼び止められて人気のない校舎裏へと向かった。
「ねぇ、昨日スピカと何があったの?」
先日まで全然元気が無かったムギが、力強い眼差しで俺を問い詰める。ムギの様子を見るに、おそらくスピカは昨日の件を彼女に話していない。それだけショックだったのだろう、ムギもそんなスピカの姿を側で見ていたのだ。
俺はムギの力強い眼差しから逃げるように視線を逸らして、一息ついてから答えた。
「僕は、スピカちゃんが愛情を注いで育てたローズダイヤモンドの花を引きちぎったんだ」
嘘が悟られないように目を逸らしながら自信満々に、悪びれることもなく俺は言う。ガーデニングが趣味で、八年前に見たローズダイヤモンドの花をもう一度見るために頑張ってきたスピカのことをムギはよく知っているはずだ。
「どうして……どうして、朧はそんなことをしたの?」
しかし、ムギは俺に対して怒るよりも前に驚きの方が勝っているようだった。昨日のスピカもそうだったが、それだけ俺のことを信頼してくれていたのだろうか……そして俺は、そんなムギの信頼を裏切ることになる。
「愛の力なんてバカバカしいと思ったからだよ」
烏夜朧の口からそんな言葉が発せられるとは予想だにしなかったのか、ムギは驚きのあまり声も出さずにただ俺の目の前で呆然とした表情で立ち尽くしていた。
何をやっているのだろうか、俺は。俺の本来の目的は、転校してどこかに消えてしまった朽野乙女を見つけ出すことなのに、自分の死を回避するために美空やレギー先輩達のイベントを回収するのに忙しくて、しかも幾度となく起きるイレギュラーのせいかスピカとムギのルートは原作と全然違う展開を迎えてしまっている。
一体、どこでこの歯車は狂ってしまったのか……俺は自嘲気味に笑った後でムギに背を向けて去ろうとした。
が、俺は突然後ろから抱きつかれた。ムギの小さな、しかし確かに柔らかい体が俺の背中に密着し、ムギはモゾモゾと俺の背中の中で口を開いた。
「ごめんね、朧。私達のせいでこんなことになっちゃって……」
俺はムギを振り払おうとしたが、その温もりに抗うことが出来なかった。
「どうして、ムギちゃんが謝るんだい?」
「だって、朧は私達のために凄く頑張ってくれてたのに、私達は朧に何もしてあげられなかったから……」
確かに、俺はスピカとムギのために最近は忙しなく動いている。だがそれは俺がスピカとムギのことを心配して、というよりは二人が上手くいってくれないと俺が死んでしまうから、という利己的な理由に収まってしまう。
俺はスピカやムギ達に見返りなんて求めていない。しかしこの事情を彼女達に話すわけにもいかないのだ……。
「それに朧も、乙女がいなくなって寂しいんでしょ? あれからずっと変に強がってるけど……やっぱりおかしいもん、最近の朧は」
多分それは烏夜朧の中に『俺』という存在が芽生えたからだろう。元々趣味はナンパで夢はハーレムを築き上げることと豪語していた男が最近はすっかり女性を口説くこともなくなったが、それはただ単に忙しくなってしまったからに過ぎない。そんなことに時間を費やすぐらいなら、当てがなくとも乙女を探しに行くさ。
「朧は最近頑張り過ぎだよ。だからストレスで変になっちゃってるんだと思う。だから──」
ムギは抱きしめていた俺の体から離れると腕をグイッと引っ張って俺の正面をムギの方へ向けさせると、そのまま俺の両肩を力強く突き押した。
俺は驚きのあまり受け身も取ることが出来ず芝生に背中から倒れたが──ムギは上から覆いかぶさるように俺の体の上に乗った。
スピカを悲しませてしまったことにより、とうとう俺はその報いとして殺されるのかと俺は覚悟を決めようとしたのだが、ムギは目をつぶり──俺に一気に顔を近づけると、その柔らかい唇を重ねた。
「んぅ……!?」
柔らかく温かなキスが、一連の出来事で憔悴し、半ば投げやりになっていた俺を一瞬で包み込んだ。俺は反射的にムギの体を離そうとしたが、ムギの唇の感触、その緑色の髪から漂う香り、そして狂おしい程愛おしいムギの魅力に抗えずに身を委ねた。
「……驚いた?」
