ダークマター☆スペシャル
「それで、大星のことが好きなのかって聞かれて、乙女はなんて答えたんだい?」
「……
スピカの代わりに、ムギが悲哀に満ちた表情で言う。
乙女は確かに友達思いのキャラ、というか烏夜朧視点で見ても友達を大事にしていた奴だったが、乙女のその返答は……彼女の心の中に恋という星が輝きだそうとしていた、と推理できないこともない。
「多分、いえ絶対、乙女さんは大星さんのことが好きだったと思うんです」
スピカがそう断言する。
アストレア姉妹は大星のことが大好きだ。大星にアプローチをかけるための相談を乙女や俺にしていたのである。まさか乙女は、アストレア姉妹の恋路を応援するために、本当に自分の気持ちを押し殺して……?
「……まさか、乙女はスピカちゃんとムギちゃんの恋路の邪魔をしないために、自分から退場したって言いたいのかい?」
「うん。乙女ならやりかねないから」
乙女が転校するに至った最大の要因は、そもそも大病を患う乙女の母親、穂葉さんが遅かれ早かれ転院の必要があったからだ。それに加えて、彼女の父親が八年前の事件の犯人である疑いがかかったのが追い打ちとなったのだろう。
だとしてもあの乙女が、朧はともかく親友であるスピカやムギに別れも告げずに逃げるようにこの街を去るのは、友達思いの彼女にしてはおかしいと感じていた。
「私やムギが大星さんと一緒にいると、たまに遠くから乙女さんが寂しそうにこちらを見ていたことがあったので……」
……え? あいつ、そんな恋する乙女みたいなことしてたの? いや確かに名前は乙女だけども。
そんなの作中で全然描写になかったんですけど? なんかアペンドとかで乙女ルートが追加されたらイベントCGになってそうだな。
残念ながらネブスペ2で乙女は攻略不可能ヒロインであるため詳しい描写はない。転校イベントを除けば殆ど賑やかし要員みたいなところはある。そして乙女が退場するきっかけとなる転校イベントは、美空やアストレア姉妹、レギー先輩達との学校生活に幸せを感じ始めていた大星に、いきなり八年前の事件のトラウマを思い出させるという意味合いがあった。トゥルーエンド以外では、その後乙女が再登場することはない。
「朧は、そーゆー話を乙女から聞いてないの?」
「いや、全然だね。乙女が僕なんかを頼るわけないだろうし」
「いえ、勿論乙女さんは烏夜さんのことも大切に思われてたと思います」
「ううん、いいよ気を遣わなくても。でもスピカちゃんとムギちゃんのせいじゃないさ。きっと……本当に急な話だったんだと思う。あぁ見えて乙女も寂しがり屋で恥ずかしがり屋だからさ、皆の前で泣き腫らしたくなかっただけなんだよ」
俺がそう言って笑いかけると、暗かったスピカとムギも少しだけ表情が緩くなったように思えた。
そう、朧が乙女と月ノ宮駅のホームで別れる直前でも、彼女はその決断を少し迷っていた。もう少し俺が必死だったなら、もしスピカとムギがその場にいれば、彼女の決意は簡単に揺らいだかもしれない。
アストレア姉妹と乙女達の仲の良さは、彼女達がセットで作中に登場する回数からも伺える。烏夜朧としての記憶の中にも、彼女達が三人でワイワイしている姿をよく見かけている。
だが俺はスピカとムギを心配していた。スピカのバッドエンドを見ると、彼女がどれだけ一人で抱え込んでしまう性格かを思い知らされる。さらにムギのバッドエンドでは……いや、今思い出したいことじゃないな。
でも、二人がそれを俺に明かしてくれたのはとても嬉しかった。朧は普段はおちゃらけていて見かけた美少女全員を口説こうとする奴だけど、LIMEの履歴を見るに各ヒロイン達の恋愛相談に丁寧に乗ってあげてるし、割と信頼されているようだ。
残念ながら恋の予感は全く感じられないけどな!
