アストレア姉妹編㉗ 君の大切な妹、ムギちゃんは僕が頂いた!



 六月二十一日、日曜日。こんなに目覚めの悪い朝は、このネブスペ2の世界に転生してから初めてだ。

 どうやら俺はアストレア邸のリビングでそのまま眠ってしまっていたようで、外はまだ大雨のせいで暗かったが時計の針は朝の七時を指していた。


 「おはようございます、烏夜さん」


 俺が目覚めてすぐに上品そうないつもの白いブラウスに黒のロングスカートを履いたスピカも起きてきたが、寝起きだからとか関係なく彼女は元気がなさそうに見えた。

 無理もない……昨日は色々と起きすぎていた。きっとスピカもムギも落ち着かなかっただろう。


 「おはよう、スピカちゃん。ちゃんと眠れたかい?」

 「はい、おかげさまで……その、烏夜さん。ムギを起こしてきてくれませんか?」

 「別に良いけれど、スピカちゃんが行かなくて良いのかい?」

 「はい。今、私はムギに合わせる顔がないので……」


 そう言って表情を曇らせるスピカは、昨日の事件は自分に責任があると感じているのだろう。確かにスピカが勝手にムギの絵をコンクールに応募しなければこんなことは起きなかったかもしれない。しかしそれでは、ムギが秘めている芸術の才能が影に隠れたままになってしまう。

 俺はスピカを責める気持ちなんて全く無いのだが……ムギがスピカを打った時、あの時から本来のネブスペ2からは逸脱したストーリーが続いてしまっている。


 俺は二階に上がり、前に入ったことのあるムギのアトリエの手前の部屋で立ち止まる。俺はドアの前で深呼吸した後、意を決してドアをノックした。


 「ムギちゃん、起きてるかい?」


 返事が無かったら携帯に電話をかけてモーニングコールでもしてみようかとも思ったが、一時して中からムギの声が聞こえてきた。


 『入ってきていいよ』


 それは予想外の返答だった。俺はただムギを起こしに来ただけなのだが、戸惑いつつも俺はドアを開いてムギの部屋へと入った。


 物が大量に溢れていたアトリエと違い、ムギの部屋はインテリアなんかも最低限という内装で、家具にシックな豪華さこそあるが私物らしい私物はいくつかのゲーム機や漫画本ぐらいだ。

 しかし何よりも目を引くのは、部屋の壁に飾られている大きな絵画だった。


 白波が押し寄せる砂浜に佇む水色のワンピース姿の小さな少女が、夜空を駆けるいくつもの流れ星に向かって祈りを捧げていた。少女の目元からは涙のようなものが流れているようにも見えるが、彼女は一体流れ星に何を願おうとしているのか──そんな奥深さを感じられる壮大な作品だ。


 そんな絵画の前で、水色のワンピース姿のムギは椅子に座って窓の向こうに見える雨空を眺めていた。


 「おはよう、ムギちゃん」


 俺はそう挨拶してムギちゃんの側へ移動した。しかしムギちゃんは返事をせずに今も雨空を眺めている。ムギは普段から大人しいところはあるが、今は明らかに元気がなさそうだった。


 「この絵も、ムギちゃんが描いたのかい?」


 そう聞いてもムギは返事をしてくれなかった。すごい気まずい。もしかしてこれ聞いちゃダメだったパターン? いや、こんなデカデカと飾ってあったら聞きたくもなるでしょ。

 俺はもうムギの反応なんて気にせずに話し続ける。


 「凄い絵だね。人って流れ星を見ると何かを願ってしまう習性があるけど、この子はどんなことを祈ってるんだろう……自分の家族のことかもしれないし、恋人のことかもしれないし、もしくは大嫌いな人を恨んでるのかもしれない。色んなことを想像できるよ」


 絵画の中で流れ星に祈る水色のワンピースを着た少女の髪色は緑。ムギと姿形は完全に一致している。今のムギの状況と重ね合わせると、まるで少女が流れ星に助けを求めているように見えた。


