上手くいかない二人
月ノ宮駅から一旦家に戻り自転車に乗って二十分程、月ノ宮町南部の海岸から山間部にかけて東西に広い敷地を持つ月ノ宮宇宙研究所へと到着した。
元々はネブラ人が乗っていた巨大な宇宙船が保管されていたのだが、八年前のビッグバン事件の後、爆心地周辺は大規模な開発が行われ、海岸沿いには月ノ宮宇宙研究所を始めとした研究機関に博物館、公園、ショッピングセンター、国道と線路を挟んで山間部には巨大な天体望遠鏡などの観測施設が建設され、立派な観光地となっている。
そして海岸沿いに建つ研究所を囲うように生い茂る森の中に、真っ白な慰霊塔がそびえ立っている。俺は森の中に潜んで、慰霊塔の前に佇む人物──ネブスペ2の最初の主人公、帚木大星の様子を観察していた。
大星は滅多にこの場所を訪れない。八年前、大星はビッグバン事件で両親だけでなく仲の良かった友人達も失い、心に大きな傷を負っている。あの事件をきっかけにネブラ人を嫌うようになった地球人は多くいるが、幼少期からネブラ人と触れ合ってきた大星も少なからずネブラ人から距離を置いていた。
八年前、大星は爆風によって倒壊した自宅から辛うじて脱出できたが、両親は瓦礫の下敷きになっていた。丁度家の前を通りがかったネブラ人達に大星は助けを求めたが、彼らは大星の叫びを無視してその場から去ってしまったのだ。
だが、大星はネブラ人全員が酷い連中だと思っているわけではない。同じ場面に地球人が出くわしても、もしかしたら同じ対応を取られていた可能性もある。だからこそ大星はネブラ人を表立って嫌うような真似はしないのだが……やはり彼の心の奥底に、ネブラ人に対する怒りが眠っている。その怒りを抑えるために、大星はビッグバン事件そのものを忘れようとしていたのだ。
だが、乙女の転校イベントが大星のその感情を揺るがした。ビッグバン事件を起こしたのは乙女の父親、朽野秀畝かもしれないのだ。
大星はさぞ混乱していることだろう。その現実を信じたくないはずだ。親友の突然の転校、そして彼女の父親が、自分の両親を殺したのかもしれない……まだ疑いに過ぎないはずなのだが、それは大星の心を揺さぶるには十分過ぎたのだ。
ま、俺も境遇的には殆ど一緒なんだけどね。
「大星!」
そして、慰霊塔の前でうつむいて立っていた大星の元に、一人の少女が現れた。
「美空……どうしてここに」
犬飼美空。大星の幼馴染として、彼をずっと支え続けてきた少女。
「それは私のセリフだよ。どうしちゃったの急に……今まで全然来たがらなかったのに」
うん。確かにこれは、美空ルートで起きるイベントだ。
「やっぱり、皆おかしいよ。皆大丈夫そうに、いつも通りに振る舞ってるけど、スピちゃんもムギちゃんも元気ないし、朧っちやレギちゃん先輩も学校に来ないし……大星も、そうなんでしょ?」
今、大星達、いや俺も含めてだが、乙女によって繋がった仲良しグループが、乙女の転校によって崩壊しようとしている。
美空はそれを恐れているのだ。このままでは、大星が独りになってしまうかもしれないと。
「……お前まで言ってくれるな、美空」
「でも……」
「わかっているんだ。いや、わかっていたんだ。いつかは現実を見ないといけないってことぐらいは。
俺達だって、いつまでも子どもじゃない」
そして、大星の独白が始まる。
「俺は知っているはずなんだ、昔から。ネブラ人は良い人達だって。レギー先輩はいつも俺達を気遣ってくれるし、スピカやムギ達だってお花とお星様が大好きな女の子だ。
でも……俺は何かの拍子でネブラ人を、いや、レギー先輩やスピカ、ムギ達を嫌ってしまうんじゃないかって恐れていたんだ」
大星は良い奴だ。良い人間に見えるように振る舞っているのだ。死んだ両親の言いつけを今でも守り続けている。
ビッグバン事件以降、大星の周りでは事件の遠因となったネブラ人を嫌う人間が明らかに増えた。それでも大星が彼らに感化されてそちら側に回らなかったのは、彼の良き両親の教えと美空達のおかげなのだが……。
「でも、俺が本当に恐れていたのは……また皆がいなくなるかもしれないことだった。側には美空がいて、一緒に馬鹿騒ぎが出来る朧もいて、頼りになるレギー先輩がいて、何故か俺のことを慕ってくれているスピカやムギもいて……俺は幸せ者だ。
あの時のことを十分忘れられるぐらい、幸せだったんだ……」
そう、大星が最も恐れていたのは孤独だ。一時的にもこの世界で孤独感を味わってしまった大星は、中学で朧や乙女、そしてレギー先輩と出会うまで心を病んでいた。
「乙女がいなくなって、皆の関係が不自然になって……あんなことが起きなくても、俺達は簡単にバラバラになってしまうんじゃないか……俺は耐えられなくなった」
乙女がこの月ノ宮を去った日の夜、喫茶店に集まり落ち込む俺達を大星がまとめ上げようとしたのは、俺達の仲がバラバラになるのを恐れてのことだっただろう。
しかし、乙女が突然消えた日常は彼にとってぎこちなかったのかもしれない。