もう何度目かわからないが、歩行者用の信号が青に変わった。それでもスピカとムギは横断歩道を渡ろうとせずに、海岸を眺めて波のさざめきを聞いていた。
「その……烏夜さんは、乙女さんのことをお好きではないんですか?」
スピカは慎重にタイミングを見計らうように俺の方をチラチラと見た後、不安そうな面持ちで俺に言う。
スピカは、こうして何かと周囲の人間の恋愛模様を把握しようとする。単にゴシップ好きというわけではなく、彼らの恋路を応援したいからなのだ。まさか朧にもするとはな。
俺はフッと笑って、白波が押し寄せる海岸を眺めながら言った。
「いつも言ってるでしょ? 僕は乙女のことが好きじゃないって」
本当にそうなのだろうか? ネブスペ2をプレイしていた俺は、烏夜朧のその発言をずっと疑問視していた。
「乙女を幸せに出来るのは……そうだね、もしかしたら大星しかいなかったのかもね……」
俺は前世でネブスペ2をプレイしていた時から、攻略出来ない朽野乙女というキャラが最推しだった。彼女の持ち前の明るさに何度も助けられたし、歪なヒロイン達の関係を繋ぎ止める役割も果たしていた。ストーリーから早めに退場するのにも関わらず人気投票でも他のヒロインを差し置いて上位に食い込むほどだ。
そして烏夜朧に転生した俺は、彼が幼馴染の乙女をどう思っていたのかをようやく知ることになる。
結論から言うと、烏夜朧は幼馴染の恋に気づいていた。朽野乙女が帚木大星という男に惹かれていたことに。
そして烏夜朧は……乙女の幼馴染として、気づかないフリをしながら彼女の背中を何度も押していたのだ。
もし乙女が何かに思い悩んでいるなら、俺がどうにかしてやりたい。もし乙女が大星のことを好いているのなら、その恋路を全力で応援してやりたい。
だが乙女がいなくなってしまった今、それはもう叶わないのか……?
「烏夜さん……」
すると、スピカは俺の手を両手でギュッと握ってきた。暖かく、柔らかい小さな手が俺の右手を包み込んだ。
「もし烏夜さんがお辛いなら、私は烏夜さんの力になりたいです。もし私に出来ることがあれば、なんでも言ってくださいね」
……。
……いや、ずるくない? その優しい笑顔、ボロボロの心には破壊力がエグいって。
いけないいけない。思わずときめいてしまいそうだった。いや、早くスピカに手を離してもらわないと心臓か脳が誤作動を起こして死んでしまいそうだ。
こういうところだ。普段はおしとやかであまり積極的じゃないけれども、スピカが持つこういう包容力がプレイヤーを惑わせる。元々他のヒロインを攻略しようとしていたけどスピカに切り替えたというプレイヤーも多かったらしい。
ちなみに俺はレギー先輩のグッドエンドを向かえた後にスピカを攻略しようとして、無事ムギのバッドエンドに辿り着いたよ。なんで?
「ありがとう、スピカちゃん」
スピカとムギを不安にさせてはいけない。俺は乙女のことも心配だが、スピカちゃん達にも自分の恋路を頑張ってもらわないといけないのだ。
もう殆ど可能性は残っていないが、トゥルーエンドへの望みを繋ぐために。
「朧、顔が気持ち悪い」
「へ?」
俺の手を優しく包み込んでくれていたスピカの手を、ムギが乱暴に無理やり引きはがす。
「デレデレし過ぎ」
……なんかムギのこのセリフ、聞き覚えあるな。確かアストレア姉妹編の共通ルートでイチャイチャしてる大星とスピカにムギが嫉妬するみたいなイベントか。
嫉妬して不機嫌になってるムギちゃんかわヨ。てかこの場合、ムギはどっちに嫉妬してんの?
