レギー先輩編⑲ レギー先輩の弟



 ベランダのカーテンを少しだけ開けると、雨粒が窓に激しく打ち付けられていた。


 「うおっ」


 遠くに稲光が見え、一時して雷音が鳴り響く。照明を暗めに設定しているから、俺が今いるリビングに稲光がよく瞬いて見える。今はとても部屋を明るく出来る状況じゃない。

 俺はタオルで体を拭いた後、部屋着に着替えてリビングのソファに座った。


 さて、この状況をどうしたものか。


 レギー先輩には今、シャワーを浴びてもらっている。結構長く雨に打たれてたっぽいから体も冷えていることだろう。着替えは望さんのもあるが、多分身長的に望さんの部屋着は入らないから──。


 『誰がチビですって?』


 ……何か幻聴が聞こえたが、レギー先輩の着替えとして俺の体操着とジャージも用意しておいた。


 しかしこの後、俺はどうすればいいんだ? こんなイベント、全くの想定外だ。そもそも大星編でこのタイミングで雨なんか降ってたか? 確かに梅雨入りする頃合いだけどゲリラ豪雨にも程がある強さだ。

 

 レギー先輩はどうして俺の家までやって来たのか。いや、そもそもなんで俺の家の場所を知ってたんだろうか。

 どうしたものか悩んでいると、脱衣所のドアが開かれる音が聞こえてきた。


 「ありがとな、朧……」


 見ると、首にタオルをかけ、そして俺の体操着の上だけを着たレギー先輩が廊下に立っていた。

 こ、これが夢にまで見た彼シャツか……って、先輩。俺、ちゃんと下も用意してたはずなんですけど。

 と、レギー先輩のレアな姿に感動している暇はない。


 「体調の方は大丈夫そうですか?」

 「あぁ、問題ないよ……」


 レギー先輩は小さな声でそう答えると、俺の隣に座った。今のレギー先輩を直に見ると気が気でないので、俺は目を背けて下を向く。もうシャンプーの香りが鼻に入ったりレギー先輩の吐息を聞いているだけでおかしくなってしまいそうだ。


 「本当に、大丈夫なんですか?」

 

 念を押すように俺がそう問うと、レギー先輩は「あぁ」と小さな声で答えた。


 「本当に?」


 更に念を押すように問うと、レギー先輩は返事をしなかった。


 「本当に大丈夫な人は、雨の中傘も差さずに、泣きながら空を見上げはしないですよ」


 どうしようもないくらい精神的にやられているか、余程自分に酔いしれているナルシストぐらいだろう。


 「俺が、そんな人を放っておけると思いますか?」


 すると、膝に手をついていた俺の手にレギー先輩の手が触れた。シャワーを浴びたばかりなのに、その手は冷たく感じる。

 そしてレギー先輩は俺の手をギュッと掴んだ。


 「いいんだ、朧」


 先輩は涙声で言う。


 「今は、何も聞かないでくれ……」


 俺の手を掴むレギー先輩の手が震えていた。それを伝って、先輩の心の叫びが俺に響き渡ってくるようだ。

 レギー先輩は今、どんな心情なのだろう。先輩は今、俺に助けを求めているのだろうか。

 俺は、どうしたらレギー先輩を元気づけることが出来るだろう。


 何も聞かないでくれ、と言われたが、俺は黙っているわけにはいかない。


 「俺は、レギー先輩のことが大好きです」


 俺は烏夜朧みたいに頭が回るわけじゃない。


 「だから、俺はレギー先輩の辛そうな姿を見たくないんです」


 だから、俺は不器用に自分の素直な気持ちをぶつけることしかできない。


 「でも、明らかに無理をして強がっているレギー先輩は、もっと見たくありません」


 恥ずかしさも怖さも感じない。俺は、目の前にいるレギー先輩を助けたい……その一心だった。


 「俺はどんな話でも聞きます。どんな話でも受け入れます。どんな話をされてもレギー先輩の味方です。

  レギー先輩の気が晴れるなら、どんなことをされても俺は受け入れます」


 レギー先輩。俺はレギュラス・デネボラというキャラが大好きだ。ネブスペ2の第一部で真っ先に貴方のエンディングをクリアした。

 八年前のビッグバン事件をトラウマに抱えながらも、弟のカールの夢を叶えるべくレギー先輩は猛稽古を繰り返した。学業との両立はかなり大変だろうに、それでも俺達後輩のことを気にかけてくれて、気を利かせて場を和ませてくれたり、困ったときは相談にも乗ってくれたりと、俺達を不安にさせないためにどんなときも気丈に振る舞っていた。

 いちごのショートケーキが大好きで、犬派で、お化けが苦手で、洗濯とか掃除もあまり得意じゃなくて、みかんの皮の向き方が下手なレギー先輩が大好きだ。

 だから俺は、そんなレギー先輩の辛そうな姿を見たくないんだ。

 

 

 どれだけの時が経っただろう。何度も薄暗い部屋に稲光が煌めき、地鳴りと共に雷轟が響いてくる。

 そんな部屋で俺はジッと待つ。レギー先輩に手を掴まれたまま、先輩の気が落ち着くまで。眠気も忘れて、床を見つめていた。


 「……朧」


 突然レギー先輩に呼ばれて、俺は慌てて先輩の方を向く。先輩は俯いていたが、俺の視線に気づいたのか俺の方を向いた。

 無理矢理つくったのがひしひしと伝わる、不器用な笑顔を俺に向けながらレギー先輩は言う。


 「お前は……オレと弟の話を、どこまで知ってるんだ?」

  

