アストレア姉妹編㉛ バッドエンド



 何が起きたのか、会長に一体どういう意図があったのか俺は理解に苦しんだ。

 しかし驚きを遥かに越えて俺の中に湧き上がったのは、スピカが八年前からずっと待っていた、大事に育てていたローズダイヤモンドの花を引きちぎったことに対する怒りだった。


 「ど、どうして花を引きちぎったんですか!? 僕の友人は、スピカは、八年前に見た幻の花に夢を見て今日を楽しみにしてたんですよ!? どうして、いきなりそんなことを!?」


 俺は怒りのあまり会長に詰め寄ったが、会長より背の高い俺が目の前に迫っても彼女は物怖じせず、それどころか涼しい顔をして口を開いた。


 「人が育てた花を勝手に自分のものにしないでほしいわね。この一帯は元々シャルロワ家の私有地で、そこに住宅地を造成した時に私がこの花壇を作ってこの花を植えたの。それをどうしようが私の勝手でしょ?」


 ……そう、この月見山の麓の土地は元々シャルロワ家の大きな別荘があった場所で、古くなった別荘を移転した際に跡地をシャルロワ家が経営する不動産会社が高級住宅街として開発したのだ。

 ならばこの花は確かに会長のものだ。だが……そんな論理で主張をカバーされても、俺の怒りが収まることはなかった。


 「じゃあ、どうして会長はこの花を育ててたんですか!? すぐに花を引きちぎるぐらいなら、いっそのこと枯れさせておけばよかったでしょう!?」


 確かにスピカが月ノ宮に戻ってきてローズダイヤモンドを見たときには枯れていたらしいが、あれから八年も経っているのに再生出来たということは、多少の手入れは続けられていたということだ。もしかしたらその時も会長が花を千切った後だったのかもしれないが、会長の意図が読めないのだ。


 「八年前にローズダイヤモンドは一度咲いています。その時もこの花を咲かせたのは会長なんですか? 本当にこの花のことが嫌いなら、どうして八年間も待っていたんですか?」


 会長は俺の問いに答えず、俺から目を逸らして口ごもってしまった。あんなに涼しい顔をしていた会長が少し動揺している。やはり何か隠していると確信し──俺は会長の秘密を推理する。

 俺は前世でネブスペ2をプレイしたから、会長の生い立ちは多少知っている。会長のシナリオにはローズダイヤモンドの話なんて出てこないが……考えられる可能性が一つだけあったのだ。



 「もしかして、このローズダイヤモンドには会長の……初恋の人との思い出が残っているんですか?」



 俺は、タブーを犯した。

 烏夜朧が知らないはずの、エレオノラ・シャルロワの過去を口にしてしまった。


 「その人と決別したいのに忘れることが出来ないから、貴方は──」


 しかし怒りに任せて俺が会長をさらに問い詰めようとした瞬間──気づけば、俺の頬に強烈な平手打ちがかまされていた。


 「人の思い出を、勝手に汚さないで」


 あれだけ何事も澄ました顔で受け流していた会長が、怒りを露わにして俺を睨んでいた。俺は平手打ちを食らった頬を擦ったが、会長の雰囲気に圧倒されることもなく睨み返して、さらに問い詰めた。


 「会長も人のことを言えませんよ。貴方は僕の友人の思い出を汚したんです。彼女の努力を全て無駄にしたんです。

  僕は知っているんですよ、会長のことを。八年前、貴方は月ノ宮海岸で出会った少年に恋をして──」


 すると、会長は手に持っていたローズダイヤモンドの花を俺の顔面目掛けて投げてきた。

 見事にローズダイヤモンドの花は俺の顔に直撃し、散り散りになった花びらが地面へと落ちていき、会長は口を開いた。


 「……わざわざ時間を割いて貴方と話す必要なんてないわね。

  もう、二度と私に顔を合わせないで頂戴」


 会長はそう言って、俺を睨みつけながら去っていった。俺はそんな会長の後ろ姿を──満月に照らされて煌めく会長の長い銀髪が揺れるのを、彼女を追おうともせずに見ていただけだった。