「ねぇ朧。落ち込んでるなら、活力をつけるためにダークマター☆スペシャルを飲まない?」
ムギはそう言って側にあった自販機の、とあるジュースを指差した。俺はそれを見て、烏夜朧が味わったイベントを思い出し戦慄する。
「待っておくれムギちゃん。あれは前に勝負がついたじゃないか」
「再戦を申し込む」
「む、ムギ……本気なの?」
「本気も本気、メガ本気」
フフン、と気合いを入れているムギも可愛いけど、ぶっちゃけ俺はこんな勝負をしたくない。烏夜朧として経験した最悪の思い出が蘇るのだ。
『ダークマター☆スペシャル』とは、この月ノ宮町特産の食材を使用した健康ドリンクだ。そんなふざけた名称のドリンクだが、作中でもどんな味かは名言されていない。
「いつ見ても故郷を思い出すね」
「いや、ムギちゃんだって地球から離れたことないでしょ」
「遺伝子に刻まれてるんだよ、母星の記憶が。ま、地球人の朧にはわからないだろうけどね」
「何その宇宙人マウント」
「ムギ。ネブラ人の私でさえわからないんだけど……」
百二十円で販売されている百二十ミリリットル入りの真っ黒な瓶を自販機で購入する。蓋を開けると、暗黒物質とはこのことかと思うようなどす黒い液体から、飲み物が放ってはいけない禍々しい煙がモクモクと上がっている。
作中では、選択肢次第でプレイヤーの手で全ヒロインに飲ませることが出来る。このダークマター☆スペシャルを飲ませるとあら不思議、簡単にヒロインが涙目でえずいて可哀想な目に遭うシーンを見ることが出来るのだ!
なんだかマニアックなシーンだが、ヒロインの好感度はもれなくだだ下がりだ。あくまで可愛い女の子がえずいているシーンを見たいという高貴な嗜好を持つ紳士向けのイベントである。
「ね、ねぇ二人共。明日も学校よ? お腹壊しても、私だって庇えないからね?」
スピカはアワアワと俺とムギを心配そうに見ながら、なおかつダークマター☆スペシャルを持つ俺達から距離をとって立っていた。
「大丈夫。明日にはすごく元気になってるから」
「そうだよスピカちゃん。なんたってこのダークマター☆スペシャルには滋養強壮効果があって、疲労回復や快眠作用だってあるんだ。普通の栄養ドリンクの数百倍の栄養が入っているんだからね」
「だ、だからあまり美味しくないのでは……?」
栄養ドリンクのさらに数百倍の栄養って、なんか中毒でぶっ倒れそうな量だよな。最早致死量だろそれ。
「朧、良い? どっちが早く全部飲めるか勝負ね」
「大丈夫、覚悟は出来たよ」
そして俺とムギは同時にダークマター☆スペシャルを一気に喉に通した──。
「──美味い!」
美味い。
……美味い。
この一気に鼻腔を駆け抜けていく柑橘系の……何かが腐ったような厨芥の香り。
体の隅々に染み渡るような、澄んだ清流……とはかけ離れた、浄水設備がまともに整備されていない、生活排水や工場排水が垂れ流しにされているドブ川のような味。
いや、美味いわけないだろ。
「この美味しさを味わえないなんてスピカちゃんは可哀想だなぁ、ハーッハッハッハ!」
俺は躊躇いなく一気に飲み干した。四月に開催されたアストレア姉妹の歓迎会で烏夜朧はこれを一度飲まされる羽目になっていたから味は知っているが、やっぱり不味いっていうレベルじゃない。本当に人間が摂取していい物質で作られてるのかこれ。
もうこれを作り出した人間を一発しばいてやりたい。このドリンクを作ったメーカー、いやネブスペ2の開発者を殴りに行くべきか。
「さ、流石ですね、烏夜さん……」
ほら、スピカもちょっと引いてるもん。
「うぅ……えぅっ、うぅぅ~!」
そして俺と同じく体の内側から大ダメージを受けたムギは、スピカの元まで行って彼女の体にもたれかかっていた。
「む、ムギ、大丈夫?」
「あぐっ、だ、大丈夫……ぐぅうぅぅっ……」
……なんでこうなるのに、ムギはこんな勝負を仕掛けてきたんだろう。涙目でえずいているムギをずっと見ていると何だか新しい扉を開いてしまいそうだったため、俺はムギから目をそらして口直しにとフルーツジュースをムギの分も合わせて自販機で買っていた。
口直しにフルーツジュースをムギと一緒に飲んでいる途中で、俺はあることを思い出す。
そうだ、今日はあの人が珍しく家に帰ってくる日だ。
俺はそのキャラと会えることを楽しみにしながら、アストレア姉妹と別れて帰路についた。
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