アストレア姉妹編㉑ 姉妹の仲違い



 ネブスペ2では六月一日から各ヒロインの個別ルートに突入するのだが、スピカとムギに関しては六月の半ばぐらいまではアストレア姉妹の共通ルートとして進んでいく。そして今日発生したコンクール受賞のイベントは、ムギルートに突入した時に起きるはずのものだった。


 「今日は、ありがとうございました」


 放課後、俺はスピカと一緒に駅前の市街地を歩いていた。隣を歩くスピカは見るからに元気がなく、いつもは綺麗に背筋をピンと伸ばしているのにすっかり気落ちしてしまっている。


 「僕、何かお礼を言われるようなことしたっけ?」

 「ムギを止めてくれたじゃないですか」

 「あぁ……礼には及ばないよ」


 何か場を和ます冗談でも付け加えようかと思ったのだが、そんなことを言える雰囲気でも気分でもなかった。

 スピカはいつもムギと一緒に登下校しているのだが、昼休みのあのイベントからスピカとムギは一切会話をすることなく、放課後を迎えるとムギは一人でさっさと帰ってしまっていた。以前は大星や美空とも一緒に帰っていたはずなのだが、彼らが付き合い始めてからは気を遣っているらしい。


 「初めてでした。ムギに叩かれたのは……」


 作中でもムギが怒るイベント自体はあるのだが、スピカに手を出したことはないはずだ。そりゃ今まで姉妹喧嘩とかはあったかもしれないが、スピカもムギもお互いに気分が昂ぶっても暴力を振るうような人間ではない。


 「僕もびっくりしたよ。ムギちゃんって怒るとあんなに怖いんだって思ったね」


 烏夜朧は以前両親に暴力を振るわれていた記憶もあるからか、多少の体の震えはあった。俺自身はムギが怖かったというよりは、作中で見たことがないイベントが起きたから怖かったんだけど。

 交差点で赤信号に捕まり、俺はムギと立ち止まった。交差点の一角には来月の七夕祭を知らせる看板が立っていた。


 「スピカちゃんは、ムギちゃんが怒ってる原因は心当たりがある? ただ勝手にコンクールに応募したってだけであんなには怒らなさそうなんだけど……」


 俺の隣に立つスピカは下を向き、車の走行音に消えてしまいそうな声で「はい」と答えた。

 しかし、俺はあの時ムギがスピカに怒った理由をこれ以上追及しようとは思わなかった。本来作中で起きなかったイベントだが、俺はなんとなくその理由を推理することが出来たからだ。


 だからこそ、どうしてこうなってしまったのか俺はかなり困っていた。レギー先輩ルートのイベントを回収している時も多少のイレギュラーはあったが、今のところは概ね順調に進んでいる。スピカとムギのルートも作中と同じように進んでいくものかと思っていたのだが、原作とは百八十度違うイベントが起きてしまっているのだ。

 後々悲劇が待っているとはいえ、原作ではムギも受賞を喜んでいたはずなのに……。



 信号が青になって横断歩道を渡ってから、俺とスピカの間に会話はなかった。今のスピカのムギのことを聞くのは可哀想だし、かといって俺がスピカとムギの過去を知っている体で話を進めるのもおかしい。

 せめて作中でも同じイベントが起きていれば、主人公である大星のセリフをそのまま言えばいいだけなのだが、俺は励ましの言葉さえ見つけられず、昨日の打ち上げパーティの帰りにも通った踏切に捕まってまた立ち止まっていた。


 「……昨日も、この場所で烏夜さんとお話しましたね」


 ようやくスピカが口を開いた。昨日はムギも一緒だったが、アストルギーを起こして気絶して俺がお姫様抱っこしていたな。あの時はまだ、こんなことになるだなんて到底考えもしなかった。


 「七夕祭のコンクールをきっかけに、またムギが前に進んでくれたら、と……それは私の独りよがりなワガママだったのかもしれませんね」


 自分の行いを自虐するようにスピカは笑った。俺はそんな姿のスピカを見て、両手の拳を強く握りしめながら悔しさで唇をかみしめていた。

 これをスピカとムギが成長するための試練と説くのは酷な話だ。何かが、明らかに狂ってしまっているのだ。


 「私は、ムギのためを思って、ムギに喜んでもらおうと思って……!」


 もう喋ってくれなくていい。そんな苦しそうに話すスピカを見ていると、こっちまで……。


 「私、ムギに嫌われちゃったんでしょうか……?」


 声を震わせながらスピカは俺の方を向く。そして俺と目が合った瞬間、スピカは堪えていたものを我慢できなくなり、その赤い瞳から大粒の涙が溢れ出していた。


 「──スピカ!」


 そんなスピカを目の前にして、俺は何もしないわけにはいかなかった。

 目の前を電車が通過していくと同時に、俺は震えるスピカの体を抱き寄せて、そして力強く抱きしめた。


 「自分を責めるんじゃない。真っ直ぐな善意が空回りすることだってあるんだ。俺……僕は、スピカちゃんとムギちゃんなら仲直り出来るって信じてるから。いや、僕が仲直りさせてみせるよ。絶対に……」


 ごめん、スピカ。これは俺のせいだ。きっと俺がこのネブスペ2の世界に転生したことが原因でイレギュラーが起きているんだ。本来は起きないはずのイベントが、最悪の形で起きてしまっている。


 「か、烏夜さん……ひぐっ、うああぁ……」


 電車が通過し、遮断器が上がってもスピカは俺の胸の中で、子どものようにわんわんと泣いていた。いつもの落ち着いたスピカの雰囲気からはとても考えられない姿なだけに、俺はますますスピカを強く抱きしめていた。


 

 スピカが落ち着きを取り戻し、俺達は再び歩き出す。しかし気まずい雰囲気であることに変わりはなかった。

 勢いとはいえ、何で俺はスピカを抱きしめてしまったんだろう。これが最善の選択だったのかがわからない。ゲームみたいに選択肢として提示されたら迷わず選ぶのだが……本来の主人公である大星ならどうしていたのだろうか。


 月見山の麓の高級住宅街まで向かうと、アストレア邸ではなく幻の花であるローズダイヤモンドが植えてある花壇へと向かった。


 「……私とムギが八年前まで月ノ宮に住んでいたことは、烏夜さんもご存知ですよね」


 ローズダイヤモンドはまだ蕾のままで、その目の前にスピカは寂しそうな背中を俺に向けて佇んでいた。


 「そういえば、一度引っ越してまた戻ってきたということだよね?」

 「はい。私の父が今のお母様と再婚した後、父の仕事の都合で都心の方へ引っ越したんです」


 スピカもムギも元々は月ノ宮に住んでいて、そしてビッグバン事件で親を失っている。その後は一度都心へと引っ越し、今年になって月ノ宮へ戻ってきた。


 「ムギは私と出会った時から才能が凄くて、太陽系の星星の模型やプラネタリウムを自作したり、何よりもムギの描く絵はすごく魅力的だったんです。ムギは美術部に所属していて、二年前には大きなコンクールで金賞も取ったぐらいですから。

  でも……向こうの学校に進学してからは、上手くいかなかったんです」


 スピカとムギの父親が病死したのは再婚してすぐのことだ。占い師をやっているテミスさんが仕事の都合で月ノ宮に戻ってくるメリットなんてあまりないだろう。

 じゃあなぜ、スピカとムギは月ノ宮に戻ってくることになったのだろうか? 今日、本来作中で起きることのない謎のイベントが起きてしまった理由はそこにあるのだ。


 「ムギは進学してからも美術部に入ってとても注目されてました。他の方々から見ても、やはりムギの絵は別格だったのでしょう。

  しかし……ムギは優れすぎていたあまり、羨望を越えて嫉妬されてしまったんです。進学してから間もなくして、ムギは美術部の先輩や同級生からいじめを受けるようになりました」


 嫉妬という感情は、それを前向きに捉えれば向上心に繋がるだろう。相手を、ライバルを超えるために自分を磨くことが出来るなら自分自身の成長に繋がる。

 しかし、相手を蹴落とす方向に捉えてしまったら終わりだ。そこで人間としての成長が終わり停滞するだけだ。


 「絵筆を汚されたり、パレットを壊されたり、描いた作品をメチャクチャにされたり……年が明けるまで半年も続いたいじめに、私はムギの側にいたのに気づくことが出来なかったんです。

  初めて気づいたのは……美術室がある校舎の外の水道場で、美術部の先輩がムギの道具を壊しているのを目撃した時でした」


 半年間、そんな過酷な仕打ちを受けながらもムギは、一体何を夢見ていたのだろう。そこまでして作り上げたかった作品……乙女と改めて作り上げようとした最高傑作が、奇しくもこの事態を引き起こしてしまった。


 「私は美術部の先輩を問いただしたんです。すると、どうやら私を人質に……もしバラしたら、姉の私を標的にするとムギを脅して、美術部にいさせる代わりにムギをストレスのはけ口にしていたんです。あの方達は私のことも相当妬んでいたようで……お母様に相談して、すぐに転校が決まったんです。そして、私とムギと、お母様が生まれ育った月ノ宮へと戻ってきました」


 スピカは朧には及ばないが学業も優秀で、ムギには才能があり過ぎた。出る杭は打たれる、とはまさにこのことだろう。


 「ムギは強かったんです。私のことを守るために半年も耐えていたんです。

  でも、もうあの時のことを思いだしたくないのか、月ノ宮へ戻ってきてからあまり絵を描かないようになってしまって……描いたとしても誰にも見せなくなってしまいました。月学でも美術部には入るつもりはないみたいですから」


 月学にも美術部はあるし部員もそこそこいるが、彼らの人となりは保証することが出来ない。絵を誰にも見せなくなったのは、きっと前の学校でのトラウマもあるのだ。

 それでもムギが乙女との合作で七夕祭のコンクールに応募しようという気持ちになったのは、やはり乙女の存在が特別過ぎたからだろう。


 「でも私は、ムギのせっかくの才能を腐らせたくなかったんです。だから、だから……!」


 再び泣き始めそうになってしまったスピカの肩に、俺はそっと手を添えた。

 スピカの行為に悪意なんて全く存在しない。しかし、時に相手のためを思っての行動が悪く作用してしまうことだってある。それで人間関係があっさり崩壊することも……前世で俺は何度も見てきた。


 本来、このイベントはこうなるはずじゃなかった。おそらく烏夜朧に転生した『俺』が原因でイレギュラーが起きてしまい、スピカとムギが仲違いを起こしてしまった。

 ならば俺が責任を持って二人を仲直りさせるしかない。でもどうすればいい? 作中にこんな展開がないから上手くとりなす方法がわからない。

 畜生、主人公の大星ならどうやって解決したんだろう……!



 スピカは家へと中々帰りたがらなかった。それもそうだろう、先に帰ったムギが家で待っているからだ。俺も一緒に行って仲直りさせようともしたが上手くとりなせるか自信もない中で、俺の携帯の着信音が鳴った。

 俺は電話をかけてきた相手の名前を確認して息を呑んだ。だがすぐに意を決して電話に出る。


 「やぁ、もしもし。僕の力が必要かな?」


 普段の朧の明るさを保ちつつ、そして極力ふざけないように言う。すると電話相手は泣いていたのか、小さくすすり泣く声が聞こえきた後で言った。


 『……展望台に来て』

 

 電話相手──ムギは手短にそう言った。


 「わかった、すぐに行くよ」


 俺は電話を切ると、心配そうな面持ちで俺を見ていたスピカに笑いかけた。


 「どうやらムギちゃんが僕をお呼びみたいだね」

 「わ、私が行きましょうか?」

 「ううん、今はまだ会わない方が良いよ。それに、誰かに頼られるのって嬉しいからね」


 ぶっちゃけ俺ではなく大星を頼ってほしかったという気持ちもなくはない。俺の心労がヤバい。しかし指名されたのならば仕方がない、これは俺に責任があるからだ。


 「ムギちゃんも泣いてたみたいだね。やっぱり後悔してるんだと思う」

 「そ、そうですか……」


 一度は仲違いしてしまったが、意外と仲直りは早いかもしれない。微かな希望が見え始めていた。


 「ムギを、お願いします」


 そう言ってスピカは俺に頭を下げる。


 「うん、任せて」


 さぁ行くぞ俺、烏夜朧。ここからが正念場だ。

 絶対にスピカとムギのバッドエンドを回避させて見せる……俺のためではなく、二人のために。


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