 俺は花壇の前で呆然と立ち尽くす。花を引きちぎられたローズダイヤモンドはいつの間にか急激に枯れていた。

 俺は自分の肩に付いていたローズダイヤモンドの花びらを手に取った。それを眺めた後、地面へと放り投げた。


 アストレア邸の方から近づいてくる人影。俺はそれに気づいても、枯れてしまったローズダイヤモンドを見ていた。


 「か、烏夜さん……?」


 花壇の前で立ち尽くす俺と、無惨な姿になったローズダイヤモンドに気づいたスピカは花壇の前までやって来ると、絶望の表情でガクッと膝から崩れ落ちていた。


 「そんな、どうして……!?」


 一体ここで何が起きたのか、スピカにはさっぱりわからないだろう。彼女は地面に落ちたローズダイヤモンドの花びらを一枚一枚拾い上げ、そして目に涙をためながら俺の方を見た。


 「……念のため、お聞きします」


 その表情には俺に対する疑念と怒りが込められているように感じた。


 「これは、烏夜さんがやったのですか?」


 この状況を見れば俺がやったのだとスピカは思うだろう。それでも俺がやったことが信じられないという表情もしていた。こんなに状況証拠が完璧なのに。

 すぐには答えない俺に我慢できなくなったのか、スピカは俺の腕を掴んで言う。


 「答えてください、烏夜さん。私は、烏夜さんのことを疑いたくはありません」


 ローズダイヤモンドの花を引きちぎったのは会長だ。それをスピカに説明しても信じられないかもしれないが、それが紛れもない事実である。その事実をスピカに告げると彼女は悲しむかもしれないが、俺がスピカを慰めるのも良いかもしれない。

 しかし──。


 「うん、そうだよ」


 俺は自嘲するように笑ってスピカに言った。するとスピカはさらにズイッと迫ってきて、俺の両手を掴んで涙ながらに言う。


 「本当に、烏夜さんが……?」


 スピカは今も俺を信じようとしてくれている。烏夜朧はそんなことをしない、と。その気持ちはとても嬉しいが、俺は涙ぐむスピカを見ながら言った。


 「愛の力なんてバカバカしいじゃないか。だって、こんな簡単に失くなってしまうんだから」


 俺は、エレオノラ・シャルロワを悪役にしようとは思わなかった。事情を説明すれば今後もスピカとムギのイベントは、多少のイレギュラーはあるかもしれないがどうにか解決する方法を見いだせたかもしれない。


 俺は自分と会長を天秤にかけたのだ。どっちが彼女達と味方になれば良いのか、を。

 現状、スピカとムギの周囲で起きているイベントを解決するためには、会長の力が絶対に必要だ。そのためには、会長に明確な敵意を向けられている俺の存在が障害となるだろう。

 なら、俺はいない方が良い。


 会長を悪役にするぐらいなら、自分が悪役になったっていいのだ。自分の保身は簡単だが、俺は例えどれだけスピカ達に嫌われようとも、彼女達の幸せを願っている。

 そのために、これは必要なことだったんだ。どうせ、いずれ烏夜朧はいなくなるのだから……俺だけがバッドエンドを迎えるのなら、その未来に抗おうとは思わない。スピカとムギが会長の助けを借りて幸せな結末を迎えてくれるのならそれで良い。


 「ど、どうして……」


 俺の答えを聞いたスピカは俺に怒り狂う元気すらも失ったのか、ローズダイヤモンドが咲いていた花壇の前で泣き崩れていた。


 「どうして、どうしてぇ……!」


 スピカが流した涙がどれだけ花壇に雨のように降り注いでも、枯れたローズダイヤモンドが復活することはなかった。


 本来、作中では一度枯れてしまったローズダイヤモンドがスピカの涙を栄養分にして復活し、見事な花を咲かせる。しかし、そこで花が咲かなければスピカルートのバッドエンド……『肥料』エンドを迎えることになる。

 ここに至る経緯に差異こそあれど、ローズダイヤモンドが再び花を咲かすことはなく、花びらが無惨にも地面に散っているだけだった。


 そう……これで俺はバッドエンド確定だ。


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