レギー先輩編⑯ 烏夜朧、君なら……。
俺が慌てて楽屋に中に入ると、中は騒然としていた。
衣装や多くの小道具が置かれた楽屋の中心で対峙するレギー先輩と、中年ぐらいの女性一人。そして彼らを戸惑いや不安そうな表情で周囲から見ている劇団員達。
「お、おぼろ……?」
楽屋に入ってきた俺に気づくと、レギー先輩は力なく床にペタン、と座り込んでしまう。その表情は──恐怖と、怯えと、悲愴に満ちていた。
「先輩……!」
俺は慌ててレギー先輩の元へと駆け寄って、今にも崩れ落ちてしまいそうな先輩の体を支える。そして、レギー先輩を睨みつける女性を見る。作中でそのビジュアルこそ出てこないが、八年前のビッグバン事件の際にレギー先輩の弟カールと一緒に亡くなった梨亜という少女の母親だろう。
「……貴方は、梨亜のお母様ですね?」
作中なら舞台公演中に舞台上のレギー先輩に人殺しと叫ぶはずだった。そのイベントが起きなかったから油断していたが、原作通り舞台を見に来ていて、どういうわけか楽屋に乗り込んできたのか。
「だから何?」
梨亜の母親が明らかに不愉快そうな語気で言う。
……凄い迫力だ。これが娘を失った母親の怒りか。俺のノミの心臓が今にも潰れてしまいそうだ。
「何が目的ですか?」
しかし、俺は二人の間に入るしかない。本来このイベントを動かす立場にいる主人公の大星がいない以上、俺まで傍観してしまっていては……レギー先輩が一方的に攻撃を受け続けることになる。俺はそんな先輩の姿を見たくはない。
「アンタは何? 月学の生徒?」
「はい。この人の後輩です。話なら僕が聞きます」
「アンタには関係のないことよ。私はその人殺しに用があるの」
用事って言ったって、ただ自分の気が済むまでレギー先輩を謗り続けるだけだろう。
「ただレギー先輩を罵倒するために来たなら、今すぐ帰ってください。意味がないでしょう、こんなことをしても」
そんなことを俺が言っても意味がないことぐらいわかっている。はいそうですか、と向こうが帰るわけもない。
ただ、その矛先が俺に向かってくれたらいい。
「アンタ、この人殺しの肩を持つつもりなの!?」
母親がズイッと身を乗り出して、唾が飛んでくるぐらい顔を近づけてきて声を荒らげた。
「この女は自分の弟と、私の娘を見殺しにしたのよ!?」
母親は今にも俺に掴みかかってきそうな勢いだったが、気圧されないように拳をグッと握りしめる。
「えぇ、知ってます」
前世で何度も見た。全クリに周回が必要だったから、何度もレギー先輩ルートを進んでこのイベントを心を痛めながら見てきた。
「この女は自分の弟すら助けようとせずに今ものうのうと生きてるのよ!?」
やめろ。耐えるんだ、俺。
「私の旦那はそれをきっかけに衰弱して、あれからずっと入院してるのよ!?」
やめてくれ。落ち着くんだ、俺。
「アンタに私達の気持ちがわかるっての!?」
俺の気持ちまで逆撫でするのはやめてくれ。
「人の子を殺した人間に、生きてる価値なんて──」
俺は一瞬、後ろにいるレギー先輩を見た。
烏夜朧が慕い、何度もラブコールを送り続けてきた憧れの先輩が。俺が前世で一目惚れし、何度も攻略を繰り返した愛する先輩が──自責の念からか苦しそうな表情で大粒の涙を流していた。
すみません、梨亜のお母さん。
すみません、レギー先輩。
ごめん、烏夜朧。
俺の心は未熟だった。今のレギー先輩を罵る人間に冷静な対応が出来るほど大人ではなかった。
「もうやめろ!」
我慢の限界だった。一度昂ぶってしまった心は、もう抑えられない。
「俺だって八年前に家族を失ってるんだよ!」
ついさっきまで鬼の形相だった梨亜の母親が、俺の言葉に驚いたのか少し身を引いた。
「俺の両親はどうしようもない人だった。それでもあの人達は俺の家族だったんだ」
確かに烏夜朧の両親は絵に描いたような毒親だった。だが烏夜朧はそんな両親が死んだからといって、その死を喜ぶほど無情な人間ではない。叔母の望さんが引き取ってくれたから良かったものの、いざという時に頼れる存在を失ってしまった時の、誰もいない世界で孤独になって路頭に迷う感覚を忘れはしない。
それは、烏夜朧に転生した俺も彼の記憶から感じ取ることが出来る。
「知ってるんだ、何もかも」
俺は八年前、レギー先輩の身に何が起きたのかを知っている。それを知らずして先輩を庇っているわけじゃない。
例え、目の前にいる梨亜の母親にどれだけ恨まれようとも。
「俺だってわかりますよ、残された側の気持ちを。奪われた側の気持ちも。
でも、それをレギー先輩が感じてないと思ってるんですか!?」
「じゃあ本当に反省してる人間がこんな堂々と表舞台に立っていいとアンタは思うわけ!?」
「そんなの自分のエゴを相手に押し付けているだけでしょうが! 先輩はあの子達への償いのために今も舞台を頑張ってるんだ! これ以上俺のレギー先輩を傷つけるだけなら今すぐここから出ていけよ!」
ヒートアップして俺が梨亜の母親を威圧するように身を乗り出そうとした瞬間、後ろから両腕を掴まれた。見ると劇団員の男性が俺を取り押さえていた。
そこで俺はハッと冷静になった。後ろにいたレギー先輩の元には、他の劇団員の女性達がいてくれている。
「もう十分だろう」
すると、オシャレな髭を携えた白髪交じりの一際ダンディーな男性が俺の肩をポン、と叩いた。誰だこの人……あ、もしかして座長さんか?