 いや全部知ってますけどね。だがここでウンと頷くのは不自然だ。もし俺がその話を知っているのなら、レギー先輩が信頼している会長かコガネさんのどちらかが俺に漏らしたことになる。レギー先輩の中で二人に対して不信感が生まれてはいけない。


 「いえ、実はあまり知らないんですよ」


 俺は素知らぬ顔でテキトーにそう答えた。それが嘘だというのは見抜かれてしまうだろうか。

 しかしレギー先輩はそこにツッコむことなく言う。


 「……わかった。じゃあ、話すよ」

 「いえ、無理に話さなくても大丈夫ですよ。レギー先輩が胸の内に秘めておきたいなら、その方が良いはずです」

 「違う。話しておきたいんだ……お前に悪いからな」


 そして、とうとうレギー先輩の口から八年前の出来事について語られる。



 ──あの日は、珍しく家族全員で家にいたんだ。親父が前に公開された映画の撮影現場での裏話とか、次に撮る予定だった映画の脚本なんかをずっと喋っていて、オレとカールと、家に遊びに来ていた梨亜と一緒に聞いていたんだ。


 その後は、オレの部屋に集まって三人でゲームなんかしたりして遊んでいた。んで、もうそろそろ梨亜の母親が迎えに来そうな頃に──突然、目の前に閃光が走った。


 一瞬のことだった。轟音と共に自分の体を襲った衝撃で目が覚めると夜空が見えたんだ。

 何が起きたのかすぐにはわからなかったが、オレは辛うじてタンスがクッションになってくれたおかげで床と天井の隙間に入っていたことに気がついた。


 『カール! 梨亜!?』


 なんとか瓦礫の間から抜け出すと、周りの家も跡形もなく崩れていて、所々から火も上がっていた。一緒にいたはずのカールと梨亜の名前を叫ぶと、瓦礫の下からカールの声が聞こえてきたんだ。


 『ね、姉ちゃん……』


 聞こえてきたカールの声を頼りに、天井や壁の板材を一個一個どかして二人を探した。少しずつ瓦礫をどかしていくと、ようやくカールの手の先が見えた。


 『カール!』


 瓦礫の下の僅かな隙間を覗くと、暗闇の奥にカールの顔が見えた。


 『た、助けて姉ちゃん!』

 『わかった! 梨亜はどこにいる!?』

 『僕が手を掴んでるよ』


 どうやらカールの向こうで、梨亜も瓦礫の下敷きになっていたみたいなんだ。


 『梨亜……梨亜?』


 でも何度も梨亜の名前を呼んでも、梨亜はもう返事をしなかった。


 オレはがむしゃらにカールと梨亜の上に乗っかる瓦礫をどかそうとした。でも非力だったオレには少しずつずらしていくことしか出来ず、そうこうしている間に火の手が迫ってきていたんだ。

 

 周りに助けを求めることも出来なかった。周りの家も倒壊していたし、オレ以外に生存者も見当たらなかった……いや、多分瓦礫の下にはいたんだろう。オレは両親の名前も叫んだが、梨亜と同じように返事はしなかった。

 

 段々と火の手が近づいてくるに連れて、周りの瓦礫の下から助けを求める近所の人達の声がはっきりと聞こえてきたんだ。それが段々と悲鳴に変わってきたことも気づいていた。それでもオレは必死に、目の前にいるカールと梨亜を助けようとしていた。


 『姉ちゃん、早く逃げて』


 オレが大きな瓦礫をずらすのに四苦八苦している中、瓦礫の下からカールがそう言った。


 『待てよ、カールと梨亜を置いていけるわけないだろ!?』

 『でもこのままだと姉ちゃんまで死んじゃうよ! 早く逃げないと、ここも燃えちゃう』


 その時のオレは冷静ではなかった。確かにカールの言う通り、カール達の上に乗っかる瓦礫をどかすよりも先にこの場所が燃えるのが早かっただろう。

 それでもオレは、カールと梨亜を置いて逃げられなかった。


 『……くそっ、くそぉ!』


 オレの力じゃ大きな瓦礫をずらすことさえ難しかった。段々と疲れも襲ってくる中で、そんなのも忘れて馬鹿力でどかそうとしたが、とうとう息が切れてオレは地面に手をついた。

 すると、カールが瓦礫の中から手を伸ばして、オレの手を掴んだ。


 『姉ちゃん、もう良いよ』


 色白だったカールの手がいつの間にか青くなっていた。


 『僕は大丈夫だよ。梨亜と一緒にいるから怖くない。姉ちゃんだけでも助かって。お願いだから……』


 それが、カールの最後のお願いになるかもしれないと、オレは薄々気づき始めていた。

 オレは迷った。最後まで僅かな希望を持って瓦礫をどかすか、カール達と共に炎に包まれるか、カール達を置いて一人で逃げるか。


 『お願いだから、姉ちゃん……』


 オレは、カールの手をギュッと力強く握った。


 『姉ちゃんが、僕の夢を叶えてよ』


 あの時のカールの顔は、今でも忘れられない。


 『ごめん。カール、梨亜──』


 そして、オレはカールの手を離して一目散に走り出した。


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