レギー先輩編⑳ ネメアーの獅子



 『カール、梨亜……!』


 逃げ出したオレの耳には何も聞こえなかった。さらに勢いを強めて燃え広がる炎の音も、倒壊する瓦礫の音も、その下で焼け死んでいく人達の声も、何も耳に入らなかった。


 ひたすらに炎から逃げるように走っていると、いつの間にか月ノ宮海岸に辿り着いていた。海岸には多数の被災者と消防や警察が集まっていて、燃え盛る住宅地の中から走ってきたオレの元へ消防士達が駆け寄ってきた。

 そしてオレは、一番近くにいた消防士に抱きついて叫んだ。


 『カールが、梨亜が、あの中で瓦礫の下敷きなってるんだ! 早く助けてよ! 早く、早くぅ────』



 「──もう、そこまでで大丈夫です、先輩」


 絞り出すように声を出して昔話をされても、もう見てられない。レギー先輩は顔を両手で覆って黙っていたが、手を下ろすと泣き腫らした目元が真っ赤に腫れていた。そしてレギー先輩はフゥと一息ついてから口を開く。


 「あーあ、柄にもないところ見せちまったなぁ」


 そう言ってレギー先輩はフフッ、と少しだけ照れくさそうに笑って上を向いた。


 「お前に話せてすっきりしたよ。つまらない話聞かせちまってごめんな。

  今日はもう帰るよ。明日、また学校でな──」


 そう平気そうに言って立ち上がろうとしたレギー先輩の手を俺は掴んだ。レギー先輩は少し驚いたようだったが、こっちを見ようとはせずに天井を仰いでいた。


 「……先輩。貴方は嘘をついています」


 俺に原作通りの、烏夜朧ではない、帚木大星のセリフを言わせないでくれ。


 「強がらないでくださいよ、先輩」


 すると、立ち上がろうとしていたレギー先輩が姿勢を戻して、再びソファの上に座った。まだ俺に顔を向けようとはしない。


 「……嘘がバレないように、僕と目を合わせようとしない。涙を堪えるためにやたらと上を向く。そして、本当に強い人はそんな縮こまって座ろうとしません」


 俺はまだレギー先輩の手を掴んでいた。こんなに震えている手を離せるはずがない。


 「レギー先輩はいつも僕達に頼られてばっかりで、先輩自身は一体誰を頼るつもりなんですか?」


 候補としては二人。

 まず、レギー先輩の親友、エレオノラ・シャルロワ会長。レギー先輩の幼馴染であり、その過去も知っている。

 そしてレギー先輩が所属する劇団のOG、コガネ。年上で後輩のことをとても気にしてくれている人だ。

 ただ、レギー先輩はどちらも頼ろうとしないのだろう。多忙な毎日を送る二人に悪いと思って……。


 「辛い時は、人の温もりを感じるのが一番ですよ。僕の母親がいつも言っていたことです」


 朧の実の母親が言っていたことだ。普段からベタベタしていなくても、それを感じ取れてこそ幸せの証なのだと。


 「僕の胸なら先輩にいつだって貸しますよ。まぁ、僕が先輩にとって信用の足る人間だったらの話ですけどね」

 

 と、俺は少し冗談っぽく言った。

 最後の二言は作中の言葉を改変させてもらった。大星は確か、先輩の目の前に幸せがあるはずだとかどうとか言っていた気がする。前に美空が大星に言っていたこと……大星の母親の口癖である。

 だから朧の母親の言葉を引用させてもらったという次第だ。


 レギー先輩は一時の間黙っていたが、俺の手を握り返して小さな声で呟いた。


 「……ありがとう、朧」


 レギー先輩はようやく俺の方を向くと、まだ涙を流していたが、確かに──心の底から笑っているように見えた。


 「もう少し、こうさせてくれ」

 「はい、先輩」


 そう言ってレギー先輩は、俺の手を握ったままソファに座り直していた。


 ……あれ?

 おかしいなぁ、俺の予想ならレギー先輩が俺の胸に飛び込むように抱きついてくるはずだったんだけどなぁ。前世の俺の記憶が正しければ、原作だと大星に抱きついていたはずなんだけど?


 ……もしかして、好感度が足りてなかったのか!?

 やっぱりレギー先輩にとって俺は信用に足る人間じゃなかった!? こんな完璧な雰囲気の中で上手くいかないことある!?

 くそ、やっぱり主人公には敵わないというのか。


 いやー、好感度足りなかったかー。色々と想定外のことも起きたが、レギー先輩ルートの正解を選び続けてたつもりなんだけどなぁ。どこかで何かミスったか。

 

 大体、どうせ転生したんだったら何か例のユニークスキルという、一見役に立ちそうにないけど実は凄いスキル欲しかったなー。例えば選択肢が見えるとか、正解じゃなくてもいいから選択肢だけでも出てきて欲しい。俺なら即座にどれが正解でどれがバッドエンド直行か見分けられる自信があるのに……。



 その後、落ち着いたレギー先輩は自分の家に帰ろうとしたが、時間も時間なため望さんの部屋に泊めることにした。先輩も快諾し、とっ散らかっていた望さんの部屋を急いで片付けて寝れるように準備もした。まだ全然雨に濡れた先輩の服も乾いていないし、どうせ望さんが帰ってくる予定もない。


 「じゃあおやすみ。重ね重ねすまないな、朧」

 「いえいえ。寂しくなったら僕の布団に潜り込んできても良いんですよ?」

 「気色わるっ」

 

 うん、レギー先輩にいつもの元気が戻ってきた。お休みの挨拶をした後、俺は自分の部屋のベッドで横になり、天井を仰ぐ。

 

 上手くいった、のだろうか。

 俺は未だに何かの間違いでレギー先輩のバッドエンドを迎えやしないかと不安になっている。


 だって! だって!