 「僕は何度も流れ星を見てきたけれど、それを見る度に感動するね。そして僕は理想郷を、ハーレムを作れますようにって祈るんだ。僕が三回唱える前に消えちゃうから叶わないけどね!」


 と、俺は少し冗談を言ってみた。するとずっと黙っていたムギがとうとう口を開く。


 「ネブラ人の言い伝えにはね、流れ星は離れ離れになった人に思いを届けられるってのがあるんだ」


 ごめん全然冗談を言える場面じゃなかったわ。


 「じゃあ、この絵は八年前に?」

 「ううん。新しい方……スピカのパパが死んだ時に描いたんだ」


 ムギは父親を二度失っている。八年前のビッグバン事件で亡くなった実の父親と、その後テミスさんと再婚したスピカの父親だ。


 「最初のパパは昔の月研に勤めてた天文学者だったんだけど、スピカのパパも大学で働いてる天文学者だったの。短い間だったけど、宇宙のことについて色んな話をしてくれた。

  スピカのパパが死んだ時は、あまり一緒にいた時間が多くなかったから、なんていうか優しいおじさんが死んじゃったって感覚だった。でもスピカは凄く悲しんでて、それが凄く可哀想だったから、あの子を元気づけようと思って絵を描いたんだ」


 ムギの表情が段々と柔らかくなっていた。親の再婚によって姉妹という関係になった二人だが、父親の死によってその絆が深まることになったのだ。


 「実はね、これと殆ど同じ絵がスピカの部屋に飾ってあるの。そっちにはスピカが描いてある。でも対になる絵を描いてってスピカに頼まれたから、この絵を描いて部屋に飾ってるの。

  元々は死んだパパに思いが届くように、っていう意味合いだったんだけど……今は乙女に届いたら良いなぁ」


 そう言ってムギが見つめる窓の向こうに流れ星は映らない。今は朝だし、ここ最近は雨が続いている。次にピークを迎えるペルセウス座流星群も時期は七月半ば以降だ。そもそもとして、この梅雨の時期はムギが好きな星空をあまり見ることが出来ないのだ。


 「ねぇ、朧。スピカは私に怒ってる?」


 ムギは悲しげな表情で俺の方を向いて言った。

 

 「いや、全然そんなことはないよ。むしろ、スピカちゃんはずっと自分のことを責めてる」

 「うん、スピカならそうだろうね……私に才能なんて無いのに、買いかぶり過ぎなんだよ」

 「いいや、そんなことはないよ。僕もムギちゃんの絵は凄いと思ってる。他の絵にはない特別な魅力があるよ」

 「いいよ、そんなの。こんなことになるぐらいなら、才能なんていらないよ」


 やはりムギは一連の出来事のせいで卑屈になってしまっている。原作でも七夕祭のコンクールで最優秀賞を取ったことが原因でムギは嫉妬されいじめを受けるのだが、今も状況としては殆ど変わらない。

 すっかり気落ちしてしまったムギが復活するのは作中だともう少し先の話なのだが、そんなのは待っていられない。


 「ムギちゃん。今、スピカちゃんと面と向かって話せるかい?」

 

 するとムギは俺から目を背けてうつむいてしまう。スピカは自分の勝手な行いのせいでムギが不幸になっていると責任を感じているが、ムギもムギで自分の絵が原因でスピカを悲しませてしまっていると、お互いに自分に非があると思い込んでしまっている。確かに優しいのは良いことかもしれないが、それも度を行き過ぎてしまうと意味を失う。


 「じゃあ、スピカちゃんのことが嫌い?」

 「そんなことない!」

 

 ムギは一変して声を張り上げて否定する。きっとスピカも、今の二人の状況を良くないと感じているはずだ。

 しかし、スピカとムギがお互いに謝ったところで状況が改善するとは思えない。二人の心の中にわだかまりが残るだけだ。大体それを解決したところで、ムギへの嫌がらせという別の問題が待っている。それも解決しなければ、アストレア姉妹に再び幸せな毎日が訪れることはないだろう。


