アストレア姉妹編㉒ 狂いゆくシナリオ



 ムギからの連絡を受けて、俺は一旦帰宅してから月見山の展望台へ自転車を走らせた。アストレア邸がある高級住宅街や月ノ宮神社は月見山の北側、そして展望台は南側にある。歩いていくのは徒労だったため、月研で自転車を停めてそこから登山道へと向かった。


 駆け足で展望台に辿り着くと、緑色のサイドテールを黒いリボンで留め、月学の半袖の制服を着た少女が地べたの上で体育座りをして、顔をうつむかせていた。

 側に近寄ると彼女の嗚咽が聞こえてきて、肩を震わせていることに俺は気がついた。俺はそんな彼女の隣にあぐらをかいて地面に座り、そして言った。


 「顔を下げていると、余計に悲しくなっちゃうよ」


 ムギは何も喋らない。俺に顔も向けず、今も嗚咽が聞こえてくる。ずっと泣いていたのだろうか。


 「でも、前を向くことさえも大変な時もあるね。上を見上げることさえ辛いことだってあるさ」


 悲しい時、辛い時は自然と顔は下を向くし、嘘をついたりやましいことがあると人はついつい相手から目を逸らしてしまう。

 俺……ではなく、烏夜朧にもそういう時期があったのだ。


 「でも、意外と横を見ると頼れる仲間がいるかもしれない……僕の恩人の言葉だよ」


 俺の頭に、俺が前世で経験したことのない想い出がよぎる。


 『辛い時はね、一人でいちゃダメだよ。下も向いちゃダメ。目の前にいてくれる大切な人が見えなくなっちゃうでしょ?』

 『私の目を見て、朧。いつまでも一人でメソメソしてないで……せっかくだから、綺麗な星空を見に行こうよ』


 ……なんだか思い出すだけで辛くなってくる。『俺』は朽野乙女というキャラを画面越しで知っていたというだけだが、俺が転生した烏夜朧は乙女と幼馴染だったのだ。親に虐待を受け、学校でもいじめを受けていた幼少期の朧を励ましてくれた恩人でもある。

 しかし、前を向いても横を見ても、後ろを見ても……もう、彼女は側にいないのだ。


 俺がムギの出方を伺っていると、ムギの手がゆっくりと俺の方へ伸びてきて、そしてその小さな手で俺の右手首を掴んで言った。


 「……怖かったの」


 ムギの手は震えていた。まるですがるように俺の手首をギュッと掴んで話し続ける。


 「昔のことを思い出して、怖くなって、何がなんだかわからなくなって、気づいたらスピカを……」


 スピカから話もあったが、ムギは前の学校でその才能を嫉妬されていじめを受けていた。それに親友の乙女との合作が彼女の転校によって未完成のままだったのに、それを勝手に応募されてムギの芸術家としてのプライドが傷ついた面も多少あったのかもしれない。

 決して、スピカがムギに対して悪意を持ってそうしたわけではないとムギも気づいているはずだ。だから今もこうして泣いている。


 「ねぇ、朧」


 ムギがようやく顔を上げた。ずっと泣いていたからだろうか、ムギの顔は涙に濡れ、目元を手でゴシゴシと拭いながら言う。


 「私、スピカに嫌われちゃったかなぁ……?」


 黄金色の瞳から、再び大粒の涙が流れていた。俺はそんなムギの頬に手を添えて、そして優しく微笑んだ。


 「大丈夫だよ。今もスピカちゃんは、ムギちゃんのことが大好きだから」


 スピカも同じことを言っていた。スピカもムギも、自分の行いを後悔している。そのどちらも良い結果にならなかったからだ。

 だが、これでアストレア姉妹の絆が簡単に壊れるとは思わない。俺はそう信じたいが、ムギはまだ泣き続けていた。


 「ほ、本当に? スピカは、怒ってない?」


 不安そうな面持ちでムギは必死そうに俺に聞いてきた。その必死さは、スピカという家族が自分から離れてしまうことをムギが極度に恐れていることを伝えていた。


 「僕はさっきスピカちゃんと話してたんだ。スピカちゃんは怒ってなんかないよ。とても辛そうにしてた」

 「それは、私がスピカを打っちゃったから?」

 「違うよ。スピカちゃんもムギちゃんに内緒でコンクールに応募しちゃったから、それを後悔しているんだよ」

 