座長さんは俺と梨亜の母親の間に割って入り口を開いた。
「すみませんが、これ以上ここに居座るようなら相応の対応を取らせていただくことになります。まだ言い足りないのなら、別途機会を設けますので私がお相手いたしますよ」
座長さんは梨亜の母親を諭すように微笑みかけるが……その目からは静かな怒りを感じた。
相応の対応、まぁ警察沙汰になるのも面倒だと思ったのか、梨亜の母親はフンッと不機嫌そうにズカズカと楽屋のドアを乱暴に開いて去っていった。
……嵐は去ったか。気づくと俺は体中から力が抜けて倒れかけたが、劇団員に体を支えられていた。
楽屋での騒動後、見てられないほど弱々しく泣いていたレギー先輩を劇団員の人達に任せ、劇場のドリンクカウンターで水を注文して気持ちを落ち着かせていた。
……あぁ~やってしまった。やっちまったよぉ~。
俺は極力平穏に収めようとしたのだが沸点が低かった。大体俺はそんなにメンタル強くないし。多分どうあがいても逆上するか泣き出すかの二択しかなかった。
作中だと確か、本来は舞台上演中にイベントが起きて、梨亜の母親は散々レギー先輩を罵って帰るだけだった。大星はその後にレギー先輩の元へ慌てて向かうのだ。梨亜の母親と直接バトルすることはない。
今思い返しても俺の対応は悪かった。あんな言い争いに意味なんてない。お互いに頭に血が上って、ただ怒りに任せて罵詈雑言をぶつけているだけだ。そんな感情任せの言い合いから良い結果なんて生まれやしない。
それに意味がないことは、おそらく梨亜の母親も知っていただろう。どれだけレギー先輩に自分の感情をぶつけたところで、八年前に亡くなった一人娘が帰ってこないという事実は言うまでもない。
しかしそれでも、行き先のない感情を何かにぶつけなければ気がすまないこともある。その気持ちは俺だってわかるのだが……誰かが間に割って入らなければ、最悪の結果になっていたかもしれない。
なぁ、烏夜朧。お前なら一体、どうやってこの問題を解決したんだ……?
このイベントが起きてしまった原因は俺にあるだろう。この世界に転生してからの俺の行動が思わぬ事態を引き起こしてしまっている。
ネブスペ2というエロゲであるはずのこの世界は、何かしらの不思議な力で強制的に作中のイベントが進んでいくものかと思っていた。主人公である大星が美空ルートに入っている今、本来レギー先輩のイベントは起こらないはずなのだ。
この先一体どうなってしまうのか……カウンターで一人ため息をついていると、誰かが側にやってくる足音が聞こえてきた。
「隣、いいかな?」
やって来たのは、レギー先輩が所属する劇団アステロイドの座長さんだ。改めて見ると何か風格あるなぁこの人。
俺が快諾すると座長さんは隣の席に座ってアイスコーヒーを注文した。
「さっきは、ありがとうございました」
俺がペコリと頭を下げると、座長さんは「いやいや」と困ったように笑って言う。
「あぁいう時はね、本当は大人が先に割って入るべきだったんだよ。でも突然のことだったから戸惑いが勝ってしまってね……私達が呆然としている間に、君がレギーを助けてくれたんだ」
「いえ……僕もつい頭がカッとなってしまって、怒りに任せて言葉をぶつけていただけです。もっと、もっと平和的な解決もあったはずなのに……」
「いいや、君はよくやってくれたよ。本当に」
いや、まぁ確かに突然の事態とはいえ先に他の大人達が出てきてくれたら良かったじゃん。烏夜朧も俺と同じように間に割って入っただろうが、そんな主人公みたいなムーブをするようなことはなかったはずだぞ。
「そういえば自己紹介がまだだったね。私は劇団アステロイドの座長、
「僕は烏夜朧、月学の二年生です。レギー先輩には中学からお世話になってます」
伴新一、作中でレギー先輩ルートを進んでるとチラッと出てくる名前だ。確か元々小説家で細々と俳優として活動もしており、今は劇団の運営に精を出しているって設定だったか。見た目はなんか刑事ものに出てきそうな大御所っぽい人なんだけどな。
「烏夜……もしかして月研の所長さんのご親族かい?」
「僕の叔母ですね」
「へぇそうだったのか……君は今、その人と一緒に暮らしているんだね?」
「そうですね、居候させてもらってます」
そうか、と新一さんは頷くと少し悲しげな表情を浮かべていた。