熱で溶接できるんじゃないかと思う程の熱いキスをしてきたムギは俺から唇を離すと、悪戯な笑みを浮かべて俺の体の上に跨ったまま言った。
「僕のファーストキスは高くつくよ?」
俺は昂ぶる興奮を抑えながら、ムギに負けじと彼女をからかったつもりだった。しかしムギは俺の頬に優しく手を添えて言う。
「じゃあ、私の唇は朧にとってどれくらいなの?」
その価値を俺に決めさせるのか。どれくらいと聞かれても比べるものもない。
「アークトゥルスと一緒ぐらいかな」
うしかい座の一等星、アークトゥルス。参考程度に、その直径は太陽の二十倍以上である。
俺は宇宙や星をテーマにしているネブスペ2を意識してそれっぽく答えたつもりだったが、ムギは俺の答えを聞いて満足そうに、幸せそうに笑っていた。
誰も来ることのない校舎裏で、俺とムギは隣り合わせで壁にもたれかかって座っていた。未だ胸の興奮は冷めやらないが、俺は平静を装ってムギの話を聞いていた。
「私は朧にたくさん助けてもらえたから、私も朧を助けたいの。朧が今困ってるなら、私……なんでもするから」
いや、なんでもってそんな簡単に口にしちゃいけないぞ。と、そんな野暮なツッコミを入れるわけにはいかず、俺は隣に座るムギを見て言った。
「いや、ムギちゃんが僕の味方になっちゃいけないよ。スピカちゃんが一人になっちゃうからね。
だから、ムギちゃんはスピカちゃんの味方になってほしい」
ムギが俺の頑張りを評価してくれているのは素直に嬉しいが、彼女が俺の味方になることは望まない。今は気まずくて顔を合わせたくないぐらいだが、俺は今でもスピカのことを大切に思っている。俺がスピカに近づけない以上、彼女の側にいてあげられるのはムギしかいないのだ。
ムギが俺の行動原理など知るはずもないが、彼女は少し悲しげに微笑んだ。
「……どうしてスピカと喧嘩してるのに、朧がスピカの心配をするの?」
「僕とてスピカちゃんのことは大切な友達だと思ってるからね。大体、今回の件に関しては悪いのは僕なんだから」
きっとムギは俺とスピカを仲直りさせようとしてくれているのだろうが、ぶっちゃけ俺は今のスピカに合わせる顔がない。自分が罪を被ったとはいえ、スピカに嘘をついてしまったのは事実。それに俺という存在が原因で、本来はスピカの涙により復活するはずのローズダイヤモンドが再び咲くこともなかった。
そのため、おそらくスピカルートのバッドエンドが確定している。即ちそれは俺が死ぬということでもあるのだが……第一部の最終日である七月七日に俺はスピカに殺されて肥料にされてしまうのだろうか? それとも何も関係ない大星がとばっちりを受けてスピカに殺されるのだろうか?
「ねぇ、本当は朧の仕業じゃないんでしょ? 朧は誰かを庇ってるの?」
俺はムギに手を掴まれて、そう問い詰められる。
きっとムギに真実を話しても戸惑うだろう。それをスピカが知ったところで、スピカの心が傷ついたという過去が消えるわけでもない。
俺はムギの質問に答えず、ムギから目を逸らして視線を下に下げる。
俺は会長がやったとスピカとムギに言うつもりはさらさらない。例えどれだけ二人に嫌われようとも俺が罪を被って悪人になるのはやぶさかではないが、これだけ俺を信頼してくれているムギに嘘をつくのは心が痛んだ。
「やっぱり、誰かが……私や朧が知っている誰かがやったの?」
俺は否定も肯定もせずに、ムギから目を逸らしたままフッと笑った。
何をやっているんだろう、俺は。スピカとムギから信頼を得るのは簡単なことなのに、わざわざそれを避けて自分から修羅の道を歩もうとしている。
ムギは俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、俺の手をギュッと掴んだまま言った。
「朧が庇うってことは、そんなに大切な人なの?」
エレオノラ・シャルロワ。ネブスペ2のラスボスと呼ばれる強敵ヒロインだ。俺の行動に一貫性なんてないように思えるかもしれないが……俺は、ネブスペ2に登場するキャラ全員が大好きだ。だから彼女達の間で仲違いを起こして不和になるのなんて見てられない。