 するとムギは俺の正面に体を向き直して、そして俺の両肩を掴んで顔を近づけてきた。今のムギに襲いかかる不安がその手の震えに表れ、まるで助けを求めるように強く握られる、


 「本当に、本当にスピカは怒ってない? スピカも私のことを考えて応募してくれたんでしょ? だから私は喜ばないといけなかったのに、怒っちゃったんだよ? スピカは、スピカは何も悪くないのに、私はスピカを傷つけて……!」


 必死にそう訴えかけてくるムギの姿は哀れという他なく、彼女はずっと自分を責め続けていた。

 誰が悪い、なんてことはない。お互いに善意を持ってしてもそれがすれ違ったり空回りすることもある。

 だが、俺は俺の両肩を掴んでむせび泣くムギを目の前にしても、今の彼女にかけてやる言葉が思い浮かばなかった。



 「女の子を泣かせるなんて、サイテーな野郎ね」


 突然誰かの声が聞こえてきて、俺は驚いて声がした方を見る。すると俺達がいた展望台に、白衣を着たボサボサの黄色い髪の女性──朧の叔母である望さんが呆れた顔で俺達を見ていた。


 「な、なんで女神ノゾミールがここに?」

 「いつから私は女神になったのよ。私はここの所長だっていつも言ってるでしょ」

 「仕事をサボってこんなところに?」

 「いや、仕事をサボって食堂でぐうたらしてたら見たことない形相の甥っ子が自転車でやって来て、それを乗り捨ててダッシュで展望台の方に行ったら気にもなるわよ」


 俺、そんな表情をしていたのか。自覚なかった……って、やっぱりサボってはいたんじゃないか。


 「んで、一体全体何があったの? 場合によってはここから朧を突き落としてやるから気兼ねなく言いな」


 なんか冗談でもすごく怖い言葉が聞こえてきたが、ムギは俺の肩から手を離して望さんに説明を始めた。

 まずムギの絵が七夕祭のコンクールで最優秀賞に選ばれたこと、その絵は転校してしまった乙女と作っていた未完成のものだったがスピカが勝手に応募したこと、前に通っていた学校で自分の絵が原因でいじめを受けていたこと、それを思い出しスピカに怒って手をあげてしまったこと……スピカから事情を聞いていた俺が代わりに説明してあげようとしたのだが、ムギは全部自分で望さんに赤裸々に説明していた。

 

 「色々あったのね」


 ムギが話している最中にウンウンと相槌を打っていた望さんはムギの説明が終わると、俺達と同じように地べたに座って話し始めた。


 「私もね、こうやって派手な研究の成果を発表していると色々とあったのよ。そりゃもう子どもの頃からね。大学時代は発表した論文がパクリだの理にかなってないだのしょっちゅうイチャモンをつけられたし、私は上の人にヘコヘコするのも下手だからどこに行っても敵を作ってばかりだったのよ」


 まぁ我が強すぎる望さんはあまり世渡り上手ではないだろう。今でこそ月研という世界的にも有名な研究所の所長をしているが、それまでにどれだけ妬み嫉みを受けてきたのだろうか。

 まだ鼻をすすっているが、少し落ち着いてきたムギはなおも不安そうな面持ちで望さんに聞く。


 「望さんは、それでも辛くなかったの?」


 すると望さんはニヤリと悪い顔をして言った。


 「私は自分の頭と勘にだけは自信があったから、実力で全部ねじ伏せてやったのよ。結果を出し続ければ連中も私を認めざるをえなくなるし、実際私はなんだかんだ順調に上の立場になっていって、今まで私をいじめてきた連中を好き放題こき使える立場になったからね。今は最高の気分よ」