「俺の親父は言っていたんだ。肝心なもの、大切なものは目に見えないんだ、と。大人になっていくと段々と見えなくなっていくから忘れるんじゃないぞ、と。
だが俺は……その大切なものを失うのが怖い」
ネブスペ2は宇宙や星座等の逸話もモチーフになっており、今の大星のセリフもその一つ。星の王子さまという物語の一節に、大切なものは目に見えないという言葉がある。
内容こそ省略するが、星の王子さまの作中で言う目に見えない大切なものとは、家族や恋人、友人達に対する『愛』や『絆』、そして彼らと過ごしてきた『思い出』を指している……と思われる。
大星は動揺しているのだ。
八年前、大切な両親や友人達を失ったビッグバン事件。大星はこれを忘れる、いわば逃げることによってトラウマを克服したつもりでいた。
だが乙女の転校が、大星のトラウマを呼び起こすきっかけとなってしまう。大星の動揺は、美空ルートだけではなく他ヒロインのルートでも流れは変わらない。
「大星……」
慰霊塔の前でうつむく大星の元へ美空が歩み寄る。
すると美空は、大星の背後からそっと彼を抱きしめた。
「大星のお母さんは言ってたよ。子どもは目の前の幸せに気づくことが出来るって」
幼い頃から大星と一緒に過ごしてきた美空は、彼の苦しみを知っている。だからこそ彼女もまた、ビッグバン事件について触れずに、大星の辛い過去を呼び起こさないように彼と生きてきた。
「今、大星の目の前に幸せはないの?」
そんな美空は、過去と向き合わざるをえなくなった大星を支えようとしているのだ。
「私は、目の前に幸せが見えるよ」
美空の目の前にあるのは大星の背中だ。
「私──大星のことが好きだから。今も、昔も」
美空が初めて言葉に出した、大星への真っ直ぐな想い。
「大星の目の前に、私はいないの?」
この時回収出来るイベントCGには、今の状況と同じように大星の目の前に美空はいない。美空が大星の背後から抱きついている形だからだ。
今、大星の目の前にあるのは……ビッグバン事件の犠牲者を弔うために建てられた慰霊塔だ。
「……ごめん、美空」
大星は自分に抱きつく美空の手を優しく振り払った。
そう。そのイベントCGは、今の大星の目の前に幸せがないことを示している。
「今は、考える時間がほしい」
帚木大星は逃げることを選んだ。
「大星……?」
戸惑う美空を放って、大星は慰霊塔から敷地の出口の方へと足早に去っていった。
美空ルートは、こうして過去から逃げ続けていた大星が乙女の転校イベントによって現実に直面し、すっかり憔悴してしまった彼を幼馴染の美空が支える……というわけではなく、一旦ここで二人の関係は離れてしまうのだ。
そんな二人の関係を修復するのは俺、烏夜朧の役目である。だがそれはもう少し先の話だ。
箒木大星編は三月の末、進級の直前の春休みから始まる。
まずは赤髪サイドテールのネブラ人の美少女が道端で謎の生物に触手責めに遭っているというエロゲらしいぶっ飛んだスタートなのだが、大星はそのネブラ人の少女を助けると持っていたハンカチを彼女に渡して逃げるようにその場から去ってしまう。
このネブラ人の少女が、月ノ宮に引っ越してきたばかりのスピカであり、彼女は自分を助けてくれた大星にお礼がしたくて同じクラスになった彼を追いかけ回すのだが、ネブラ人のことが苦手な大星はとにかく逃げ続ける。
しかし妹のムギや親友の乙女達の協力を得たスピカに大星は捕まってしまい、なんやかんやあって親交を深めていく。一緒にチームを組んで観測レポートを書くことになったということもあり、アストレア姉妹やレギー先輩を始めとしたネブラ人達と交流していく内に、大星の心の中にあったわだかまりが薄れていくかと思いきや……ここで乙女の転校イベントが発生する。
美空ルートでは、自分の中に眠っていた負の側面と戦う大星と、そんな彼を支えようとする美空の気持ちがすれ違い中々進展しないが、とあるイベントを通じて二人は正式に交際を始める。案外早めに二人は付き合い始めるのだが……そこからは大星や美空の妹達との恐ろしい戦いが始まるのである。むしろ美空ルートはそこからが本番なのだ。
大星編のメインヒロインであり、さらにはネブスペ2のチュートリアル的な側面もあるからか美空の初期好感度は高く、共通ルートでどれだけふざけた選択肢を選んでも救済措置として美空ルートに入るようになっている。普通に攻略しようと思えば難易度はかなり易しい。
──おぼろー。
まぁ、難易度が低いってのはあくまでゲームの中での話である。俺は烏夜朧として、ネブスペ2の世界で生きる人間として放り込まれたわけだ。大星が美空のバッドエンドを迎えてしまったら、七夕の日に俺は美空にもれなく殺されてしまう。
本当に何かしらの大いなる力が働いてくれて彼ら二人のイベントがつつがなく進んでくれるなら良いのだが、まだ安心できない部分がある。
──おぼろー?