 原作なら大星とレギー先輩がめでたくベッドインするはずなんだもん! 前世でプレイしていた時もそういえばこれエロゲだったなって我に返ったもん!


 何故だ!? 何か平穏に終わったけどどうして所々原作通りに進んでいないんだ!?

 やっぱり大星じゃなきゃダメってことなのか!? 俺と大星の決定的な差ってなんだよ、主人公補正とでも言いたいのか!?


 とまぁ、この世界の運命に対して文句をぶつけてもしょうがない。別に俺だってレギー先輩と同衾したいから優しくしていたわけじゃない、本当に先輩の身を案じてのことだ。

 ……いや、正直言うと少しぐらいは下心もあったけども。まぁそんなこと考えられる余裕もなかった。


 ともかく無事にレギー先輩とのイベントが終わり、一気に体に疲れが襲いかかってきたため、俺は雷轟と雨音を聞きながら眠りについていた。



 ---

 --

 -



 ──ぐすっ、ぐずっ。


 ……側で誰かが泣いている。

 ふと目が覚めると、部屋の中はまだ暗かった。しかし雷雨は止んだのかやけに静かだ。

 そして時計を見ようと横を見ると──隣にレギー先輩が寝ていた。


 「ぬおおおおっ!?」


 俺は飛び起きそうになったが、レギー先輩に体をガッシリと掴まれていて身動きが取れなかった。


 「ごめん、朧……」


 確かに寝る前に、寂しくなったら布団に潜り込んできても良いんですよとは言った。確かに言ったことは覚えてるけど、あれは烏夜朧なりのジョークのつもりだったんですよ。

 

 「ど、どうしたんですか?」


 俺は何が起きているのか現状を把握できず混乱していたが、レギー先輩のそのか細い声を聞いて我に返った。

 

 「今でも、夢に見るんだ」


 レギー先輩はさらに力強く俺の体を抱きしめてきた。


 「逃げたオレを、瓦礫の中から──恨めしそうに見ているカールと梨亜の顔と声が、何度も何度も頭をよぎるんだ」


 レギー先輩は俺の胸の中で嗚咽する。

 大星が八年前のビッグバン事件がトラウマになっているように、レギー先輩もまたそれがトラウマになっている。特に、瓦礫に下敷きになったカールと梨亜を助けられずに、彼らを置いて逃げたことに負い目を感じて……見てもいないはずの光景が見えてしまっているのだ。

 

 「……怖いんだ。何度も、頭をよぎるんだ……カールと梨亜の顔が、悲鳴が……」


 夢は残酷だ。思い出したくもない記憶を時折蘇らせてくる。やはり、一人じゃ耐えられないだろう。

 夜、特に暗闇は本能的な恐怖を人に与えるのだ。主人公の大星が宇宙を嫌うのも似た理由だろう。


 「何度も心を押し潰されそうになって、朝になって……目覚める度に考えるんだ。

  どうして、オレはあの時死ななかったんだろうって……」


 そんなこと言わないでくれ。聞いている俺まで、心がやられそうになってしまう。


 「怖いんだ……あの時を、思い出すのも、死んじゃうのも……!」


 レギー先輩は、逃げたくて逃げたわけじゃない。カールと梨亜を助け出したかったに決まっている。

 八年前、レギー先輩は自分の命を天秤にかけさせられた。カールと梨亜と共に死ぬか、彼らを置いて生き残るか。

 そこで自分の命を選んだレギー先輩を、誰が責められるだろうか。


 俺の胸の中で泣き始めた先輩を、俺は優しく抱きしめる。


 「こうすれば、怖くないですか?」


 人の温もり。あの日、家族を失ったレギー先輩が長い間触れられずにいたもの。


 「僕だって死ぬのは怖いですよ。あの時のことを、思い出すのも」


 かつて烏夜朧が住んでいた地域は爆心地から遠く、火災にも巻き込まれなかった。それでも飛び散った破片の直撃により両親は死に、その後の混乱を目にしている。


 「でも、それは先輩が一人で抱え込むことじゃないですよ」


 レギー先輩に贖罪なんて必要ない。それを先輩の足枷にしてほしくないのだ。


 「全部吐き出してください。そうしたら、幸せは倍に、悲しみは半分になりますから……僕に出来るのは、これぐらいです」


 少しでもレギー先輩の不安が和らぐなら、俺はこの身を先輩に捧げたっていい。前世で、俺が愛した貴方になら……。


 「……ありがとう、ありがとう……朧」


 そのまま俺達は、抱きしめあったまま眠りについていた。


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