 「じゃあ、スピカちゃんのことは大好き?」


 俺は少し意地悪な質問をしてみる。ムギは嫌いなら嫌いだとはっきり言いそうだが、スピカに対してそんな感情を真っ直ぐぶつけたことはないだろう。

 ムギは照れたように口元を手で隠して、椅子の上でモジモジしながら言った。


 「だ、大好き……だよ。私の、大切な妹だから……」


 照れてるムギちゃんカワヨ。いや癒やされてる場合じゃない。ていうか一応スピカの方が姉だろうが、まだ姉という立場にこだわってんのかい。

 しかし、ムギの意思を確認することが出来た。ならば俺は、二人の仲が元通りになるよう手助けする他あるまい。


 「もう良い時間だし、朝ごはんを食べに行こうよ。スピカちゃんも待ってるよ」

 「う、うん」


 俺がそう行ってムギに促すと、俺の思惑通りムギは椅子から立ち上がった。


 「ちょっと失礼」


 その瞬間、俺はムギの背後に手を回し──ムギの体をひょいっと持ち上げた。お姫様抱っこである。


 「えっ、ちょ、ちょっと朧!?」

 「ごめんムギちゃん。少し手荒だけど、付き合ってもらうよ」

 「え、えぇっ!?」


 俺は戸惑うムギをよそに彼女をお姫様抱っこしたまま部屋を出て一階へ降り、スピカが待つリビングへと入った。


 「あ、烏夜さん……っとムギ!? ど、どうしてお、お姫様抱っこを!?」


 スピカはさっきのムギと同じように椅子に座って窓から見える雨空を眺めていたが、ムギをお姫様抱っこしている俺に気づいて珍しく慌てているようだった。

 そんなスピカに俺は微笑んで見せ、なおも困惑しているムギを抱えたまま声高らかに宣言する。


 「スピカちゃん! 君の大切な妹、ムギちゃんは僕が頂いた!」

 「えぇっ!? 烏夜さんがどうして!?」

 「ど、どういうことなの朧!?」

 「僕がこれからムギちゃんを攫うということさ!」


 読んで字の如く、俺はこれからムギを攫う。俺は出来る限りテンションをハイにして世紀の大怪盗みたく演じているが、後々思い返した時に黒歴史になりそうだな。

 スピカとムギの仲を修復するためにはきっかけが必要だ。ならば、俺がそのきっかけを作る。


 「ムギちゃんを返してほしければ、僕を追いかけて来るんだ!」

 「烏夜さんを追いかけて……わ、私は何を持っていけば良いんですか?」

 「ただ追いかけてきたら良いんだよ! じゃあさらば!」

 「ちょ、ちょっと烏夜さーん!?」


 俺はムギを抱えたままアストレア邸への玄関へ猛ダッシュ。しかしこのままではダメだと気づいて急ブレーキをかけて、後ろを追いかけてきていたスピカの元へ戻って言う。


 「外は雨が降ってるから、ちゃんと傘を差して風邪を引かないようにね! ちなみに僕は月研の博物館で待ってるし、時間はたっぷりとあるからちゃんと身支度してから来なよ!

  それじゃあバイバーイ!」


 俺は玄関へダッシュし、家を出る時に傘を一つ拝借して外に出た。外はやはりまだ雨が降っている。

 

 「ごめんムギちゃん、ちょっと傘を持ってもらっていい?」

 「いや私も自分で歩けるけど、月研まで行くの?」

 「うん。でもゆっくり行くと、その……雰囲気が出ないからこのまま抱っこして行くよ!」

 「なんでー!?」


 と、俺はムギに傘を差してもらって彼女を抱えたまま月研へと走って向かった。少しメチャクチャな手段になってしまったが、こういうエンタメ感は烏夜朧っぽく出来ているだろう。いつまでも、スピカとムギを暗い雰囲気に包まれた場所に閉じ込めているわけにもいかない。

 俺が、作中にはないイベントを自分で起こして二人を助けるんだ。


 「ま、こういうのもいっかな……」


 俺が長い道のりを息を切らしながら走る中、ムギは満更でもなさそうに照れくさそうに笑っていた。

 

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