確かに今、俺が影から観察していた大星と美空の会話シーンは作中と全く一緒のはずだ。
しかし大星視点で起きるはずのレギー先輩とのイベントが俺に起きてしまったことが謎なのだ。俺がレギー先輩を攻略できるのなら万々歳なのだが、それをきっかけにバタフライエフェクトが起きて俺の死期が早まってしまうなら困る。
──おんぼろやろー。
画面越しで見ている分には良いのだが、やはりこうして物陰に隠れて盗み聞きするのは気分がいいものではない。でも美空ルートのイベントがちゃんと起きているか確認しないといけないし……流石に二人の家に忍び込んでカメラとか盗聴器を仕掛けるわけにもいかないから、彼らが上手くやってくれるのを信じるしかない。
「朧ー!」
「ぬおおおおいぃっ!?」
突然背後から声をかけられた俺は驚きすぎて森から飛び出していた。後ろを振り返ると……相変わらずの黄色いボサボサ髪で白衣を着た、叔母の望さんがキャンディーを舐めながら佇んでいた。
「盗み聞きなんて良い趣味してるわね」
「な、なんでここにいるの!?」
「いや、だってアタシが働いてるのここだし」
そうだ、望さんはこの研究所の所長だった。
「だとしても、こんなところで何してるのさ?」
「あぁ、サボり……じゃないじゃない、休憩がてら散歩してるだけ」
いや今思いっきりサボりって言ったじゃんこの人。しかもわざわざ散歩で来るようなところじゃないよここは。
そんな覗き魔とサボり魔がやり取りしていると、こちらに近づいていくる人物が……。
「あ、あの~」
大星に置いていかれた美空が、アハハ~と苦笑いを浮かべながら俺と望さんの側までやって来ていた。俺が叫び声を出して森から飛び出てしまったから気づかれたようだ。
「さっきの話、もしかして聞いてた?」
あぁ、わかる。
これ恋愛ゲームで『はい』か『いいえ』って選択肢が出てるところだ。
紳士諸君はどう答える?
俺は──。
「……ごめん美空ちゃん。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどね」
俺は素直に美空に頭を下げて詫びた。盗み聞きするつもりは満々だったけども。
そして望さんも美空に軽く頭を下げる。
「ちなみにだけど、アタシも聞いてた」
いやアンタも盗み聞きしてたんかーい。
「そ、そうなんだ~……えぇっと、私……大星に振られちゃったみたい?」
美空は自慢の青いロングヘアの毛先をいじりながら、アハハ~と笑っていた。
……明るく振る舞おうとしているのだが、いつもの美空じゃない。かなり不自然だ。そんな美空の様子を見て流石に気を遣ったのか、望さんが口を開いた。
「ちょっと展望台まで行かない? 相談に乗ってあげるから。朧、アンタもついてきなさい」
「え、僕も?」
「アンタも聞いてたでしょうが。目の前で可愛い女の子が明らかに困ってるのに放っとくなんて朧らしくないでしょ」
「い、いやでも、望さんも忙しいでしょ? わざわざ私なんかのために……」
「いーのいーの。このまま美空ちゃんを帰す程、アタシだって無情じゃないわよ」
俺も美空のためなら、と望さんと美空についていく。
だが、俺は少々焦っていた。何故なら、作中でこんな場面を見たことがないからだ。確かに大星と美空のイベントはあるが、その直後に美空が朧に相談したという事実は、後々明かされるが直接描写はされていない。
つまり台本なんて存在せず──少しでも答えを間違えればバッドエンド、つまり自分の死に直行するかもしれないイベントへと、俺は足を踏み入れるのである。
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