 ……。

 ……こわ。

 望さんは結構我慢強いタイプなのだろう。その並々ならぬ復讐心だけを糧にして逆境を耐え抜いて、好き放題出来るようになってから発散させるタイプか。すごいけどあまり真似はしたくないかもなぁ。


 「まぁ私はこれで上手くいったってだけで、絶対にそう上手くいくわけでもないわ。実際、そうやって学会の重鎮とかに潰されていく同僚も何人も見てきたし。

  スピカちゃんだって、あの子が貴方のことを妬んでやったわけじゃないでしょ? あの子はムギちゃんが描いた絵に感動させられたんだろうから。いっそこれを気にまた何か描いてみたら?」


 望さんは今のムギを見て、彼女がそう忍耐強いわけではないとわかって、自分の経験を踏まえたアドバイスをやめたのだろう。望さんなりにムギの背中を押してやろうとしているのだ。彼女が再び前を向けるように。


 「うまく、いくかなぁ……」


 まだ漠然とした不安が消えたわけではなさそうだが、ムギはどうにか落ち着きを取り戻していた。意外とムギと望さんって共通点があるのかもしれないなぁ。その経験で導かれた解決法は随分と対照的かもしれないが……。



 展望台を下りて月研の駐車場へと向かい、望さんと別れた俺はムギを自転車の荷台に乗せて帰ることにした。可愛い女の子と二人乗り出来るなんて夢のようだが、経緯が経緯だけにそこまで素直に喜べない。


 「私、スピカと仲直りできるかなぁ」


 荷台に座り、俺の体を後ろからギュッと抱きしめているムギが不安そうに言う。

 

 「スピカちゃんは全然怒ってなかったよ。そんなに怒ると思う?」

 「わからない……スピカが本気で怒ったところ、見たことないから」


 スピカって怒るとメチャクチャ怖そうだな。ああいう普段は優しい人がガチで怒った時って本当に怖いんだよ。多分スピカは怒鳴って威圧するんじゃなくてひたすら理詰めしてきそうだもん。


 「ほら、スピカちゃんもムギちゃんもイルカのペンダントを持ってるだろう? それがあるなら、二人の絆が潰えるようなことはないよ」

 「うん……そうだといいなぁ」


 月研から自転車を走らせて二十分程経って、俺は月見山の麓にあるアストレア邸へと到着した。俺も一緒に行って二人の間をとりなそうと思ったのだが、ムギは一人で行くと言う。


 「ちゃんと、自分で仲直りしてくるから」


 ずっと不安そうな面持ちだったムギが、自転車にまたがる俺にそう微笑みかけて言った。

 

 「頑張ってね、ムギちゃん。何かあったらいつでも連絡してきなよ」

 「うん……ありがとね、朧。本当にありがとう……」


 俺はアストレア邸の前で家の中に入っていくムギを見届けてから帰路についた。


 ……本当に上手く仲直り出来るだろうか。ムギが自分で行くと言ったから俺も強く出られなかったが、本当は最後までこの目で見届けたかった。

 何故なら、作中でこんなイベントは起きないからだ。


 「……一体、どこからどこまで狂ってんだろうか、あの二人のルートは」


 レギー先輩ルートと同様に、スピカとムギのルートでもバッドエンドを迎えると俺、烏夜朧は死んでしまう運命にある。これだけイレギュラーが立て続けに起きていると、二人のルートがどう進んでいくのか恐ろしくなってくる。

 

 「特に、本当にムギルートのイベントが作中通りに進んでいったら、俺に解決できるのか……?」


 前世でネブスペ2をプレイしていた時は、ただ選択肢を選んでいくだけで良かったのだ。しかし大星が美空ルートに入っている今、俺がスピカとムギルートのイベントのケアをしなければならない。


 俺はエンディング回収のためスピカとムギのバッドエンドも当然見たが、ムギのバッドエンドは若干血の気が引いてしまった。

 なぜなら──過酷ないじめに耐えられなくなったムギが、自らその命を絶ってしまうからだ。


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