俺が犠牲になるだけで済むのなら、俺はその選択を迷わない。そう、思っていた。
「その人は、朧にとって乙女より大切な人なの?」
ムギにそう聞かれた時、俺の体が何故かビクッと震えた。
『ねぇ、朧──お星様は、どうして輝いてると思う?』
やめろ、出てくるんじゃない。烏夜朧として見てきた過去の乙女の姿が俺の頭をよぎる。
会長は元々ネブスペ2のメインヒロインの一人だが、乙女は人気キャラではあったものの攻略は出来なかった。だから俺は最推しの乙女がヒロインに昇格される日を心待ちにしていたわけだが……どちらかを選べと言われたら、長い時間悩んだ挙げ句会長と答えただろう。前世の俺、もといネブスペ2の一プレイヤーとしては。だって会長ルートのシナリオ濃厚過ぎるもん、色んな意味で。
しかし、今の俺は烏夜朧として乙女と歩んできた思い出が残っている。ふとした時に、主に俺の心が弱くなってしまった時に出てくる乙女の笑顔や声が、最早吐き気を感じさせる程だ。
もうかなり未練たらたらという感じだが、もう乙女はいない。
「乙女と比べることは出来ないけれど、ムギちゃんには劣るかもね」
と、俺は顔を上げてムギに笑顔を向けて答えた。するとムギは照れくさそうに笑っていたが、俺の方に体を向けて口を開く。
「ねぇ、朧……もしまだ乙女のことを大切に思ってるなら、私と付き合ってなんて言わないから」
……え、そうなの?
じゃあ俺にいきなりキスしてきたのは何だったの?
と、俺は驚きを隠せなかったが、ムギは満面の笑みを浮かべて言った。
「だって、朧の夢はハーレムを作ることだもんね。だから……私は、朧の特別になんてなれないよ」
……。
……あ。
たまに忘れかけるが、本来烏夜朧というキャラの夢はハーレムという理想郷を作り上げること。まさかムギはそんな俺の低俗な野望を邪魔しないように告白を躊躇っている……?
確かに朧が唱えていたハーレムって具体的に何なんだろうか。烏夜朧に転生した俺でさえよくわからない。
この世の女性全員を等しく愛してみせる、と朧は豪語しているがじゃあどのぐらいまで愛するのか、その基準も曖昧である。多分朧は女に囲まれてチヤホヤされたら満足なんだと思う。俺はもう十分満足してるけど。
俺はさっきムギと熱い口づけを交わしたからてっきり付き合えるものだと勘違いしていたが、そう上手くはいかないらしい。だから俺はムギにこの思いを伝えたかったのだが──。
「……そうだね。僕が誰か一人だけを愛してしまえば、僕に愛されなかった誰かが悲しむことになるんだ。皆の幸せを願っている僕は、そんなことは望まないね」
しかし、そんな夢を否定して必死にムギに弁明するのも格好悪い。だから俺は、烏夜朧として貫き通すことを決めた。
……なんて虚しいんだ。
「朧らしい夢だね」
と、ムギは呆れたようにため息をついた。
そう、これで良いのだ。俺とムギが近づきすぎるのは良くない。スピカのこともあるし……いや、本音はメチャクチャ付き合いたいけど。今すぐムギを抱きしめたくてたまらないけど。こんなのをプレイヤー視点、つまり主人公である大星視点でやられたら完全にNTRだが、大星は大星で美空を攻略してるから良いだろ。
しかし……その選択が、俺の命運を文字通り左右することになってしまう。俺がひょんなことで死んでしまう可能性が十分に有り得る以上、ムギを悲しませたくはなかった。
「というか……ムギちゃんは僕の特別になりたいってことで良いのかい?」
「それは、どうぞご自由に考えて」
ムギは照れているのか俺から顔を背けてしまった。
想定外も想定外のイベントだ。スピカルートのバッドエンド確定イベントが起きてしまい俺はすっかり気落ちしていたが、ムギとの距離がこんなにも縮まってしまうとは思わなかった。こんなにもヒロイン達のイベントをケアするために奔走してるのに結局半年後に死んでしまう未来も十分ありえると考えていたが、いくらかの希望が見え始めていた。
だが──まだ、ムギルートのグッドエンドを迎えたわけでもないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます