レギー先輩編㉒ 貴方のために
「あ、レギュラス先輩だー!」
通りを歩いていると、レギー先輩と俺の間からセーラー服姿のツインテールの黒髪の女の子がひょこっと顔をのぞかせてきた。
だ、誰だ……いや、何か見覚えあるけどネブスペ2にこんなキャラいたっけ? そう俺が悩んでいると、レギー先輩はあぁっと声を出して思い出したようだ。
「結実じゃねぇか、久しぶりだな」
「はいっ。昨日の先輩の舞台見に行きましたよ! とぉっても良かったです!」
「そうかそうか、ありがとよ」
先輩は嬉しそうに結実という少女の頭をワシャワシャと撫で回していた。一方、俺は隣でその光景を微笑ましく思いながらも困惑していた。
だ、誰だこの子……?
レギー先輩ルートで出てくるモブに結実って子いたっけ? いや、確かに俺の記憶のどこかにいる気はするんだが、ストーリーにどう関わっていたのかを思い出せない。
「っと、烏夜先輩」
「へ? な、何?」
なんで俺の名前を、と俺が驚く前に結実という少女はレギー先輩と話している時とは打って変わって鬼の形相で口を開いた。
「烏夜先輩! 今度はレギュラス先輩を毒牙にかけようって魂胆ですか!? 前に演劇部の皆をナンパしたように、月学に行ってもその調子なんですね!」
あ、思い出したわ。
この子、中学の後輩だ。演劇部に所属してたからレギー先輩と面識があるし……んで、ナンパが趣味だった烏夜朧は学校中の女の子にナンパするのを目標にしていたから、この子も口説いたんだ。
そうか、俺の頭のどこかにこの子の記憶があるのは、前世の俺じゃなくて烏夜朧としての記憶だったのか。それを思い出してすっきりした俺は、わざとらしく高らかに笑ってから結実に言う。
「ちっちっち、君もまだ青いね結実ちゃん。僕は特定の女性を狙っているわけじゃないのさ。
僕の夢は理想郷、ハーレムを作り上げること! 皆を等しく全力で愛するのさ……勿論その中に結実ちゃんも入っているということだよ!」
「サイテーですね」
「朝から元気だな、お前は」
何か久々にまともな倫理観持ってる子に出会えたな。エロゲ世界には貴重だぜ。それが年下の後輩っていうのが情けない。
しかも段々と烏夜朧というキャラのロールプレイに慣れてきたことに恐怖さえ感じてきた。
「途中まで一緒に行きましょう、レギュラス先輩。ほら、私達の学校すぐそこなので」
レギー先輩や朧がかつて通っていた中学、月ノ宮第一の校舎が見えてきた。至って普通の公立中学で、コンクリート造りの白い三階建ての校舎には、まばらながら生徒達の姿が見える。
「懐かしいなぁ。中央階段にある朧の落書きってまだ残ってるのか?」
「あれは流石に消されてましたよ」
「あの『ハイレグ最高』って落書き?」
「いえ、『校長の頭はズル剥け』の方です」
そんなこと書いてよく無事でいられたな俺。じゃなくて烏夜朧は。やってること小学生過ぎるだろ。
改めて自分が転生したキャラの素行に呆れると同時に懐かしい気分に浸っていると──突然辺りに眩い閃光が走った。
「おわぁっ!?」
「な、なんだ!?」
爆発音のようなものが聞こえると同時に、俺達の視線の先──中学校の校舎の三階から黒煙が上がっていた。どうやらそこで爆発が起きたらしい。
「わ、私達の教室が……!?」
烏夜朧の記憶が蘇る。あそこは丁度三年生の教室がある辺りだ。ついさっきまで他の生徒もいたはず。
俺達は慌てて中学へと駆け出し、校門から中へと入った。爆発が起きた校舎の目の前まで来ると、既に中から逃げ出したのか多数の生徒が外に集まっていて、先生方が校庭の方へと誘導していた。
その先生方の中に、烏夜朧とレギー先輩がお世話になった志摩という教頭先生がいたため駆け寄って声をかける。
「志摩教頭! 何があったんですか!?」
「おぉ、レギュラスに烏夜じゃないか。実は三年の教室で突然爆発が起きたみたいでな……なんであんなところで爆発が」
「怪我人は?」
「今のところは問題なさそうだ。しかしまだどの生徒がいるのか把握できていなくてな……」
家庭科室とか理科室ならわかるが、どうして普通の教室で爆発が? 電気系統のショートとかならまぁわかるが……と、この学校のOBとOGとはいえ野次馬感覚で来てしまったが、俺達と一緒に来た後輩の結実の元に一人の女子生徒がやって来た。
「結実ちゃん! 世良ちゃん見なかった!?」
「え? 見てないけどどうかした?」
「じゃあ、まだあそこに世良ちゃんが……!」
慌てた様子の女子生徒は、今なおモクモクと黒煙が上がる校舎の三階を見ながら言う。
もしや、まだ取り残されている生徒がいるのか。先に教頭先生が女子生徒に問いかける。
「まさか、誰か取り残されているのか!?」
「はい。ついさっきまで世良ちゃんは丁度あの爆発が起きた辺りにいて、まだ校庭の方にもいなかったので……」
校舎には炎が赤く燃え盛るのが見え、空いた窓からはずっと黒煙が上がり続けている。炎の側にいなくても煙を吸って意識を失いかねないな、これは。
「……朧、ついてきてくれるか」
「え? は、はい!」
レギー先輩に呼ばれた俺は、校舎の裏手にある人気のなくなった水道場へと連れてこられた。花壇に水をかけるためのホースやじょうろ、それにバケツなんかが置いてあるが、レギー先輩は蛇口を全開にしてバケツに水を貯め始めた。
今、レギー先輩が何をしようとしているのか。レギー先輩の決意の表情を見てそれを悟った俺は、思わず先輩の手を掴んだ。
「……先輩。本気ですか」
レギー先輩の体は震えていた。それは決して武者震いなんかではないだろう。八年前は炎から逃げたのに、弟達を置いてきたのに、これからそこに自分から突っ込むつもりか。
「止めないでくれ、朧」
レギー先輩は水が貯まってゆくバケツを見つめながら言う。
わかる、わかるよレギー先輩。今の貴方が取り残された生徒を助けに行きたい気持ちは俺もわかっている。八年前のトラウマを乗り越えて、勇気を振り絞って一人の命を救いに行こうとしているのもわかる。
しかし……俺は本当にレギー先輩を行かせて良いのか!?
「ここなら消防署も近いからすぐに消防車が来ますよ。僕達素人が下手に助けに行くと、余計に事態が悪化するかもしれません」
自分が情けないことを言っているのはわかっている。ここで迷わずに英雄的な行動を取れる人は凄いというのもわかるし憧れる。
だがもしも、もしものことがあったなら。どうしても俺の頭には最悪の事態がよぎってしまう。
しかし、レギー先輩は俺の制止も聞かずに水が満杯に貯まったバケツを掴み、冷水を全身に浴びた。
「……あぁ、わかってるさ」
水が滴る前髪をかきあげてレギー先輩は言う。
「でも、もう後悔はしたくないんだ」
レギー先輩は笑っていた。決して強がっているわけじゃない、覚悟を決めた表情だった。
八年前、弟のカールや彼の友人である梨亜を助けられずに逃げてしまったことへの後悔。その過去を、トラウマを乗り越えるために、レギー先輩は決意してしまったのだ。
「後は頼んだ、朧」
そう言ってレギー先輩は校舎の中へ入り、中央階段を駆け上がっていった。
俺は水道場の方を見る。今も全開の蛇口から大量に流れ出す水がバケツに貯まっている。
そして、俺はそのバケツの縁を掴んだ。
後は頼んだってなんだよ。
それはレギー先輩が死んだらって意味か? そんなもの願い下げだ。
「……レギー先輩。そんな姿を目の前で見せられたら、俺が行かないわけにはいかないじゃないですか」
いや、でも正気か!? あの人本当に火災現場に突っ込んでちゃったよ!? 確かにこれもレギー先輩ルートで起きるイベントだけど! だったら俺が大星の代わりに行かないといけないじゃん!
怖い。この世界に転生してから今、俺を一番の恐怖が襲っている。
情けないぜ、レギー先輩はあんなに格好良く火の中に入っていったのに、俺はこうして怖気づいている。いや、今まで頑張ってバッドエンドを回避してきたのに、なんでわざわざ本来は起きないはずのイベントで死の危険に晒されないといけないんだ。
「……行くぞ、俺。行くんだぞ、俺。行けるだろ……!」
だが俺も行くしかない。このイベントには大星……ではなく、今この場に居合わせてしまった俺の力も必要だからだ。
バケツに水が満杯になると、俺はバケツを一気に持ち上げて頭から浴びた。
「冷たっ!?」
もう夏場が近いとはいえ急に浴びると体が震え上がるようだった。
「……よっしゃ。俺を殺せるなら殺してみろよ、この世界の神様め……!」
俺はようやく決意を固めて、レギー先輩に続いて校舎の中へ入り中央階段を駆け上がった。
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