「……八年前、レギーの身に何が起きたのかは噂程度で私も聞いていた。あのシャルロワさんの娘さんからね」
シャルロワさんの娘、というのはエレオノラ・シャルロワのことだろう。確かレギー先輩の過去を知っているのは会長とコガネさんぐらいしかいない。
「八年前にご家族を失ったのは私も知っていたがね、そんなことがあったとは……勿論、レギーに罪が無いこともわかっているさ」
それを罪に問うのは酷な話だ。しかしレギー先輩もそれを罪と自分でも認識しているのだ。きっと会長もレギー先輩がお世話になっている座長さんも多少の事情を知っているべきだと判断して、少しだけ話したのだろう。
「私もね、八年前に娘を亡くしているんだ」
「……え? そ、そうなんですか?」
「あぁ。レギーの実家の近くに住んでいてね。私が仕事で家を空けている時に爆風で家が倒壊したんだ。瓦礫の中に取り残された娘を、私の妻は火の手が迫る中助けに行ったそうなんだが……娘共々、遠くに旅立ってしまったよ。
娘は生きていれば、ちょうどレギーと同い年だったね」
なんかもう聞いてるだけで心臓がキュッとなるんだけど。
そりゃ……助けに行ったけど共倒れになってしまったのを見たら複雑な心情だよなぁ。
「向こうの親御さんの気持ちもわかる。そりゃそんなに大切ならたとえ火の中水の中、自分の命をかえりみずに助けに行けと言いたくなるかもしれない。
でもそれを親だから、家族だから当然だ、と決めつけるのは難しい話だろう。ましてや、まだ十歳ぐらいの子どもだったレギーにそれを求めるのは最早非道とも言える。死ぬのが怖いなんて当たり前のことさ、レギーは悪くない」
良かった。
レギー先輩に近しい人が味方でいてくれて本当に良かった。
家族を失っていて、頼れる存在が限られるレギー先輩にとっては心強い味方のはずだ。きっと新一さんも、自分の娘とレギー先輩を照らし合わせて気にかけてくれているのだろう。
「やっぱり、あのお母さんがレギー先輩をあれだけ槍玉に挙げているのは、先輩がネブラ人っていうのも関係してますかね?」
「それも大いにあるだろうなぁ。あの時はネブラ人をこの月ノ宮から排斥しようだなんて動きもあったし、それこそ彼らを人殺し呼ばわりする人間もいたね。実際にネブラ人の殺人鬼が出たなんて騒動もあったし」
「じゃあ新一さんも……多少は、ネブラ人に対して思うところはありますか?」
すると新一さんは黙ってしまった。やっぱり……あの事件のせいで家族を失っているから、多少はわだかまりが残っているか。
新一さんはアイスコーヒーを一口飲んで一息ついてから言った。
「君に難しい問題を出そうか。君はもし今、かつてのレギーと同じような状況に陥った時、自分の命を顧みずに助けに行くことが出来るかい?」
はい、と答えるのは簡単だ。それがきっと英雄的で正義感溢れる素晴らしい答えだろう。
いいえ、と答えるのは少し勇気がいる。でもそう正直に答えるのは恥ずかしいことじゃない。
「その時になってみないと、僕にはわかりません」
いざその場面に遭遇した時、俺の体はどう動くのか。
今年の年末、もしもネブスペ2のストーリーと同じようにこの世界でイベントが進んでいくのなら、クリスマスイブに俺はあるヒロインを助けるために死ななければならない。
そのための覚悟を示せと言われているようだ。
「でも、もしもレギー先輩に危機が迫っているのなら、僕は迷わずに助けに行きます」
これぐらい言えないとダメだ。ネブスペ2はエロゲなのに死にゲーと呼ばれるほどバッドエンドで死んでしまうことが多いが、そんな世界に転生してしまったからには相応の覚悟が必要だ。
でなければレギー先輩を始めとしたヒロイン達や……ストーリーの本筋から退場してしまった乙女を助けることは出来ない。
「僕は、向こう方の気持ちもわかります。でもどっちが良いも悪いもないと思うんです。それなら僕は……自分に近しいレギー先輩の味方でいますよ」
「……そうか。ありがとう、君も大変だろうにな」
「いえいえ、これぐらいしか取り柄がないので」
朧。お前ならそう答えただろ? 俺はお前ほど頭は回らないけど、お前もそうだと信じている。
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